第229話 東果
ラブロス王国から東の彼方に位置する獣人国家『
東果という一大国家が完成する以前、東王大陸には大小の国々が入り乱れるように乱立していた。そして人間と同じく欲望と野心の赴くがまま、大陸の覇権を巡って血で血を洗う凄惨な戦いを繰り広げていた。
度重なる戦乱で国が吸収合併されて大規模に纏まっても、すぐに内乱や反逆で分裂して群雄割拠へ逆戻りという例も珍しくなかった。いや、大昔の獣人国家においては、そのパターンの繰り返しが殆どだったと言っても過言ではない。
獣人は字の如く人間と獣を足して割ったような生物だ。人間の理性を持つが、それと同時に獣の価値観も併せ持っている。そして度重なる戦乱の中で『強者に相応しい人物こそが頂点に立つに相応しい』という強者主義が必然と育まれた。
強い者が上に立つ……一見すると自然の摂理のように見えるが、覇権を握る闘いが絡んだ途端に悍ましい一面を覗かせる。
例えば当時は最強と謳われた人物も、年の寄る波には逆らえず衰えるのが自明の理だ。そうなると強者の下に付いていた者達はこう考えるようになる。今ならば自分が強者として頂点に立てるのではないか。自分こそが頂点に立つに相応しい強者ではないか――と。
こうして強者至上主義に毒された者達が主君を殺め、そして国を乗っ取るという反逆劇が一時代の流行の如く頻発したのだ。中には部下の裏切りを恐れて粛清に走り、それによって国力の低下を招いて身を滅ぼしたと言う国の話さえもある。
そういった具合に戦乱・反逆・粛清が悪循環のように堂々巡りとなり、東王大陸は平穏を得るどころか荒む一方だった。そんな暗黒時代に終止符を打ったのが、
一万年に一人の逸材と称される天才的な武闘のセンスの持ち主であり、その戦闘力は中規模の国が持つ軍隊一つに匹敵すると言わしめた程だ。また神懸かり的なまでのカリスマ性も持ち合わせており、彼が
だが、今までの権力者や強者と異なり、彼は政治に一切手出ししなかった。政治に関する知識や能力が皆無という可能性もあるが、白澤の場合は最初から権力者になるつもりは毛頭もなかった。
『私は武闘家であり、強者であらず。私は武闘家であり、権力者であらず。私の武は心を映す鏡なり。私の拳は隣人を守る盾である。強者は人の上に立つのではない。我が身を捧げて弱者を守る人こそ真の強者である』
そして白澤に率いられた軍勢は数年掛かりで東王大陸の制覇を成し遂げ、誰もが待ち望んだ平和を齎したのであった。また政治の一切は教養に長けた善性な知識人に託すことで、今までに無かった画期的な統治体制が完成したのである。
自身の武によって頂点に立つという時代は終わり、自身の武を国の安寧の為に役立たせるという時代は東果の千年近い平穏の始まりであった。白澤が考え付いた試みは現在も東果に受け継がれており、それを更に昇華させたのが角麗が所属する『十二神』であった。
十二神は国家の平穏が脅かされた時、または脅威が目前に迫った時、独自の裁量を以てして動くことが許された特務機関である。これはドレイク帝国の『偉大なる七人』に似たシステムだが、強者のみを選りすぐる帝国とは異なり、十二神闘流の師範が自動的に役目を与えられるのだ。
そうして長らく平和を維持してきた東果だが、決して平和が崩れるという前代未聞の危機が無かった訳ではない。寧ろ、その危機は東果が完成した直後に起こった。それを乗り越えて千年という節目を迎えようとした時、再び東果に危機が迫っていた。
☆
東果の首都である
そして現在では東果の行末を占う政治の中枢機関として活用されており、歴史的にも国家的にも重要な価値を秘めた場所となっている。本来ならば峻厳とした空気が広がっているのだが、この日ばかりは少々様相が異なっていた。
「はぁ…! はぁ…!」
豹をベースとした獣人の兵士が息を切らしながら、城内の通路を全速力で駆け抜けていく。だが、このような場で騒々しい真似を取る彼を窘めようとする人間は居なかった。通路には警備の兵士が疎らに配置されているが、皆厳粛な面持ちで彼を見送るばかりだ。
何故なら、このような光景はここ最近では珍しくないからだ。寧ろ、これを叱責して足を止めさせるような真似をすれば、逆に自分達が非難されてしまう。つまり、それだけ火急の事態が東果で起こっているという事だ。
「失礼します!」
やがて政治の中心地である議場の間――嘗ては謁見の間と呼ばれていた空間に足を踏み入れると、その場に集まっていた重鎮達は喧々囂々と繰り広げていた議論をピタッと止めて兵士の方へ振り返った。
