第259話 出航
あれから二週間が経過し、いよいよ私達は旅立ちの時を迎えようとしていた。北方の港には私達の出発を見送ろうと、大勢の人間が詰め掛けていた。北方の港も私が進化した際に大打撃を受けたのだが、私の魔法によって修復され今や本来の姿を取り戻している。
「アクリルさん、気を付けて下さいね!」
「うん、イーちゃんも元気でね!」
互いの健康と無事を祈りながら、別れの握手を交わすアクリルとイーサン。そんな二人の遣り取りを一歩下がったところからマリオンが優しく見守っていた。
イーサン王子とマリオン王妃をトウハイへ連れていくという目的は達成された為、二人とは此処で御別れである。尤も、これからドレイク帝国の領内へ踏み入る危険性を考えれば、どちらにしても二人には此処で降りてもらう運命に変わりはないが。
「ところでキューラおねーちゃんはどうしたのー?」
「キューラさんは宿で不貞寝していますよ」
と、マリオンが困り顔でキューラの現状を報告すれば、アクリルの傍に付き添っていたヤクトが「困った御人やなぁ」と呆れ果てた口調で愚痴を零した。それを聞いてクロニカルドは相槌を打ち、角麗は複雑そうな苦笑いを零すばかりだ。
キューラ女史もマリオン達と同様、私達とはトウハイで御別れという事になっていた。しかし、進化した
「おねーちゃんとお別れ言いたかったなー」
「まぁ、別に今日が最後っちゅー訳やないんや」そう宥めながらアクリルの頭を撫でるヤクト。「また帰ってきたら仰山お話すればええやないか」
「うん!」
イーサン達との別れの挨拶が終わると、彼等と入れ替わるように十二神闘流の面々がやって来た。角麗と別れの挨拶を交わしに来たのだろう、そう悟ったヤクトとクロニカルドは彼女に気を遣ってアクリルと一緒に距離を置いた。
彼等の心遣いに感謝しながら角麗は同胞達の元へと歩み寄った。既に二週間の間に別れの挨拶を済ませているとは言え、やはり実際にその日を迎えると寂しいものがあるのだろう。皆、旅立つ角麗をトウハイの誇りと思いながらも、切ない表情を隠し切れていなかった。
「全く、驚きだよ。本当に旅立っちまうなんてさ」
「申し訳ありません、虎蘭。ですが――」
虎蘭はサッと腕を突き出し、彼女の口上に歯止めを掛けた。角麗はマジマジとその手を見詰め、そして勝気な笑みを浮かべる彼女の顔へと目線を遣った。
「気にしなくてもいいよ、アンタがそうしたいって言うんならオレ達は応援するまでさ」
「そうよ。角麗ちゃんは仲間の為に頑張るんだもの。謝る必要なんてないわ」
そう言って角麗の選択を誇らしいものだとフォローしたのは車椅子に乗った蛇博だ。先の邪龍との戦いで、相手の精神に潜り込んだ際に片足をやられてしまい、それ以来動かす事が出来なくなってしまったのだ。
私が復活した後、試しに聖水やアクエリアスを試してみたが、彼の右足が再び動くことはなかった。精神世界での戦い……即ち、魂の損傷であった事が原因かもしれないが、進化した私でも出来ない事がまだまだあるようだ。
しかし、彼はソレについて逆恨みをするでもなく、名誉の負傷だと言ってのけて素直に不自由な足を受け入れる事にしたのだ。既に十二神闘流の一員としての活躍は見込めないが、その器の大きい心はきっと後進の育成で発揮されるであろう。
「それでは……行って参ります」
「ウングー!!」
「気を付けるんだぜ、あっちで死体になるんじゃねェゼ。キキキッ」
「幸猿、縁起の悪い事を言うんじゃないよ」
性質の悪い冗談を放った幸猿の脇腹を虎蘭が肘で突き――
「気張って来いよ。そんで武勇伝を沢山聞かせてくれよ」
「角たん、がんばってねー」
「モグー!」
猪核と兎李が角麗にエールを送り――
「がんばってねー」
