第153話 灼熱地獄の底から……
溶岩に沈んでから、果たしてどれだけの時間が経ったのか。そもそも、今も体感している時間の流れが正常かどうかすら分からなくなる程に、私の思考の歯車は止まり掛けていた。
現時点で使える魔法を駆使して溶岩の熱を遮断していたが、肝心の魔力もいよいよ底を突き始めた。途端、並々ならぬ熱量が私の全身を嬲り、形容し難い苦痛が貝殻を貫いて襲い掛かる。
『ぐぅぅぅ………!!』
最早、悲鳴を上げる力なんて残されていない。溶岩の灼熱で浮付いた思考も支離滅裂になり掛けており、気を抜いたら意識ごと刈り取られてしまいそうだ。とは言え、想像を絶する地獄の中で正常な思考を保てている事が、果たして幸運と呼べるのだろうか。
生命力を削り取られ、私の脳裏に走馬灯のような思い出が駆け巡る。流石に今回の走馬灯の中に前世での記憶は流れておらず、あったのは自分が貝に転生してからの日々とアクリルとの思い出が殆どだった。走馬灯が流れたという事は、自分の運命も此処までなのだろう。がしかし、心残りが無いと言えば嘘になる。
アクリルを育てた両親と交わした『彼女を最期まで守り切る』という約束を果たせなかった事への罪悪感、そして従魔として本能なのか主人であるアクリルのことが最後の最期まで私の心に残り続けていた。
『アクリル……さ……ん………』
やがて走馬灯の映像が途切れて終わりを告げた時、ほぼ同時に生命力が底を突こうとした瞬間――――脳裏にあの声が響き渡った。
☆
「
闘気を纏わせた角麗の右回し蹴りが凄まじい勢いで炸裂するも、ロウエンマは右腕を折り曲げた肉の盾でコレを受け止める。まるでキャッチャーミットに剛速球を叩き付けるような甲高い音が倍増されて地底内に響き渡るが、ロウエンマの顔に苦痛の二文字はない。
「グルァァァ!!」
それどころかロウエンマは受け止めた右腕を振り払って角麗の体勢を崩すと、そのまま右手に作った拳を振り下ろそうとした。しかし、角麗は後ろへ向かってバク転し、天に向かって弧を描いた足先で、振り下ろされたロウエンマの拳を蹴り上げて相殺した。
更に角麗は数回バク転を繰り返して相手との間合いを空ける。すぐさまロウエンマは角麗を追い駆けようとしたが、ふと左手の視界の端に捉えた何かに意識を引っ張られて振り返ってしまう。そこには上半身を此方に捻りながら、拳銃を構えて走るヤクトの姿があった。
「そこや!」
ヤクトが素早く引き金を二度引けば、パパンッと立て続けに銃声が鳴り響く。そして火を噴いた銃口から撃ち出された二発の氷結弾は、ヤクトの正確無比な射撃の後押しによってロウエンマの心臓と頭を貫くかに思われた。
「キャキャキャ!!」
しかし、銃弾が命中する寸前でロウエンマは纏っていた蒼い炎を一層激しく燃え上がらせた。そして氷結弾が炎に触れた途端、熱せられた鉄板に水滴を溢すような音を立てて跡形も無く蒸発した。
「くそ! 弾丸を蒸発させるなんて冗談にも程があるで!?」
「ヤクト殿! 下がってください!」
反対側に居る角麗の呼び掛けに反応して目を遣れば、彼女は闘気で作った刃を右手に宿しながらブーメランを放り投げるかのように腕を折り曲げていた。その姿勢から次の行動を予測したヤクトが咄嗟に射線から飛び退けば、彼女は右腕を大きく真横へ振り抜いた。
「奥義、
大きく振り抜いた腕に沿って、ブーメラン状の刃が繰り出される。コエンマやエンマ程度ならば容易く両断せしめるだけの威力を秘めたソレは真っ直ぐにロウエンマへ飛来し、標的の肉体を切り裂くであろう。
だが、ロウエンマは地面に両手を突き刺したかと思ったら、次の瞬間には飴細工を作るかのように赤々しい輝きを放つ溶岩を持ち上げた。それを盾代わりにするかのように自分の身体を覆い隠すと、溶岩は瞬く間に冷却されて黒い岩壁となる。
そして闘気の刃が岩壁に触れた瞬間、まるでスポンジケーキを輪切りにするかのように出来立ての岩壁は呆気なく両断された。が、その奥に居るであろうロウエンマの姿が忽然と消えていた。
標的を見失ったことから来る動揺が稲妻のように精神を駆け抜けたが、すぐに角麗は意識を周囲に張り巡らそうとして――
