第134話 脱出

 土潜りのスキルをフルに活用して地下街へと舞い戻ると、私の視界に飛び込んできたのは死者を埋葬するが如く大量の土砂や岩盤に呑み込まれていく繁華街の最期であった。

 高層ビルを彷彿とさせる数階建ての建造物が天井から降り注ぐ土塊に呆気なく押し潰され、怪しげなイオンの輝きで満たされた巨大なホールは地盤変動の流れに逆らえず積み木を崩すかのように倒壊していく。

 それにしても裏社会で一世を風靡したであろう地下街の最期を目撃する事になろうとは思ってもいなかった。この世界での私の人生……いや、貝生は何とも奇妙な縁で結ばれているみたいだ。

 そして街のシンボルであり私達が目指す目的地でもある鉄塔だが、持ち前の堅牢性が幸いしたのか、地下街そのものが滅亡への道を歩む中でも塔は以前と変わらぬ形状を保たせていた。とは言え、既に塔の半分近くが大量の土砂で埋められている状態だが。

 この際だから二階から突入しようかと考えたが、よくよく考えてみたら二階は大量の魔獣が閉じ込められていた飼育部屋だ。そこから突入して、万が一に魔獣と鉢合わせなんてすれば戦いは避けられない。そこで私は泡魔法で作った螺旋階段を塔に巻き付け、一気に三階部分へと駆け上がったのだ。

 そして現在、分厚い鉄塔の壁を聖鉄のドリルで刳り貫いた先には大勢の人々があり、きょとんとした眼差しが私の貝殻に突き刺さる。しかし、魔獣である私を見ても彼等がパニックを起こさなかったのは、私の前に立つヤクトの存在があったからだ。

 これは『中に居る人々を刺激しない為に、自分が率先して前に出る』というヤクトの提案であり、それが見事に功を奏した形となった。しかし、パニックは避けられたものの半信半疑の目は避けられなかったが。

 また人々のパニックこそ避けられたものの、ナイツ達からは強い警戒心を買われてしまった。まぁ、見ず知らずの人間が魔獣と一緒に壁を突き破って現れれば当然かもしれないが。

 武装したナイツ達が丸腰の人々を護らんと私の前に立ちはだり、その中で前衛を担当していた若いナイツの一人がロングソードを構えて踏み込まんとした時、ヤクトは降参のポーズを作りながら声を張り上げた。


「俺っちは敵やあらへん! カクレイっちゅー格闘家の仲間や!」


 その言葉と態度に敵意を感じられなかったからか、角麗の名前に聞き覚えがあったからか。ナイツ達は武器こそ下ろさなかったが、動揺とも訝しげとも取れる複雑な表情で身内の顔を見合わせる。


「ヤクト殿!」


 と、そこで角麗がナイツ達の間を潜り抜け、私達の方へと駈け寄って来た。その後ろにはジヴァが続き、更に彼の後に続いた見覚えのない大柄の黒人は部下のナイツ達に避難誘導の再開を命じて持ち場に戻らせた。


「カクレイ、無事やったか!」

「ヤクト殿、何故戻って来たのですか! こんな危ない場所に!」


 角麗の剣幕は怒りよりも必死さが勝っており、そこから私達を危険に巻き込みたくないという彼女の本音が読み取れる。しかし、此方としても角麗を地下に残して立ち去れるほど薄情者ではない。


