第128話 大逆襲

『アクリルさん!!』


 私がドリルを用いて観客席へと突っ込んだ途端、場内はパニックに陥った。未だに光源は復旧していないが、私が金網をドリルで破った時に放った火花のシャワーで事態を把握した観客達が騒ぎ出したのだ。


「ま、魔獣が外へ飛び出したぞ!!」

「逃げろ!!」


 誰も彼もが暗闇の中を手探りで進み、記憶に残っている出口のルートを目指していく。中には押し飛ばされて転んだ挙句、観客達の群れに踏み潰される哀れな客も居たが、私の眼中にあるのはアクリルと憎たらしい亜人アレニアだけだ。


「おやおや、御主人様の為に頑張りんすねぇ。ですが、甘いでありんす!」


 アレニアが右上段の腕を頭上に伸ばすと、指先から白くて細い蜘蛛の糸が放たれる。それが天井に引っ付くのと同時に、まるでワイヤーアクションのように宙へと舞い上がった。

 咄嗟に私も触腕を伸ばして捕まえようとしたが亜人の動きに追い付けず、貝殻から必死に伸ばした二本の触腕は虚空を交差するだけで終わった。


「おほほほほ!! 残念でありんしたね! この子はそう簡単に―――」

黒三日月シャドームーン!!」


 と、そこで影を纏った三日月状のブーメランが円形に見える程に高速回転しながら飛来し、亜人が飛ばした糸を切断した。そしてブーメランがカーブして闇夜に溶け込むように消えた先には、暗闇に浮かぶ本……もといクロニカルドの姿があった。


「何!?」


 突然命綱を切断された事によってアレニアの身体は宙に投げ出された挙句、その時の弾みで小脇に抱えていたアクリルを手放してしまい、思わず「不覚」の二文字がマスク越しにありありと浮かび上がる。

 しかし、人質を一度手放しただけでアレニアは諦めなかった。左上段の腕から飛ばした糸と切断された糸とを瞬時に繋ぎ合わせて落下を食い止めると、そのまま空中ブランコのように大きい弧を描いて落下中のアクリルを再び捕まえんと画策する。


「風魔法“巨人の吐息ジャイアントブレス”!」

「なぁ!?」


 だが、そこへクロニカルドが放った横殴りの暴風が襲い掛かり、アレニアは観客席を取り囲む黒い壁に叩き付けられた。

 壁に激突した後も暴風は一方的に続き、まるで不可視のプレスを掛けるかのようにアレニアの身体が壁にめり込んでいき、やがて暴風が止んだ頃には意識を失ってた。

 暴風を超越した超風圧を長時間受け続けるのは相当な苦痛だったに違いないだろうが、アクリルへの行いを思えば当然の報いですね。その証拠にクロニカルドが額縁に収めたい程のドヤ顔をしてらっしゃるし。

 そして私は此方へ落下してくるアクリルを受け止めようと触腕を伸ばし掛けたが、そこで背後から飛び出した影が私を踏み台にして天へと飛び上がった。そして影の人物は空中で身動きが取れなくなっていたアクリルを優しく抱き止め、まるで背中に羽が映えているかのように華麗な着地を決めた。


「大丈夫かい?」

「ふぇ? ええっと……ありがとー?」


 アクリルを受け止め、観客席へと舞い降りたのはジヴァだった。暗闇の中で聞き覚えのない声に呼び掛けられて動揺こそしているが、ジヴァの身体から伝わる雰囲気で敵意はないと悟ったのか少々唖然とした声色でアクリルは御礼を絞り出した。


「それと少しの間だけ動かないでくれたまえ。キミの身体に巻き付いている糸を切り落としてあげるからね」


 そう言ってジヴァは彼女を下ろすと、血でも払い落とすかのように手にしていたレイピアを縦に振り抜いた。するとアクリルの身体に巻き付いた蜘蛛糸の束が断ち切られ、ミイラのような束縛から彼女は開放された。


