第262話 進徳

 犬之神の御厚意に甘えて西京の宿屋で一泊した明くる日、私達は西京から数キロほど東にある木高山を訪れた。木高という名前の由来となった背の高い樅の木々が山肌を埋め尽くしており、この地に根付いた歴史の長さと自然の豊かさを物語っている。

 都市部から距離を置いた山の麓ゆえ、耳を澄ましても聞こえてくる音は自然の産物ばかりだ。渓流を流れる川のせせらぎ、風に煽られて揺れる木枝の擦過音、そして鳥や小動物の鳴き声ぐらいだ。

 マイナスイオンで満ち溢れた自然は、都会の喧騒に疲れ切った人間にとって心を癒す最高の治療所であろう。しかし、私達が此処へ来たのは観光目的でもなければ、癒しを求めた訳でもない。


「ここに進徳はんがおるんやな?」

「犬之神様はそう言っていたわよ」


 そう、私達の目的は犬之神の頼みである二つの内の一つ……長男進徳の説得をしに此処へやって来たのだ。進徳は木高山の中腹に設けられて寺に籠り、そこで剣の鍛錬と精進に明け暮れているそうだ。

 犬之神曰く、これまでにも何度か使者を向かわせた事があるが、そのどれもが彼と話しらしい話も出来ず物別れに終わってしまったとのこと。しかし、アクリルなら……アレックスの娘ならば何かを打ち明けてくれるやもしれない。そういう期待もあって、今回の一行には彼女も加わっている。

 因みにクロニカルドと角麗はもう一つの依頼である誠真の護衛を請け負うべく、西京の北端にある彼の屋敷に向かっている。恐らく今頃は心強い味方として受け入れられているに違いない。


「ここやな」

「ええ、そうみたいね」

「わー、長い階段ー」


 私達は山沿いに沿って築かれた長い石段を見上げた。高さも幅も歪みなく均一に整えられている様は、この国が持つ石工技術の高さを物語っている。そして石段の頂――山の中腹には、進徳が修業と称して籠っている寺と思しき門扉と塀が見えた。

 ヤクト達を貝殻に乗せると、私はランドキャタピラーで階段を上って寺へと向かった。樅木の合間から太陽が投げ掛けられ、木影と日光の斑模様が風に煽られる度に揺らぐ様は、設計されていない偶然が生んだ自然の美とも言えよう。

 だが、そんな風に自然を楽しめたのも最初の内だけだった。寺へ近付くにつれて空気が緊迫感で引き締まっていき、周囲の平穏な風景とのギャップが乖離していく。それに恐れをなしたのか何時しか小動物達の鳴き声も絶え、周囲は午前中の明るさに相応しくない静寂に包み込まれていた。

 当初は自然を満喫していた私達も石段を上がる毎に重くなっていく空気に気付き、何時しか閉口して息を潜めるように気配すらも殺していた。そうして漸く寺の前に辿り着くと、私達は固唾を飲むような面持ちで門扉を……いや、その向こうを見据えた。


「確か剣の修業をしているって聞いたけど……」

「この気迫は流石にやりすぎとちゃうか……?」

「どうするの……?」


 真剣勝負のような張り詰めた空気が門を隔てて犇々と伝わってきており、流石の私達も踏み入るのが憚れた。しかし、かと言ってこのまま回れ右をしてしまえば目的を果たせない。意を決してヤクトが私達を代表して門扉を押し開けた。

 寺の敷地に足を踏み入れた私達の意識は、必然と境内に居座っている一人の犬人に結び付いた。寺へと続く石畳の上で正座をし、その周りには藁と竹で作られた人形が取り囲むように配置されている。

 そして男を中心とした周囲一帯の空気が歪んでいるように見えるのは、彼から発せられる研ぎ荒まれた殺気に近い鋭利な気迫が原因だった。それだけで私達は近付き難いものを覚え、その空気の外から暫し見守る事しか出来なかった。

 そして正座していた犬人が何の前触れも無く立ち上がると、右腰に差していた刀を居合いのように引き抜いた。陽光を反射した剣が目にも止まらぬ速さで鋭い剣筋を幾重も描き、気付けば刀は再び鞘の中へと収められていた。

