第204話 東へ

「城の護りを固めるんだ! 敵が此方に攻め込まんとも限らん! 古い城だが防衛の理に叶った設計をしている! これを最大限に活かせば押し負ける事はない!」

「先遣隊の編成を急げ! 相手側が混乱している間に王都の奪還を急ぐぞ! それと偵察部隊を出せ! 各地の情報を少しでも収集しておきたい!」

「帝国軍の奴等も今の放送を見て協力者の目論見が失敗に終わった事を理解している筈だ! 絶対に動き出すぞ! ギデオン王子の部隊が抑え込んでくれているかもしれんが、それでも一刻も早く王国を平定して後衛の憂いを取り除くのが我々の役目だ!」


 ラブロス王の演説を終えた後、常日頃は閑散としているであろう旧ラブロス城は慌ただしいまでの活気で賑わっていた。ラブロス王の演説から予想される今後の展開に合わせて、王と一緒に旧ラブロス城へと脱出してきた兵士達が準備に勤しんでいるのだ。

 まるで過去の遺物となっていた旧ラブロス城が息吹を吹き返したかのようだが、国王陛下曰く『平和を望む一個人としては、過去の遺物のままで居てくれた方が有難いのだがな』との事だ。まぁ、元々は軍事目的で建てられたものですからね。使われないなら越した事はないという考え方は分からないでもない。

 しかし、準備に勤しんでいるのは彼等だけではない。アクリルの両親を探す為、そしてイーサン王子とマリオン王妃を安全な場所へと退避させる為、私達も新たな旅路に向けての準備に取り掛かっていた。

 取り掛かると言っても、国王の善意で提供された物資をシェルターへ搬入――もとい呑み込むだけなので、旅路の準備に追われているのは実質上私だけである。そして他の皆は各々の準備に取り掛かる傍ら、今回の一件で知り合った人達との別れの挨拶に勤しんでいた。



「コーネリアは王国に残るんやな」

「ええ、ガルタスの下から逃げてくるであろう貴族達の保護や、平民達と共に味方してくれる弱小貴族達を纏め上げる為の交渉を陛下から一任されていますからね。此処を離れる事は出来ませんわ」


 クロス大陸の外へと通じる東門では、ヤクトとコーネリアが別れの言葉を交わし合っていた。ヤクトとしては穏やかな雰囲気の中で後腐れなく終わらせたいのだが、コーネリアの纏った――不機嫌を象徴する――刺々しいオーラがそれを許さなかった。

 このクーデター事件が解決すればリッテンバード家は没落貴族から大貴族へと格上げされ、コーネリアの悲願であった御家再興は成就の日の目を見る事となる。しかし、家主であるコーネリアはヤクト達との旅に同行したいらしく、露骨なまでの不満を表情で訴えている。


「そう膨れっ面にならんくてもええがな。今回は偶々、タイミングが悪かっただけや。それにコレが今生の別れやあらへん。戦いが終わって再会する事も出来るやろ?」


 そう言ってヤクトがにへらと笑うと、コーネリアは呆れとも苛立ちとも取れる溜息を吐き出した。それに比例してオーラの刺々しさが増大し、ヤクトは己の失言を悟ったものの何故に増大したのかまでは理解出来なかった。


「全く分かっていませんね。私は貴方達との別れを惜しんでいるんではありませんわ。貴方と旅がしたかったんですよ」

「はぁ?」自分を指名され、思わず眉間に皺を寄せるヤクト。「そりゃどういう―――」


 と、訝しげに投げ掛けようとした疑問の声は、コーネリアの唇に呑み込まれてしまった。唇越しに伝わる柔らかな乙女の感触、そして今までにない熱量の距離感にヤクトは瞠目してしまう。

 そして数秒経ってからコーネリアが唇を離すと、そこには無垢な少年のように顔を赤らめたヤクトの姿があった。そんな彼の反応に満足したのか、コーネリアは悪戯に成功した小悪魔のような笑みをひけらかした。


「ふふ、意外と初心うぶなんですわね?」

「あ、アホかッ……!」周囲の目を気にしながら、ヤクトは声量を抑えた声で突っ込んだ。「いきなりあんな事されたら誰だってビビるわ!」

「あら、そこはドキドキしたと言う所では? それよりも如何です、私の気持ちを理解した感想は?」

「ぬぅ……」


 悪びれる様子もないどころか勝ち誇ったかのような態度を取るコーネリアに対し、ヤクトは口喧嘩では勝てないと観念したのか悔し気な溜息を零した。そしてコーネリアは刺々しいオーラを引っ込め、代わって達成感に満ちたオーラを放出した。