「何を言うてるねん。仲間の危機を放置出来るほど、俺っち達は薄情者やあらへんねん」

「そんな事を言っている場合ですか! 何の手立ても無いのに態々窮地に乗り込んで来るなんて―――」

「おっと、今は言い争っている場合やあらへん。その話に関しては後回しや。それと一つだけ訂正しとくけど、手立てが無いなんて俺っちは一言も言うてへんで」

「え?」


 その一言に豆鉄砲を食らったかのように思わず目を丸くする角麗だが、理由を問い質す前にヤクトとジヴァが会話を始めていた。


「態々来てくれて有難う。御覧の通り、此方も手が一杯でね。だけど、キミ達の手を借りれれば問題も一気に解決出来そうだ」

「え、あの……」

「そんな気にせんくてもええって。人助けの為に一肌脱ぐんは悪い事やあらへんやろ?」

「ちょっと……」

「それじゃ早速だけど協力してもらっても良いかな。残された時間も多くはないし、一刻も早く此処から脱出しないとね」

「それには賛成や。こんな場所からはさっさとおさらばするに―――」


「あの! 一体何をする気ですか!?」


 とうとう膨れ上がる疑念を抑える事が出来ず、角麗は声を張り上げて二人の会話に割り込んだ。その二人はほぼ同時に彼女の方へと振り返り、片やナイツは整った中性な顔立ちをきょとんとさせ、片や黒衣の銃士ガンナーは意味深な笑みを浮かべた。


「ああ、そう言えばカクレイには言うてへんかったな。ガーシェルのスキルの事を」

「ああ、成る程ね」それを聞いて合点が言ったと言わんばかりにジヴァも同意の笑みを閃かす。「ガーシェルの特技を知らないから、彼女はこうもピリピリしてたのか」

「ガーシェル?」


 突然出て来た私の名前に角麗は戸惑い気味に眉を傾げ、不可解な視線をヤクトとジヴァの間に挟まれている私へと投げ掛ける。まぁ、その気持ちは分からないでもない。見た目は単なる貝の魔獣ですしね。

 しかし、そんな角麗の疑念を払拭するかのように――そして私の中に居るアクリルの気持ちを代弁するかのように――、ジヴァは私の貝殻を頼もしげにポンッと叩いて断言した。


「まぁ、見てて御覧よ。この子は凄いんだからね」

 


「す、すごい……。こんなスキルがあるなんて……」


 ジヴァが宣言した通り、私の活躍っぷりを目の当たりにした角麗は驚愕を顔に貼り付けたまま愕然とした。私の中にあるセーフティーハウスに大勢の人間が次から次へと乗り込み、遅々として進まなかった避難が劇的な速度で進んでいくのだから驚くのも無理ない話だ。

 当初は魔獣の中に乗り込む事に拒否感を抱く人間も少なからず居たが、無邪気なアクリルがひょっこりと貝殻の隙間から顔を覗かせて安全性を保障した途端、今では我も我もと満員電車さながらに押し掛ける有様だ。

 因みにセーフティーハウス内では魔力を温存していたアクリルが回復魔法のオンパレードを繰り広げ、避難してきた人々の治療に当たっている。そしてクロニカルドは彼女が扱う回復魔法の指導及びフォローに回り、弟子の育成に力を注いでいる。


「この調子ならば全員の避難も辛うじて完了しそうですね」


 ヘルゲンもセーフティーハウスへと乗り込む人々の姿を目に焼き付けながら、満足げに太い首を縦に動かした。やがてセーフティーハウスに三百人近い人間を収容し切ったところで、ヘルゲンがジヴァの元へと駆け寄って来た。


「大隊長、開放した人々の避難が完了しました」

「よし、それじゃ僕達も急いで脱出するよ」

「了解しました。総員、撤収急げ!!」

「「「はっ!!」」」


 ヘルゲンの掛け声と共に救助に当たっていたナイツ達は一斉に撤退を開始し、監視塔の周囲に築いた転移魔法陣へと飛び乗っていく。陣に踏み込んだナイツの身体が光に包まれたかと思いきや次の瞬間には消え、その後ろに控えていた次のナイツが陣に踏み込む。