『アクリルさん!』

「大丈夫か!?」

「ガーシェルちゃん! クロせんせい!」


 そこへ私だけでなくクロニカルドも合流すると、みるみるとアクリルの顔が泣き顔へと変わっていく。助けが来た事によって気が緩み、顔を切られた痛みや恐怖が彼女の中で蘇ったのだろう。


「うえええええええええええん!!!」

『アクリルさん、よく頑張って耐えましたね。もう大丈夫ですよ、私が居ますからね』

「取り合えず、顔の傷を治すのが先だな。ああ、こら! 顔を擦るでない! 傷口に菌が入るだろう!!」


 アクリルを宥める間、ジヴァは無言のまま暖かな目線を寄越して見守っていたが、彼女の治療や世話に夢中だった私達は全く気付かなかった。

 と、そこでクロニカルドの傍らに光の球体が現れ、次の瞬間には光が弾けて中からヤクトが現れた。どうやって此処へ瞬間移動したのかはさっぱりだが、背中や腕には激戦を物語る深い傷が作られている。


「姫さん! 無事かいな!」

「ヤー兄!」

「そちらも無事に仕事を済ませたみたいだな」

「背中を切られた挙句、腕も貫かれた状態を無事とは言えへんのとちゃうん?」

「命があるだけでも十分であろう。傷を治してやるから文句を言うな」

「へいへい」


 神妙な面持ちで愚痴を溢している間に、クロニカルドは手を翳してヤクトの肉体に回復魔法をかけた。流石に外套の破れまでは直せないが、その下から覗く傷口がみるみると塞がれていく。

 そして粗方の傷が修復し終えたところで天井のライトストーンが再び光を宿し、黒一色に塗り潰されていた闘技場は色彩を取り戻した。

 しかし、本来のスポットライトのように強烈な光量ではなく、月明り程度のボンヤリとした弱々しい光量だ。恐らくは一時的に視界を確保する事を優先とし、補助電力的な弱い魔力しか注ぎ込まれていないのだろう。

 視界の回復に伴い観客達の混乱が収まるかと思いきや、脱出経路が鮮明化した事によって人々は出口求めて一斉に大挙し、混乱に拍車が掛かるという真逆の効果が生まれてしまう。

 だが、この混乱は私達にとって好都合だ。その考えは私だけではなく、ヤクトやクロニカルドも同じらしく薄らと笑みを浮かべていた。そしてヤクトはジヴァの方へ真剣な目を向けた。


「……アンタがカクレイの言っていたナイツかいな?」

「彼女を知っているのかい?」

「知っているも何も角麗自身から事情を聴いたんや。そもそも此処へ来れたのは、彼女の協力もあったおかげや」


 カクレイって、あの角麗のこと? そしてジヴァが角麗の知り合いでナイツですって? 一体何がどうなっているのか分かりませんが、今は会話の流れを滞らせずスムーズに流す事に専念すべきですね。


「カクレイはアンタに会ったら、味方のナイツに知らせる合図を出させろと言うとった。今なら結界魔法も弱まっているやろうし、外の味方に合図が届く筈や」

「成る程。この騒動と混乱はキミ達と角麗のおかげという訳か。事前に作戦を告げた時に無理をしないでくれと互いに念を押し合ったけど、やはり無理だったか。けど、結果的に救えたから結果オーライかな」


 そう言いながらジヴァは苦笑気味にフッと表情を和らげ、愛おしさと優しさに満ちた眼差しをアクリルに向けた。私だけでなくヤクトとクロニカルドも、彼の視線に含まれた意味深な何かに気付いている筈なのだが、今の状況ではソレを問い質す時間も惜しかった。