 チンッと刀が鯉口にピッタリと嵌った瞬間、犬人の周りに立っていた藁人形が一斉にバラバラに切り捨てられて石畳の上に散らばった。それを見たアクリルは思わず拍手しようと胸元に手を持ち上げるも――


「賛辞は要らぬ。この程度は造作もない事だ」


 ――と、その技を見せ付けた本人に待ったを掛けられ、しょんぼりとした表情と共に目的を見失った手をゆるゆると下ろした。触れただけで切られそうな鋭い雰囲気を抑え込むと、犬人――進徳は私達の方へと振り返った。

 シベリアンハスキーの黒毛の部分を全て白色に置き換えたような凛々しい顔立ちをしており、加えて片腕を無くしても尚も衰えぬ覇気と鍛え上げられた肉体からして、中々の猛者であることが窺える。

 しかし、犬之神と同じ蒼い目には相手を見定めようとする推測が含まれており、未だに此方に対して警戒を持っているのが丸分かりだった。既に刀は収められているが、不用意に近付けば刹那の斬撃が飛ぶこと間違いなしだ。


「何奴だ? この島の人間ではないな? 先に言っておくが、此処に観光として相応しい物は無いぞ。異国情緒を楽しみたいのであれば、西京に戻る事をお勧めする」

「そりゃ御親切にどうも。せやけど、俺っち達は犬之神玄徳様の遣いで此処へやって来たんや」

「親父の?」


 進徳は警戒心を解くどころか、一層と眉間の皺を深めた。父親の名前を出しからといって、それが警戒心を解く鍵になるとは限らない。ましてや、それを口にした相手が素性も知らない異国の人間ともなれば猶更だ。

 埒が明かないと判断したのか、ヤクトは進徳の方へ歩み寄りながら胸元に手を入れた。進徳は直ぐに刀を抜けるように左腕を構えるが、彼が懐から取り出した便箋を見るや手元が止まった。


「それは……?」

「玄徳様から託された親書や。ほれ、刻印もあるやろ?」


 ヤクトがピラッと手紙をひっくり返せば、便箋の端に犬之神の家紋である十字星の模様を額に持つ犬の紋章が刻まれていた。進徳はヤクトから差し出された手紙を受け取り、口元で便箋の封を破ると中の手紙に目線を落とした。


「成る程な、間違いなく親父の文章だ」


 手紙を読み終えると、進徳の口からポツリと呟きが零れ落ちた。しかし、納得した声色とは裏腹に私達に対する警戒の念は微塵も衰えておらず、依然として刺々しい気配による不可侵領域見えざる垣根を築いたままだ。


「親父殿に伝えてくれ、其方で勝手にやってくれと」

「ちょっと待ってください!」キューラが慌てて声を上げる。「手紙を読んだのならば理解しているでしょう!? 貴方の協力が必要なのです!」

「生憎だが拙者は政治に関しては無能にも等しい。それに武闘派の頭目と言っても、実際には只のお飾りに過ぎん。その手の話は拙者ではなく拙者の家臣に言ってくれ」

「じゃあ、アクリルのお父さんの話を聞かせて!」


 取り付く島も無く踵を返した進徳の背中に向かって、アクリルが呼び止めるように大声を張り上げた。進徳は足を止めて振り返り、怪訝と困惑が入り混じった表情で彼女を見遣った。

 当初は「何を言っているんだ?」と言わんばかりに眉間に皺を寄せていたが、彼女を見続けている内にゆるゆると皺が薄らいでいった。そして最終的に唖然としたものとなるや、それまでの落ち着き払った態度から一転して獲物を見付けた猟犬の如くアクリルに詰め寄った。


「そなた……!! まさかアレックスの娘か!?」

「うん! そうだよー!」


 進徳はわなわなと震え、やがてガクリと両膝を付いて膝立ちとなった。何かを求めるかのように貝殻の上に腰掛けるアクリルに手を伸ばすも、思い止まるように手を止め――そして石畳に頭を打ち付けん勢いで土下座した。


