第152話 灼熱の絶望
溶岩の土砂流に囚われた瞬間、私の体力が急激に減るのを感じ取った。当然だ、何千度とある溶解物質に触れて無事な生物など居ない。ロウエンマみたいに溶岩の中でもへっちゃらな魔獣も居るが、残念ながら私の貝殻は灼熱の溶岩に耐えられるほど頑丈ではないのだ。
「ガーシェルちゃぁぁぁーん!!!」
遠くから私の名を呼ぶアクリルの声が聞こえる。溶岩流に流される傍らで彼方に目線を遣れば、ヤクトの腕に収まった彼女が大粒の涙を流しながら、私に向かって必死に手を伸ばしていた。
今にも此方に飛んでいきそうな勢いだが、彼女を両腕で抱き留めているヤクトがそれを許さなかった。有難い、アクリルに危ない真似をされては此方の心臓が
そして溶岩流は勢いを緩めることなく、そのまま地底火山を横断する溶岩の大河へと私を突き落とした。溶岩という文字の中に『岩』が入っているので、ひょっとしたら岩潜りのスキルが適用されるのではという淡い期待があったのだが、案の定、スキルは発動しなかった。
『ぐっ! あああああああああああ!!!』
まるで底無しの沼に沈むかのように、私の巨体は溶岩の大河に呑み込まれていく。貝殻を覆っていた聖鉄が溶けていくような気がし、まるで蒸籠に放り込まれたかのように貝殻の中の温度が急激に上昇する。
自動的に暴食スキルが発動し、大量の魔獣を食して蓄えた補助生命力(HP)がどんどんと消耗されていく。が、焼け石に水と言わんばかりにあっという間に底をついてしまい、今度は私の生命力が削り取られる。
全身が灼けるように痛い。頭の中が煮え滾って思考が纏まらない。呼吸も出来ない。何も見えない。熱い、苦しい、痛い、苦しい、苦しい、苦しい……そういった苦痛から生まれる負の感情が「死んだ方がマシだ」と私の心に呼び掛ける。
このまま何もしなければ確実に死ぬだろう。だけど、私はソレに対してハッキリとNOを突き返した。そして死に抗うべく行動を起こした。
『アイアンアーマー! アイスバブル!』
聖鉄の鎧で貝殻を包み込み、その下に絶対零度の空気を詰め込んだ無数の泡を敷き詰める。この多層構造の利点は溶岩の膨大な熱量を単純に遠ざけるだけでなく、断熱材代わりに挟み込んだアイスバブルによって外部の熱を遮断しつつ本体を冷却するという点だ。
しかし、これらはあくまでもその場凌ぎの足掻きに過ぎず、根本的な解決には程遠い。河底に触れれば土を掘って脱出出来るかもしれないが、溶岩の中では思うように身動きが取れないので正直難しいと言わざるを得ない。
そう考えている内に外側のアイアンアーマーが溶け出し、下の泡も弾ける音を立てて熱気に打ち負け始めた。その都度に私は魔力で補修し、何とか溶岩の高熱を本体に及ぶのを防ぐ。
何れ魔力が尽きたら死は免れないし、かと言って打つ手もない。万事休すも良い所だ。しかし、まだ死ぬ訳にはいかない。何故かって? まだ仲間が戦っており、そして私の帰りを待っている少女が居るのだ。私だけがのうのうと死んで天国に旅立つ訳にはいかない。
幸運でも偶然でも何でも良い。この灼熱地獄の底から抜け出して、アクリル達を助け出せるチャンスが有れば……! しかし、そんな希望的観測とも言える願望とは裏腹に、粘性の高い灼熱の大河は溶けた飴のように私を捉えて離そうとしない。
☆
「ガーシェルちゃぁぁぁーん!!!」
「姫さん! ダメや、もう手遅れや!」
ガーシェルが溶岩流に押し流され、灼熱の大河に消えていくのをヤクトは大粒の涙を溢すアクリルと一緒に見送るしかなかった。
