第253話 残された時間

 アクリルは今日も今日とて御堂に安置されたガーシェルを付きっ切りで見守っていた。何時もなら暇さえあればクロニカルドの授業を受けるのだが、流石にこのような状況では集中力に欠けてしまい、結局彼女の気持ちが落ち着くまで授業は御預けとなった。


「ガーシェル、目覚めませんね……」

「うん……」


 そう言ってアクリルと共にガーシェルに不安気な眼差しを注ぐのは、一時的に日照へ避難していたイーサン王子だ。イーサン王子とマリオン王妃がトウハイへの帰還を果たしたのは、邪龍との戦いが終わってから一週間後の事であった。

 元々魔獣に対して強い好奇や好意を持っているイーサン王子は、その戦いでガーシェルが昏睡状態にあると聞かされ、アクリルに勝るとも劣らぬショックを受けたらしい。それ以来、時を伺っては彼女と一緒にガーシェルを見舞うようになっていた。


「何時か目覚めるでしょうか……」

「分かんない……。ガーシェルちゃん、何度も呼んでいるのに全然応えてくれないんだもん……」


 アクリルと並んで座っていたイーサンはスッと立ち上がり、ガーシェルの貝殻に手を押し当てた。ひんやりとした聖鉄の冷たさが伝わり、次いでトクンットクンッと脈を打つ鼓動が伝わってくる。脈を打っている事からガーシェルが死んでいるという可能性は切り捨てられた。

 しかし、だからと言って安堵は出来ない。このままの状態が続いて生き続けられる生物はいない。彼の嘗ての父親もある日突然眠り姫のように目覚め無くなり、医師達の処方も空しく数ヵ月後には天獄へと旅立ってしまった。

 そんな不安が表情に浮かび上がっていたのだろう。何時の間にか隣に並び立っていたアクリルが、彼の表情を覗き込みながら不安気に眉を顰めた。


「イーちゃん、ガーシェルちゃん本当に目覚めるのかな……?」

「それは……」

「やだよぅ……。ガーシェルちゃん、このまま死んじゃったら……」


 何時か目覚めるかもしれない。それだけを信じていたアクリルだが、どれだけ日を置いても目覚めないガーシェルを前にして、とうとう不安の水位が我慢を上回った。ポロポロと大粒の涙が目から零れ落ち、ひっくひっくとえずくような嗚咽を漏らして泣き出した。

 イーサンは一瞬動揺して目を大きく見張るも、直ぐに自分よりも一回り小さい身体をギュッと抱き締めると、アクリルを宥めるように小さな背中をポンポンと優しく叩いた。

 大丈夫、きっとガーシェルは目覚めますよ……。そう口では言いたいのも山々だったが、もしもソレが嘘となって彼女を傷付けてしまったらという恐怖が喉奥に立ちはだかって言葉を出せなかった。


 イーサンの優しい抱擁はアクリルが泣き疲れて寝落ちするまで続いた。



 御堂の入り口の角からひっそりと二人を見守っていたヤクトとクロニカルドは、居た堪れない気持を覚えてその場からソッと離れた。そして境内を渡って二人に自分達の声が届かない距離に達すると、ヤクトが憂鬱をしたためた重い溜息を吐き出した。


「とてもやないけど言い出せるような状況やあらへんな……」

「うむ」クロニカルドも深刻そうな面持ちで相槌を打つ。「アクリルにとってガーシェルは家族も同然だ。それを失うともなれば……」

「やめーや!」ヤクトが声を極力潜めて窘める。「まだガーシェルが死んだ訳やあらへんやろ!」

「……すまん。だが、どうするのだ? このままガーシェルの復活を待ち続けるつもりなのか?」


 ヤクトはチラッと肩越しに振り返り、御堂の入り口を見遣った。入り口から先は洞穴のような暗闇に包まれているが、彼の目にはしっかりと御堂の中に居るガーシェルが映し出されていた。

 そもそも自分達の目的はアクリルの両親を探し出すという事だ。その為にトウハイとは『邪龍との戦いが終わったら、長期航行に適した船を一隻と、それを動かす為の船員を拝借したい』という約束も交わしてしまっている。

 律義にもトウハイは既に約束を尾行するべく船の準備に取り掛かっていた。まだ復興作業や戦没者の追悼などやるべき事は山積みだろうに、此方の約束事を優先してくれるのだから有り難いの一言に尽きる。

 そして彼等の恩義を無駄にしない為にも一刻も早くトウハイから旅立つ必要がある。何せ船に積み込んだ物資は限りがあるし、長期間の保存も不可能だ。だが、それ以上に気掛かりなのはドレイク帝国の動向だ。

 もしも邪龍との戦いでトウハイが消耗している事を知れば、ドレイク帝国は猛攻に打って出てくるに違いない。そうなればアクリルの父親を捜すという作業は一際難しくなる。なので、向こうが此方の内情に気付く前に出立し、可能な限り情報収集するというのが理想であった。


「流石に昏睡したままのガーシェルを連れていくのは無理な話や。此処に置いておくしかあらへんやろうな……」

「そうなると我々にとって戦力的に大きな痛手だな……」と、そこでクロニカルドは次いでと言わんばかりにもう一つの気掛かりを思い出した。「角麗はどうなるのだ? あやつもトウハイに残るのか?」


 ヤクトは「さぁな……」と素っ気なく言い放ち、溜息交じりに首をゆるゆると振った。元々角麗はトウハイの人間であり、その目的は裏切り者の兄弟子を討伐する事にあった。それを達成して故郷へ帰還した今、ヤクト達と同行する理由など彼女には無い。

 寧ろ、故郷が邪龍との戦いで疲弊しているとなれば、十二神闘流の一員として国の守りに従事するのが至極当然というものだ。そういう事情もあれば、猶更のこと角麗はトウハイに残らなければならない。


