第十三章 東果偏

第229話 トウハイ

「いやー、長かったなー」

「着いたー!」


 トウハイを出立してから三ヵ月後、漸く私達はトウハイの玄関口に辿り着いた。乾いた砂地で敷き詰められた大地が、自然を育む潤いと硬さを持った土へと変わった時には感動を通り越して感慨深さを覚えたものだ。

 無論、それはヤクト達にとっても同様だ。何度も深呼吸を繰り返して懐かしい自然の味わいを満喫している。熱されて乾いた空気ばかりが充満していた砂漠地帯と異なり、湿気と草木の匂いに富んだ空気の何と美味いことか。


「で、これからどないするんや?」

「このまま真っ直ぐに進めば西雲せいうんという都市があります。そこへ一先ず向かいましょう。そこで一泊した後、転移魔方陣で東央に向かいます」

「転移魔方陣だと?」クロニカルドが意外そうに眉を跳ね上げる。「それまた豪勢だな」

「東央は環状山脈の中にあり、足で向かうのは困難なのです。なので、東西南北にある地方都市には必ず東央への行き来が可能な転移魔方陣があるのです」


 成る程な……とクロニカルドも納得を示したところで、私達は西雲を目指して進み出した。



 少し進むと穏やかな平原地帯も終わりを告げ、緩衝材のように木々が犇めき合った鬱蒼とした森へと様変わりした。昼間にも拘わらずに草木の間に蔓延る影は闇のように濃く、人間の肉眼では彼方を見通すのは不可能だ。

 一応森を貫くように道こそ作られているが、舗装はおろか剥き出しの地面を均しただけという貧相な仕上がりだ。とは言え、今や他国との交流や交易は海運に取って代わられている為、陸路が顧みられなくなっていても仕方のない話だ。

 その証拠に道中では嘗て検問所として機能していた木製の砦があった。青々と生い茂った蔦が壁はおろか屋根にまで浸食しており、最早それ自体が過去の遺物と化している事を物語っていた。


「止まって下さい」


 私が車輪を止めると、角麗は貝殻から颯爽と降り立って仲間を置き去りにするかのように前へ進み出した。その背中を仲間達はジッと見送るが、眼差しの種類は二極化――理解と怪訝――に分別されていた。


「どうしちゃったのかしら、角麗ちゃん?」

「闘いに疎い其方達には分からんか……」

「え、何々? ヤクトちゃんやクロニカルドちゃんは何か分かるの?」

「ああ」ヤクトは悟られないように周囲に素早く目線を配らせ、そして小声で囁く。「俺っち達、見張られとるで」


 マリオンとキューラは慌てて周囲を見回したが、見えるのは鬱蒼とした森が広がっているばかりで異変らしいものは見当たらない。そもそも、非戦闘員であり気配の感知に疎い彼女達が、そう簡単に敵の尻尾を掴める筈がない。


「何時から気付いていたのですか?」

「さっきの砦を潜った頃からだな」


 クロニカルドの言う通り、通りを潜った頃から私のソナーにも反応が表示されていた。最初は小動物か何かかと思われたのだが、此方の動きに合わせて動くので『もしや……?』と疑問に思っていた所だ。


「じゃあ、十分近くも前じゃない……!?」敵の目を気にしてキューラが小声で叫ぶ。「何で言ってくれなかったのよ……!」

「敵が襲ってくるような気配を見せへんかったからや。あくまでもこっちの出方を窺っているだけのような印象もあったさかい、この国を知り尽くしている角麗に判断を任せたんや」

 

 そうこう話している内に角麗は前へ進み続け、やがて150m程の距離が開いたところで足を止めた。一見すると無防備に棒立ちをしているようだが、不思議と何処から襲っても対処出来てしまうような隙が伺えない。

 ヒュオッと空を切り割く音が聞こえ、右手の草藪からガサッと物音が立つ。角麗は右手を突き出し、二本指で挟み込むように何かを受け止めた。指の間にじんわりと虹色の霞が浮かび上がり、それが晴れ上がるとクナイに似たダガーが出現した。