「すまぬ!! そなたの……そなたの父を守れなかったのは拙者のせいだ!!」



「先程は醜態を晒すような真似をしてしまい、申し訳なかった……」

「いや、気にせんといて下さい」


 進徳が落ち着きを取り戻した後、彼の勧めもあって私達は寺の中へと案内された。但し、ここでもヴォルケーシェルの巨体では入れないので、アクリルにリトルシェルの分身を持たせる格好となったが。

 寺の中は一体の大きい観音像――但し顔立ちは犬人だが――が置かれているだけで、これと言って特段と変わったものは見当たらなかった。人数分の茶を運んできた寺の坊主と思しき犬人が立ち去るのを見送ってから、進徳は改まった口調で言葉を切り出した。


「では、改めて……既に知っているだろうが拙者の名は犬之神進徳と申す」

「俺っちはヤクト。こっちのメガネのエルフはキューラ。で、こっちの女の子がアクリルや」

「あとね!」アクリルは膝上に乗せていた私を持ち上げた。「こっちはガーシェルちゃん! アクリルの従魔だよ! でもね、本当のガーシェルちゃんはあっちの海に居るんだよー!」

「そうか。内海湾に巨大な貝の魔獣が来たと耳にしていたが、まさかアレックスの娘の従魔だとはな。父親といい娘といい、運命とは思わぬところで交差するものだな」


 先程までの刺々しい気配は鳴りを潜め、今の進徳は極めて穏やかな雰囲気に包まれていた。それが彼の本来のものなのか、それとも嘗ての仲間の娘と出会った喜びによるものかは分からない。だが、話しをするには打って付けの環境になった事は確かだ。


「ところで、例の話やけど……」

「ああ、誠真の後ろ盾になれというアレか」誠心はあっけらかんとした口調で請け負う。「別に構わぬぞ。確かに拙者は武闘派の頭目やもしれんが、先程も言ったように只の飾りに過ぎん。家臣達も拙者の言葉に首を横には振らんだろう」

「いや、それは有難いんやけど……」ヤクトは調子を狂わされるかのような困惑を浮かべる。「せやけど、権力とかに興味はないんでっか?」

「無いな」進徳は間髪入れずに断言した。「そもそも拙者は政に関しては空っきしであるし、武芸を追及するぐらいしか能のない男よ。そんな男が政治の権限を握ったところで為せることなど何一つとてない。文字通り犬に小判だ」


 竹を割ったかのように淡々と自分自身を的確に論評する進徳の姿に、私達は只々感心するばかりであった。一方で彼に野心というものが存在せず、純粋な武人なのだという印象も抱かせた。


「そもそも武闘派が抗いたいのは保守派の台頭だ。保守派が政治を仕切るようになれば、武士達は国土防衛と称して国内に留まるよう強要されるであろう」

「それって……何か嫌なんですか?」

「武士にとって戦果を挙げることは誉れだ。同盟や友好関係にある他国の要請に応じて戦場に馳せ参じるのは、日照の強さを知らしめると同時に自分の武芸を内外に広める絶好の機会でもある。それを奪われるのは武士の花形を失うも同義であると考えている者も多い」


 成る程、要するに武士が活躍する場を限定されるのを嫌っているという訳か。そりゃ国土の安定を優先する保守派としては、増援という名目で戦火を広げて徒に出費を増やすような真似はしたくないわな。

 

「その点、改革派は武闘派の活躍に理解してくれている。加えて、日照が秘匿している技術を開放し、その見返りとして他国の技術を手に入れて更なる発展を成し遂げるという思想を持ち合わせていると聞いている。だが、保守派は技術を秘匿すべきだと主張し、故に改革派とも反りが悪い」

「片や政治力の無い武闘派、片や実力は合っても土台が弱い改革派、そして両方を良いとこどりで併せ持っている保守派。こりゃ保守派が有利になるのも頷けるわ」

「だけど、両者の動向を気にしているって事は、裏を返せば両派閥が手を組く事に強い警戒を抱いているって意味でもあるわね」

「その通りだ。両者が組めば保守派とも対等を通り越して有利に渡り合えるだろう。そして政治において優れた才を有する誠真が次代の国主として選ばれるだろう」


 そして粗方の話が終わったところで進徳はアクリルを見遣った。既に彼の眼は現代ではなく昔へと見据えられており、瞳の輝きには懐古の念に浸る懐かしさが揺蕩っていた。その気配を察したのかアクリルも目を輝かせ、彼の口から語られる父の物語を今か今かと待ち侘びてる。


