第130話 角麗VS銅角

 ジルヴァとアレニアの戦いに幕が下ろされた頃、角麗は案内役である銅角と共に鉄塔内に設けられたエレベーターに乗っていた。

 銅角曰く『存分に戦える場所へ案内する』という事で彼の案内に従って相席したのだが、敬愛する師父を殺した男と狭い箱の中で二分近くも一緒に居続けるのは思いのほか憂鬱だった。

 しかし、それ以上にエレベーターでの移動の最中に銅角が何も仕掛けてこない事への驚きが遥かに大きかった。憂鬱よりも驚きが勝るほど、角麗の中で銅角は卑怯者の代名詞であった。尤も、卑怯者の代名詞となった理由は今日の独房での一件が大きいのだが。


「そう忌々しい目でこっちを見るなよ。今は何もしねぇよ、


 角麗の目に籠る嫌悪と疑念を読み取ったのか、銅角は肩を竦めながら薄ら笑いを浮かべた。しかし、角麗は何も言わずに銅角に向かい合ったまま腕を組み、壁に背中を預けるだけだ。無論、目付きが和らぐ事もなくだ。

 そんな妹弟子の頑なな態度に銅角は諦めたように溜息を吐き出し、階数を告げるライトの光に目を向けた。


「しかし、コイツが動いてくれて良かったぜ。もし動かなかったら、今頃は長い階段をヒィヒィ言いながら歩かなきゃならん所だったぜ」

「私は別に構いませんよ。修行の一環として脚力を鍛えるには丁度良さそうですし」

「けっ、相変わらず馬鹿みたいに脳筋だな」

「努力家と言って下さい」


 角麗の冷淡な返しに銅角がやれやれと首を軽く横に振るった矢先、階数を照らしていたライトの輝きが消えた。それに気付いた角麗は怪訝そうに片眉を傾げ、ライトに視線を張り付けたまま尋ねた。


「階数の光が消えましたが?」

「いいや、大丈夫だ。このまま行けば辿り着く」

「……此処には三階までしかないと聞いていましたが?」

「はっ! そりゃ末端に位置する構成員の常識だ。実を言うと、この鉄塔は四層作りになってるのさ。そして四階は幹部クラスのみが出入りを許されている」

「そこならば存分に戦えると?」

「百聞は一見に如かずってヤツだ。見りゃ分かるさ」


 そう言って銅角が浮かべた皮肉に近い気障な笑みには、『自分の目で確かめた方が確かだろう?』という問い掛けが含まれていた。未だに納得のいかない険しい表情を浮かべていた角麗だったが、銅角の言い分に同意するかのように口を閉ざした。

 それから一分と経たない内にエレベーターが目的地の到着を意味する呼び鈴が鳴り響き、扉が開いた。先に銅角がエレベーターから降り、次いで元兄弟子の後を追うかのように角麗が続く。

 当初は警戒したネコのように神経と目尻を尖らせていた角麗だったが、エレベーターから降りた途端に険しい表情を解き、急に都会へ乗り込んだ田舎者のような唖然とした面持ちで周囲を見回してしまう。


「これは……」

「どうだ? 中々に良い場所だろう?」


 銅角の言葉に賛同する気はないが、それでも其処が凄い場所である事に変わりはない。一言で言うならば、四階は幹部専用のプライベートルームだった。いや、ルームと呼ぶには余りにも規模が広大だ。相応しい言い方をすれば、幹部専用のレジャー施設だ。

 赤いカーペットで舗装された道が施設の真ん中を横切り、その両側には透明なガラスで区切られた幾つかの部屋があった。

 右手の部屋を覗けば何処ぞかのスポーツジムのように様々な運動用の器具が充実しており、反対側に顔を向ければ屋内プールが完備されている。他にも研究室のような真っ白い部屋や、ぬぐるみが置かれたファンシーな部屋までもあった。

 銅角は遠慮を投げ捨てたかのようにカーペットをズカズカと踏み締めながら施設の素晴らしい所や自分のお気に入りを一方的に自慢するが、施設の壮大な設備や作りに驚愕の余り現を抜かしている角麗の耳には一切入っていなかった。


「―――此処だ」


 そして銅角の足がカーペットの終着点に差し掛かって止まると、半ば呆けていた角麗もハッと我に返るのと同時に忘れ掛けていた緊張感が表情に復活する。そして気を取り直すように正面へ顔を上げれば、そこには立派な木造の門構えがあった。

