第185話 第五階層

 冬空のような雲一つ無い青空と、地平線の彼方まで続く広大な雪原。単純な二色のコントラストで完成された壮大な冬景色は、星空とオーロラに彩られた昨夜の風景に勝るとも劣らぬ程に美しかった。

 この美しい風景を不用意に踏み荒らすのは正直気が引けたが、ダンジョンを踏破する必要性を考慮すると背に腹は代えられなかった。

 太陽が午前十時の位置に達しようとした頃には、私達の重さで刻まれたキャタピラの痕跡が真っ白い雪原のキャンパスに長々と描かれていた。太陽を反射して白く輝いているように見える雪原と相俟って、その痕跡もまた芸術作品の一つとして扱われそうだ。


「それにしても砂漠とは違って只々広い場所やなぁ。隠れられるような場所もあらへんから全然落ち着かへんわ」


 貝殻の上では頭から足先まで毛布に包まったヤクト達が身を寄せ合うように腰掛け、前から後ろへと流れていく雪景色を見送っていた。クロニカルドがかけてくれた寒冷無効コールドキャンセルのおかげで寒さを感じなくなっているが、それでも吐いた息は氷点下の空気とぶつかって真っ白に染まっている。


「やれやれ、こんな場所があると分かっていたら防寒具の一つや二つ持って来とったんやけどなぁ……」


 そう言ってヤクトは後悔に満ちた重い溜息を吐き出し、ガックリと項垂れるように肩を落とした。これまで様々な装備品で臨機応変に対応してきたヤクトだったが、流石に寒冷地での攻略を想定した装備品までは持って来ていなかった。

 本人はダンジョンを甘く見ていたと自己嫌悪しているみたいだが、だからと言ってソレを非難する者は誰一人として居なかった。そもそも一つのダンジョンの中に幾つものエリアがあるだなんて誰が予想出来たであろうか。

 それ故に角麗を始めとする仲間達の口から出て来たのは、落ち込んだヤクトの気持ちを和らげるような温かいフォローの言葉であった。


「仕方ありませんよ。このダンジョンの中に雪原地帯があるだなんて知らされていなかったのですから。これを見越して準備をするなんて到底不可能ですよ」

「角麗の言う通りだ。もしも出来るとしたら、それは幻のレアスキルである予知を持った人間ぐらいであろう。それにだ、今までの働きを考慮すれば貴様は十分にやっていると思うがな」

「うん! ヤー兄のおかげで此処まで来れたんだもん! だから落ち込まないで!」

「はは、おおきに。おかげで気持ちが楽になったわ」


 仲間に対して感謝を告げると、ヤクトは陰気の取れた微笑を綻ばせた。その遣り取りを境に会話の流通量が大幅に減り、面白味に欠ける観光ツアーのように代わり映えしない雪景色を眺める時間ばかりが費やされていく。

 やがて太陽が昼間を意味する直上に達した頃、常時発動させていたソナーの波紋が魔獣の反応をキャッチした。それと連動してキャタピラを止めると、貝殻に乗っていた全員が此方の意図を察して臨戦態勢に入る。

 

「敵か?」

 ヤクトが鋭く問い掛ける。

『はい。此方に近付いてきています。数は……五体です』

「恐らく氷系の魔獣であろう。アクリル、炎魔法を繰り出せるように備えておけ」

「うん、分かった!」


 アクリルが元気に頷いてからややあって、まるで雪中に埋めた地雷群が連鎖爆発を引き起こしたかのように、私達の眼前で次々と粉雪の爆風が巻き起こる。そして煙幕のように立ち込めていた雪の粉塵が晴れ上がると、鋭い氷山の山脈を背負った真っ白い貝が爆心地に鎮座していた。


「貝……やな?」

「貝……だな」

「貝……ですね」

「ガーシェルちゃんのお友達だー」

『いやいや、お友達じゃありませんよ?』


 とは言え、氷の山脈を背負っている点を除けば、大きさや形状などは私と瓜二つだ。試しに鑑定してみると『アイスバーグシェル』という名前が脳裏に表示された。また一緒に添付されたステータス情報によると、極地の環境に適応した貝の魔獣だそうだ。

 要するに派生種みたいなものか。うん、待てよ? 情報で貝の魔獣と明記されているのだから、もしかしたら久々に例のスキルが使えるかもしれない。脳裏に一つの可能性が舞い降りるや、私は泡の吹き出しを吐き出した。


『皆さん、一つお願いがあるのですが宜しいでしょうか?』

「お願い?」


 ヤクトが怪訝な表情で尋ねると、それに釣られて皆の視線が貝殻の真上から降り注ぐ。


『あの魔獣ですが、私が食べても良いでしょうか?』

「おいおい、ガーシェル」片眉をへの字に曲げながら呆れ顔を浮かべるヤクト。「今が昼飯時やからって、そんな呑気な事を言っている場合やあらへんで?」


 単刀直入に結論だけを述べて簡素に済まそうと考えていたのだが、それが却って空気を読まない発言として受け取られてしまったらしい。アクリルを除いた面々もヤクトと似たり寄ったりな顰め面を浮かべており、有らぬ誤解を招きそうだと悟った私は慌てて発言を修正した。