「では、早速だが合図を出してくれるか? 恐らく標的と戦っているであろう角麗にとっても、色々と都合が良い筈だ」

「うん、そうだね。こうなった以上は最早隠す必要も無いだろうし、一気に此処を制圧するとしよう」


 ジヴァは剣を握っていない方の手を天に向けて掲げると、開いた掌の上に築いた魔法陣からサーチライトのような青白い光線レーザーが打ち上げられた。

 光線は尖塔のように真っ直ぐ伸び、分厚い鉄板に覆われた天井に突き刺さる。もしかしたら透過して更に上へと伸びているかもしれないが、屋内では判別のしようがない。

 突如として出現した光の尖塔に見入っていたのは私達だけではない。それまでパニックに陥っていた観客も思わず逃げ足を止め、呆けた面持ちでジヴァが繰り出す光線に意識を繋ぎ止めている。

 やがて光線の幅がみるみると細まり、最後は擦り切れるように掻き消えた。何が起こるのだろうかと観客達が不安気な面持ちで宙を仰いでいると、西側にある一般客用の出入口から肥満体の男が観客の群れを掻き分けながら駆け込んできた。


「おい! 大変だ!」


 本来ならば不特定多数の仲間に呼び掛けるつもりだったのだろうが、水を打ったかのように静まり返っていた空気は男の興奮した声を隅々にまで伝導し、彼の存在感を一躍高める結果になってしまう。

 闘技場に残っていた無数の視線に雁字搦めにされた男は一瞬気圧されるような緊張感を味わったものの、呼吸を整えるのに要した五秒間のあいだに心を落ち着かせると、自分が入って来た出入り口の先を指差しながら叫んだ。


「ナイツが乗り込んで来やがった!!!」


 その一言に闘技場内が更なるパニックに陥ったのは言うまでもない。何しろ此処は裏社会の楽園パラダイスだ。客の誰もが多かれ少なかれ脛に傷を持つ悪党ばかりであり、そんな輩に対してナイツが手加減してくれる筈が無い。そんな悪人達の混乱と狼狽を他所に、ジヴァは落ち着き払った声で私達に避難を促した。


「さぁ、あとは我々の仕事だ。キミ達は退避するなり、何処か安全な場所に避難してくれ。それと地上に出たら南方道サウスロードを進み、王都の出入り口付近で待っててくれないかな? キミ達と話がしたいんだ、色々とね」


 色々という部分が何か引っ掛かる気がするが、彼の瞳は真剣と興味の半々で彩られていた。少なくとも金銭絡みや社交辞令を始めとする大人向けの遣り取りではなく、純粋な会話を楽しみたいという期待感すら瞳から感じられる。


「ああ、了解したで。ほな、此処から急いで脱出や!」

『分かりました!』


 結界が失われた今なら、此処から脱出するのも容易い。何よりも私を救出する為に皆さんが頑張ってくれたのだから、今度は皆さんの為に私が頑張る番だ。だけど、その前に此処が何処か把握しときませんとね。


『マッピング!』


 貝針を地面に突き立て、そこから情報を吸収するかのように周囲の地形や構造を鮮明に描いた3Dマップのような地図が脳裏に描かれる。

 そして粗方の情報を収集し終えた所で、初めて此処が地下に作られた巨大な繁華街だと知って驚愕を覚えた。秘密の地下街……悪党の楽園でなければ、異世界ファンタジーならではの浪漫だと感動の一つも覚えたのでしょうけどねぇ。


『では、アクリルさん。脱出しますよ』

「はーい!」


 元気よく挙手して返事を返すアクリルを触腕で持ち上げ、そのままセーフティーハウス貝殻の中へ。流石のジヴァもコレには一瞬ギョッとするも、すかさずヤクトが「こういうスキルなんで……」と私のスキルを説明した途端、一転して興味を持った子供のように目を輝かせていた。

 こういう所だけを見ると中性的な顔立ちと相俟って可愛いんですが、この人戦いになると戦闘狂バトルジャンキーになっちゃうんですよねぇ……なんて考えている間に、アクリルに続いて残りの二人もセーフティーハウスへと乗り込んだ。