 他のガラス張りの部屋とは異なり、部屋の内部は見通す事は出来ない。だが、不思議な事に場違い感が半端ない木造の門を見て、角麗が抱いたのは違和感ではなく既視感デジャヴだった。


「まさか……」

「へへ、その様子だと気付いたみたいだな?」


 角麗の呟きに銅角は肩越しに振り返り、彼女を見遣りながら意味深な言葉を呟いた。それから一歩前へ出て、固く閉ざされた門に手を当てるとゴウンッと音を立てて開いた。だが、銅角が触れたのは最初の一押しだけであり、あとは自動になってるのか左右の門は誰の手も借りずに最後まで開かれた。

 そして門が開かれると内部にあったライトストーンがパッと点灯し、室内を照らした。コーティングされたかのように美しい光沢を放つ木張りの床、歪みなく均一に塗装された石膏の白壁、その様相は道場と呼んでも過言ではなかった。

 角麗は元兄弟子に続いて道場へ足を踏み入れ、周囲を見回して漸く自分が抱いた近親感の正体に気付いた。


「やはり私達の故郷にあった牛闘流の道場をそっくり真似ていますね」


 そう、この道場は嘗てトウハイにあった牛闘流の道場を完全に真似ていた。木張りの床も、石膏の壁も……そして門の向かい側にある『闘牛乱武』と達筆な字で描かれた掛け軸もだ。


「真似ているだぁ? 違うな、これから此処が本家になるのさ」

「何ですって?」


 聞き捨てならないと角麗は目尻を釣り上げて銅角をねめつける。だが、元兄弟子は彼女の精神を逆撫でるように、くつくつと喉元から競り上がるような笑い声を上げた。


「俺は牛闘流の本拠地をラブロス王国の裏社会に移し、そして強大な武闘組織を結成する。やがてクロス大陸の裏社会を制覇し、更に砂漠を渡ってトウハイをも平らげる! その暁には十二神闘流を……神闘術を我が手に収めるのだ!」

「つまりは、世界制覇の為に牛闘流を用いると?」

「俺は前々から十二神闘流の掟に不満を持っていてな。特に『いたずらに武を乱用てはいけない』という掟が気に食わなかった。自分が得た力を自分の為に使って何が悪い? そして俺は師父を殺した時に決意したんだ。この力で俺は世界の頂点に立ってやるってな!」


 自身の握り拳を見据えながら壮大な野望を語る銅角に対し、角麗は冷笑を以てして答えた。


「アナタが思っている程、世界は甘くはありませんよ。それに武闘組織云々の以前に、此処だってナイツに攻め込まれて終わり掛けているではありませんか」

「ははっ、違いねぇや。だけどな、人間生きてりゃどうにかなるもんよ」


 そう笑いながら銅角は道場の真ん中まで歩き、くるりと翻ると拳を構えた。既に今までの悪ふざけた雰囲気は四散し尽くしており、あるのは正真正銘の殺気のみだ。そこから『どんな手を使ってでも自分は生き延びてみせる』という彼の決意が見え隠れしている。


「来な、角麗。裏社会で俺が磨き上げた牛闘流を味あわせてやるぜ」

「良いでしょう」角麗も指先まで伸ばした開手を上下に構えて若干腰を落とし、臨戦態勢を作る。「殺人鬼に零落れてでも手に入れた貴方の力……見せて貰いましょう」

「抜かせぇ!!」


 血気盛んな雄牛を彷彿とさせる勢いで銅角が駆け出すのに対し、角麗は巌のように一歩も動かず、臨戦態勢の構えを維持したまま相手を迎え撃つ。

 銅角がマシンガンの如き勢いで無数に繰り出す剛腕を前に、角麗は憶するどころか瞬き一つせずに攻撃の軌道を冷静に見極め、時には僅かに体を横にずらして回避し、時には開手を拳に沿わせていなすように受け流す。

 やがて銅角が大きい空振りを披露して手痛い隙を見せると、彼女はすかさず元兄弟子の頭部目掛けて鋭い回し蹴りを御見舞する。だが、これは分厚い筋肉の鎧を覆った左腕でガードされてしまい致命傷にはならなかった。