「攻撃!?」

「くそ、やっぱり敵かいな!?」


 私達は慌てて角麗の援護に向かおうとするが、その彼女に当てられた視線に制されて気運と身動きを封じられてしまう。彼女の眼差しは『手出し無用』というメッセージが添えられていた。しかし、その一方で『大丈夫だ』という信頼を植え付ける穏やかな瞳もしていた。

 私達は角麗が投げ掛けるメッセージを信じて手を引っ込めた。それに感謝するように頷き返すと、気を引き締めた角麗は改めて格闘家の構えを取りつつ辺りを見回した。


「隠れているのは分かっていますよ!」


 最早、隠れる事自体が無意味だと判断したのか、それまで抑えられていた気配が一気に噴出する。まるで獣道を動物が駆け抜けるかのように周囲の茂みが騒々しく揺れ、それに合わせてソナーに映し出されていた反応が一斉に角麗へと殺到していく。

 ガサッと大きく茂みが揺れ動いたかと思いきや、そこから何かが飛び出した。しかし、私達の生身の肉眼では捉え切れない。視野で追い切れない程に速いという訳ではなく、それ自体が保護色を纏って背景と同化しているのだ。

 しかし、角麗は躊躇いはおろか迷いさえも捨て切ったかのように拳を振り抜いた。ゴッと鈍い音が響き、次いで何かが地面を滑るように転がって砂埃が立つ。そして砂埃の元凶に油汚れのような汚れた虹の幕が纏わり付き、その下からカメレオンと人間を足して割ったような獣人が現れた。


「敵……?」キューラが怪訝そうに目を細める。「だけど、それにしては装備が整っているわねぇ」

「いや、あれは正規のトウハイの軍人の防具や」

「ソレは確かですか、ヤクトさん?」

「ああ、俺っちが昔ここを訪れた時に見た覚えがある」


 そんな事を話している間にも角麗は次々と徒手格闘を繰り出し、迫りくる見えない脅威を蹴散らしていく。一人、また一人と不可視のベールが剥ぎ取られ、やがて彼女を中心に三十人近くの兵士の屍――死んでいないが――が曝け出された。


「さぁ、最後は貴方だけですよ!」


 森の奥底に留まっていた最後の一人が気配と物音を極力消しながら草藪から飛び出すと、角麗はサッと身体を真横にずらした。刹那、ズドンッと先程まで彼女が立っていた場所に何かを叩き付けられたかのような衝撃が起こり、それを中心に砂埃が波紋状に広がる。

 だが、その巻き上げられた砂埃によって相手の姿が暴き出された。2m近い大男だが、角麗は勝機を見出したように拳を振り脱いだ。が、相手も当然ながら咄嗟に腕を振り払って抵抗し、突き出された拳は見えない結果に阻まれるように弾かれる。

 そして今度は好機を得た相手が拳を振り抜いた。攻撃の軌道を読み抜いていた角麗は冷静に右腕を盾にするようにガードするが、質量差は如何せんともし難く、ドンッと鈍い音を立てて後退った。

 しかし、たったそれだけだ。角麗は素早く態勢を立て直すと相手の背後に回り込み、旋風を巻き起こすような回し蹴りを繰り出した。ドゴッとガードに失敗した鈍い音が鳴り、次いでドシャリと何かが倒れ込んだ。そして案の定、虹色の靄の下から片膝を付いたコモドオオトカゲのような獣人が現れた。

 闘いは終わったが、私達は直ぐに動かなかった。隊長格のコモドオオトカゲと角麗が、互いの目を見合わせたまま微動だにしなかったからだ。まだ続きがあるのではという考えを誰もが抱く中、最初に膠着状態を解いたのは角麗だった。

 フッと柔らかな笑みを浮かべながら、細腕をコモドオオトカゲに差し出すように伸ばした。コモドオオトカゲも釣られたように笑みを浮かべると、彼女の手を取って引き上げられるように立ち上がった。