 全員が乗り込んだのをセーフティーハウスに繋がった自身の感覚で再度確認すると、私はコンクリートに覆われた灰色の地面にダイブした。自然の岩土を削るのとは異なる(さながら固いゴムを削るかのような)感触と共に、コンクリートが貝殻越しに削り取られていく。

 私の巨体が沈むにつれて闘技場の喧騒が遠ざかっていき、やがて分厚いコンクリートの層を突破すると土を掻き分ける音以外は何も聞こえなくなった。



「単なる囮のつもりで乗り込んだんだけど……こんな場所で予想外の出会いが待っていたとは思わなかったな」


 ロックシェルが刳り貫いたコンクリートの大穴を覗き込みながら、ジヴァは愉快気に微笑んだ。そこには単純な喜びだけでなく、良い意味での驚愕も含まれており、彼が上機嫌である事を物語っていた。

 と、そこでジヴァの背後から複数の風切り音が迫り、彼は振り返りざまにレイピアを抜刀した。しかし、振り抜いたレイピアは手応えを得るどころか風切り音の正体である蜘蛛糸に絡め取られてしまい、次の瞬間には一本釣りをされるかのように巻き取られてしまう。

 そしてレイピアが描く弧の軌道に沿って視線を追尾させると、観客席の最上段で立つアレニアに辿り着いた。レイピアは吸い寄せられるようにアレニアの右中段の掌に収まり、そして子供が玩具に飽きたかのように無造作に背後へと投げ捨てられる。


「ふふふふ、よくもやってくれたでありんすねぇ」


 アレニアは笑っていた。しかし、それは怒りの笑いだった。体中から迸る怒気は抑えるどころか敢えて開放しており、地を這うような声はアレニアの機嫌が大いに損なわれている事を証明していた。しかし、それを知ってか知らずかジヴァは間延びした声で相手の言い分を否定する。


「言っておくけど、キミをこてんぱんにしたのは僕じゃないからねー」

「やかましいでありんす! 奴等に味方した貴様も同罪でありんす!!」


 怒りを露わにしたアレニアは右上段の腕を素早く振り抜き、放射状の蜘蛛糸を投げ付ける。だが、繰り出された糸はジヴァが突き出したレイピアの鞘に綿飴のように絡め取られた挙句、鞘に付与された炎魔法によって焼き払われてしまう。


「武器が無くっても、まだ戦えるよ。まぁ、少々やり辛い事に変わりはないけどね」

「なら、その鞘も奪い取ってやるでありんす!」


 獣のように階段を駆け下りながらアレニアが左中腕を突き出すと、ドレスの袖口から束状の蜘蛛糸が吐き出された。まるで繊維の一本一本に意思を宿しているかのように糸の束は均一且つ複雑に絡み合い、最終的にはロープのように編み込まれた細長い鞭へと変貌する

 一見すると高級シルクに勝るとも劣らぬ美しさを秘めているが、アレニアが鞭と一体化した左中腕を右へ左へと華奢な見た目からは想像も出来ない勢いで振り抜けば、忽ちに凶悪な武器へと生まれ変わる。

 振るう度に空を切り裂き、鞭先を叩き付ける度に灰色の地面や客席の材木が木っ端微塵に打ち砕かれる。一見すると(目にも止まらぬ高速で)デタラメに振り回しているように見えるが、実はジルヴァの動きに合わせて的確且つ鋭い一撃を叩き込んでおり、そこからアレニアの実力が窺える。

 対するジヴァは藤色の虹彩をキョロキョロと忙しなく動かし、素早い鞭の軌道を読み解く事に全神経を集中させた。欲を言えば魔法なりで鞭を切断したいところだが、流石に次から次へと乱れ打つような早業で振り抜かれる鞭を狙撃するのは困難だった。


「やっぱり、そう簡単にはいかないか」

「シャアアア!!」


 アレニアが獣のような雄叫びを上げながら右側上段の腕を持ち上げ、何もない虚空を掴んで引き寄せる動作を取る。すると、観客席に置かれてあった木製の座席が突然床から剥ぎ取られ、ポルターガイストのように宙に浮かび上がった。