しかし、これは致し方のない事であった。彼自身は普通の――魔力を有さない――人間だ。ガーシェルを救い出すのはおろか、腕の中に閉じ込めたアクリルが飛び出さぬよう抑えておくので精一杯だ。
「ヤクト殿! 大丈夫ですか!?」
と、そこで溶岩流を挟んで向かい側へ退避していた角麗達がヤクト達の元へと駆け寄って来た。ヤクトは仲間の顔を見てホッと少しだけ安堵の溜息を放つも、険しい表情は難攻不落の牙城のように崩せなかった。
「俺っちは大丈夫や。せやけど、ガーシェルが……」
「そんなことよりもどうするのだ!? 出口が塞がれてしまったぞ!?」
ガーシェルの死をそんなこと扱いで片付けようとするオービルに少なからぬ怒りを覚えたが、かと言って彼の台詞を軽んじる訳にはいかない。
洞穴から押し寄せてきた溶岩流は既に冷却されており、赤熱を生み出すほどの高熱と輝き、そしてマグマ特有の流動性を消失していた。しかし、急激に冷却されたせいか溶岩は鉄砲水を彷彿とさせる形状のままで固化してしまい、ヤクト達が逃げ込む予定だった洞穴を埋めてしまった。
そして彼等の逃げ道を奪った元凶であるロウエンマは、明瞭な「い」の発音をするかのように牙を剥き出しにしながら満面の笑みを浮かべていた。しかし、獰猛な狒々に近い強面なので一層凶悪さが増しただけだが。
ヤクト達を前にしても、直ぐに攻撃を仕掛けてこないのはロウエンマの余裕と自信の表れであろう。事実、ヤクト達がロウエンマ相手に抗える手段は残されていない。
オービルを除いて誰も彼もが消耗し切っており、おまけに溶岩すらも操ってみせるロウエンマの強さを考慮すれば正に為す術無しだ。
「あのロウエンマは俺っちの閃光弾を的確に捌きおった。只の魔獣ならば間違いなく引っ掛かる筈やのに……」
「……ひょっとしたら見ていたのかもしれんな」
「どういう意味ですか、クロニカルド殿?」
角麗が二の句を促すと、クロニカルドは短期間の考察で弾き出した仮説を丁寧に組み立てるように慎重に言葉を繰り出した。
「あの猿達は闘う度に我々の手の内を把握し、そして着実に強くなっていった。即ち、学習能力という魔獣にしては稀有な頭脳を持っていたわけだ。あのロウエンマも同じか、それ以上の学習能力を持っていたとしてもおかしくはない」
「せやけど、アイツは俺っちの武器なんて見てへん――」そこまで言い掛けてヤクトはクロニカルドの言わんとしている事を理解してハッと表情を改めた。「まさか、溶岩の中から一部始終見てたんか!?」
「どうやってかは不明のままだが、貴様の武器を正確に対処してみせたとなれば……そう考えるのが妥当であろう」
「では、私達の手の内は読まれていると見るべきですね」
と、ヤクト達の警戒心が一層強まったところでロウエンマがゆっくりと前へ踏み出した。ニヤついた顔からは『逃げ場は無いぞ、どうする?』という捕食者の言葉が言外に伝わって来る。無論、魔獣相手に降参なんて甘い理屈は通用しない。
「……やるしかあらへんな」
「そうですね」
ヤクトは胸中に抱き留めていたアクリルを地面に下ろし、左手に握っていた拳銃をスライドさせる。角麗もなけなしの闘気を奮い起こして肉体に纏わせるが、地底火山で無双をしていた頃に比べてオーラの色素が薄まっている。
そしてアクリルもガーシェルの仇を討たんと二人に倣って前に出ようとしたが、クロニカルドの黒い腕に阻まれるかのように後ろへ押し遣られた。
「アクリルよ、己に魔法回復の魔法をかけろ。そして貴様は下がっていろ」
「アクリルもたたかえるよ!」
「馬鹿者! この魔獣は今までの魔獣とは訳が違う! 我々のような戦闘経験豊富な者でなければ務まらん! 例え貴様が強い魔力を持っていたとしても勝ち目はない! 大人しく下がっておれ!」