「その拳、その技の切れ。間違いない、角麗様でいらっしゃられる。腕を試すような真似をして、誠に申し訳ありません」

「いえ、此方こそ有難うございます。ここ最近は魔獣との戦いに明け暮れており、こうして人との鍛錬が久方振りに出来たのは嬉しく思います」

「この虹牙こうが。十二神闘流の一人である貴女と拳を交えられた事を誇りとして記憶し、今後も邁進し続ける糧にすることを約束致します」

「その心意気があれば更なる高みを目指せるでしょう」

「ところで――」虹牙はチラッと私達の方を見遣った。「彼等は角麗様の知り合いでしょうか?」

「ええ、私の信頼のおける仲間です」


 角麗は私達の方へ振り返り、此方へ来ても良いと頷き返した。既に起き上がっている兵士達から期待と尊敬の籠った擽ったい注目を浴びながら、私達は少々ギクシャクとした足取りで角麗の傍へと歩み寄った。

 角麗は私達の様子に微笑ましそうに笑うと、商品を紹介するかのように手を差し出しながら丁寧に紹介してくれた。


「此方の黒い帽子の人はヤクト殿、魔銃の凄腕であり天才発明家でもあります。此方の本の形をしたのはクロニカルド殿、変わった見た目をしていますが歴とした元人間です。そして此方の少女がアクリル殿で、そして彼女の従魔獣であるガーシェルです。此方のエルフの女性はキューラ殿。そして――」


 マリオンの番に差し掛かった時、角麗は言葉を一旦止めた。自分で言うべきか、それとも彼女から自己紹介すべきか。その確認を視線で遣り取りして了承したマリオンは、コホンッと咳払いをして一歩前へ。スカートの端を摘まんで、淑女のようにお辞儀をする。


「お初に御目に掛かります。ラブロス王国王妃、マリオン・ラブロスです」


 ザワッと動揺めいた騒めきが風に煽られる稲穂のように広がり、虹牙を含めた兵士達は慌てて片膝を付いて敬服を表した。仕える国は異なれど、だからと言って異国の王家に例を失して良い訳ではない。ましてや良好な関係を結んだ隣国であれば猶更だ。


「顔を上げてください」


 兵士達が顔を持ち上げれば、マリオンはニコッと微笑み掛けた。そして深々とお辞儀をして兵士達を――そして私達さえも騒然とさせた。


「頭を下げるべきは私の方です。今の私は戦乱に巻き込まれた国から逃げ出した亡命者に過ぎません。下手をすれば貴方達の国をも戦乱に巻き込むかもしれない厄介の種になりかねません」

「お止め下さい!」虹牙が声を上げる。「我々は過去にラブロス王国に救われた歴史があります。その恩こそあれど邪険にするような者は居りません!」


 顔を持ち上げたマリオンは虹牙と目線を交わし合った。トカゲのような瞳には真摯な輝きが宿っており、国の事情だけでなく彼個人の気持ちも含まれているのが読み取れた。また彼の部下達も同様の目をしており、そこでマリオンは自責の念が晴れたかのように「有難うございます」と素直に感謝を告げた。


「事情は既に此処、東果にも及んでいます。そして王国の重要関係者が逃げてくる事も三賢人は既に予想しております」

「さんけんじんってなーに?」


 舌足らずで尋ねるアクリルの耳元にキューラが顔を寄せてコソッと呟いた。


「トウハイで一番偉い人達よ。この国では尤も頭の賢い人が選出され、トウハイの政治決定を下したりするのよ」


 「へー、そうなんだー」と知的欲求に満たされて満足するように相槌を打つアクリルを余所に、虹牙はマリオンに対して協力を惜しまないと熱弁した。


「そもそもドレイク帝国は我々にとっても不俱戴天の敵であります。本来であれば我々も危機に晒されているラブロス王国に援軍として駆け付けていたところです」

「本来ならば?」


 クロニカルドに揚げ足を取られた途端、虹牙は気まずそうに表情を曇らせた。『本来であれば』という前置きに加え、彼の語る後半の台詞は過去形の希望論となっている。それが一層と不安を駆り立て、私達は互いの顔を見合わせた後に再び彼へ視線を戻した。