「では、そなたの父親についての話しをしよう」

「うん!」

「其方の父……アレックスと出会ったのは今から十五年も前の話だ。その頃の……いや、当時も拙者は武芸の技を磨く事しか頭にない男だった。だが、強いて言えば天狗になっていたという点であろう」

「てんぐ?」

「傲慢という意味だな。自慢ではないが拙者の二刀流は日照でも最強と言わしめる程の力量を誇っていた。民や武将達からは天下無敵と褒め称えられ、それを当然の如く受け止めていた。そんな時、拙者の前に現れたのがアレックスだった。

 あやつは拙者の噂を聞き付けたのだろう。堂々と屋敷に乗り込んできては仲間にしたいと豪語しおった。しかも、その際に止めに入った家臣達を返り討ちにするという道場破りのような真似までしおった」


 今や笑い話となった過去の思い出に触れ、くっくっくっと喉元を揺さぶるような忍び笑いを零す進徳。アクリルは実の父親の物語に興味津々だが、ヤクトとキューラはアレックスの破天荒っぷりに唖然と口を開くばかりであった。


「それでどうなったのー?」

「何だかんだあってアレックスと試合をする事になった。そして……拙者は負けた。ものの見事な完敗であった。天狗の鼻をへし折られた時は衝撃を受けたが、それ以上に世界には強者がまだまだ居るのだと心が震えたものだ。

 そして拙者は約束通りアレックスの仲間となり、彼と共に旅をすることになった。見知らぬ世界を巡り歩く中で様々な仲間と出会った。ハイオークのオスモ、深海族のダゴン、ドワーフのロック、ハイエルフのミリィ……人種も出自も異なる曲者揃いであった」

「凄いわね」キューラが感心したように言う。「私達が居たラブロス王国も亜人族を広く受け入れていたけど、そこまで様々な人種で構成されたチームは居なかったわよ」

「うむ。だが、このような仲間を作るには一筋縄ではいかぬであろう。人種の隔たりによってイザコザを抱えている種族も少なくはない。しかし、アレックスの人徳とカリスマがそれらの難題を克服し、種族の壁を超越して互いに手を取り合う可能性に光を当てたのだ」

「へー、お父さんって凄い人だったんだー」

「ははは、アレを凄いという言葉では片付けられぬよ。腕っ節の強さも然る事ながら、何人にも手を差し伸べる優しさという心の強さも兼ね備えていた。そして自然と大勢の人々がアレックスの元へ集まるようになり、何時しかドレイク帝国に抗う一大勢力にまで発展していた」


 それまで個別に活動していた種族を束ねて一大勢力を作り上げようとしていたアレックスの存在は、かの帝国にとって厄介以外の何物でもなかったに違いない。そしてラブロス王の話が事実であれば、アクリルの母親と出会ったのはその最中という事になる。


「そして今から七年前、あやつにも春が訪れた」

「はる?」

「……愛する女性との出会いという意味だ。即ち、そなたの母親だ」


 アクリルの生みの親である母親の名前が出た途端、私達は無意識に背筋を正した。特にアクリルなんかは円らな目を大きく見開き、母親の話を語ろうとする進徳に全神経を注いでいる。


「我々が出会ったのは名も無き孤島だった。然程大きくはないが村単位で暮らすには十分な自然が実っていた。だが、無人島のような見た目とは裏腹に最奥の地には高度な文明があった」

「それが魔人族の生き残りだったのですね?」

「知っていたか」進徳は一瞬意外そうに目を見開くも、直ぐに冷静を取り戻した。「そう、そこは魔人族と呼ばれる種族が暮らす島だった。彼等はドレイク帝国の前身である四大国の迫害を受け、その島へ落ち延びた魔人族の生き残りだった。そして我々は彼等の口から歴史の真実を知った」

「魔人族の存在がドレイク帝国の前身である四大国の喧伝工作によって歪められていたっちゅー話やな」

「左様。そしてドレイク帝国が何故に亜人族の排除に腐心しているのかも知った。ドレイク帝国は人類至上主義を掲げているが、それはあくまでも方便に過ぎん。真の目的は第二の魔人族の出現を阻止する為だったのだ」

