第214話 幽霊の目的

 十分な休養を取って翌日を迎えた私達は、再びダンジョンに挑むべく広場に訪れていた。相変わらずダンジョンの周囲は大勢の人で溢れ返っており、それに見合う盛況や喧騒に包まれている。

 だが、よくよく見ると冒険者達の表情は陰鬱なほどに暗い。真夏のような強い日差しを浴びているにも拘らず、まるで氷海に飛び込んだかのように極度の緊張で蒼褪めている者も居る。そんな彼等の様子に観察眼に長けた角麗が気付き――


「やはり、ハンター達は『人切り幽霊』を警戒しているみたいですね」


 ――そう個人的な見解を呟くと、ヤクトは当然だと言わんばかりに相槌を打った。


「そらそうや。無茶苦茶強い上に何時何処で襲い掛かって来るのか分からない神出鬼没な存在。加えて命を取るのは稀みたいやけど、代わりにハンター達の戦利品を奪っていく。正に疫病神みたいな存在や」

「で、今回は貴様達だけで大丈夫なのか?」

「しゃあないやろ。こっちにも都合があるんやし、何よりも人切り幽霊と遭遇したばかりの『薄明りの希望』に、これ以上無理はさせられへん」


 初日は『薄明りの希望』の面々と一緒だったが、今回は私達だけでダンジョンに乗り込むつもりだ。地下に潜るメンバーは昨日と一緒で、角麗達も見送りを終えたら物資の補充の為に商会へ向かう予定だ。

 ヤクトの言う通り此方の都合があるのも確かだが、これ以上『薄明りの希望』に負担を強いる訳にはいかないという心情もあった。その負担の中には肉体的なものも含まれているが、どちらかと言うと精神的なものが大半を占めていた。

 『人切り幽霊』と遭遇しながらも生き延びれたのは確かに幸運かもしれないが、圧倒的な力の前に手も足も出なかったという事実は彼等の矜持に大きな手傷を負わせたに違いない。そう考えると再び一緒にダンジョンへ潜らないかと誘うのも憚れた。


「ヤクトさん!」

「デナン?」


 横合いから聞き覚えのある声がやって来て、まさかと思い振り返れば元気そうなデナンの姿があった。彼の後ろには『薄明りの希望』の面々も勢揃いしており、これには誰もが思わず目を丸くしてしまう。


「どないしたんや? ちゅーか、大丈夫なんか? 昨日、幽霊に襲われたって聞いたけど?」

「ええ、大丈夫です。手心を加えて貰ったおかげで助かりましたよ」


 そう言ってデナンは自嘲気味に微笑もうとする。だが、精一杯に釣り上げようとする口角はぎこちなく、内心の悔しさや苦々しさを隠すのに失敗していた。

 どうやら矜持を傷付けられたのは確かだが、トラウマになったり恐怖を抱いたりというマイナスの作用よりも、悔しさをバネにして負けん気を燃やすというプラスの作用が大きく働いたみたいだ。


「まぁ、無事やったら何よりや。せやけど、昨日の今日でまたダンジョンに潜るんかいな?」

「ええ。一体のアンデッド如きに怯えていたら冒険者家業は続けられませんからね。何よりも、自分達には依頼を請け負う責任があります。それを放っぽり出すような真似は出来ません」

「成る程な。それは一理あるな」

「ヤクトさん達もダンジョンに潜られるので?」

「ああ。昨日は第二階層でゴルドと出会えたからな。運が良ければ今日も遭えるかもしれへんと思ってな」

「ゴルドが?」ローズが目を輝かせながら口角を釣り上げる。「そりゃ良い情報を聞けたねぇ」

「まだ下へ潜ると決まった訳ではないぞ?」


 ダカンに苦笑交じりで忠告され、ローズは「分かっているわよ」と唇を尖らせた。けれども、によによと口元が緩むのは止められず、彼女が捕らぬ狸の皮算用を考えている事を察した仲間達は密かに苦笑を零した。