 幾度かの徒手と脚撃を交えた末、両者は一旦距離を置いた。目立った傷らしい傷は一つなく、体が火照ったように熱い。が、息は上がっていない。どうやら今の戦いで丁度良い準備運動になったらしく、それを物語るように銅角が上機嫌気味に口角を釣り上げた。


「へへ、漸く身体が温まって来たぜ。準備運動にしちゃ、中々に良い打ち込みだったぜ」

「貴方は相変わらずですね。武術をスポーツのように楽しむかのような口振り、気に入りません」

「ふんっ、そういうテメェは細かい事に拘り過ぎなんだよ。そもそも武術なんざ品の良い装飾後で飾り立てた暴力じゃねぇか。それに伝統だの歴史だの、礼節を求める方が馬鹿げてるぜ」


 剃られた眉の下で皮膚が隆起し、銅角の表情は上機嫌から一転して怪訝を訴える。が、それ以上に角麗は嫌悪の感情を露わにしながら、ある言葉を呟いた。


「格闘家たる者、何時如何なる時も精進を忘れるべからず。術を学び、技を磨き、我が身の糧とする事に感謝と敬意を払い給へ……このお言葉をお忘れですか?」

「忘れちゃいねぇよ。クソ親父が口を酸っぱくして言っていた言葉だろ? だが、そう言っていた当人が俺みたいな武を愉悦する輩に呆気なく殺されちまうんだから皮肉だよなぁ」


 そう言うと彼は再びあくどい笑みを浮かべた。


「今でも覚えているぜ、あの図体だけが取り柄のクソ親父が命乞いをするのをよ。“馬鹿な真似は止せ! こんな事をしても貴様の為にはならん! お前自身の正道と誇りを血で穢しても良いのか!?”ってなぁ!! テメェにも聞かせてやりたかったぜ! はははははは!!!」


 師父の命乞いとやらが事実なのか、それとも銅角の嘘で脚色された誇張なのか。真実を知るのは、実際に師父と戦い合った銅角だけだ。しかし、どちらかが真実にせよ、角麗にとって重要なのは師父の惨めな一面ではない。彼の台詞を命乞いと取るか、別の思惑が秘められたものと捉えるかだ。


「……愚かな人ですね」


 角麗の口から出たのは非難ではなく、彼の格の低さを決定付けるかのような断言だった。角麗の台詞が耳に入った途端、銅角の高笑いはピタリと止み、不機嫌に眉を顰めながら彼女を睨みつけた。


「あぁん? おい、今何て言いやがった?」

「愚かな人だと言ったのです」


 角麗は彼の肉体から放たれる威圧に物怖じせず、改めて断言した。途端、銅角の中で疑惑の灯火が憤怒の業火へと変わり、彼の顔は闘牛が興奮しそうなほどに赤らんだ。が、そんな些細事に気にも留めず彼女は言葉を続けた。


「師父は貴方を守ろうとしていたのです。貴方がどんなに馬鹿な真似をしても、師父は貴方を見放さなかった。そして何時の日か、貴方が正道を歩んでくれる事を願った。なのに、貴方はソレを拒絶するかのように師父の優しさを踏み躙った挙句、彼を殺したのです。これを愚かと言わずして何と言います?」


 淡々とした口調で師父の気持ちを代弁する角麗だが、他にも言いたい事は山ほどあった。傍若無人な振舞いで散々周囲に迷惑をかけた銅角の尻拭いを師父がしていたこと。そして親子関係を円満にしたいと思いながらも、自身の不器用さを嘆いて項垂れる師父の事を。

 そう、彼女は既に知っていたのだ。師父の命乞いが自分自身の為ではなく、息子である銅角の為だという事を。しかし、それを口にする前に銅角が口を開いて言葉を綴り始めた。


「はっ、何を言うかと思えば……下らねぇな! あのクソ親父が俺を守ろうとしていただぁ? 余計なお世話だ! 俺は正道だろうが外道だろうが、どっちだって構いやしねぇ! オレの進む道を選ぶのはオレ自身だ! 親父の指図なんてクソ喰らえだ!!」