余裕の欠片もない、本気に近いクロニカルドの叱責にアクリルはビクリと小さい身体を震わせる。しかし、これ以上仲間を失いたくないアクリルは師匠の言葉を受け入れられず、尚も言い募らんと口を開き掛けた時だ。ヤクトの手がアクリルの頭に優しく乗せられ、彼女の感情に歯止めを掛けた。
「大丈夫や、姫さん。今までどんな苦難が立ちはだかろうが無事に乗り越えて来たんや。今回も大丈夫な筈や。せやから、クロニカルドの言う通りにしたってな」
「ヤー兄……」
「ヤクト殿の仰る通りです。私は新参者ですので口を挟む資格はないかもしれませんが、此処は私達を信用してください」
「カク姉……」
信頼を預けている三人に任せろと言われてしまえば、流石のアクリルも強く言い出せなかった。そして我儘にも似た自分の本心をグッと堪えると、アクリルはクロニカルドに向けて広げた両手を突き出した。
「
アクリルの掌とクロニカルドの本体に薄く発光する蒼い粒子が纏わり付き、それが消えたのと同時に幼女の身体から力が抜けて後ろへ傾き掛ける。が、すぐに角麗が背後に回って受け止めてくれたので転倒するには至らなかった。
「大丈夫ですか、アクリル殿!?」
「う、うん。だいじょーぶ。ちょっと頭がフラフラしただけ……」
「無理もあるまい。上級の魔法使いでも五回は気を失うだけの魔力量を消耗しているのだからな」
「うぉい! 何事も無いようにサラッと言うてるけど、実は一番危険なパターンやないか!!」
「安心しろ、頭がフラ付く程度ならば十分に許容範囲だ。それに師匠として弟子の限界は把握しているし、ましてや幼い子供に危険な真似をさせる筈がなかろう」
「当たり前や。姫さんに危険な真似をさせたらアンタを見損なうところや」
ヤクトは半分本気を込めて言葉を吐き捨てると、真剣な表情のままオービルの方へ振り返った。
「おい、へなちょこ
「時を追う毎に私の呼び方が酷くなっていないか!?」
「うっさいわ。それよりもお前は姫さんを守り切れ」
「何!? 凶悪な魔獣を前にして子守をしていろだと!? 馬鹿も休み休みに―――」
と、そこでオービルの不満が途切れた。ヤクトがオービルに真正面から近付くや、胸倉の代わりに首回りの縁を掴んで強引に引き寄せたのだ。
「ええ加減にせぇ、馬鹿も休み休み言うとんはそっちや」
「な、何だと!?」
ヤクトの言葉にカッとなったオービルは強気に反論しようとしたが、自分を見据える相手の瞳の中に氷のように凍て付いた怒気が宿っている事に気付き、息を飲むのと同時に口を噤んだ。
「お前の実力云々に関しては最早何も言わへん。どうせ、お前は他人の評価なんて見向きもせぇへんのやから。せやけど、これだけは頭に入れておけ。実力や実績があっても、信頼に足らんハンターなどクズ以下のゴミや」
「な……!? わ、私が信頼の足らんゴミだと言うのか!?」
「もしもお前が信頼に足る人間なら、チームを組んでいた仲間は最後まで行動を共にしたんとちゃうんか?」
「ぐ……!」
相手の正論にオービルが言葉を詰まらせて会話が途切れたところで、ヤクトは用済みと言わんばかりに彼を乱暴に手放した。
「ハンターを志したいんなら、せめて仲間の要望に応えられるだけの信頼を得ろ。話はそれからや」
そう言ってヤクト達はオービルとアクリルを置き去りにし、ロウエンマに向かって歩み出した。その場に立ち尽くしオービルは只々遠ざかる彼等の背中を見送っていたが、やがて目線を落としてアクリルを見遣った。
相当量の魔力を消耗している筈なのに、アクリルの表情に疲弊の色はなかった。いや、厳密に言えば疲弊の色もあるにはあるのだが、それ以上に濃密な不安の色彩が彼女の顔を塗り潰していた。