「今回も一緒に潜られますか?」

「いや、今回は俺っち達だけで潜ってみるわ。試しに下の階層へ潜ってみたけど、あんまり魔獣に遭遇出来へんかったからな。今日は第一階層を重点的に回る事にしてみるわ」

「そうですか。分かりました、御武運を」

「ああ、そっちも気を付けるんやで」


 『薄明りの希望』が踵を返して人込みの雑踏の中へと消えていくのを見届けた後、私達も仲間と分かれてダンジョンへと足を向けた。戦々恐々としたハンター達を他所目に、私達は使命感を抱きながらダンジョンの入り口を潜り抜けた。



『マッピング!』


 ダンジョンに入って少し進んだところで、私はマッピングを発動させた。地面に突き立てた貝針からピンガー音が発せられ、それが隅々に行き届いて反響して自分に戻って来るにつれて脳内に第一階層の地図が浮かび上がる。

 階層の広さ自体は先日潜った第二階層と大差なく、通路の構造等も然程変わらない。だが、『薄明りの希望』が言った通りに罠魔法の数は少なく、代わりに魔獣の数が多い。単純に魔石を稼ぐだけなら、第一階層に人が集まるのも頷ける。

 私が作り出したシャボンに投影した地図を覗き込みながらヤクトは気難しそうに呻いた。マップ上から魔獣の位置を把握する事は出来ても、何処にどんな魔獣が居るかまでは分からない。無論、人切り幽霊も然りだ。しかし、今回に限って言えば、その点は然程の問題にならなかった。


「さてと、このマップを見る限りやと、そこそこ魔獣の数があるな……」

「どこから行くのー?」

「兎に角、手当たり次第に魔獣を倒して魔石を稼ぐんや。もしも俺っちの考えた通りなら、人切り幽霊は現れる筈や」



 胸元の核をヤクトの銃弾に撃ち抜かれて、人型を成したゴーレムは重々しい地響きを立てて仰向けに倒れ込んだ。サラサラと体の節々が粒子状になって崩れ落ち、その後には大粒の魔石が二個ばかり取り残された。


「よし、これでもう二つ魔石をゲットやな」

「かなり集まったねー」

『そうですねぇ』


 私達のダンジョン攻略は現時点で順調であった。一度潜ってダンジョンの内容を大まかに経験したという強みと、私のマッピングで階層の情報が入手済みという強みが組み合わさり、迷いない足取りでダンジョンを突き進むことが出来たからだ。

 それに広大な階層の広さを除けば、罠魔法の数が少ない事と、第二階層の魔獣と比べて対処が容易という点も私達の快進撃を後押しした。肝心の人切り幽霊とは未だに出会える気配を見せないが、これに関しては誰も悲観視していなかった。


「本当に幽霊さん出るのかなー?」

「ああ、俺っちの目論見が当たっていたら、遠からず現れる筈や」


 無論、ヤクトの言う目論見とやらは仮説の領域を出るものではない。だが、余程の自信があるのだろう、その声には微塵の不安や懸念は一切含まれていなかった。

 その後、私達はマッピングに表示された魔獣の反応を頼りに、ダンジョンを巡回するかのように巡り続けた。魔獣と遭遇する度に戦闘をこなし、勝利しては魔石を回収していく。その作業の繰り返しで気付けば中々の数の――中袋四つ分相当の――魔石を獲得するに至った。

 もしも換金すれば相応の金銭を――特にエルドラでは高値で売買されるので懐を潤せる程度には得られるだろうが、生憎と魔石を金に変えるつもりは無い。私達が魔石をせっせと集めるのは他でもない、人切り幽霊を誘き寄せる為だ。

 人切り魔獣は冒険者と相対しても、必ずしも彼等の命を奪うとは限らない。そんな噂は『薄明りの希望』の面々の身に起こった出来事によって裏付けられた。では、何故アンデッドでありながら人間の命を奪わなかったのか?