「銅角……! 師父の思いをこれ以上無下にするつもりですか!!」

「うるせえ! テメェの指図も受けねぇよ!!……ああ、そう言えば今でも覚えている事がもう一つだけあったぜ。テメェへの怒りと屈辱だ!」


 そう言うと銅角は左側頭部の角に巻いていた包帯を引き千切った。そして包帯の下から現れたのは、歪な形をした角だった。根元近くから折れた角を繋ぎ合わせる為に、コの字の鎹が割れ目を跨ぐ形で六方向から打ち付けられている。更にその上からワイヤーでグルグル巻きにし、固定強度の底上げが図られている。

 しかし、それを見ても角麗の表情に驚きはなかった。寧ろ、見覚えがあるかのように微かに瞠目するだけだ。


「その角は……あの時に負ったものですね?」

「その通りだ。次期後継者の座を巡る一対一の決闘で、オレは貴様に自慢の角を蹴り折られて敗北を喫した。牛人(牛の獣人を指す言葉)にとって角は誇りだ。それを失うことは全てを失うに等しく、現にオレの顔色を窺っていた取り巻き共は掌を返すようにオレを見限って貴様に付いた」


 銅角に打ち勝った瞬間、それまで彼を熱烈に支持していた十数人の取り巻き達が、ゴマスリしながら自分の元へと近付いて来たのを角麗は今でも覚えている。

 そして口々に『貴女が勝つと分かっていた』だの『銅角に従っていたのは彼が恐ろしかったからだ』だのと今日までの態度を一変させたかのように掌を返すさまは、日和見主義者も顔負けであった。無論、そんな御調子者達の称賛は角麗を喜ばすどころか、彼女の軽蔑と不興を買うだけであったが。


「それを目の当たりにしたオレがどんな気持ちだったか分かるか? プライド、意地、優越感、全てを失っても尚オレの心の底に居座り続けたのは力への渇望だった。そこで初めて自分が何を望んでいるのかに気付いた。自分が本当に欲しかったのは牛闘流という看板と権力じゃない、単純に誰にも負けない力だったんだってな」

 そう言うと銅角は腕を組み、右肩を突き出したショルダータックルに近い構えを見せた。その構えに見覚えがあった角麗は自然と身構えた。


「そしてオレはクロス大陸で新たな力を身に着けた。この力を以てしてテメェを打ち破り、クソ親父の選択が間違いだったと鼻を明かしてやるぜ!!」

「成る程、ならば私は正統な牛闘流を用いて貴方を倒します。そして貴方のチャチな野望を打ち砕き、師父の仇を取ることで牛闘流の看板に付いた汚名を濯ぎ落すとしましょう」

「はっ! その綺麗な御顔に吠え面を掻かせてやるぜ!! 牛闘流奥義“暴牛の舞”!」


 木張りの床をダンッと踏み鳴らして闘牛のように駆け出す銅角だが、その分厚い肩先は角麗にぶつかるどころか彼女の横を素通りし、背後にある壁へと激突してしまう。

 しかし、そこで終わりかと思いきや銅角の肉体はピンボールのように跳ね返り、また違う壁へと激突する。それを繰り返すにつれてタックルの速度と威力が徐々に増していき、遂に彼の残像は角麗を取り囲んだ。


「暴牛の舞……障害物や壁に激突した際の衝突力を自身の体内に蓄える事で徐々に威力と速度を増し、最終的には砲弾のような勢いを以てして相手を撃滅する牛闘流の奥義ですね。そして貴方が好んで愛用していた技でもありますね」

「はははははは!!! その通りだ!! だが、これだけじゃ新しい力は分からねぇだろ!? 今見せてやるよ! “炎恨ファイヤーグラッジ”!!」


 そう言うと銅角の身体に刻まれていた黒い炎の刺青がユラリと本物さながらに蠢いた。直後、本物の炎が刺青から吹き上がり彼の肉体を飲み込んだが、当の銅角本人は炎の中でも涼し気な顔のままだ。


「これは……!」

「このクロス大陸で手に入れた力の一つ、霊操術だ! 殺害した魔獣の魂を呪封印ブラックタトゥーと呼ばれる刺青に定着させ、己の力にする魔法だ!」

「では、貴方の身体に刻まれていた見覚えのない刺青は……」

「ああ、そうだ! この刺青にはオレが殺した炎系魔獣の魂が十匹近く閉じ込められている! つまり、貴様は魔獣の力を得たオレと戦っているという訳だ!!」


 その言葉を皮切りに銅角の速度は劇的に増し、彼を纏った炎も摩擦熱で燃え上がる隕石のように前方が丸みを帯び、後方にはジェット状に尖った尾が伸びる。炎の光で描かれた軌道が途切れる前に次の軌道が描かれ、まるでオレンジ色のレーザーが角麗を取り囲んでいるかのようだ。