「これまで貴方に振り向いて貰おうと、私なりに色々と考えたアプローチを何度も仕掛けていたのですよ? なのに、貴方は全然気付かない上に見当違いの答えを返す有り様。今更ではありますけど、乙女心というものを学んだら如何ですか?」

「生憎、色恋関連は学ぶ余裕があらへんかったんや。せやけど……」バツの悪い顔を浮かべながら、ガジガジと後頭部を掻き毟る。「その……気付けへんくて悪かったわ」

「ええ、全くですわ」

「いや、そこは御世辞でもええから『構いません』って言ってーや!?」

「あら、何を仰いますか?」クスクスと微笑みながらも、苛めっ子のような眼差しでヤクトを小突く。「此方は貴方の態度にヤキモキした挙句、何度も赤っ恥を掻かされたのですよ? 乙女を愚弄した報いとして、その後悔と罪悪感を受け入れなさい」

「はは、叶わへんわ……」


 その遣り取りを機に両者の会話はパッタリと途絶えた。しかし、互いの気持ちを知った今、二人の間に蔓延る空気は今までとは異なっていた。恋人……と呼ぶには時期尚早だが、強いて言うならば恋人になる直前の甘酸っぱさと言うべきか。

 真摯な面立ちで見詰め合っいた二人だったが、やがてヤクトは照れくさそうな笑みをはにかみながら沈黙を破った。


「ほな、俺っちは行くわ。今のキスに対する返事やけど、正直今すぐには……」

「あら、何を言っているのですか? 別に今すぐに返事をしろとは言っていませんわ。寧ろ、この答えは無事に帰ってきてからじっくりと聞かせていただきますわ。これが貴方へ送る旅の無事を祈るまじないですわ」

まじない? 聞きようによってはのろいに聞こえそうなんやけど?」

「ふふ、強ち間違ってはいませんわね。恋は盲目、愛は劇薬とも言いますからね」

「そりゃまた難儀やな……。せやけど、尚のこと旅先で野垂れ死ぬようなみっともない真似は出来へんな」

「ええ、その通りですわ。……絶対に私の元へ帰ってきなさい、ヤクト」

「ああ、分かった。約束するわ、コーネリア」




 ヤクト達から少し離れた場所では、角麗とクロニカルドが鉄鎖の兄弟カテーナ・ブラザーズ並びに闇夜の狼王ダークネス・フェンリルの面々と言葉を交わし合っていた。会話の内容は当然ながら今後の動向についてであり、そして王国側に残るドワーフ達と獣人達の話で持ち切りだった。


「双方はこのままラブロス王国の防衛戦に参加するんですね?」

「おうともよ!! 俺達の御先祖様をコケにしてくれたクソ忌々しい帝国軍のケツを蹴り上げてやらにゃコッチの気が済まなねぇや!!」

「先祖をコケにした?」


 その一言に興味を示したクロニカルドが反復すると、ドワーフの魔法使いは眼鏡の位置を直しながら「如何にもであ~る」と相槌を打った。


「吾輩達ドワーフ族は元々彼方側……ディッシュ大陸の出身であ~る」

「ディッシュ大陸……確かドレイク帝国の本拠地が置かれた大陸ですね」

「おう、その通りじゃ」盾使いのドワーフが重々しく頷く。「しかし、百年程前にドレイク帝国との争いに敗れ、大半のドワーフは服従を強いられたが……一部は此方の大陸へ脱出してきたんじゃ」

「それが我々の御先祖であ~る。今でこそ平和を享受しているが、ドワーフ族は恩と恨みは絶対に忘れない種族であ~る。故に今でもドレイク帝国に対する恨み節を抱いているのであ~る」

「うむ、その気持ちは分かるぞ」


 そう言って同意を示したのは闇夜の狼王ダークネス・フェンリルのリーダーであるハクロウだ。彼の背後に立っている仲間達もうんうんと頷くところを察するに、他国への侵略を是とするドレイク帝国の傍若無人っぷりが窺える。と、そこでクロニカルドは話題の矛先をハクロウ達へと切り替えた。