『いえ、そうじゃありません。彼等を食えば共食いのスキルが発動するかもしれないのです』

「共食い?」


 と、角麗がオウム返しで聞き返す。眉間に刻まれた深い皴は物騒な単語共食いに対する不穏の表れだろうが、私が共食いのスキルについて粗方説明すると一転して本来の美貌が復活する。


「成る程、そういうスキルがあるのですね。ですが、共食いで強くなるとは……魔獣の世界は存外奥が深いと言いますか、闇が深いと言いますか……」

「いや、そうでもないぞ」角麗の考えに対し、クロニカルドがやんわりと否定する。「己が人間だった頃、魔獣の研究に勤しんでいた同志が教えてくれた。魔獣達の間で共食いが繰り広げられるのは、単純な生存競争の為ではない。魔獣にとってソレ(共食い)こそが、己の力を底上げする合理的な手段だからだ……と」

「じゃあ、あの貝さん達をガーシェルちゃんに食べさせたら良いって訳だね!」

『ですが、必ずしもスキルが発動するとは限りません。特に派生種の場合は相応の数を食す必要があります』

「しかし、試す価値はある」


 そこでクロニカルドは私から目を離し、此方の出方を窺うように待ち構えているアイスバーグシェル達に目線を張り付ける。そして徐に片腕を持ち上げると、その指先に薄らと輝く魔法陣が浮かび上がった。


「弱い攻撃では通用せんだろうし、かと言って強大な攻撃では消滅してしまう。生かさず殺さず……何とも難しい注文だが、己の手に掛かればやれん事はない!」


 そう告げた直後、眩い光を帯びた魔法陣から稲妻が撃ち出された。稲妻はジグザグに波打ちながら雪上を駆け抜け、また飛距離を伸ばすにつれて木の根のように枝分かれを繰り返し、雷撃の手数を増やしていく。

 やがて数十にも及ぶ雷撃がアイスバーグシェル達に直撃し、間近で落雷が起こったかのような轟音と共にスノーパウダーの噴煙が舞い上がった。その威力を目の当たりにしたヤクトや角麗は唖然とした表情を浮かべ、唯一アクリルだけが憧れの眼差しを飛ばしている。


「やったんか!?」

「気を抜くな!」噴煙に目を張り付けたままクロニカルドが鋭く言い放つ。「生かさず殺さずを考慮して威力を若干落としてある! 死んではいない筈だ!」

「……来ます!」


 角麗の第六感が危機を察知した直後、濃霧のように立ち込める粉雪の煙幕から氷山貝の群れが次々と。下の貝殻をそり代わりにして雪上を滑る氷山貝の姿は、さながらスノーモービルのようだ。キャタピラで走る私とは比べ物にならない速度を有しているが、捉え切れない程に速いという訳でもない。


焼夷砲ナパーム!』


 前方の火口から撃ち出された砲弾が氷山貝の一体に命中すると、爆発と同時に夥しい火炎が巻き起こった。火達磨となったアイスバーグシェルは平衡感覚を失ったかのように蛇行した末、両隣に走っていた仲間を巻き込んで横転した。

 焼夷弾を受けた氷山貝は炎を纏ったままピクリとも動かなくなったが、事故に巻き込まれた二匹は貝殻から覗かせた触腕を用いて起き上がろうとする。だが、そこへヤクトの放ったグレネードランチャーが貝殻の隙間に飛び込み、二匹の内部で爆発した。

 くぐもった爆音と共に貝の隙間から黒煙が飛び出し、それまで起き上がろうともがいていた二匹はガクリと力尽きたかのように雪原に転がった。ほぼ密閉に近い空間内での爆発は効果絶大であったようだが、同じ貝という事もあって同情を禁じ得なかった。


「ガーシェル! 右手から来ます!」


 頭上からやって来た角麗の警告に反応して意識を右手に移すと、アイスバーグシェルが貝柱を雪原に突き刺す姿が視界に飛び込んだ。すると、氷山貝の手前から山のように切り立った氷の群れが飛び出し、そのまま津波の如き勢いで私達に襲い掛かってきた。


『ヘルファイヤーウェーブ!』


 地獄の業火を彷彿とさせる炎の津波が雪原を這うように駆け抜け、そのまま氷の津波と正面切って激突する。

 炎と氷の鬩ぎ合いを象徴するかのように夥しい水蒸気が発生し、向こう側一帯が濃霧に包み込まれてしまう。それに伴って敵対していた氷山貝の姿も水蒸気のカーテンに遮られてしまうが、私のソナーは真実を捉えていた。


『皆さん! 掴まってて下さい!』


 そう言って後方へ飛び退いた直後、氷山貝が海面へ浮上するクジラのように雪原を割って飛び出した。姿が見えないのを良い事に奇襲攻撃を仕掛けようとしたのだろうが、結果的には無防備な貝殻の底部を敵前私達に曝け出してしまうという致命的な失態で終わった。