「角麗よ。如何に強き仲間を持ったからと言って、余り無理をするでないぞ」
「はい」
「ングー!!」
羊明と龍真の後押しを受け、角麗は簀巻きにされて地面に転がされている義鼠を無視して踵を返した。何故に義鼠が簀巻きにされているのかと問われれば、答えは単純明快――このエロ魔人が角麗に何かするに違いないと警戒されていたからである。
「ほな、ガーシェル。よろしく頼むわ」
『了解しました』
ヤクトの指示に従い、私は仲間達を貝殻の上へと移動させ始めた。ヤクト達の足下に魔方陣が浮かび上がり、光が滝のように競り上がる。そして一瞬遅れて貝殻の前半分近くを埋め尽くす平原の一角にも同様の魔法陣が浮かび上がり、先のソレと連動するかのように同様の光が噴き上がる。
そして最初の魔法陣が光と共に消えるとヤクト達の姿も幻の如く消え去り、そして数瞬のラグを置いて後者の魔法陣へと転移された。全員が揃っていることを確認し、私はゆっくりと方向転換を開始した。
進化して島に匹敵する超巨体となったことで、今までのような俊敏な小回りは失われてしまった。なので、トウハイの港から離れる時の精神が擦り減る程の緊張感は半端なかった。少しずつ距離を開けるにつれ、港から私達を見送る人々の姿も小さくなっていく。
『バルーンスクリュー!』
そして皆の姿が小粒になって顔も見えなくなった頃、私は貝殻の後方に泡魔法で作った大小六つ――大型が中央下部に二基、それを挟み込むように小型が二基ずつ――を作り出した。
それぞれが回転をし始めて海水を掻き回し、私の巨体を動かす推進力を底上げする。更に貝殻後部からジェット推進の激流が放出され、私の航行速度は劇的に上昇した。さながら島が煌めきに満ちた海原を掻き分けるかのようだ。
因みにジェット推進も進化によって大幅に強化され、ほぼ半永久的に放出が可能となった。潜水したまま無補給で世界を一周する事が可能という原子力潜水艦のような真似事も出来るやもしれない。
「わー、海が綺麗ー!」
「船みたいに揺れが無い分、中々に快適やな」
「しかし、ガーシェルにとっては久し振りの里帰りではないのか?」
そういえばそうでしたね。海に上がってから長いこと陸地で生活していたもんだから、自分が海棲生物である事を忘れ、里帰りを果たしたという感覚すらも喪失していた。
「ですが、この調子ならば日照まで数日で着きそうですね」
「いやー、どんな国なのか楽しみだわー」
「ああ、せや――うん!?」
この場に聞こえてはいけない声を耳にし、ヤクト達はパッと振り返った。何もない筈の虚空に虹色の揺らぎが生じ、それがみるみると薄れていくにつれて――キューラ女史の姿が露わとなる。
「きゅ、キューラはん!?」
「貴様、どうして此処に!? いや、どうやって此処に!?」
「ふふん、エルフ直伝の隠遁魔術を甘く見て貰っちゃ困るわよ」
どうやらエルフ達の秘伝である隠遁魔法を駆使して私に乗り込んでいたようだ。となれば、不貞寝しているというのもマリオンと私達の目を欺く為に何かしらのトリックを使ったのだろう。とは言え……。
「貴重なエルフの魔法をそんな事に使ってええんかい」
「そんな事って何よー! 折角進化したガーシェルちゃんと一緒に居られるのよ! ここぞと言う時に使わないでどうするの!」
「もっと他に使い道があるだろうに……」
相変わらずの魔獣への深い――或いは重い――愛を爆発させるキューラに呆れるクロニカルドとヤクト。アクリルだけはキューラと一緒に居られると思っているからか、嬉しそうに表情を輝かせている。
「とは言え……」角麗が溜息交じりに呟く。「如何します? 今から引き返してキューラ殿だけトウハイに引き渡しますか?」
「角麗ちゃん!」キューラの顔に絶望が蔓延る。「そんな殺生な!」