 その繰り返しであっという間にナイツ達は居なくなり、残るは私とヤクトと角麗、そしてジヴァとヘルゲンだけとなった。


「我々も行きましょう。これ以上の長居は危険です」

「ああ、そうだね」ヘルゲンの言葉に頷くと、ジヴァは私達の方へと振り返る。「ガーシェル達も一緒に転移しよう。その方が早い」

「えっ、あの魔法陣はガーシェルも転移が可能なん?」


 ヤクトが私の気持ちを代弁して尋ねれば、ジヴァは「ああ」と自信を持って答えた。


「流石に巨大な魔獣は無理だけど、ガーシェル程度の大きさならば行ける筈だよ。それにアレで転移すれば、王都内にあるナイツの本部へ直行さ」


 王都に直行! これは願ったり叶ったりだ。地上に出てから王都に向かっても構わないが、少しでも距離と時間を短縮出来るのならば越した事はない。それはヤクトも同意見らしく、私に目配りしながらコクリと頷いた。


「ほな、その申し出に御甘えしようかいな」

「それじゃ、今すぐに脱出しよう」


 二人の会話が幕引きされるのを見計らい、魔法陣の一歩手前で待機していたヘルゲンが陣に飛び込む。そして彼の姿が跡形も無く消えるやジヴァが続き、そして次に角麗が魔法陣に踏み込もうとした時だった。


「た、助けてくれぇ……!」


 何処からともなく聞こえた声は小さい鈴のようにか細かったが、ハッキリと私達の鼓膜を打った。声の主を探して辺りを見回すと、右手にある二階と三階とを繋ぐ階段から酷く疲弊した一人の男が姿を現した。

 全身を使って息をする程に体力が消耗している上に、立ち続ける気力すらないのか手摺りにべったりと凭れ掛かってる。

 それでも私達が脱出しようとしている所を見て希望が湧いたのか、はたまた生への執着が込み上がったのか。身体を鉛のように重くさせる疲労感を捻じ伏せ、助かりたい一心で最後の力を振り絞ったらしい。

 もしも男が只単に逃げ遅れた無辜の一般市民ならば助けたいと思うところだが、二階から姿を現したという事は……。


「あの男は……」

「知ってるんか、カクレイ?」

「私が追っていた仇と一緒に居た手下です。闘技場に設けられたVIPルームでヤツと話していたのを見ましたが、どうやら二階に居たみたいですね」


 そう語る角麗の声は何時も以上に底冷えており、付け加えて彼を見据える眼には侮蔑と義憤をブレンドした感情が燃え上がっている。直接口にした訳ではないが、その態度と雰囲気だけで男を助ける気は無いと雄弁に物語っているも同然であった。

 そして角麗が男に掛けていた目線の梯子を外して前へと振り向いた途端、再び息苦しさを纏った声が男の方からやって来た。


「ま、待ってくれぇ!! 助けてくれぇ!!」


 男はプライドをかなぐり捨てたかのような情けない大声を上げて助けを乞うも、角麗はおろかヤクトも私も振り返らなかった。当然だ、大勢の人生を身勝手な欲望で滅茶苦茶にしておいて、いざ自分がピンチになった途端に命乞いをするようなヤツなんて助けたいとも思わない。


「わ、分かった! 今までの罪も全部告白する!! 一生を以てして償うし、この地下街の支配人に関する情報も全部教える!! だから助けてくれぇぇぇ!!」


 我が身可愛さで男が罪の自白と支配人の情報を出すと取引を持ち掛けた途端、角麗の足がピタッと止まった。それを真後ろで見ていたヤクトが「どないしたん?」と怪訝そうに尋ねると、彼女は再び男の方へと視線の橋を架け直した。


「今の言葉に嘘偽りはありませんね!?」

「あ、ああ! 本当だ!! 約束する!! だから助けてくれぇ!!」


 そこで角麗の爪先が魔法陣から男の方へと切り替わったのを見て、彼女の後ろに居たヤクトは慌てて呼び止めた。


「ちょ、ちょい待ち! カクレイ、まさかアイツを助ける気なんか!?」

「ナイツの友人が言っていましたからね。此処の支配人を逮捕する事が出来れば御の字だと。もしもヤツから貴重な情報を絞り出せるのであれば、生け捕りにして損は無いでしょう」