「……して、その肝心の角麗は何処なのだ? それにキューラの姿も見えんぞ?」

「カクレイは後処理の現場監督として、邪龍の残骸を片付ける作業の真っ最中や。せやけど、そこで何かあったらしく急遽キューラも駆り出されたんや。ま、俺っち達のような魔獣に詳しくない男寡おとこやもめが出しゃばったところでどうにもならへんよ」

「何にせよ、我々は少数の戦力で旅立つことも視野に入れねばならんという訳か……」


 クロニカルドの言葉が心に重く圧し掛かり、少しでも振り払いたい気持ちに刈られてヤクトは天を見上げた。透き通るような青空が広がっているが、依然として脳裏に満ちた不安は薄れる気配を見せない。



 ヤクト達が今後を憂いている頃、角麗とキューラは第十二防衛線と呼ばれた戦場跡地を訪れていた。しかし、最初から二人して一緒に行動していた訳ではない。前者は後処理を任された現場監督の一人として事前に、後者は前者の要請を受けて事後に駆け付けたのだ。


「それで一体どうしたの、角麗ちゃん? 来て欲しいって連絡を受けたから来たけど……?」

「キューラ殿に見て欲しいものがあるのです。作業員達もどうすれば良いのか分からず困っているのです」

「見て欲しいもの?」

「此方です」


 当初は山のように積み上がっていた残骸も、迅速な作業によって小山程度にまで高さを減らしていた。この調子でいけば一ヵ月と経たずして撤去作業は完了し、後は自然の力に任せて環境が回復するのを待つばかりだ。

 しかし、角麗の案内に従ってキューラが付いて行くと、一部の残骸を取り巻くように無数の人集りが出来上がっていた。そして人込みを掻き分けて人集りの最前列に身を乗り出した途端、視界に飛び込んできたソレにキューラは思わず驚愕を露わにした。


「これは……!?」


 岩盤のような残骸に半ば埋もれていたのは真っ白い骨だった。骨格の形状を見るに脚部だろうか。大量の残骸に埋もれていたにも拘らず、破損はおろか傷一つ付いておらず骨格模型のような美しいまでの色合いと形状を保っていた。

 それを見た途端にキューラの中にある学者魂に火が付いたのだろう、何かに憑り付かれたかのように残骸を掻き分けて骨へと近付いていく。それを見守りながらも角麗は万が一に備えて何時でも飛び出せるよう身構えた。

 既に白骨化しているとは言え、邪龍の残骸から現れたモノに畏怖を覚えぬ者など居ない。周囲を取り巻く人々から不安や興味の詰まった目線が注がれる中、彼女は恐々と骨に手を伸ばした。

 しかし、周囲の危惧や不安とは裏腹に、骨に触れても何も起こらなかった。一転して安堵の吐息が其処彼処で漏れ出るが、それに気を留める様子も見せずにキューラは調査を開始した。

 舐めるように骨に視線を這わせたり、手袋を嵌めて慎重な手付きで骨格を確かめたり……。そうして数分かけて調査を――あくまでも表面的な情報を纏めただけだろうが――終えると、キューラは角麗の下へと舞い戻った。


「如何でした、キューラ殿?」

「うん……」不可解さを隠し切れない困惑した面持ちでキューラは頷く。「結論から言うと、アレは邪龍の骨じゃないよ」


 その一言に角麗だけでなく、周囲で聞き耳を立てていた人々も驚きで目を丸くする。そしてキューラが告げた言葉は瞬く間に人伝で周囲に広がっていき、ちょっとした騒めきを場に齎した。


「それは……本当ですか?」

「うん。先ず第一に大きさが合わない。邪龍の足は山を踏み潰せる程に巨大だったけど、あれは大腿部から足の爪先までたったの4m弱しかない。それだけでも十分にデカいけど、邪龍の巨体を考えると長さは勿論のこと太さ的にもバランスが釣り合わない。

 そして第二に骨格の形状だね。邪龍はリザードマンのような形態に変身していたって聞くけど、あの骨はリザードマンには無い踵が存在している。また足の指の関節なども爬虫類ではなく、人類のソレに近いよ」

「人類の……ですか? しかし、だとしても相当な大きさですよ?」角麗はチラッと骨を盗み見た。「人型の魔獣であるオーガですら全長が3m~4mだと言うのに……」


 脚部の骨の大きさから逆算すれば、謎に包まれた骨格の持ち主の全長は約8m~9m程に匹敵すると予想される。そのような巨人は当然ながら世界に居ないし、ましてや人型の魔獣でも先に角麗が述べたオーガが最大クラスだ。


「因みに聞きますが、このような骨格を持った生物に心当たりは?」

「流石の私も見当が付かないわ」お手上げと言わんばかりに肩を竦め、頭を左右に振るキューラ。「少なくともゴブリンやオーガと言った人型の魔獣の骨でない事は確かよ。その点において私の目に狂いは無いわ」

「……何故、邪龍の中から出てきたのでしょうか?」

「それに関しても分からないわ。でも、少なくとも骨格が違うから邪龍と無関係と済ますのは早計ってヤツでしょうね。万が一に保管しておくことをお勧めするわ」

「そうします」


 その後、邪龍の体内から現れた骨は作業員達の手によって慎重かつ丁寧に首都『東果』へ運ばれる事となった。トウハイの学者達も骨の正体を突き止めようとしたが、結局答えに辿り着けた者は誰一人としていなかった。


 だが、それはある意味で幸運であった。何故なら、その骨は遠い昔の人類が犯した、禁忌に等しい罰の証拠であったからだ。そして答えを知った瞬間、人類は残酷な真実を突き付けられるのだが、それはもう少し先の話である……。

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