「カクレイ! 上や!」
――頭上を指差しながら叫ぶヤクトの声に釣られて真上を見上げる。そこにはほぼ垂直に飛び上がったロウエンマが、きっちりと両足を揃えながら彼女を踏み潰さん勢いで迫って来ていた。
それに気付いて角麗が横へ飛び退いた一瞬後、ロウエンマがけたたましい轟音を奏でて地面に着地した。頑丈な地面が砕け、夥しい噴煙が舞い上がる。肉体戦に自信のある角麗でも、今の一撃を受ければ致命傷は避けられなかったに違いない。
「ウキャー!!」
しかし、ロウエンマは舞い上がる噴煙が落ち切るのを待たずして、右手に宿した蒼白い火球を角麗が居る方角目掛けて下から上へと放り投げた。緩やかな速度で弧を描くソレを避けるのは難しくなく、現に角麗は後ろへ飛び退いて難無く火球を回避した――かに思われた。
ところが、火球は地面に触れた瞬間に激しい
「
ロウエンマが繰り出した技の正体を見抜いたクロニカルドの忠告が空を飛び、角麗はソレに従って動き続けた。直線ではなくジグザグを描いたりもしたが、クレイジーボムはしつこい猟犬のように彼女を少しずつ追い詰めていく。
「! カクレイ、後ろ!!」
「え!?」
と、ヤクトの指摘を受ける瞬間まで角麗は気付けなかった。クレイジーボムに意識を奪われ続けていたせいもあるが、何時の間にかロウエンマが自分の背後に回り込んでいたことに。
「キエエエエ!!!」
大きく振り被られた大猿の拳は角麗の背中を狙って振り下ろされたが、寸でのところで角麗が肉体を翻して正面から拳を受け止めた。とは言え、巨腕から繰り出された威力を殺し切れず、角麗の口から肺に溜めた空気が零れ、咄嗟にガードした腕からは骨の軋む音が響き渡る。
「キシャアアア!!!」
そしてロウエンマの拳からドラゴンの息吹を彷彿とさせる蒼白い火炎が吹き出し、更に追い打ちを掛けるように背後から迫っていたクレイジーボムが炎の中に飛び込んで爆発する。
「カクレイ!!!」
巻き上がった蒼白い爆炎に向かってヤクトが必至に呼び掛ける。すると炎の中から炎に包まれた人影が大砲のような勢いで飛び出し、不時着するように地面を滑りながらヤクトの傍で止まった。程無くすると炎は酸素不足に陥ったかのように消え、その中からぐったりと横たわる角麗が現れた。
「カクレイ! 無事か!?」
ヤクトが慌てて角麗を抱き上げると、表情こそ苦し気に歪んでいるものの彼女の口から微かな呻き声と共に呼気を感じ取った。
そもそもアレだけの炎と爆発を浴びながら、ヤクトの肉眼で捕えられた傷は多少の打撲のみだ。本来ならば今の炎を受けた瞬間に消し炭になってもおかしくはなく、かと言って彼女が極めて幸運だったという訳でもないことをヤクトは知っている。
「クロニカルドが事前にかけてくれた
そう考察を立てるとヤクトは彼女を背中に背負い、右手に構えた拳銃の銃口をロウエンマに向けながらジリジリと後退った。拳銃が机上通りの脅威として成立すれば、それだけでも十分な牽制になったかもしれない。
だが、ロウエンマはヤクトが手にしている拳銃が自分に対して無力である事に気付いていた。そして何の小細工も仕掛けずに野生の肉食獣の如く、標的目掛けて一直線に突っ込んだ。
相手の思い切りの良さから拳銃が脅しにすらなっていないことに気付いたヤクトは、ロウエンマに向けていた
だが、その直後にダムの水を放流したかのような凄まじい奔流がヤクトとロウエンマの間に割り込んだ。奔流によって作られた川の上流を見遣るようにヤクトが振り返れば、クロニカルドの足元から四つの水流が生み出されていた。
「クロニカルド!!」
「下がっていろ! 極大魔法の巻き添えを食らうぞ!!」
クロニカルドに言われてヤクトが角麗を抱え直して離れた途端、四つの水流がロウエンマを取り囲んだ。更にロウエンマが飛び越えられぬよう、四つの水流は竜巻を描くように渦巻きながら天へと昇っていく。
角麗を背負ったヤクトがクロニカルドの傍らへ避難した時には、既にロウエンマの姿は渦を巻いた水の壁によって遮られて見えなくなっていた。そして天へと舞い上がった四つの水流の頭が、東洋の龍を彷彿とさせる形状へと変わっていく。