「せやけど、アイツが真実を言っているとは限らへんで!!」

「その可能性もあります。しかし、例え私と交わした約束が嘘だったとしても、どのみち奴は法の裁きから逃げられません。それにいざとなれば魔法を用いて自白させるという手段もありますから」


 角麗の発言は少々過激に聞こえないでもないが、法の裁きを受けさせると言う点においては筋が通っている。それに約束が嘘であったとしても、地下街の関係者である以上はナイツ達から追及を受けるのは明白だ。その追及によって黒幕や黒幕に近い人間を芋蔓式で釣り上げる事も夢ではない。


「ヤクト殿とガーシェルは一足先に向こうへ避難してください!」そう言いながら角麗は男の元へと駆け出した。「私はヤツと一緒に――!」


 と、不意に角麗の台詞を遮るかのように塔全体が激しく揺らぎ、金属が拉げる嫌な悲鳴が塔内に響き渡る。やがてバキンッと何がが破砕するような甲高い音を立てた直後、鉄塔はゆっくりと右に傾き始めた。


「あかん! 鉄塔が倒壊し始めおった!!」


 私は咄嗟に触腕の吸盤を監視塔に貼り付かせて体勢を維持し、ヤクトも触腕に腕を絡ませて転倒を阻止した。そして角麗の方へ目を向ければ、彼女は私達と男の中間に位置する場所で立位を維持しようと踏ん張っていた。


「カクレイ! 戻れ!」

「くっ!」


 ヤクトが腕を振りながら此方へ戻ってこいと訴えるも、角麗は後戻りするどころかキツい傾斜を駆け下りるように前進して男に近付いていく。男はコアラのように手摺りにしがみ付いて傾斜の難を凌いでいるが、その表情は怯え切って蒼褪めている。


「助けに来ました! 手摺りから手を放しなさい!」

「ひぃぃぃ! む、無理だ! 落ちちまう!」

「死んでも良いのですか!?」

「ひいいいいいい!!!」


 カクレイが男の元へと辿り着いて手を伸ばすも、傾斜が強まるに連れて男の心は太く発達する恐怖の根で雁字搦めにされてしまったらしく、手摺りから手を放そうとしない。

 男の情けない態度に業を煮やした角麗は強引に彼を手摺りから引っぺがそうとしたが、そこで急に天啓を得たかのようにハッと表情を閃かせ、私達の方へ振り向いた。そして数秒ほど真剣な眼差しを私に注いだ後、角麗はコクリと頷いて男の身体に手を触れた。


転移ワープ!」


 そう魔法を唱えた瞬間、彼女と手摺りにしがみ付いていた男の姿がフッと掻き消えた。何が起きたのか理解に追い付けていない私の耳にヤクトの唸るような関心の声が届いた。


「成る程! その手があったか!!」

『ヤクトさん、一体どうなったんですか?』

「転移や! クロニカルドがかけてくれた転移は一人だけやなくって、自分以外にも二人までなら一緒に引き連れて転移する事が出来るんや!」

『それじゃ角麗さんは……』

「ああ、クロニカルドの傍に転移した……つまり今はセーフティーハウスの中っちゅー訳や!」


 それを聞いてすぐさまセーフティーハウスに意識を向けると、クロニカルドの傍にホッと胸を撫で下ろす角麗と、何が起こったのか分からず呆けたように周囲を見回す男の姿があった。

 二人の無事を確認してホッとしたのも束の間、それまでゆっくりと傾いていた鉄塔の傾斜速度が一気に早まった。いよいよ鉄塔に最期の時が訪れたようだ。


「ガーシェル!」

『はい!』


 私はヤクトを貝殻の中へと放り込み、全力でアクセルを踏み込むイメージで車輪を走らせた。まるで映画とかにある車やバイクで壁を走るシーンのように、垂直に近付きつつある床を疾走する。

 そして監視塔の脇に築かれた魔法陣に私の巨体を飛び込ませた瞬間、私の意識は眩い白に満たされ、騒々しかった崩落音も一瞬でフェードアウトした。

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