第252話 世界情勢③

 月日はあっという間に流れていき、季節は春から初夏へと移り変わろうとしていた。春の頃の暖かな空気は一層と熱気を増し、降り注ぐ日差しも肌を焼き付けるような強烈なものへと変貌を遂げていた。


「貝原、アンタの事が好きだから付き合ってよ」

「え?」


 そして学校が夏休みに入ろうかと言う直前、私は学校の屋上で告白を受けた。如何に今の自分が人生で一番輝いているとは言え、所詮は平々凡々とした男だと言う自己認識に依然として変わりはない。よって、私は告白の理解が追い付かず呆然とするばかりだ。

 だが、此方の胸中を知ってか知らずか、その相手――望月は不安と期待の入り混じった、熱っぽい眼差しで私を見詰めるばかりだ。しかし、私が何のリアクションも取らずに呆けていると、とうとう我慢出来なくなったのか不満気に尖らせた唇を突き出すように詰め寄ってきた。


「ちょっと! 聞いているの!?」

「え、ああ、うん。聞いてた。ごめん、告白されるの初めてだから……その……呆気に取られてた」

「ったくもー、乙女の貴重な告白を聞き流してんじゃないわよ!」


 望月はしなやなか足を振り抜き、不満を込めた蹴りを私の尻に叩き込んだ。ズパンッと小耳の良い音が響き渡り、ビリビリとした痛みが臀部に広がっていく。そして尻を摩って痛がる私を無視して、不貞腐れた子供のように頬を膨らましたままそっぽへ向いてしまう。


「ご、ごめん……」

「で?」

「で?」


 私が反射的に聞き返すと、望月はキッと眉間に皺を寄せた表情のまま振り返った。今にも怒りが爆発しそうなのだが、それ以上に包装している不安で中和されて抑えられているという印象を覚えた。


「だーかーら! 告白の返事はって聞いてんの!」

「あ、ああ。そっか……そうだよね……」


 望月の攻め立てるような鋭い眼差しに気圧され、私は視線を夏空に逃がした。正味嬉しいと言えば嬉しいが、それ以上に動揺の方が上回っていた。女の子に告白されるという経験自体が無かった為に、こういう時にどんな反応をすれば良いのか咄嗟に思い浮かばなかったのだ。


「それとも……アタシじゃ嫌だった?」


 中々に答えが返ってこない事に不満を通り越して不安を覚えたのだろう、望月は少し落ち込んだ表情で控え目に私を見上げた。何時もの強気な彼女しか知らなかった為に、そのギャップの差は私の心を打つのに十分であり、それと同時に強い焦りも芽生えた。


「い、いや! そんな事ないよ!」そう言いつつ私は頬を掻いて目線を泳がせた。「只、幼馴染の友達という印象が自分の中で強かったから……その……突然の事に驚いて、どう答えれば良いのか分からなかっただけ」

「全く……そういうとこは相変わらず貝原らしいね」


 呆れを呟きながらも告白への返事が拒絶でないと分かると、再び彼女は元の溌溂とした表情を取り戻した。


「で、返事はどうなのさ。さっさと言いなよ」

「もう少しは猶予ってのを考えてくれても良いんじゃない?」

「口で言うだけでしょ! ほら、早く!」

「早くって……」


 相変わらずせっかちだなァ……と思いながらも、私は告白の返事を如何するかと真剣に考えた。幼馴染という認識のまま今日まで関係が続いた為か、今まで彼女を異性として捉えた事が一度も無い。しかし、だからと言って彼女の異性としての魅力に気付かなかった訳ではない。

 スポーツ特待生というだけあって、スラリとしながらも鍛え上げられた四肢は美的なラインを形作っていた。そして彼女の顔立ちも少々勝ち気できついものの、先程のようなしおらしい表情を覗かせた時は年相応の乙女らしく可愛らしいものがある。

 そう言えば恋人にしたい女子生徒ランキングなるものを同級生から聞いた時も、望月が上位ランクに食い込んでいたっけか? あの時は「へーそー」と適当に相槌を打って流してしまったら、「これだから幼馴染は!」と熱弁していた同級生に非難されたものだ。今になって思うと真に申し訳ない。


(けれども……)


 だからこそ、自分で良いのかという悩みが脳裏を擡げる。自分以外にも相応しい男なんてごまんと居る筈だ。今でこそ自分は一番輝いているが、それまでは平凡を地でいくようなつまらない男だったのだ。

 その輝きが何時まで続くかなんて分からないし、彼女を失望させたくない。だったら、いっそのこと告白の返事は――そんなマイナス思考を思い流していると、彼女が私の鼻をギュムッと摘まんだ。


「あだだだだ! な、何!?」

「ったくもー、どうせアンタの事だからウジウジとつまらない事を考えていたんでしょー?」


 望月は悪戯っ子のような笑みを閃かしながら、パッと指先で摘まんでいた鼻を放した。私は真っ赤に染まった鼻を両手で守るように覆い隠し、少し涙を浮かべた目で彼女をジトッと恨みがましく見据えた。 


