第86話 ビッグウッドの森

 時刻が夕の六ノ刻午後6時に差し掛かった頃、私達はビッグウッドの森に辿り着いた。

 寒冷期だからか日の沈みも早く、西の山間から頭の先端を覗かせる程度にしか残っていない。尾根の輪郭から差し込む真っ赤な後光が森を焼き尽くすように照らすが、何れ夜の暗闇に取って代わられるだろう。


「早急に来たものの、やはり夜までに救出するのは間に合いそうにないな……」


 急遽編成された救出部隊のリーダーを務めるロブソンが、夕日に照らされたビッグウッドを見上げながら独り言ちた。

 身に纏っている防具には凹みや傷を小まめに修繕した痕が散見しており、それが数多の修羅場を潜り抜けた手練れのハンターである事を証明していた。そんな彼をして「間に合わないかもしれない」という呟きは最悪の展開を連想させ、同行者の肩に重く圧し掛かった。


「でも、まだ彼等は死んだと決めつけるのは早計です。違いますか?」


 ロブソンの呟きに対し、丁寧に言い返したのは救出部隊の中でも一番若い弓使いの青年だった。その台詞は決して若さ故の慢心ではなく、あくまでも希望を持たせる事で部隊の重い足取りを少しでも軽くしようという彼なりの粋な計らいだ。

 彼の言葉に込められた真意を悟り、ロブソンはフッと笑みを零した。


「ああ、その通りだ。ヘルスタッグの宴でメインディッシュが登場するのは最後だ。恐らく、それまで連れ去らわれた人達は殺されないだろう。その前に我々は彼等を奪還する」

「せやけど、作戦はあるんかいな?」


 私の頭上に乗っているヤクトが質問を投げ掛ければ、ロブソンは「ある」と力強く断言した。

 そして彼は救出部隊をぐるりと見回した。今回の救出作戦で参加している人数は、ヤクトとクロニカルドも含めば20名余りだ。因みに従魔に関しては、私込みで四匹だ。

 ハンターだったり魔法使いだったりドワーフだったり、様々な職種の人間で構成された救助部隊だが、どうにも寄せ集め感が否めない。

 無理も無い。一刻も早い救助が求められる緊急性の高さ故に、際立った才能を有した人材を招集する猶予も無く、使えそうな人材を掻き集めるのが精一杯であった。だが、その割にはロブソンを始めとする経験豊富な中堅者を多く揃えられただけでも御の字だ。


「我々はビッグウッドの森に進入し、奴の巣を見付け次第に部隊を二つに分ける。ヘルスタッグを誘き寄せる囮役と、ヘルスタッグに連れ去らわれた三人の救出を果たす本命とにだ」

「しかし、この馬鹿みたいに広い森の中で、どうやってヘルスタッグの巣を探すんじゃ?」


 小柄だが筋骨逞しいドワーフが立派な顎鬚を撫でながら質問を挟むと、ロブソンは尤もだと言わんばかりに首を縦に動かした。


「大丈夫だ。ヤツが寝床にしている巣の位置を覚えているからな」

「覚えている?」


 意味深と言うよりも引っ掛かりを覚える彼の口振りに、部隊の間で違和感が芽を出し始めた矢先だった。ロブソンは後悔を宿した眼差しを俯けながら、重々しい口調で言葉を綴った。


「実を言うと私はシュターゼン……あのボンボンに雇われて、ヘルスタッグの捕獲に協力したハンターの一人だ」


 まるで教会で懺悔するかのようなロブソンの告白に全員が息を飲む。芽生え始めた違和感はたちどころに納得という形で昇華したが、当人はその気配に気付いても悔いた表情を解こうとしない。それは己を戒めている風にも見える。


「今回の一件は奴の自業自得とは言え、奴にヘルスタッグを与えて増長させてしまったのは私達の責任だ。あの依頼を断っておけば、こんな事にはならなかったかもしれない。が、あの傲慢なドラ息子の事だ。別の冒険者なりハンターなりを探し出して、やはり結果は同じだったかもしれない」


 そこで言葉を切り、遣り切れなさを込めた切ない溜息を吐き出した。

 周囲を見渡せば、彼に同調するかのように思い詰めた目で地面を見詰めたり、遠い空を見遣っている者も居る。恐らく彼等もまたヘルスタッグの捕獲に参加していた『』の一員なのだろう。そして彼同様に後悔の念や責任を少なからず抱いているようだ。


「あのボンボンがどうなろうが知った事ではないが、無関係の人間も巻き添えになったのならば話は別だ。だから私は今回の救出に名乗りを上げしたのだ。あと自慢ではないが、私はビッグウッドの森を知り尽くしている。それだけは信じてもらいたい」


