第133話 自己責任と選択

「―――という訳や」


 一向に終わる気配を見せない地震の振動に見舞われる中、私に凭れ掛かっていたヤクトは角麗との通信で得た情報を大まかに教えてくれた。

 その情報によると角麗はジルヴァ(及び彼の仲間達)と合流し、三階に閉じ込められた奴隷達の開放に努めていたが、突如発生した地震に連動する形で大規模な地盤変動が起こり、大量の土砂と岩盤が街そのものを押し潰さんとし始めた。

 おまけに奴隷となっていた人々の避難は始まったばかりであり、ナイツ達も悪戯に不安を煽がぬよう冷静な避難誘導を心掛けているとは言え、何時パニックが起きてもおかしくない状況だ。もしも一度パニックが起きれば、角麗やナイツ達だけで御するのは先ず無理だ。

 一緒に乗り込んだ他のナイツ部隊に応援を要請しようにも、彼等も捕縛した犯罪者――地下街の関係者や客達――の移送と避難でてんてこ舞いのようだ。悪党達を(法の裁きを受けさせると言う意味で)見捨てない彼等の姿勢はナイツの鑑と呼ぶに相応しいが、この状況ではもどかしいと言わざるを得ない。


『……それで角麗さんは私達に何かを頼んだのですか?』


 私が泡の吹き出しで尋ねると、ヤクトは首を横に振った。


「いいや、この地震で俺っち達の方に異変が無いかを確認しただけや。向こうもナイツと一緒やから大丈夫です――とは言うてたけど……」


 と、そこでズズンッと強い衝撃が駆け抜け、私達の肉体を激しく上下に揺さ振った。まるで角麗が述べた楽観論を根本から否定するかのようなタイミングの良さに、思わず全員の表情が不安気に歪められる。


「……で、貴様の本音はどうなのだ?」

「正直に言えば助けに行きたいのは山々や。せやけど、今から地下へ向かおうにも時間が掛かってまう」

「確かに。それに我々のような者が救出に向かったところで、返ってナイツ達の足を引っ張りかねん。だが……何とか出来るヤツが一匹だけ居る」


 そう言いながらクロニカルドは眼孔に宿った鬼火をスライドさせ、ヤクトとアクリルも彼の目線を追い掛ける形で振り返る。そして三人の視線――その内一名は期待の籠った無垢な眼差しを、残りの二名は可も不可もない妥当な眼差しを投げ掛けている――が聖鉄の貝殻に映し出された。

 まぁ、こうなるだろうとは薄々予感してましたけどね。自由に地中を潜行出来る上に、大勢の人間を収容出来るセーフティーハウスなるスキルを持っているのは私だけですからね。強いて不安を述べるとすれば、土潜りのスキルは魔法で変動している地中にも適用するのかと言う事ぐらいだろうか。


「ガーシェルならば適材だろう。が、万が一の可能性も捨てきれん」

「せやな、こういう崩壊やと何が起こってもおかしくあらへん」


 彼等の勿体ぶった言い分に私は内心で首を傾げた。先程の流れからして即刻ナイツ達の救援に向かうものだと思い込んでいたが、彼等は中々にGOサインを出そうとしない。するとヤクトは触腕を抱き締める格好で身体を支えているアクリルに目を向けた。


「姫さんはどうしたい?」

「え、アクリル?」


 まさか自分の意見が求められるとは思っていなかったのだろう。きょとんとした表情でアクリルが自分の顔を指差すと、ヤクトは念を押すように頷いた。


「せや、今までは姫さん自身が危険に晒されるような状況が続いたせいで、ガーシェルは否が応もなく俺っち達の指示に従ってくれとった。せやけど、今は違う。ガーシェルの運命を選ぶ権利があるのは、他ならぬ姫さんだけや」


 何も此処で選択を強要せずとも……と思ったが、よくよく考えるとヤクトの考えも一理ある。このまま私がヤクトやクロニカルドの意見ばかりを聞いてしまえば、従魔契約を結んだ彼女との繋がりが御座なりになりかねない。