 その答えとなるのが、彼等が集めていた魔石だ。人切り幽霊は冒険者達を無力化すると、必ず彼等が回収していた魔石を奪って何処かへと立ち去ってしまう。ならば、此方もせっせと魔石を集め続ければ、人切り幽霊が勝手に現れるのではないかと推測を立てたのだ。

 その推測が正しかったと証明されたのは、正午を過ぎた頃だった。カシャンッと骨が擦れ合うような音が不意に鼓膜を打ち、私達はパッと音がやって来た方角へと振り返った。

 カシャンッカシャンッと一歩ごとに音を立てながら、ライトクリスタルの照明で照らされた通路の先から人影が近付いてくる。やがてソレが肉眼に捉えられる距離に辿り着くと、ヤクト達の息を呑む声が耳に届いた。

 所々が草臥れているが高級感のある金の刺繍が施された民族衣装。胸元に突き刺さって背部へと飛び出しているバスターソードのような魔剣、そして――擦り切れた布や衣服の隙間から覗く真っ白い骸。

 間違いない、『人切り幽霊』だ。一歩ずつゆっくりと近付くにつれて、通路内の空気がみるみると冷え上がっていく。まるで戦慄が明確な現象となって現れているかのようだ。

 それに気圧されたのか、それともアンデッドに対する苦手意識がぶり返したのか、アクリルは身体を強張らせた。『大丈夫ですよ』と従魔契約特有のテレパスで呼び掛ければ、緊張しながらも安堵した頷きが彼女から返ってきた。

 そして互いの距離が三百mを切った時、ヤクトが前へと踏み出した。ヒシヒシと押し寄せる圧迫感に抗うように、間合いを計る慎重な足取りで人切り幽霊に近付いていく。

 それを敵対行動と読み取ったのか、人切り幽霊は胸元に刺さっていた剣を引き抜いた。骨だけの身でありながら剣を構えて歩く様は、さながら歴戦の剣士のソレだ。そして互いの距離が百mを切ろうとした頃、ヤクトが制止を求めるように片手を突き出した。


「待った、俺っち達はアンタと戦う気はあらへん」


 人切り幽霊はピタッと足を止めて、眼孔に宿った仄暗い赤い輝きをヤクトに注いだ。果たして会話が通じているのかは定かではないが、通じていると仮定した上でヤクトは更に話を進めた。


「アンタ、ラカムっちゅー名前やないか?」


 その言葉に反応するかのようにカシャリッと人切り幽霊は微かに身体を震わせた。キューラの言っていた通り、特異種の可能性に現実味が帯び始めてきた。

 アンデッドは基本的に人間の形をした獣と言っても過言ではない。人間の持つ欲求――ゾンビやグールなら食欲、スケルトンなら戦闘欲――に支配され、眠る事すらも忘れてソレに没頭するのだ。

 だが、極稀に生きていた(人間だった)頃の記憶を引き継いだアンデッドの報告も挙がっているらしい。例えば鍬を持って農作業の真似事をしたり、斧を持って樵のように木を切ったりと。

 そういうアンデッドらしからぬ動きが共通点な訳だが、特に『人切り幽霊』は理性に富んだ行動が散見出来る。目的を達成したら即座に撤収するなど、欲望をコントロールしている証拠と言えよう。


「アンタが何を目的に行動をしているかは知らへん。けれど、一緒に来てくれへんか? アンタが地上に出てくれれば、ガラムの暴虐を止められる。此処は一つ手を貸してくれへんやろうか?」


 人切り幽霊はヤクトの言葉を熟考するかのように、眼孔の輝きを消して暫し思考に耽った。そして再び目に輝きを取り戻すと、ゆっくりと首を横に振った。どうやら話に応じてくれないらしい。

 この頑なな態度に私達は疑問を深めた。ラカムはエルドラを思う善良な施政者だったと聞く。弟のガラムが欲望の限りを尽くして街を滅茶苦茶にしていると聞けば、二つ返事で了承してくれそうなものだが……。