室内を埋め尽くすような騒めきが瞬く間に空に溶け込み、程無くして水を打ったかのような静けさが充満する。まるで鉛で出来た蛇のように重苦しい視線が全身に絡み付き、圧迫感を覚えた兵士はゆっくりと肺の空気を逃がして息を整えてから要件を告げた。
「報告します! 術者が術を張り直すも力は衰えず! 復活は時間の問題とのこと!」
「で、では……復活は何時になるのだ!?」
「あくまで大凡ですが三ヵ月間は持つかと! しかし、それ以上は予断を許さないと……!」
まるで活発化していた噴火山からマグマが噴出するかのように、重鎮達が押し留めていた不安と困惑が表に噴き上がった。そして誰も彼もが堰を切ったように今後の問題を口にするが、その内容はてんでバラバラで纏まりに欠くものであった。
「鎮まれい!!」
ビリビリと大気を震わせる一喝が室内に叩き付けられ、言い争うように話し合っていた重鎮達は咄嗟に口を閉ざした。恐々と声のする方へ振り返れば、左から順に赤・緑・青の衣を羽織った三人の亀の老獣人が浮足立つ重鎮達を戒めるようにねめつけていた。
「今から狼狽えてどうするのだ」赤岳が静かに、されど厳しい口調で言う。「貴様達が狼狽えていては、国民達も足並みを乱してしまう。それを理解すべきだ」
「赤岳の言う通りだ。其方達の動揺も分からないでもない」真緑は理解に富んだ眼差しを重鎮達に投げ掛ける。「だが、余裕が無いとは言え、我々にはやるべき事がある。兎に角、今は手の付けられるところから始めるべきだろう」
その呼び掛けで恐慌の呪縛から解放された重鎮達は、一転して落ち着き払った雰囲気で会議に臨んだ。恐怖と焦りで上滑りしていた会議が嘘だったかのように、次々と出てくる課題に対してトントン拍子で対応策と手段が打ち出される。
着々と進む有意義な会議に満足感を覚えるも、だからと言って三賢人の心が軽くなる訳ではなかった。裏を返せば、此処で議論される課題や議題の数々は、根本的な問題の解決に直結していないという証しだ。
「やれやれ、まさか我々の世代でこのような前代未聞の危機が立ち塞がるとはな……」
「弱音を吐くでない、真緑の。そもそもコレは前代未聞ではないぞ。今から千年以上も前の祖先が経験したものだ」
「赤岳の言う通りだ」青海が相槌を打つ。「そして祖先はソレを見事に封印した。多大な犠牲を払ってな……」
憂鬱な空気に押し付けられるように、三賢人は長い首を項垂れた。それは今から千年前に突如としてトウハイに現れた。それが何処から来たのかは分からない。分かっているのは、トウハイに甚大な被害を齎した災厄として恐れられた事だ。
そして建国の祖にして十二神闘流の使い手である白澤を始めとする、大勢の猛き志を持った人々の尊い犠牲によって封印されたのだ。そう、封印された。後にも先にもトウハイ最強と言わしめた人物を以てしてでも打ち倒せなかったのだ。
そのような未曾有の脅威が復活しようとしている。しかも、大陸を挟み込むようにドレイク帝国の侵略が迫っているのだから踏んだり蹴ったりと言わざるを得ない。もしも運命の女神とやらが居たら、恐らくとんでもなく捻くれた阿婆擦れに違いない。
しかし、自分達に待ち受ける辛辣な運命を呪ったところで何ら変わらない。三賢人はトウハイの未来を守るべく、復活しつつある脅威に立ち向かわなければならないのだ。例え、歴史の一ページに血文字を塗る事が確約されていたとしてもだ。
「トウハイに甚大な被害が及んでも民さえ無事ならば立ち直れる」赤岳が言う。「問題はアレが街を破壊しても尚、トウハイに居座り続けないかだ」
「加えてドレイク帝国の問題もある」青海が付け足すように呟く。「我々の危機を知れば、アレは嬉々として攻勢を強めてくるぞ。最悪、向こうの同盟国に貸している兵力を呼び戻さねばなるまい」
「どちらにせよ、トウハイ建国以来二度目の正念場というわけだな」
三賢人が長い首をググっと持ち上げて丸天井を見上げると、禍々しい目付きをした龍と目が合った。無論、それは本物ではない。千年前、当時の絵師達が描いた広大な天井絵の中に君臨する主人公だ。
しかし、その絵は迫力も然る事ながら、見る者に凄惨さを訴えかけてくる。天を突かんばかりに巨大な龍に踏み躙られて蹂躙される都市。龍から逃げ惑う人々は乾山のような岩に貫かれ、また大地を引き裂いたかのような割れ目へと転落していく。まるで地獄の一部を描いたかのような阿鼻叫喚の絵図だ。
だが、この絵は決して
「邪龍デイダラボッチ……よもや、伝説の災厄を生きて目にすることが出来ようとはな……」
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