「しかし、それだけで引き戻すのも格好が付かへんなぁ」
「だが、これから先は邪龍やドレイク帝国と戦うのだぞ。無駄な荷物を置いておく余裕などない」
「無駄じゃないもん!」
クロニカルドに無駄な荷物という烙印を押された事に反感を覚え、全力でゴロゴロと寝返りを打って不満の意を訴えるキューラ。その幼稚な姿に色々と頭を抱えたくなる気持ちが芽生えたのは、きっと私だけではないはずだ。だが、不意に寝返りを打つのをやめると、キューラは一転して真剣な目で私達を見据えた。
「真面目な話をするけども……この先に居る人種とのコミュニケーションは考えているのかい?」
「どういうこっちゃ?」
「日照に関してはトウハイと良好な関係を結んでいるし、何よりも角麗達と近い観念を持っている犬人族が居るから大丈夫だけどさ、それより先にはドワーフ族やオーク族が居るのよ?」
「そう言えば、そのような話をしていたな」
三賢人から聞いた話によれば、東の彼方に点在する島々にはエルフ族・ドワーフ族・オーク族・人魚族と様々な亜人族が生活圏を築いている。国力に至ってはトウハイやラブロスみたいな大国にこそ劣るものの、それでも彼の国々には無い独自の文化や技術を持っているそうだ。
しかし、元々外の世界に関心が無かったのか、それとも余所の種族や文化の流入を嫌っていたのか。日本で言うところの鎖国に近い社会を形成し、ドレイク帝国が侵略してくるまで他の種族との接触や交流を断ち続けていたようだ。
何年か前にトウハイが後ろ盾となった亜人連邦なるものを設立する気運が高まったものの、結局のところ実現には至らなかった。その理由は彼等を取り纏めていた人物が突如として失踪してしまったからだとのこと。
その名残としてトウハイと各種族との間にある程度のパイプを繋ぐ事に成功したが、それでも一致団結して一枚岩になるまでには至らなかった。特にドレイク帝国の侵略に対し満足な軍事作戦を取れず、専守防衛を徹底せざるを得なかったそうだ。
「その点、私はエルフ族よ。そして様々な言語も扱える。同族は勿論のこと、オーク族や人魚族との通訳だって出来る。こう言っちゃ失礼かもしれないけど、ドレイク帝国の侵略で人類に対して悪い見方をしている種族だって居ないとも限らない」
「確かに……キューラの言い分は一理あるな。全ての人類が悪ではないと言い聞かしても、向こうがソレを素直に聞き入れるとは思えない」
「それに言葉の壁が克服出来るのも大きいですね」
先程まで圧倒的多数だった反対意見がものの見事に覆り、皆キューラの必要性を認識して考えを改めていく。ドレイク帝国と戦う事になるだろうとはいえ、それはあくまでも次いでに過ぎない。
此方の優先事項は邪龍を倒すこと、そしてアクリルの両親を探す事である。その為には現地の人に話を話を聞く必要もあり、その為には意志疎通が出来るという大前提が必要となる。
「……分かった。キューラはんの同行を認めるわ。せやけど、あんまり手を煩わせるような真似はせんといてや?」
「勿論! 私だって皆の足を引っ張るのは御免だし、穀潰しと呼ばれるのは嫌だからね。精一杯頑張るわよ」
「キューラおねーちゃん、一緒にがんばろーね!」
こうしてキューラの同行は正式に認められ、新たなメンバーでの旅が幕を開いたのであった。戦力的な強さとしての期待は薄いが、人種の壁という問題において彼女の気さくでフレンドリーな性格は心強い味方と言えよう。
「ぐふふふ、これで進化したガーシェルちゃんと満喫した日々を過ごせる……」
但し、だからと言ってキューラの目的が邪である事に変わりなかったが……。
次回は次の章が完成次第投稿します。
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