「何かあったのですか?」

「……現在、トウハイは厳戒態勢にあります」

「厳戒態勢?」不穏な響きにヤクトも思わず眉間の皺を深める。「ホンマに何があったんや?」

「……トウハイの地で封印していた邪龍が目覚めつつあるのです」


 邪龍と言う単語が口から出た途端、絶対零度の爆弾低気圧に晒されたかのように場の空気は一瞬にして尋常ならざる緊張感で凍り付いた。それを肌で感じ取っただけで良からぬ事態が……いや、最悪の事態が起こったのだと察せられた。

 しかし、邪龍という存在自体を知らない私やアクリルを始めとする子供達は不可思議そうに小首を傾げるばかりだ。すると、そんな様子を察したのかキューラが私達に聞こえる程度の声でこっそりと教えてくれた。


「邪龍は遥か昔に存在したとされる伝説の魔獣よ」

「でんせつ……?」

「ええ、この世界で最強にして最悪と言われる魔獣よ。何処で生まれたのかも分からない。だけど、その力は自然災害に匹敵する程で文字通りの災厄よ」

「己も聞いた覚えがあるぞ。しかし、よもや実在する魔物だとはな……」


 クロニカルドが言うと、ヤクトも「俺っちもや」と相槌を打った。どうやら邪龍は古に存在する魔獣であり、今では伝説として実在さえも疑われている存在であったようだ。しかし、よりによって何故今になって復活を果たしたのか……。


「その魔獣の復活は何時頃から認識されたのですか?」

「今から半年程前です。最初は単なる地脈の異常かと思われたのですが、徐々に魔力が強まり……その発生源が邪龍を封印した封来島だと判明したのです」

「そうですか……」角麗は納得し、矢継ぎ早に次なる疑問をぶつけた。「して、その邪龍が復活するまでの時間は?」

「猶予は残されていません。早ければ一ヵ月ないし数週間の内に復活するというのが陰陽道の者の言い分です」


 凍て付いた空気に底の知れない不安が混ざり合い、私達の肩に重く圧し掛かった。角麗の故郷だから少しはゆっくりと羽を伸ばせると思いきや、まさか着いた早々にこんな事態に巻き込まれてしまうとは……。全く以て、この世界の神様は本当に意地の悪い人だ。


「なので、マリオン様には申しわけありませんが今はトウハイも援助を出す余力が無いのです。寧ろ、邪龍との闘いに向けて同盟国へ送っていた駐留部隊を順次呼び戻している最中にあります」

「駐留部隊さえもですか!?」

「三賢人はそうせざるを得ないと苦渋の決断をなされました」


 何時もの温和さをかなぐり捨てたかのように驚愕する角麗を見て、クロニカルドは「何を驚いているのだ」と不思議がる。それに対しヤクトが片手で衝立を作りながらこそりと耳打ちした。


「トウハイは世界的に見てもラブロス王国と同等の戦力を誇る国や。それは裏を返せばドレイク帝国に抗える力の持ち主っちゅー訳や。現に帝国は道中の島々にある小国や亜人の国を制圧しながら迫ってきている。それに抗う為にトウハイは同盟を結んだ国々に軍を駐留させているんや」

「成る程、それを引き揚げれば帝国に付け入る隙を与えかねない。それを危惧しているからこそ、ああして角麗が驚いていたという訳か……」

「そういうこっちゃ。せやけど、邪龍なんて前代未聞の存在が復活しようとなれば、そりゃ総力を搔き集めざるを得ないやろうなぁ……」


 その後、私達は虹牙率いる国境警備部隊に守られながら、一先ず西雲へと向かう事になった。しかし、恐らく騒動に巻き込まれる事になるだろう。仲間である角麗の為ならば、一肌脱ぐのも吝かではない。だが、相手が伝説の魔獣と思うだけで私達の足取りは何処となく重く感じられた。

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