 

「ところで、闇夜の狼王ダークネス・フェンリル達も此方側に残るのだな」

「ええ、その通りですわん」カラマツが胸に手を添えながら頷く。「ですが、我々の祖国にも今回の一件は伝えねばなりませんわん。そこで今回の一件を伝えるべく一筆をしたためましたわん。御手数かもしれませんが、私達の代わりに届けてくれないでしょうか?」

「ええ、構いませんよ」


 角麗は嫌な顔一つせずに快く了承すると、カラマツから手渡された手紙を受け取った。それが彼女の懐に仕舞い込まれたのを見届けたハクロウは、再度お願いするように角麗とクロニカルドに深々と頭を下げた。


「かたじけぬ。その代わりと言っては何だが、其方そなた達が不在の間は某達が必ずやラブロス王国を守り通してみせる」

「ガッハッハ! そりゃオイ達ドワーフ族も同じじゃ!! 帝国の野郎をぶっ飛ばして返り討ちにして、この国を守り通してやらぁ!!」

「「「うおおおおおっ!!!」」」


 グルドはドンッと胸を叩いて自身の程度を誇示し、それに続いて他のドワーフ達も各々の武器を掲げて勝鬨のような雄叫びを上げる。ドワーフ族とは対照的に獣人達は物静かな雰囲気を纏っていたが、その身には暗殺者特有の油断も隙も無い堅実な殺気を静かに漲らせていた。

 どうやら帝国に対して一矢報いたいという気持ちは、どちらの種族も勝るとも劣っていないようだ。それを見て取った二人は心強さを覚えて微笑を浮かばせた。



 ラブロス王は別れの時を惜しむかのように、アクリルとイーサンを強く抱き締めていた。国王と言えども血の通った人間だ。逼迫した事態故に止むを得ないと頭の中では理解していても、やはり寂しさは拭い切れないらしい。

 無論、それはアクリルとイーサンとて同じだ。片や父方の祖父に巡り会えたばかり、片や昏睡していた祖父との再会を果たしたばかり。祖父に対する思い入れに差異はあれど、その根底にある愛情に違いなどなかった。


「アクリル、イーサン」幼子二人を一緒くたに抱き締めた王は双方に呼び掛ける。「これからお前達には様々な苦難が待ち受けているかもしれん。だが、それに挫けてはならない。これもまた一つの試練であり、大いなる学びの一環でもある。きっと二人にとって成長の礎となるであろう」

「御爺様……」


 何時泣き出してもおかしくないクシャクシャの表情でラブロス王を見上げるイーサン。しかし、男子としての意地があるのか、それともラブロス家の面子を傷つけまいと振る舞っているのか、必死に涙を堪えていた。

 そんな彼とは対照的にアクリルは祖父の腕の中でボロボロと涙を零し、ラブロス王の胸元に涙のシミを広げつつあった。しかし、王は慈愛の微笑みを浮かべながら、彼女の気が済むまで涙を受け止め続けた。


「アクリルよ、私を許しておくれ。止むを得ない事情があったとは言え、其方に偽りの人生を送らせたのは私が原因だ。そしてソレが原因で辛い思いをさせてしまった。本当にすまない」

「ううん、そんなことない……!」泣きじゃくった顔を持ち上げながらアクリルは訴えた。「アクリル、前のおとーさんとおかーさんに大事にされたし、とても楽しかった! それにガーシェルちゃんにも会えたんだもん!」


 アクリルの嘘偽りない純粋な叫びに心を揺り動かされたラブロス王は、目頭が熱くなるのを感じながらそっと目を閉じた。


「そうか……。正直に言えば私は恐れていた。実の孫に偽りの人生を送らせたことが原因で、恨まれてやしないかと。しかし、其方が幸せだと言ってくれたおかげで私の心は救われた。おかげで心残りは無くなった。有り難う、アクリル」

「う、うあああああん!!」


 それまで比較的大人しく泣いていたアクリルだったが、王の感謝をきっかけに火が付いたかのように大声を上げて泣き始めた。すると一緒に居たイーサンも釣られて涙を零し始め、最終的にはアクリルと一緒になって王の胸の中で鳴き声の大合唱を上げ始めた。