「第二の魔人族? どういう意味ですか?」

「魔人族は膨大な魔力を秘めているのが特徴だが、そのような特徴を持つのは彼等だけではない。彼等の魔力量と比べれば若干劣るもののハイエルフは人間と比べれば膨大な魔力を秘めているし、深海族も呪力と呼ばれる特殊な力を持っている。ハイオークや獣人族も人間には無い高い身体能力を有している。

 即ち、ドレイク帝国は警戒しているのだ。亜人族が魔人族に取って代わる脅威になるかもしれないと。言い換えれば、四大国が魔人族によって滅亡の淵にまで追い込まれたトラウマは、ドレイク帝国となった今でも引き継がれているという事だ」

「成る程、奴等が掲げる人類至上主義も、亜人族に抱く恐怖の裏返しっちゅー訳かいな。亜人族に怯えるぐらいなら融和なりして穏便に手を結んだ方が無血で済むやろうに……」

「それが出来ていればドレイク帝国に対する見方も変わっていただろうな」


 帝国に対する皮肉を嘲笑交じりに呟くと、目的を思い出したように進徳は笑みを掻き消した。


「話しは逸れたが、我々は魔人族も同盟として迎え入れる事にした。そこでアレックスは魔人族の長の娘――ミネルヴァと出会った。彼女こそがアクリル、そなたの母君だ」

「アクリルの……お母さん……」


 アクリルは自分の言葉を噛み締めるように言った。陽光を浴びた水面のように輝いた瞳からは、まだ見知らぬ母親に対して興味と好奇心を抱いている事が窺える。


「ミネルヴァは聡明にして強かな女性であった。魔導においても優れた才能を有しており、我々の仲間に加わるのも時間の問題であった。そんな彼女にアレックスはぞっこんだった。そして旅をする中で積極的にアプローチを繰り返し、少しずつ彼女の心を引き寄せていき……遂に二人は相思相愛の仲となった」


 両親の馴れ初めにキューラは「素敵ねぇ」と乙女チックに酔い痴れた溜息を零し、ヤクトは照れ笑いに似た恥ずかし気な微笑を浮かべた。アクリルは両親の思い出話に心を躍らせ、ワクテカと言わんばかりの活き活きとした表情で話を聞き入っていた。

 しかし、進徳の口から「だが――」と暗雲を漂わせた不穏な言葉が出ると、それまでも甘い空気が一転して冷え上がったものへと変貌した。それを肌身で感じ取ったヤクト達は、良からぬ出来事が起きたのだと察知して心身ともに身構えた。


「ある時からドレイク帝国の奇襲を受ける事態が頻発し出した。まるで我々の内情を把握したとしか考えられない行動から、アレックスは即座に帝国と通じる内通者の存在を疑った」

「内通者? 亜人族の同盟にどうして向こうと通じる輩が……?」


 進徳は左手を突き出してヤクトの疑問に歯止めを掛けた。それも含めて追々説明する、暫し待たれよ――そんな意思表示が届いたのか、ヤクトは素直に口を閉ざして再び聞き手に回った。


「兎に角、我々は内通者の可能性も視野に入れて今後を考える必要性に迫られた。そして仮に内通者が居ると仮定した場合、浮かび上がった問題は真っ先に狙われるのは誰かという事であった。

 これは言うまでも無く組織のリーダーとして活躍していたアレックスと、その家族であったミネルヴァとアクリルだ。その頃、ミネルヴァは第一子……即ち、アクリルを生んでいた。妻子を人質に取られてしまえば、流石のアレックスも身動きが取れない。

 そこでアレックスは赤子だったアクリルを連れて一度祖国に帰り、信頼のおける人物に彼女を託すことにしたのだ。可能であれば妻も一緒に連れて行きたかっただろうが、まだ出産を終えたばかりで体力が落ちていた彼女を連れ回すのは危険だった」