「う、ウジウジって……! こっちは真剣に考えているんだよ!?」

「それよ」ズビシッという擬音が付きそうな勢いで私に指を突き立てる。「アンタが真面目なのはとうの昔に知っているわよ。でもね、真面目過ぎて先のことを考えたって埒が明かないでしょ?」

「それは……まぁ、そうだけども……」

「こういう時に大事なのは、損得勘定を抜きにして相手が好きかどうかってだけよ」


 そう言って望月は真剣な眼差しで私を見据えた。そこに悪巧みや思惑は無い、全てを受け入れる大海のような透き通った瞳があるだけだ。彼女の思いに気付いて漸く私は自分自身を恥じ入った。

 自分はああだこうだ考えを巡らしているようで、その実は彼女の思いに向き合うのが怖くて逃げ回っていただけだと気付いたからだ。そして言われるがままに損得勘定を抜きにして真剣に彼女の思いと向き合うように考えた。

 幼い頃から一緒だった望月は憧れの存在だった。何をするにしても自分の手を引っ張って様々な世界を見せてくれた。そして時には姉貴分のように守ってくれたし、可愛がってくれたりもした。

 そして彼女が自分のことを好きだと言ってくれた。そこから彼女と接してきた記憶の数々が、友人としての好意から異性としての好意へと変貌していく。そうして記憶の歯車が今に至った時、私の口から無意識にソレは零れ落ちていた。


「自分も……好きだったんだな」

「え?」

「今は上手く言葉に表し切れないけど、だけど多分……ううん、自分の望月のことが好きだったのかもしれない」


 小麦色に焼けた肌からでも分かる程に、望月の顔がボウッと燃えるように真っ赤に染まり、そして私から慌てて身体ごと背いた。やれやれ、自分から告白しておきながら、いざ自分が告白を受けるとこれとは……。だが、それがまた彼女の可愛さなのかもしれないが。

 スーハーと数度息を吐き出し、「よし」と小声で自分に活を入れると、望月はくるりと振り返った。頬の赤味は未だ抜け切っていないが、既に照れた感情は消え去っており、代わりに喜びに満ちたものが溢れ返っていた。


「それじゃ……改めて、よろしくね。貝原!」

「うん、こちらこそ」


 私は望月の差し出した手をぎこちなく握り締めた。その手は繊細でスラリとしており、それでいて女性特有の柔らかさも備えていた。また彼女を異性として認識した事もあり、今まで気付かなかった情報が新鮮味を帯びて実感することが出来た。

 それは彼女の方とて同じらしく、握り締められた私の手をジッと凝視したままカチコチに固まってしまったのが何よりの証拠だ。やがて握手したまま数秒が経過し、私達は真っ赤に染まった顔を見合わせた。


「「あはははは!!!」」


 途端、恥ずかしさや初々しさを通り越して感情のツボが刺激され、私達は弾けたように爆笑しながら互いに肩を組み合わせた。尤も、彼女の手はノッポである私の肩に届いておらず、腰辺りに回すの精一杯だったが。

 何だかんだ言いながら根本的な部分は変わっていないのかもしれない。しかし、それはそれで心地が良くて、言葉で言い表せないが……とてつもなく幸せな気分になれた。


 嗚呼、この幸せが永遠に続けば良いのに――。



 ドレイク帝国を支える戦力の一端である偉大なる七人ドレッドセブン、その二柱であるランベルトとタルタロスは四つの島で構成されたムーラン諸島の南方の島に居た。

 嘗ては魔獣も人間も居ない自然の楽園だったが、今や人の手が入って前哨基地として大幅な整備が為されていた。その目的は日々戦いが繰り広げられている西部戦線の支援と、追々侵略する予定であるトウハイへの橋頭保を構築する為の足掛かりだ。

 それぞれの島には軍港が備わっており、整備用ドッグにはガレオン船に匹敵する大型の軍艦が停泊していた。また軍港の傍には兵士達が休む為の簡易宿泊施設や最低限の娯楽施設も築かれており、ちょっとした港町のような様相を呈している。


「東部戦線の衝突が下火になっているという噂ですが……本当ですか?」


 ランベルトが半信半疑の面持ちでそう尋ねたのは、軍港に停泊した艦船を視察していた最中だった。彼と共に視察に加わっていたタルタロスは首を縦に振って頷いた。が、その後に「目下、情報収集中だがな」という言葉を付け足して、あくまで噂の領域に過ぎないと念を押した。

 兵士達から聞いた話によれば、ここ最近は敵側の攻勢が衰えており、激しい戦いではなく小競り合いのような小規模なぶつかり合いに収まっているとの事だ。おかげで兵力の消耗が少なく済んでいるが、だからこそ向こう側に何かがあったのではという勘繰りも自然と発生する。