 よくよく見ると宙に浮かんだ座席にはアレニアが放った蜘蛛糸が巻き付けられており、踊るマリオネットのようにアレニアの腕の動きに合わせて追従している。そしてアレニアが持ち上げた手を地面に向けて振り下ろせば、宙を舞う座席は誘導兵器よろしく一斉にジヴァへと襲い掛かった。

 次から次へと降り注ぐ座席が観客席に叩き付けられて残骸と化す度に、打ち砕かれたコンクリートの飛沫や溜まっていた埃が空気中に舞い上がり、傍目から見たら西側の観客席にだけ煙幕が展開されているかのようだ。

 埃塗れの空気を吸わないよう口元を覆いながら、ジヴァは右へ左へとジグザグのステップを刻んで頭上の流星群ならぬ座席群を警戒する。だが、不運にも間近で砕け散った座席の破片が高速で目に飛び込み、失明こそ避けたものの一瞬だけ彼の動きを止めてしまう。

 そこへ追い打ちを掛けるようにアレニアの鞭が濛々と立ち込める煙幕を切り裂き、ジヴァの右腕を打つ。幸いにも鎧の籠手で守られていたおかげで直接的なダメージは免れたものの衝撃までは軽減出来ず、麻痺針を受けたかのようなジンジンとした激しい痺れが右腕全体を支配する。

 弾き飛ばされた鞘は空中でクルクルと回りながら煙幕の彼方へと消えてしまい、それと時同じくして煙幕が晴れ上がった。煙幕の向こうではアレニアが六本の腕を天に持ち上げており、恐る恐るジヴァが見上げれば周囲一帯の客席が天体模型のように宙にぶら下がっていた。

 流石のジヴァも丸腰でコレを捌き切るのは不可能であり、今から魔法を唱えようとすれば間髪入れずに攻撃が襲ってくるのは火を見るよりも明らかだ。若いエルフは口元をヒク付かせ、乾いた声で呟いた。


「……マジで?」

「おほほほほほほほ!!!! これでフィニッシュでありんす!!!」


 アレニアが死刑宣告を下した直後、集中砲火さながらに客席の雨がジヴァ目掛けて降り注ぎ、幾重にも折り重なった激しい衝突音が闘技場内に反響した。噴煙のような夥しい埃が観客席を飲み込み、座席の残骸が四方に飛び散る。

 大きめの木片がカンッと虚しい音を立てて床に転がり、次いで静けさが満たされていくのをアレニアは胸がすくような思いで見守っていた。これで座席の残骸に埋もれる惨めなジヴァの姿を目にすれば、アレニアも御満悦の笑みを浮かべたていたに違いない

 だが、爆心地を中心に巻き上げられた埃の靄が掻き消えると、現れたのは見覚えのない大男だった。綺麗に剃髪された頭部はチョコレート色の頭皮が剥き出しになっており、両端がピンッと尖った黒のカイゼル髭は丹念な手入れが施されている事を物語っている。

 そして縦に引き伸ばしたかのような楕円形の大型盾――厚さは50cm以上、全長に至っては2m近い――を背中に背負っており、その後ろから無傷のジヴァがひょっこりと顔を表すやアレニアは瞠目した。


「な、何で!?」


 その驚きはジヴァが無傷だった事よりも、大男がどうやって現れたのかという疑問が大半を占めていた。その答えは大男の足元に残っていた。薄らと緑色に発行する模様、それは一部の上級魔法使い者が用いる転移用の魔法陣だ。恐らく、ソレを使って大男は此処へ転移してきたのだろうとアレニアは予測した。