「極大魔法! 『
クロニカルドが魔法を叫ぶと四つ頭の海流が渦の中へと飛び込んだ。それに合わせて水の竜巻が膨れ上がり、暫くすると各々の頭が地表に到達したのかドリルで岩盤を抉るような轟音が折り重なる。
轟音が奏でられてから一分程が経過した頃、海流の巣はパンッと風船が割れるような音と共に大量の飛沫を撒き散らして消滅した。
そして雨のように降り注ぐ飛沫の下から、深みのあるクレーター状に削られた地盤が現れた。まるで何千年という雨風に晒されて浸食されたかのように、削られた岩盤の表面は滑らかだ。
「やったんか?」
「水魔法としては最強クラスの一撃だからな。跡形もなく塵となったのだろう。どちらにせよ、今ので己の魔力もほぼ使い切った。アレで生き延びていたら、今度こそ手の打ちようが―――」
と、言い掛けた直後だ。クロニカルドの背後で地面が爆ぜ、噴水を彷彿とさせる勢いで溶岩の支柱が上がった。それに反応してクロニカルドが振り返ると、地面から噴き上がる溶岩をエレベーター代わりにしたかのようにロウエンマが地中から飛び出した。
「こ、こやつ!! 地面を溶かして窮地を脱出しおったのか!?」
「クロニカルド!! 逃げろ!」
ヤクトが呼び掛けた時には、既にロウエンマは丸太のような腕を振り被ってクロニカルドに殴り掛からんとしていた。
「
クロニカルドは残渣に等しい僅かな魔力を絞り出し、自分の前に障壁を張って剛腕を受け止めようとした。しかし、ロウエンマが繰り出した拳は脆いガラス板を打ち砕くかのように易々と障壁を破ってみせた。
剛腕の直撃を受けたクロニカルドの意識が飛び掛け、眼窩に灯っていた炎が一瞬消え掛かる。しかし、間を置かずしてロウエンマの拳から爆発が生じ、それによる衝撃と痛みでクロニカルドの意識は再び現実に引き戻された。
「ぐおおお!?」
「クロニカルド!!」
吹き飛ばされたクロニカルドを目線で追い掛けるヤクト。分厚い辞典のような身体をした魔道士は灼熱の地面をバウンド交じりに転がり、やがて50mを過ぎたところで影のような両腕を地面に引っ掻け、魔道士にとっては不条理とも言うべき力任せで制止した。
「く、おの……れぇ!」
ググッと腕に力を込めて本体を起き上がらせようとするが、今の一撃で受けたダメージが予想以上に大きいのか、それとも魔力を使い果たした事による疲弊が大きいのか。身体は思い通りに動いてくれず、俯せの本体を微かに起こして視界を確保するので精一杯だった。
そして正面を捉えた視界に映ったのは、満足に動けない自分に引導を渡すべく、地面を蹴って駆け出そうとするロウエンマだった。それを認知したクロニカルドは『最早、手の打ちようがないか……』と、先程は途切れてしまった言葉を脳裏で言い直した。
その時だ、甲高い銃声がクロニカルドとロウエンマの間に滑り込み、刹那には氷結弾の青い軌跡が炎を纏っていないロウエンマの鼻先を掠めるように通り抜けた。ロウエンマが咄嗟にブレーキを掛けて振り返れば、ヤクトが拳銃を此方に向けていた。
その銃口からは紫煙が吐き出されており、銃弾を撃ち出したばかりである事を物語っていた。因みにヤクトが背負っていた角麗は彼の斜め後ろにある岩場の影に寝かされる形で避難しているが、未だ苦悶を表情に貼り付けたまま目覚める気配は見当たらない。
ロウエンマは銃を撃ってきたヤクトと、俯せで突っ伏するクロニカルドを交互に見遣った。暫しの逡巡の末に、ロウエンマはヤクトの方へと方向転換した。何時でも仕留められる敵よりも、活きの良い敵を相手にした方が後々楽だと考えたのだろう。
「グルァァァァァ!!!」
野獣のような雄叫びと共に駆け出したロウエンマに対し、ヤクトは弾倉に残された最後の二発を惜し気もなく撃ち出した。どちらもロウエンマの左腕と右肩に命中するも、やはり身体に纏った蒼い炎の高熱には敵わず、触れた途端に跡形も無く蒸発してしまう。