それは彼女の優しい心が仲間を心配しているという証であり、現にヤクト達の背中に向けて祈るような眼差しを投げ掛けている。幼い子供と接した事のないオービルは何と話せば良いものかと顰め面で思案していると、意外にも会話のボールはアクリルの方から投げられた。
「皆、だいじょうぶかな……」
「うん? あ、ああ……大丈夫ではないのか?」
心の籠らぬ投げ遣りな応答が宜しくなかったらしく、アクリルの表情に憂いの影が帯びるのを見て、オービルは慌てて言葉を紡ぎ出した。
「そう心配するでない。彼等も強いのであろう?」
「うん、とーってもつよいの!」
「ならば、信じて待ってやれ。それが我々に出来る事だ」
「おにーさんは戦わないのー?」
「無論、私とて戦いたいさ。だが、彼等から頼まれたからな。キミを守って欲しいと。故に、私もキミと一緒に待つとする。彼等が勝利を掴んで戻って来るのを……」
後ろからやって来る二人の会話を耳にしつつ、ヤクト達は少しずつロウエンマとの距離を縮めていく。
前へ進むにつれて熱量が増大し、豪雨の直撃を受けているかのように噴き出す汗が止まらない。乾いた喉を少しでも潤そうと唾液を飲み込むも、食道に張り付いて余計に苦しい思いをしただけであった。
「……先に聞いておくが、アレと戦う手段は残してあるのか?」
不意にクロニカルドが沈黙を破って問い掛けると、最初に口を開いたのはヤクトだった。
「俺っちは五発の氷結弾を詰め込んだ拳銃と、こっちのパワードガン一丁だけや」
こっちと言いながらヤクトは腰の後ろに右手を回し、ズボンとシャツの間に挟み込んでいた大口径の銃を取り出した。それはショットガンの口径よりも一回り大きいものの、レッドオーク戦でお披露目したマグナムに酷似した形状をしていた。
「パワードガン?」
端麗な形を描いた角麗の眉が軽く傾げる。
「マグナムっちゅー高い威力を秘めていた拳銃を更に強化発展させた武器や。クロニカルドから学んだ魔法技術を組み入れ、悩みの種やった凄まじい反動も解消済みや。威力は俺っちが持っている武器の中でも最強クラス、せやけど弾丸は一発のみしかあらへん」
「成る程、凄い武器だという事は分かりました。私の方は闘気を纏った拳を三十回繰り出せる程度でしょうか。小炎魔達の自爆を防いだ時に使った『天岩戸』はあと一回使えますが、それで闘気を使い果たすでしょう」
「では、最後は己だな。アクリルの回復魔法を受けて、6割近い魔力を回復した。恐らく、この中で一番高い戦闘力を有するのは己だろう。が、アレに致命的な魔法を与えるとしたら極大魔法を繰り出すしかない」
「繰り出せるんか?」
「……一発だけならばな」
「ウオオオオオオオオオオオオ!!!」
ヤクト達の会話に区切りが付いた時、ロウエンマが雄叫びを上げた。時間切れだと口にしているのか、それとも一刻も早く戦いたいのか。今にもはち切れんばかりに見開かれた眼は薬物中毒にも似た興奮に満たされている。
「あーだこーだ相談している時間はあらへん。俺っちとカクレイでロウエンマを食い止めるさかい、クロニカルドは隙を見て極大魔法を撃ち込め!!」
「分かりました!」
「心得た!」
ヤクトと角麗が駆け出すように前へと飛び出し、クロニカルドが極大魔法の準備に入る。戦いの火蓋は切って落とされた。しかし、傍から見れば飛んで火に入る夏の虫にしか見えないほどに戦力差は絶望的であった。
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