 そしてアクリル自身も私の身の振り方をヤクトやクロニカルドに任せてしまい、従魔を持つ者としての自己責任を自覚しなくなる恐れもある。即ち、アクリルに従魔を持つ事への責任感を改めて自覚させようという彼等なりの親心という訳だ。

 選択肢を突然丸投げされた事にアクリルは動揺を隠せず、不安を滲ませた眼差しでヤクトとクロニカルドを見遣るも、彼等の口からは一言の助言も出なかった。あくまでもアクリルの意思を尊重する……と言えば聞こえは良いが、裏を返せば彼女に自己責任の重さを自覚させようとしているに過ぎない。


「ガーシェルちゃんはどうしたいの?」


 中々に決断を下せないアクリルは遂に私に助けを求めるが、ヤクトとクロニカルドの眼力とも言うべき視線の矢が私を牽制する。そもそも『余計な口出しはするなよ』と言う露骨な訴えが見え見えなんですけどね。

 別に二人の圧力に屈した訳ではないが、彼女が一人前の主人になる事には賛成だったので私は自分の意思を口にはしなかった。けれど、流石に突き放すような言い肩は得意ではなかったので、彼女にヒントを授けるように囁いた。


『私はアクリルさんの思いに従いますよ』

「アクリルの思い……?」

『はい、アクリルさんが本当にどうしたいのか。それが答えですよ』


 そう言うとアクリルは数秒ほど俯きながら沈黙し、やがて意を決したかのように顔を持ち上げた。


「アクリルは……ガーシェルちゃんが傷付くのが怖い」

「姫さん、そりゃ……―――」


 従魔を大事に思うが余り、まさかの救助拒否か。流石のヤクトもアクリルに選択を一任するのは早過ぎたかと一瞬だけ後悔の念を眉間に刻み掛けるも、それは程無くして杞憂に終わった。


「だけど、多くの人が死んだり悲しい思いをするのは……もっとイヤ! だからアクリル、皆を助けたい!」


 そのアクリルの思いに誰もがホッと内心で安堵の吐息を吐き、次いで彼女の決断を心から歓迎した。


「よう言うたで、姫さん! ほな、早速行くで!」

「かなりの時間を費やしてしまったからな、急がねばならんぞ」

「うん! ガーシェルちゃんもがんばろうね!」

『もちろんです!』


 それでは始めるとしますか。地下街の救出作戦を!



「落ち着いて動いて下さい!」

「列を乱さないで! 慎重に進んで下さい!」

「魔法陣は安定しています! 怖がらないでしっかりと踏んで下さい!」


 激しい地震が鉄塔を前後左右に揺さ振り、天井から溜まった埃がパラパラと零れ落ちていく。奴隷に落とされていた人々――その殆どが女性で、男性は一握りのみ――の悲鳴が三階層を埋め尽くし、避難誘導を請け負うナイツ達の声さえも飲み込んでしまいそうだ。


「ジルヴァ殿、状況はどうなのですか?」


 息も切らさずに三階層の中央に置かれた監視塔へと駆け込んだ角麗は、監視室から人々の避難状況を確認していたジルヴァに向かって問い掛けた。青年どころか少年のように若々しいジルヴァは相変わらず捉えどころのない微笑を携えているが、その口から出た台詞は珍しく弱気であった。


「正直言って芳しくないね。現時点で転移そのものに問題は無いけど、如何せん数が多過ぎる。此処に囚われている人々も居るだろうと予測はしていたけど、予測していた数を遥かに上回っている。それに今はまだ此処も持ち堪えているけど、このまま地震が続いて地盤が変化し続ければどうなる事か……」

「これ以上、魔法陣を増やすのは出来ないのですか?」


 現在、この階層内に設けられている転移魔法陣の数は四つあり、そのどれもが監視塔の周りをぐるりと取り囲む形で描かれている。

 嘗ては人々の恐怖と憎悪の対象だった監視塔が、今では人々の生を紡ぐ希望の架け橋として機能しているという皮肉な話ではあるが、この状況下でそこまで深く考えている人間は居ないだろう。