 そしてラブロス王は二人の孫へと注いでいた眼差しを徐に持ち上げ、正面に立つマリオンを見据えた。王妃として気丈に徹しようと努めるものの、その瞳は陽光を反射した水面のように揺蕩っているのが見て取れた。


「マリオン、私が眠っている間に多大な苦労を掛けさせたな。そして今日まで国を守ってくれたことに感謝する」

「勿体無き御言葉、至極恐悦でございます」そう言ってマリオンは緊張を滲ませた硬い表情のまま深々と御辞儀する。「されど陛下、今日に至るラブロス王国を守ってきたのは第二王子ギデオン様でございます。あの方が居なければ、今頃はこの王国も貴族達に牛耳られていたでしょう」

「いや、ギデオンだけでは無理だっただろう。アレは芯こそ強いが、一方で不器用な面もある。柔軟な思考を持ったマリオンの存在があってこそ、力を発揮出来たと言えよう。何にせよ、どちらか片方が欠けていたら王国の命運は尽きていたに違いない」

「陛下……」


 そこでマリオンの表情が歪んだ。そして直ぐに表情を修正しようとするも一度表出してしまった感情を引っ込めるのは難しく、泣き笑いにも似た複雑な面持ちとなってしまう。


「二人を頼んだぞ、マリオン」

「はい、陛下もご無事で居てください。国民の為にも、そしてこの子達の為にも……」

「ああ、可愛い孫を悲しませるような真似は出来んからな。それに折角アクリルに拾ってもらった命だ。無駄にはせんさ」



 門扉も兼ねた城の跳ね橋が重厚感のある歯車音を奏でながらゆっくりと下ろされ、城の東側を横断する幅50mからなる深い堀の上に跨った。桟橋の先には背の低い草原の絨毯が扇状に広がっており、途中から地平線の彼方まで続く広大な砂漠に切り替わっている。

 今は身も凍るような寒々とした夜闇に沈んでいるが、朝日が昇れば本来の黄金色を拝めるに違いない。そんな悠長な考えを抱いていると、不意に人肌の生温かさが貝殻越しに伝わってきた。

 その感触に反応して意識を振り向ければ、満足気な――見る人によっては鼻の下を伸ばしたとも言う――表情を浮かべたキューラ女史が大の字の格好で私に抱き着いていた。そして鼓膜に蜂蜜を掛けるかのような、ネットリとした甘ったるい猫撫で声を耳元で囁きながら貝殻に頬擦りする。


「うふふふ~、ガーシェルちゃ~ん。トウハイまで一緒に頑張ろうね~!」

『……………』

「あれ、まさかの無視!?」そう言ってキューラは頬擦りを止めてパッと私を見遣る。「そこは喜ぶところなんじゃないのかな!?」

「ガーシェル、面倒かもしれないけど重荷姉貴のことを宜しく頼んだよ。苛立ったら煮るなり焼くなり刺すなりしても良いからさ」

『任せてください、ジルヴァさん』

「うわぁーん! 酷い! 酷過ぎる! アクリルちゃんに言い付けてやるぅー!」


 そう言いつつも私から一向に離れる気配を見せないキューラ女史。そんな彼女を遠巻きに見詰めるジルヴァとヘルゲンは、「やれやれ……」と呆れ顔と苦笑いを融合させたかのような複雑な表情を浮かべるのであった。

 因みにキューラが今回の(トウハイまでの)旅路に同行する理由は主に2つある。一つは子供達の教育係――主に学業方面――として最適解であること。そしてもう一つはドレイク帝国の侵略が水際で破られた場合、エルフ族……即ち亜人である彼女に害が及ばないようにする為だ。

 彼女だけを特別扱いしているような気もしないでもない。事実、トウハイへ連れて行くエルフは彼女だけで、その他大勢のエルフ達はクロス大陸に残る事となっている。がしかし、それについて異論を挟む者は皆無であった。

 何故ならキューラは魔獣研究の権威であり、膨大な知識と成し遂げた偉業に見合うだけの地位と名誉を有している。もしも彼女を失うような憂目に遭えば、計り知れない損失を被ることになるのは目に見えている。