「だから、アクリルちゃんだけがラブロス王国に預けられたのね……」

「何より、ミネルヴァも魔人族の末裔としてマークされていると考えると、アクリルと一緒に非難させても帝国の刺客が差し向けられる恐れがある。我が子を巻き込む危険を回避する意味も兼ねて、ミネルヴァは敢えて娘を手放すという苦渋の決断を受け入れたのだ」


 「そうだったんだ……」と、アクリルは小さく呟いた。心成しかホッとしているのは、自分が捨てられた訳ではないと分かったからであろう。隣にいるキューラに「良かったわね」と頭を撫でられ、アクリルは安堵の混じった笑みを返した。


「そして我々はアレックスが帰ってくるまで留守を守るという役目を請け負った。止むを得ない事情だったとは言え、組織のトップが不在という状況は非常に危ういものだ。ましてや此方の情報が向こうに筒抜けになっている事を考えれば、何が起きてもおかしくなかった。

 しかし、我々が想像していたよりも急速に事態は悪化へと向かっていった。内通者がいるという疑念は瞬く間に亜人族全体へと浸透し、誰も彼もが疑心暗鬼に駆られるようになってしまったのだ。

 それまで隣人同然に接していた亜人達は互いに互いを警戒し始め、ギクシャクした状態が幾日も続いた。やがて不安は不信へと姿形を変えていき、それを皮切りにアレックスが築いてくれた種族を超越した結束に亀裂が生じていった。だが、我々では補修のしようがなかった」


 進徳は面目ないと言わんばかりに俯き、重々しい溜息を吐き出した。そこには並々ならぬ心労と後悔の念が含まれていた。ましてやアレックスの娘が目の前にいるのだから、その念は何倍にも増幅されているのは容易に想像が付く。


「そして組織の不満と疑念が限界に達した時、ドレイク帝国の猛攻を受けた。何もかもが完璧なタイミングでの不意打ちであったが故に、どの種族も誰を信用すれば良いのか分からず、最早組織立った行動は不可能であった。

 我々に出来たのはアレックスの帰還を信じてドレイク帝国の猛攻を耐え凌ぎ、亜人達を一人でも多く戦場から逃がすことぐらいだった。そうしている内に拙者は仲間と離れ離れになってしまい、孤立無援の状態に陥ってしまった。

 そして拙者も戦線からの離脱を測ろうとした時、背後から一陣の風刃が押し寄せてきた。連戦に次ぐ連戦と、不眠不休で疲労が蓄積していた拙者は反応に遅れを取り、その結果がコレだ」


 進徳は肘から先を失った右腕を持ち上げた。既に傷口は塞がれて当時の生々しい断面は見当たらないが、鍛え上げられて太さを増した左腕との比較が何とも言えない寂寥感を生み出している。


「片腕を失った拙者はバランスを崩し、そのまま崖から足を踏み外して海へと転落した。その時、拙者は見たのだ。崖上から此方を見下ろす裏切り者の顔を」


 ギュッと膝上で握り拳を作り、進徳は恨み骨髄の形相を浮かべた。その表情からは裏切り者に対する憤怒と憎悪は勿論のこと、「何で気付けなかった」「何で見抜けなかった」という自責の念も織り交ざっていた。

 しかし、今更悔やんでも悔やみ切ったところで過去が戻って来る訳でもない。進徳が顔を持ち上げると、それまでの恨み辛みは虚しいまでの諦念に取って代わられていた。


「……我々は内通者が組織内の人間だと思い込んでいた。そのせいで最も近しい仲間を疑うことを忘れていたのだ」

「まさか、内通者の正体って……!」


 進徳はコクリと頷き、失われた腕を見ずもせずにソッと撫でた。

 裏切り者を思い出して荒くれそうな心を静めているのか、それとも裏切られる前の過去の思い出を思い起こしているのか。それは分からないが、どちらにしても今の彼には必要なルーティンである事に間違いなかった。

 そして暫しの時を要した後、進徳は真っ直ぐに私達を見据えながら裏切り者の――そして私達の前に何れ立ちはだかるであろう宿敵の名前を告げた。


「内通者の正体はヘレナ。アレックスとはラブロス王国から共に旅をしていた古参メンバーにして優秀な魔法使い。そして――現在はドレイク帝国の精鋭部隊であるドレッドセブンの一角を担っている」

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