 しかし、角麗は慌てることなく真っ直ぐに仁王立ち、軽く両腕を折り曲げた。そして両手は土を掘るかのような御椀の形を模った。


「ならば、その力も含めて受けて立ちましょう」

「双角の構え……牛闘流の中でも有名な防御の型か! だが、その程度で俺の突進を止められるものかよ!!」


 それから銅角は数回の反射を繰り返して威力を最大限に高めた末、両者は真正面から衝突した。並々ならぬ爆風と凄まじい爆撃音が道場内に響き渡り、眩い閃光が両者を包み込む。

 やがて光が治まると、そこには突き出され銅角の肩を白羽取りの如く挟み込むように受け止めた角麗の姿があった。いや、受け止めたと言うよりも未だ食い止めている最中と言うべきか。


「よく受け止めたな、褒めてやる! だが、それも此処までだ! 零距離からの攻撃は防ぎようがあるまい!! 紅蓮のファイヤーウェーブ!」


 銅角の刺青からブワッと吹き出した炎は押し寄せる津波を彷彿とさせる勢いで、彼の肉体を受け止めている角麗に覆い被さった。炎はあっという間に彼女の姿を飲み込み、道場一帯も含めて塵も残さず焼き尽くす―――筈だった。

 だが、炎の津波が消えた後も角麗は兄弟子の肉体を受け止めたまま立っていた。衣装は所々に焼き切れて黒く炭化しているものの、そこから覗いている肉体に目立った火傷痕は見当たらず、寧ろ無傷に近いと言っても過言ではない。


 これには思わず銅角の表情に驚愕が滲み出た。


「ば、馬鹿な! オレの渾身の一撃を受け止めただと!?」

「師父は言っていました。武術とは飽くなき向上心と果てなき探求心の上で成り立つもの。どちらかの情熱が欠けていれば術は成さず、武は衰える。安易に力のみを求める事は、武闘家の本質である向上心と探求心を捨てたも同然。最早、貴方は武闘家ではありません。些細な力に酔い痴れる矮小な暴君です」

「だ、黙れぇ!!」


 咄嗟に自由の利く左腕を振るって反撃しようとした銅角だったが、彼女がパッと両手を放して引き下がったせいで、前のめり気味にバランスを崩してしまう。持ち前の反射神経で辛うじて転倒は免れたものの、眼前に迫る角麗の拳を避けるのは不可能だった。


「がぁ!!」


 角麗が繰り出した拳は彼の鼻筋を打ち、その威力と激痛に銅角の巨体が無意識に後退する。更に角麗は間合いを詰め、ガラ空きとなっていた彼の腹部に鋭い正拳突きを叩き込んで追い打ちを掛ける。

 角麗の正拳は銅角の腹部にめり込み、手首まで隠れてしまう。筋肉越しから内臓を急激に圧迫される感覚と、意識が飛びそうになる激痛に銅角は眼球を引ん剝き、胃の中にあった物を全て吐瀉してしまう。


「こ、この野郎!!」


 辛うじて意識を保たせると、吐瀉物の名残を口元に張り付けたまま裏拳を繰り出す。しかし、彼が拳を振るう前……口から胃液を吐き出す直前で後退していた角麗には掠りもせず、空を切る音を響かせるだけであった。


「ま、まだだぁぁぁぁ!!!」


 その後も銅角の猛攻は延々と続いた。武骨な手足から技を繰り出すだけでなく、卑怯者と野次られそうな不意打ち――魔法による目暗ましや、口内に仕組んだ毒針を吹き出したり――も繰り出した。

 その戦い方は格闘家の姿勢からは逸脱しており、勝利の為ならば手段に拘っていられないという銅角の焦りと貪欲さを反映していた。しかし、角麗は彼の不意打ちを正面から捌き切り、彼とは対照的な正々堂々とした格闘家たらん振る舞いを見せ付けた。

 白魚のような美しい手と誰もが見惚れる艶やかな脚部に武闘家の誇りと誠意を乗せ、一挙一動を繰り出す度に銅角を追い詰めていく。その頃には銅角の余裕は失われており、クロス大陸で取り戻した自信と誇りもメッキのように剥ぎ取られ、残されたのは勝利への渇望と疑問のみだった。