「何か策があっての事なのか、はたまた向こうで何かトラブルが起こったのか……。生憎と、それから先は向こうの情勢が分からなければ何とも言えんな」

「成る程、どうりで偵察船が多い訳ですね」


 ランベルトは再び港の方へ目線を戻し、通常の軍艦よりも二回りも小さい船を見遣った。偵察船は武装を徹底的に排除した戦闘には不向きな軍船だが、最新鋭の魔導機関によって高い機動力と高い隠密性を獲得しており、最前線の偵察任務を始め工作員の潜入等に専ら用いられている。


「大きな激突が無いおかげで、兵士達も一息付けている。今暫くは穏やかな日々を過ごせるだろう」

「ですが、彼等は違うみたいですね」


 ランベルトの険しい眼差しを追ってタルタロスが振り返ると、軍港の傍にあるレストランのテラスで複数人の若者達が屯していた。この島に居るという事は彼等も軍人に違いない筈なのだが、真昼間の時間帯にも拘わらず酒の入ったグラスを傾けている。

 普通ならば上官なり士官なりが軍紀の規律を正す為に一喝していたであろう。しかし、通りを歩く兵士達はおろか士官でさえも気まずそうに一瞥を寄越すだけで、厄介事に巻き込まれないように彼等の傍から足早に立ち去っていく。

 何故なら彼等が身に纏っているデザインの凝った軍服は高級軍人の証にして、由緒正しい貴族の一員である事を物語っているからだ。下手に叱責を飛ばせばリンチを受けるか、下手をすれば故郷で貴族侮辱罪と称して処刑されるのがオチだ。

 そんな周囲の目線など気にするどころか、貴族達は傲慢な態度を隠しもしない。そして誰も彼もが公然と軍部を非難し、その不満をツマミにしながら憂さ晴らしのように酒を飲み干していく。


「全く、何時になったら侵攻を再開するのだ。上層部も弱腰甚だしい」

「その通りだ。敵が攻めて来ぬなら此方から攻めるべきであろうに」

「我々は武勲を立てる為に来たのだぞ。こんな所で怠惰を過ごす訳ではないのだぞ」

「兵力だって十分ではないか。多少の戦闘で兵士は死んだと言っても、それは微々たる損害。ましてや戦争で被害が出るのは当然であろう」

「左様、それに相手は獣同然の亜人。人間様である我々が礼儀というものを教えやりましょうぞ」


 貴族達にとって戦場とは自分の肩書きに箔を付ける舞台に他ならない。如何に数多くの敵を倒して武勲を挙げるか、それが貴族社会におけるステータスとなって彼等の人生をより輝かしいものにする。

 しかし、その武勲の為に犠牲となるのは末端の兵士達だ。何百・何千という屍を積み重ねて、漸く得られるのはたかだか一つか二つの戦果のみ。しかし、そのたかだか一つ二つの戦果の為だけに、彼等は平然と他人に死を強要する。

 故に貴族達は上記のような発言を出来るのだ。死ぬのは下っ端の平民共、貴族である高貴な自分達ではないと分かり切っているから……。そんな傲慢な態度は今に始まった事ではないが、だからと言って不快に思わない訳ではない。

 ランベルトが眉間に皺を寄せて彼等の方へ足を向けようとしたが、タルタロスに肩を掴まれて止められてしまう。


「タルタロス殿?」

「よせ、赤毛の」タルタロスが諦念を込めて首を横に振る。「アレに何を言っても無駄だ。如何に貴様がドレッドセブンの一員だからと言っても、ドレイク帝国では貴族が権力を握っている以上はどうにもならん」

「しかし……!」と、何かを言い掛けるもタルタロスに返す言葉が見当たらず、渋々と提案を受け入れた。「……分かりました」


 ランベルトとタルタロスは眉間に不快を意味する皺を寄せ、彼等の愚痴の届かぬ場所へと足を進めた。やがて声が聞こえなくなる程に距離を開けると、ランベルトは憂鬱な溜息を吐き捨てた。


「貴族達の栄達主義にも困ったものですね……」

「ああ。加えて奴等はゲーム感覚で戦闘を楽しんでいる。奴等の無謀な指揮で殺される兵士達が不憫でならん」

「せめて有能な軍人が前線に出てくれれば良いのですが……」

「それは無理だろうな。貴族達の手はドレイク帝国の界隈に広がっている。無能な貴族の指揮官が前線に突出し、有能な叩き上げの指揮官は後方に押し込まされて腐っていく。やれやれ、本気で勝つ気があるのかと問いたくなるな」

「願わくば、このまま小康状態が続くのを願うばかりですね」


 しかし、ランベルトの願いは神に聞き入れられなかった。トウハイが邪龍との戦いで消耗しているという情報が偵察部隊から齎されるや、軍上層部は様子見から一転して総攻撃の決断を下したのであった。


 ランベルトが平穏を祈ってから、僅か一ヵ月後の事であった。

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