 話は戻り、角麗の要求に対してジルヴァは首を横に振って無理だと表明した。


「そもそも転移魔法で繋げられる場所には限りがあるんだ。特に今なんて僕達の他にも犯罪者の移送やナイツ達の撤退で集中しているからね。仮に此方の陣を増やしても、向こうに繋がる出口が無い状態だから転移魔法は成立しないんだ」

「そうですか……。しかし、間に合うのでしょうか?」

「難しい所ですね」


 角麗の質問に答えたのはジルヴァではなく、丁度二人が居る部屋へと足を踏み入れたヘルゲンだった。シルバーランスの所属を意味する自慢の銀鎧には絵の具のような茶色い泥が至る所に付着しており、彼が先程まで鉄塔の外で活動していた事を物語っていた。


「お疲れ様」そう言ってジヴァはニパッとはにかみながら部下の苦労を労うも、すぐに真剣な面持ちに切り替えて質問を繰り出す。「で、状況はどうだい?」

「土砂の……いえ、地盤の勢いは増すばかりです。街の八割以上が土に埋まり、地下街の機能が完全に停止するのも時間の問題です」

「被害は?」

「幸いにもナイツ側に被害はありませんが、捕らえ損なった容疑者達が多数土砂に呑み込まれた模様です。因みに街中に放出された魔獣も同様です」


 ナイツが地下街に突入した直後の事だ。ナイツの突入によって混乱する地下街に追い打ちを掛けるように、街の至る場所に転移魔法の円陣が出現し、そこから無数の魔獣達が出現したのだ。

 彼等は豪奢な地下街を無遠慮に破壊し、煌びやかな服を身に纏った人々を躊躇なく襲い、ナイツの手を大いに焼かせた。

 中には自首する事でナイツに保護して貰おうと画策する輩も居たが、大部分は混乱に乗じて姿を隠すなり逃げるなりして身を晦ましてしまった。犯人逮捕を心掛けるナイツとしては歯痒かったのは言わずもがなだ。


「魔獣でナイツの足止めをさせ、その隙に地下を崩落させて客の始末と証拠の隠滅を図る……悪党らしい手腕なこって」

「この地下街の支配人を捕まえられなかったのが手痛かったですな。もう少し迅速に事を移せれば……」


 後悔を滲ませた声色でヘルゲンがそう言うと、ジルヴァは「いや」と彼の自責の念を和らげるかのように優しい言葉を投げ掛けた。


「僕達が王から与えられていた勅命はあくまでもだ。主犯格を捕らえられれば確かに御の字かもしれないけど、地下街を潰せただけでも十分に効果はある。そこまで自分を責める必要はないさ」

「……だと良いのですがね」そこでヘルゲンは気持ちを切り替えるかのように、自分から問い質した。「ところで、避難は何処まで進んでおられるのですか?」

「まだまだこれからって感じさ。転移に関しては五秒に一人のペースで進んでいるけど、此処には500人以上も居るんだ。単純計算でも約2500秒……分に換算すれば約40分近く。そして魔法陣が四つあるから約10分掛かるかどうかってところだろうね」

「……間に合いますかね?」


 角麗がポツリと不安気に呟いた矢先、またもや激しい振動が塔に襲い掛かった。厳密に言えば常に余震程度の揺れが途切れる事なく延々と続いているが、時折今みたいな本震に近い揺れが襲い掛かるのだ。

 土砂に押し潰されて拉げるような音が塔全体に響き渡り、解放された人々は顔を蒼褪めながら頭を抱えて蹲った。既に恐怖から来る涙を流す者さえ居るが、幸いにも人目を忍ぶように咽び泣いている。その人が恐怖に負けて自暴自棄になっていない証明だが、それも何処まで耐えられるかは不明だ。