「何か事情があるんで?」


 人切り幽霊は自身から見て右手の壁に向かって目にも止まらぬ速さで剣を振り抜いた。剣を振るう度に赤々とした火花が撒き散らされ、強引に岩石を切り割くような甲高い音が鳴り響く。その音を嫌ってか思わずアクリルは両手で耳を塞ぎ込んだ。

 そして最後の一太刀を振り抜いて剣を鞘に……いや、ポッカリと開いた右胸に差し込むように収納した。右手の壁には剣戟を受けた事で砂埃のような粉塵が舞っていたが、それが収まると壁に刻まれた文章が現れた。


『ダンジョンを守らねばならない』


 石板を掘ったような角ばった文章ながらも流暢に言語を操れる事から、やはり生きていた頃――ラカムであった頃の記憶と魂が、人切り幽霊となった今でも生き続けているようだ。同時にダンジョンを守るという文言に益々私達は首を傾げた。

 その役目は別に彼だけに与えられたものではない。ダンジョンの中で産み落とされた魔獣……このエルドラのダンジョンであれば主にゴーレムとかでも良い筈だ。そもそも死体からアンデッドに生まれ変わった彼の方がイレギュラーであり、ダンジョンを守る義務など無い筈だ。


「ダンジョンを守る? ソレは一体どういう意味でっか?」


 人切り幽霊は再び剣を抜いて、今度は反対側の壁に剣を走らせた。火花を撒き散らしながら壁に文章が刻まれて行く。そして文章が後少しで完了するという所で、人切り幽霊の剣裁きがピタッと止まった。


「危ない!」


 真っ先に異変に気付いたのはアクリルだった。幽霊を挟んで向う側の通路でチカッと青白い輝きが灯ったかと思いきや、蒼褪めた浄化の火球が部屋を舐めるように照らしながら迫ってきた。

 人切り幽霊は咄嗟に翻りつつ、背中に背負った剣を真っ直ぐに振り抜いた。両断された火球が二手に分かれ、私達を挟むように壁に着弾して青白い閃光と共に爆ぜた。万が一に此方に被害が及ばぬよう、サンドイッチのように岩壁を私達の両側に築き上げた。


「何や!?」


 火球が飛んできた方向に目を向けると、五人一組の男達が姿を現した。しかし、その装備は他の冒険者達のように役割分担されたものではなく、対アンデッドに特化した聖職者装備一択で統一されていた。


「まさか、人切り幽霊を倒す為に雇われた精鋭チームかいな!?」


 流石に聖職者相手では分が悪いと判断したのだろう、人切り幽霊は私達の方へパッと踵を返した。内臓や筋肉すらもない身軽な骸で軽々と私達の頭上を跳躍し、そのまま後方の通路へと走り去ってしまった。

 

「待て!」


 立ち去った人切り幽霊を追って、聖職者の面々が私達の真横を次々と通り過ぎていく。そして最後尾にいた一人が通り過ぎると足を止め、肩越しからキッと忌々し気に私達の方を睨み付けた。


「くそ! 後少しで不意を突けたのに邪魔をしおってからに!」

「何やと!?」カチンッと来たのかヤクトが目くじらを立てて睨み返す。「そっちこそダンジョンのルールを知らんのかい! 余所のハンターを巻き添えにすんなや! 後少しでこっちがお陀仏やったやないか!」

「黙れ! 我々はガラム議長の正式な命令を受けているのだ! 今度邪魔をしたら貴様達のダンジョン進入の権利は剥奪されると思え!」


 そう言い残して最後尾の聖職者は再び駆け出し、仲間の後を追って通路の彼方へと消えていった。取り残された私達は怪訝そうな表情を浮かべたまま呆然としていたが、ふとヤクトは思い出したかのように人切り幽霊が書き掛けた壁の文字に目を遣った。


『時間が無い、ダンジョンの――』


 どうやら人切り幽霊はダンジョンに関する何かを訴えようとしていたらしい。そして時間が無いという前置きからして、残された猶予もない事が窺える。しかし、この文章だけではソレが一体なのかは皆目見当が付かず、私達の疑念は大きく膨らんだまま胸の内で蟠るばかりであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る