「ち、畜生! 何故だ! オレは強くなった筈だぞ!! 何でテメェに勝てない!?」

「お忘れですか? 私が“”だと言ったことを。それは別に貴方の性格や態度だけを指したのではありません。貴方の強さも含めての相変わらずという意味なのです。ハッキリ言いましょう、貴方の強さは変わってなどいない……私に負けた時のままです」


 角麗に負けた時……その一言は過去の苦い敗北を脳裏に蘇らせ、銅角の激情の琴線に触れた。


「野郎ぉぉぉぉぉ!!!」


 怒り狂った闘牛の如く銅角は駆け出した。しかし、駆け出しながらも彼は自身の肉体に幾つかの魔法を付与していく。先程の炎恨を始め、肉体強化魔法や攻撃力向上魔法と言った、ありとあらゆる力を己の肉体に注ぎ込む。

 対する角麗は静かに息を吸い込み、呼吸を整える。そして小脇に折り畳んだ両方の拳に闘気――魔力とは異なる精神エネルギーの一種――を搔き集め、迫って来る銅角に全神経を注ぐ。


「くたばれェェェェ!!!!」

「牛闘流奥義! 双牛そうぎゅう)の槍!」


 炎恨で燃え盛る拳と闘気を高めた拳が交差し合い、肉を穿つ音が響き渡る。銅角の拳は彼女の左頬スレスレを通り過ぎ、深く踏み込むように繰り出した角麗の両拳は彼の厚い胸板を貫いて二つの肺を潰していた。


「ば……ばか……な」

「銅角、師父が最期に言い残した言葉を教えて差し上げます。“銅角は天才であった。しかし、それ故に努力を知らず、高みに上る喜びを知らぬ不運な子であった”」


 角麗が腕を引き抜くと銅角は驚愕を顔に張り付けたまま崩れ落ち、血に染まった泡沫を吹き出しながら床に倒れ込んだ。彼の瞳に宿っていた光が消えて死人の眼差しとなった途端、彼の肉体に刻まれた刺青が蒸発するかのように消え、代わりに紅蓮に燃え上がる鬼火が彼の肉体から飛び出した。

 恐らく、銅角の霊操術で閉じ込められていた魔獣の魂だろう。それらが昇天するかのように天井を擦り抜けていくのを見送った途端、角麗の中に色々な感情が込み上がる。


「終わりました、師父……!」


 そして肩を震わせながら涙を流す彼女の脳裏に、バイソンのような冬毛と角をした師父との遣り取りが鮮明に浮かび上がる。



「近々、ワシは銅角に殺されるであろう」


 師父がその台詞を口にしたのは、牛闘流の本家が置かれた道場にて次期後継者である角麗と二人きりになった時だった。

 まるで『今日の夕飯は煮物だ』と言わんばかりの軽い口調に角麗は一瞬だけ呆けてしまったが、台詞を咀嚼して意味を理解するやカッと目を見開き、驚愕の余り飛び上がりそうになる。しかし、師父は片手を扇いで『落ち着け』と彼女を制止した。


「ワシは武術の師としては立派だったかもしれんんが、父親としては赤点……いや、落第点も良いところの不出来な親だった。銅角アレに武術を叩き込んだが、武人としての心得どころか人道の大切さを説くことも出来なかった」

「し、しかし! だからと言って兄弟子が何故師父を殺めるのですか!?」

「今回の決闘でアレは全てを失った。失うものを無くした輩ほど自暴自棄になり易く、怖いものはない。それにヤツの事だ、角麗を後継者に選んだワシを逆恨みしているに違いない。そして後継者のみに受け継がれる伝統の巻物を奪うであろう」

「では、今の内に兄弟子を止めるべきです! 皆で力を合わせれば……!」


 銅角の暴走を牛闘流一門で止めるべきだと角麗が訴えるが、師父は首を横に振って愛弟子の意見を棄却した。


「今の銅角を止めるには殺す気で立ち向かわねばならない。そしてヤツと真正面から遣り合えるのは角麗かワシだけじゃ。他の者が挑めば、哀れな挽肉と成り果てるのがオチだ」

「ならば、私が―――!」

「だからこそ、ワシが止めねばならんのだ。ヤツの増長を防ぐ機会は幾らでもあった。しかし、ああ見えても銅角は聡い。その聡さで何時か武闘家の心得を自力で理解してくれるだろうと信じて放置した。その無責任な結果が暴虐な男を生み出してしまった。全てはヤツの師であり、父でもあるワシの責任だ」