「ヘルゲン、この塔も何処まで持ち堪えられると思う?」


 ジルヴァの質問にヘルゲンは顎を摩りながら、たっぷりと数秒ほど熟考した後に答えた


「この地下街の中で最も堅牢な作りであるのが幸いしましたが、精々あと5分ぐらいが限界でしょう。他のナイツ達の避難が終わるのも、その頃かと」

「……この調子だと絶対に間に合わない、か」それが分かるやジルヴァは角麗の方へ顔をパッと振り向けた。「そういう訳だから角麗、キミは先に避難してて」

「何を今更――!」


 友人の笑えない冗談だと思って角麗は振り返るが、そこにあったのはナイツの隊長としての一面を前面に出し切ったジルヴァの真剣な表情だった。


「僕達はナイツとしての職務があるから最後まで残るけど、角麗はあくまでも一般人の協力者だ。キミまで危険に晒す事は出来ない」

「しかし、友人である貴方を残していくのは……!」

「その気持ちは分からないでもないけど、此方はその友人を巻き添えにしたくないんだよ。それともこう言った方が良いかな? 一般人が居ても邪魔になるだけだから、さっさと退いてくれって」


 ジルヴァの的を射た言葉に角麗はぐっと言葉を飲み込んだ。

 確かにジルヴァの言う通り、角麗が出来る事なんて残されていない。それでも此処に居座り続けているのは、友人であるジルヴァを残して自分だけ安全な場所に退避したくないという角麗が持つ義の精神が働いたからに他ならない。

 しかし、ジルヴァからすれば角麗もまたナイツが守るべき一般人だ。そして彼女の有する義は中々に立派かもしれないが、見た目を変えれば単なる御節介でしかない。それが原因で角麗まで巻き添えを食らってしまったら、ナイツとしてのジルヴァの面目は丸潰れである。

 流石に此処まで言われて、彼の胸中を読み取れないほど角麗も愚鈍ではない。だが、そのまま「ハイ、分かりました」と言ってみすみす引き下がるのは彼女の良心が耐えられそうになかった。


「しかし―――ヤクト殿……!?」

「どうしたのですか?」

「あ、いえ……」


 尚も異論を呈しようとした矢先、唐突にこの場に居ない人間の名前が角麗の口から零れ落ちた。

 それを拾い上げた二人のナイツから奇異の目線を投げ掛けられ、角麗は恥ずかしさから来る朱色で頬を染め上げる。だが、ゴホンッと咳払いをして赤味を素早く引っ込めると、何時も通りの落ち着いた口調で事情を説明した。


「味方になって下さった人達から連絡が頭の中に入ったのです。所謂、通信魔法と呼ばれるものです」

「味方となった人達? もしかしてロックシェルと一緒に居た人達か?」

「はい、その人達です。今は地上に脱出して……え? ヤクト殿!? どういう事ですか!?」


 何も知らない人間が角麗を見れば、盛大な独り言を繰り広げる精神的にイカれた人物だと見做すだろう。しかし、角麗を知る二人が投げ掛ける目線は至って真剣そのものであり、彼女の遣り取りが終わるまで黙って見守り続けた。

 やがて三十秒ほどが経過した頃に角麗と仲間の会話が終わったらしく、彼女は気まずげな表情を浮かべたままブリキ人形のような錆付いた動作でジルヴァの方へと振り返る。

 その端麗な顔立ちは滝のようにダラダラと流れ落ちる大量の冷や汗で埋め尽くされており、彼女自身としても予期せぬ事態であると周囲に訴えていた。


「えーっと……ジルヴァ殿、非常に申し訳ないのですが……」


 まるで重大なミスを犯したと言わんばかりに震えた声色で何かを告げようとした直後、北側の壁から甲高い破砕音が鳴り響いた。その音に釣られて角麗以外の人間が北の壁に目線を飛ばせば、其処には内部への侵入を果たしたロックシェルとヤクトの姿があった。


「そのぉ……ヤクト殿も人々の救出に協力したいとの事です……」


 蚊の鳴くような尻すぼんだ声で角麗は彼等が現れた理由を告げるが、ヘルゲンは唖然とし、ジルヴァはヒューと愉快気に口笛を吹くだけで、果たして二人の耳に入っていたのかは謎である。

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