 そういう結論に至った末、満場一致でキューラを安全なトウハイへ送り出すことになったのだ。とは言え、本人は私との旅に大はしゃぎみたいだが。


「ほな、そろそろ行こうか。これ以上の長居は還って国王様の邪魔になってまう。それに敵が来ないとも限らへんしな」


 挨拶を終えたヤクト達は貝殻に潜り込むかのように、私の中シェルターへと入っていく。傍から見ると私が仲間達を捕食しているかのような誤解を招きそうな光景だけに、シェルターのスキルを知らない人々は不安……いや、ドン引きにも似た強張りを表情に張り付けていた。

 やがてアクリルの番になった時、彼女はふと何かを思い出したかのように振り返った。既にアクリルの目に涙は浮かんでいなかった。様々な感情を涙で流し切ったかのようなスッキリとした眼で国王を見据えると、アクリルは元気に叫んだ。


! 行ってきます!」


 ラブロス王は大きく目を見開かせた。乾いた大地から水が湧き出るかのように、涙腺から込み上がった熱い雫が老いた眼を潤わせる。そして深い皺を無数に刻んだ目尻から一筋の涙が零れ落ちるのと同時に、ラブロス王は声を震わせながら返事を発した。


「ああ、行っておいで……! アクリル!」


 見送りの言葉を受け取ったアクリルは、思い残しは無いと言わんばかりに今度こそシェルターへと飛び込んだ。そして全員がシェルターに入ったのを確認してから、私は跳ね橋を通って向こう側へと渡った。

 青々とした緑の絨毯を泡のタイヤで踏み締め、数キロと走らない内に砂漠の世界に到達する。此処から先は新たなる世界……未知の領域だ。そう思った途端、クロス大陸で過ごした濃密な日々が郷愁と共に胸中を過った。


(今更ではありますけど、あの大陸で過ごした日々を振り返ると正に怒涛の連続でしたね……)


 死に掛けた時もあれば、心臓が保たないと思った瞬間もあった。けれども、それらをひっくるめた全ての思い出が愛おしく思えてしまう己がいた。前世では味わえなかった感慨に興味深さを覚えつつ、私は気持ちを切り替えて延々と広がる砂漠の先を見据えた。


『では、行きますか! ランドキャタピラー!!』


 この先に何が待ち受けているのかは分からないが、不思議と不安の類は芽生えなかった。未知の旅に慣れてしまっただけと言えば其処までではあるが、それ以上にアクリル達と一緒ならば何処でも行ける……そんな確証のない自信が私の心に深い根を下ろしていた。



「行ってしまわれましたね、陛下」

「ああ、行ってしまったな……」


 ジルヴァが口を開いた頃には、ガーシェルの後ろ姿は殆ど見えなくなっていた。キャタピラに巻き上げられた砂塵が辛うじて居場所を教えてくれていたが、それも程無くして地平線の彼方へ溶け込むように消えてしまった。


「ふふふ、おじいちゃんか……。アクリルにおじいちゃん呼びされたのが一番の幸福やもしれんな」

「おや、イーサン王子も陛下を慕っているではありませんか?」

「まぁ、そうなのだが……」そこで言葉を切った国王は、はにかみの表情を見せた。「あの子の母親が生真面目でのう。おじいちゃんと気安く呼ぶのではなく、御爺様と丁寧な物言いに修正してしまったんじゃ。少々堅苦しいと思う反面、親子の決め事に口を挟むのも気が引けてな……」

「ならば、あの子達が帰ってきたら思い切って御願いしてみたら如何です? おじいちゃんと呼んでくれ……と」


 何も知らない人間からすれば、二人の遣り取りは取るに足らない他愛無い会話に聞こえるかもしれない。だが、裏を返せば孫達が無事に戻って来るまで、ラブロス王には何が何でも生きて頂かなければならない……というジルヴァ流のメッセージが込められていた。

 それに気付いたラブロス王は感謝の念を瞳に宿しながら重々しく頷くと、自身の両肩を支えてくれている侍女達に指示を出して緩やかに踵を返した。ジルヴァとヘルゲンも護衛者ガードマンのように王の前後に付いて同行する。


「だが、その前に王国を貴族達から取り戻さなければならない。先ずはそれからだ」

「はっ!」


 そして二人が旧ラブロス城へと戻った後、堀に跨るように掛けられていた跳ね橋は音を立てて吊り上げられていく。それに連れて門の先に広がっていた風景が徐々に狭まっていき、やがてピッタリと蓋をするかのように東門は固く閉ざされた。

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