ヤクトは撃ち切った拳銃を丁寧に左脇下のホルスターに仕舞い込むと、改めて切り札であるパワードガンを取り出した。しかし、まだ発砲はしない。確実に仕留められる絶対の間合いに相手が飛び込むまで、引き金に指を引っ掛けたまま辛抱強く待ち続けた。
常人ならば心臓が悲鳴を上げてしまいそうなチキンレースだが、ヤクトの胆力はコレに耐え抜いた。そしてロウエンマとの距離が1mを切った瞬間、遂にヤクトはパワードガンの銃口を相手に向けて持ち上げた。
神経が昂って極限状態に達したかのように、視界に入る全ての風景がスローモーションになり、自分の呼吸や心音が周囲の音を遮断する。しかし、それとは裏腹に頭の中は心髄まで冷え切っており、冷静沈着な己を維持し続ける事が出来た。
そしてロウエンマの狭い眉間に照準を狙い澄まし、グッと引き金を引いた瞬間、強力な大砲を発射するかのような轟音が地底火山に響き渡った。
グリップに刻んだ衝撃緩和の魔法陣が煌めいて銃そのもののショックを吸収しようと努めるが、それでも反動を抑え切れずヤクトの上体が大きく後ろに逸れる。尤も、以前みたいに腕の骨が折れた時のことを思えば、今回の方が遥かにマシだが。
そして轟音に押し出されるかのように銃口から飛び出した特製の強化弾丸は、ロウエンマ目掛けて一直線に襲い掛かった。しかも、近距離だった事もあって如何に速度に自信があるロウエンマでも対処するのは不可能だった。
それでも咄嗟に利き腕である右腕を眼前に掲げて盾にしようとしたのは流石だが、結局は無意味であった。ストロング鉱石で作られた超硬弾丸は容易く燃え盛る腕を貫き、尚且つ弾道もブレることなくロウエンマの額に吸い込まれるように直撃した。
「やった!」
これにはヤクトも思わず歓喜の声を上げてしまうが、その喜びは長続きしなかった。額に入った弾丸が後頭部から飛び出した直後、夏場のアイスクリームのようにロウエンマの身体がドロリと溶け出し、そのまま元の面影もへったくれもない溶岩の塊となって地面に崩れ落ちた。
「溶岩で作った分身!? ほな、本物は……!?」
と、ヤクトが慌てて周囲を見回そうとした矢先、突如として自分の背後から噴火にも似た轟音が鳴り響いた。振り返ればクロニカルドの時同様、爆ぜた地面から溶岩の火柱が立ち上がり、その中からロウエンマが悠々と姿を現した。
「成る程、此方の手を出し尽くさせて、有利を確信したところで本物が登場っちゅー訳かいな……。はっ、こりゃやられたわ……」
切り札を使い果たし、他の仲間達も力尽き……
「ヤー兄!!」
アクリルの悲痛な叫びが地底に木霊するもロウエンマが聞く耳を持つ筈もなく、そして無情の拳をヤクト目掛けて振り下ろそうとした―――その時だった。
ロウエンマの足元から湧き出ていた溶岩の噴水が、何かに堰き止められたかのようにピタッと止まる。それに気付いた大猿とヤクトが一瞬だけ其方に気取られた刹那、高熱で刳り貫かれた穴から間欠泉さながらの勢いで大量の熱湯が吹き出し、その真上に立っていたロウエンマを宙へ押し上げた。
「ウキャアアアアア!!?」
突然の出来事で驚いて反応出来なかったのか、それとも熱せられているとは言え弱点である水を諸に被ったからか。俊敏さや軽快さを置き忘れたかのように、ロウエンマが地面に叩き付けられる様は無様の一言に尽きた。
しかし、ヤクトの視点は吹き飛ばされたロウエンマに向けられていなかった。熱湯が吹き出した穴がボコボコと盛り上がり、そこからモグラのように這い出てきた魔獣を見据えていた。
「……ガーシェル?」
穴から這い出てきた
だが、ヤクトが最も衝撃を受けたのは、ガーシェルの見目が最後に見掛けた時と比べて大きく変わっていたことだ。
ロックシェルの時よりも二回り近くも巨大化し、貝殻の上にはフジツボに酷似した九つの火山――頭上から見下ろすと正八角形を描くように八つの火山が各方向に突出し、そして貝殻のド真ん中に一つの火山が聳え立っている――が乗っかっている。
それはロックシェルが特殊進化した姿―――ヴォルケーシェルであった。
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