焼夷弾もう一発!』


 無防備な貝殻の底部に向けて撃ち込まれた砲弾が爆発し、その衝撃で氷山貝が引っ繰り返る。更に触腕から撃ち出した火炎弾のマシンガンで追い打ちの集中砲火を浴びせ掛ければ、程無くしてソイツは動かなくなった。


「後ろから最後の一体が突っ込んでくるぞ!」

『了解!』


 クロニカルドの呼び掛けに応じてグルリと反転すれば、最後の一体が全速力で此方に突っ込もうとしていた。その貝殻の前面には破砕槌と馬上槍を融合させたかのような巨大な氷柱が備わっている。


『ならばこちらも……ヒートドリル!』


 貝殻の前面に巻き付いた聖鉄の螺旋が呻りを上げて回転し、それに伴って高熱を意味する光がドリル全体に帯びていく。そして赤熱の輝きが白熱の輝きへと変貌すると、私はキャタピラのアクセルを全開にして氷山貝へと突撃した。

 みるみると互いの距離が縮まり、ゼロに達したのと同時に甲高い衝突音が雪原に轟き渡った。当初は闘牛のように互いの矛を激しくぶつけ合っていたが、時間が経つにつれて巨大な氷柱に亀裂が走り始めた。

 やがて巨大な氷柱がヒートドリルに打ち負けて木っ端微塵に砕け散った瞬間、好機と睨んだ私は一気に前へと踏み込んだ。白熱したドリルはアイスバーグシェルの凍て付いた貝殻を易々と貫き、その内部に守られている柔らかな身を貫いた。

 程無くして捕食可能のサインが脳裏のステータスに表示され、私はドリルを引っ込めるや素早く氷山貝を触腕で捕らえた。そして『いただきます!』という掛け声と共に氷山貝を一口で平らげた。


 巨大な獲物が体内に収まった途端、途方もない多幸感が脳髄を駆け抜けていく。しかし、目標としていた共食いスキルは発動せず、レベルも上がらなかった。まぁ、流石に一匹だけで成功する筈もありませんわな。

 チラリと残りの四体を見遣るが、捕食可能のサインは出ていない。しかし、既に相応のダメージを叩き込んだのでサインが出るのも時間の問題であろう。そう考えながら私は動けそうにないアイスバーグシェル達の方へと忍び寄っていった。



「わーい! ガーシェルちゃんはやーい!」

『いや~、共食いスキルで良いスキルを引き当てられて幸運でしたねぇ』


 貝殻の上でパチパチと手を打ち鳴らしながら、子供染みた興奮を露わにするアクリル。その長い銀髪は吹き抜ける風に乗って前から後ろへと流れており、かなりの速度を出して走っているという事実を物語っていた。

 計五匹のアイスバーグシェルを捕食した後、レベルが一個上昇するのと同時に共食いスキルも発動した。捕食した量が少ないので発動しないかもしれないと危惧していたが、幸いにも質は(ダンジョン産という事もあって)十分だったらしい。

 そして共食いスキルによって手に入ったのは、『雪上移動』と『失神針』の二つだ。前者は氷山貝が使っていた移動術と全く同じものであり、後者は相手の肉体に刺したら一瞬にして意識を奪うという一種の気絶スタン技だ。まさか此処に来て貝針が増えるとは思いもしなかった。


「しかし、移動速度が劇的に増したのは好都合だ。この調子ならば此処の階層を難無く抜けられそうだな」

「そうですね」

「せやけど、そろそろ次の階層でゴールしたいもんやな。これ以上、面倒な階層が続くと此方の心臓が持たへんわ」


 そんな談笑を溢し合いながら、第五階層の旅路は極めて順調に進むかに思われた。しかし、この時の私達は知る由も無かった。まるで夜の肩書きを強奪したかのような分厚い黒雲が、私達が通って来た道の彼方から迫りつつある事を……。



【名前】ガーシェル(貝原 守)

【種族】ヴォルケーシェル

【レベル】30→31

【体力】108000→110000(+2000)

【攻撃力】56000→57000(+1000)

【防御力】93000→94500(+1500)

【速度】8600→8800(+200)

【魔力】61000→62000(+1000)

【スキル】鑑定・自己視・ジェット噴射・暗視・ソナー(パッシブソナー)・鉱物探知・岩潜り・溶岩潜航・堅牢・遊泳・浄化・共食い・自己修復・聖壁・鉄壁・研磨・危険察知・丸呑み・暴食・鉱物摂取・修行・黒煙・狙撃・マッピング・吸収・炎吸収・炎無効・高熱無効・沈着・雪上移動(NEW)

【従魔スキル】シェルター・魔力共有

【攻撃技】麻酔針・猛毒針・腐食針・失神針(NEW)・体当たり・針飛ばし・猛毒墨・触腕

【魔法】泡魔法・水魔法・幻覚魔法・土魔法・大地魔法・聖魔法・氷魔法・炎魔法・爆発魔法・溶岩魔法・重力魔法

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