 だが、一度は答えを得た事によって落ち着きを取り戻したかにみえたが、大男が背を向けた途端に先程以上の驚愕がアレニアを襲った。


「し、銀の槍シルバーランス!?」


 大男が背負っていた盾に描かれたマーク――“純白の盾の上で交差する銀色の三本槍”――それは数あるナイツ部隊の中でも、精鋭中の精鋭として知られる特殊ナイツ部隊『銀の槍シルバーランス』の所属を意味するものだ。

 だが、そこでアレニアは疑問を抱く。ジヴァという男の身元を徹底的に洗ったが、元ナイツの上級ハンターという肩書以外に目立ったものは無かった筈だ。

 元ナイツの誼で同僚だったナイツが助けに来るのであれば、まだ話は分かる。しかし、銀の槍は謂わば王国の懐刀とも呼べる虎の子だ。そんな特別な部隊が彼の助けに応じるのはおかしくないか?

 疑問と驚愕をブレンドさせた視線を三対の眼から投げ掛けていると、ジヴァと向き合った大男は気疲れと安堵を半々に混ぜ合わせたような溜息を吐いた。大男を見上げるジヴァの表情には少しばかし待ち侘びていたかのような微笑が閃いている。


「やぁ、待ってた―――」

「何 を な さ っ て い る の で す か !!!!」


 懐かしさを込めて告げる筈だったジヴァの台詞は最後まで言い切れなかった。何故なら大男の怒声がジヴァの台詞を吹き飛ばし、次いで二つ拳骨がサンドイッチみたくエルフの頭部を挟み込んだからだ。そしてグリグリと容赦なく圧迫するのだが、ジヴァの口から零れ出たのは痛みから来る悲鳴ではなく文句だった。


「もー、何に怒っているのさー。こっちはちゃんと仕事をこなしていたって言うのにー。ヘルゲンちゃんの乱暴者ー」

「黙らっしゃい!!! 大隊長という地位に立つ人間が囮捜査の囮になるなんて前代未聞ですよ!? せめて側近なり部下なりに一言ぐらいは告げるべきでしょうが!! おかげでこっちがどれだけハラハラしていたか分かりますか!!?」

「しょうがないじゃん、囮に打って付けの人員を用意する時間も惜しかったし、それに僕みたいな希少価値の高いエルフなら少なくとも捕まってすぐに処刑される心配もないだろうし。要するに適材適所として囮に最適だと自己判断したんだよ。それに何か言えば皆反対したでしょ?」

「………で、その本心は?」

「書類仕事がめんどいでござる」


 と、そこでヘルゲン大男はにっこりと笑いながらジヴァを開放した。しかし、ヘルゲンの爽やか過ぎる笑みにジヴァは良からぬ何かを見出したらしく、彼とは対照的な引き攣った笑顔を浮かべていたが。そしてジヴァの直感は的中した。


「ご安心ください、ジルヴァ大隊長殿。貴方の為に書類仕事はきちんと残してありますので」

「そこは僕の代わりに片付けてよ!! 何の為の補佐官なのさ!!」

「大隊長の仕事を管理・監督する為でございます。あと今回の一件に関する始末書もきちんと提出してもらいますからね。当分、デスクワークから逃げられないと覚悟を決めて下さい」

「鬼! 悪魔! 鬼畜! ハゲ!」

「剥げてるんじゃありません! 剃っているのです!!」


 わーぎゃーと言い争うエルフと大男の会話に、アレニアは言葉を失っていた。二人の幼稚な言い争いは聞くに堪えないし、何よりも重要ではない。だが、その最中に飛び出した名前と階級が鍾乳洞の木霊みたいに脳裏で反響していた。

「銀の槍……ジルヴァ……大隊長!? ま、まさか―――!!」


 事実を知って驚愕を露わにするアレニアに対し、ジヴァはすっかり自己紹介を忘れていたと言わんばかりに相手の方へ振り向いて軽く会釈をした。


「そう言えば真の自己紹介を済ませていなかったね。初めまして、僕の名前はジルヴァ。ナイツ特殊部隊シルバーランスの大隊長さ」

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