 そう言うと師父は立ち上がり、道場の奥まった場所に設けられた仏壇に似た神棚へと歩み寄る。そして神棚に飾られてあった一本の巻物を手にし、角麗に手渡した。


「しかし、ヤツに巻物を奪われる事だけは阻止せねばならぬ。故に神棚には偽物を置き、本物はお主に渡しておく」

「これが……伝統の巻物ですか?」

「左様。そこには公にされている牛闘流の奥義から、殺人技に等しい禁忌の故に至る全ての奥義が記されている。力のみを欲する息子にとっては、喉から手が出る程に欲しい物に違いあるまい」

「分かりました。これは私が預かっておきます」


 角麗が懐に仕舞い込むと、師父はそれを見計らってから「但し――」という言葉を付け足した。


「但し、万が一にワシが銅角に殺された場合、巻物はヤツに奪われたという事にしてくれ」

「……どういう事ですか?」


 角麗が思わず眉間に皺を寄せながら尋ねると、師父は茶褐色の髭を上から下へと撫でながら語った。


「巻物を秘密裏に譲渡した事が明るみになれば、お主まで責め立てられる事になる。銅角の殺意と危険性に気付きながらも、師父を見殺しにしたとな。しかし、銅角に奪われた事にすれば、今回の一件は誰にも想像が出来なかった突発的な強盗殺人として処理され、お主が非難の矢面に立たされる事は無くなる」

「で、ですが……! それでは師父の体面はどうなります! 牛闘流の師でありながら、みすみす弟子に殺されたとなれば嘲笑の的になります!」

「ははははっ」角麗の必死な訴えとは対照的に、師父は朗らかに笑い飛ばした。「老い先短い老人の面子など気にせんくても良い。ワシにとって大事なのは牛闘流の未来だ。それが守られるのならば、ワシの名前と功績が地に堕ちようが泥に塗れようが構わんよ」

「師父……!」

「それにワシとてヤツにみすみすと負けるつもりはない。力の限りを尽くして、息子の暴走を止めるつもりだ。しかし、もしもワシが敗北した時は……角麗よ、お主がワシの代わりに息子を止めてくれ」


 その言葉の裏には自分の力では銅角に及ばないかもしれないという師父の本音が見え隠れしており、角麗は彼が刺し違える気で銅角と死闘を繰り広げる気だと悟った。そんな師匠の最期の願いに対し、彼女は首を縦に振った。


「……分かりました。どれだけの月日を掛けようが、必ずや兄弟子を止めて見せます」

「すまんなぁ、ワシの我儘で迷惑を掛けてしもうて。本音を言うと娘と息子が殺し合う姿を見たくないのじゃ」

「娘? 私がですか?」

「そうだ。……なんだ、嫌だったか?」

「い、いえ! とんでもありません!!」角麗は慌てて首を横に振る「私は孤児みなしごです。両親は物心付く前に他界し、偶然のような些細な縁で此方に引き取って頂けただけに過ぎません。そんな血の繋がりもない私を娘と言って頂けるだけで……凄く嬉しくて……!」


 じわりと目尻に涙が浮かび上がり、その雫を指先で払い落とす。そんな娘の仕草に師父は噛み締めるように頷き、しみじみと呟いた。


「銅角は天才であった。しかし、それ故に努力を知らず、高みに上る喜びを知らぬ不運な子であった。それに対し角麗は凡才であったが、血の滲むような努力によって才能を開花させ、高みを目指す喜びを知った。何から何まで非対称だったからこそ、余計に思い入れが深かったのかもしれんな」


 そこで師父は一息ついて、毛むくじゃらの眉の下から覗かせた暖かい眼差しが彼女を包み込んだ。


「角麗……我が娘よ、ワシの元へ来てくれて有難う。牛闘流の未来をお主のような素晴らしい弟子に預ける事が出来て、ワシは幸せ者だよ」


 その一言に角麗は思わず師父の巨体に抱き付いた。そして顔を埋めて咽び泣く愛娘であり愛弟子の思いを、師父は何も言わずに受け止めたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る