 そこで言葉を切るのと同時に、それまで目に浮かべていた様々な感情や雑念も一切排除した。彼が今日まで生き延びた理屈や秘訣は幾つかあるだろうが、この職人やプロに通じる切り替えの速さもその一つに違いない。

 ヤクトも彼の言い分――と言うよりも真面目な人柄――を信じたらしく、リラックスしたような笑みを浮かべながら、場の雰囲気を変える意味合いも兼ねて質問を投げ掛けた。


「それに関しては全然心配してへんし、そもそも危険な任務に参加してくれただけでも有難い限りや。せやけど、さっきヘルスタッグを誘き寄せるって言うてたな? 一体どうやって誘き寄せるんや?」

「コレを使うんだ」


 ロブソンは腰に付けたポーチのような布袋から、掌に収まる小さい笛を取り出した。


「コレは虫笛と呼ばれる道具で、昆虫魔獣を引き寄せる効果がある。因みに今回使用する虫笛には、上位種しか感知出来ない特殊な音が出るよう細工が施されている。恐らくヘルスタッグも音に釣られる筈だ」

「大丈夫なのか? 相手は暴君と呼ばれる程の魔獣なのであろう?」


 クロニカルドもヘルスタッグ相手に囮は些か無謀なのではと遠回しに危惧するが、ロブソンは「心配ない」と断言した。


「今回は戦う必要もなければ、勝つ必要もない。あくまでも連れ去らわれた三人を救出する時間を稼げれば、それで十分だ。それまでは守るなり逃げるなり身を隠すなり、何をしても当人達の自由だ」


 ヘルスタッグ相手に正々堂々ぶつかるのは無謀を通り越して狂気の沙汰かもしれないが、守りか逃げに徹して時間を稼ぐというのであれば話は変わって来る。どちらにしても命懸けである事に変わりはないが、後者の方が生き残れる可能性は遥かに高いだろう。


「ヘルスタッグを引き付ける囮役は、足の速い中型従魔を引き連れている契約者に頼みたい。残りは私と共に本命の救助に回って欲しい。何か異存はあるか?」


 ロブソンは釘打ち機のように一人一人の表情に視線を固定しながら見回すが、異存を述べる者は皆無であった。そもそも全員が危険を承知の上で参加しているのだ。今更になって異存を述べるような腰抜けなんて、この場には居なかった。仮にあったとしても、述べた所で結果は変わらないだろうが。

 この場に居た全員が深い沈黙を通してロブソンの意見を肯定し、それを空気で察した彼もまた無言で頷き、皆の度胸と覚悟に感謝の意を示した。


「時間は有限だ。早速行動を開始しよう」



「ああ、くそ、何でこんな事になってしまったんだ。何でボクがこんな目に遭わなくっちゃいけないんだ? ボクはヴァークナー家の跡取りなんだぞ? こんな所で死んでも良い男じゃないんだ! 隷属魔法は完璧だったのに、一体何処で狂ってしまったんだ? くそ……!」


 ガーシェル達が森へ踏み込み始めた頃、ヘルスタッグの巣ではシュターゼンが粗削りした壁に向き合いながら、延々と愚痴を零し続けていた。単なる暗がりとは意味合いの異なる影を帯びた虚ろな表情には、この世の終わりに直面したかのような絶望と困惑と憔悴が合わさっていた。

 だが、それを傍から眺めていたエマは同情するどころか失望を禁じ得なかった。何故なら今回の一件はシュターゼンの身から出た錆び、とどのつまりは自業自得だ。にも拘らず彼は己の行為を悔いて反省するどころか、尚も責任転嫁を試みようとする姿勢が見受けられる。そんな浅ましい姿に同情する方が無理というものだ。

 加えて、今回の一件でシュターゼンに対する信頼は完全に失墜した。いや、常日頃の横暴な振る舞いもあって、ゼロだったものが底を打ち抜いてマイナスを更新したと言うべきか。当然だ、自分の生命を引き換えにしてヘルスタッグを制御していたのだから。もし生きて帰れたら、絶対に辞表を出そう……エマは内心で決意を固めた。


(でも、それは此処から生きて出られたらの話ね……)


 彼女達の生殺与奪の権限を握っているヘルスタッグ暴君は、外を見通せる巣穴に背を向ける格好で彼女達を見張っていた。立ち位置からしてもそうだが、自分達を逃がしはしまいというヘルスタッグの意思が見え隠れしている。

 まだ生かされている現状を幸運と思うべきか、それとも間も無く殺されるであろう未来を想像して悲嘆すべきか。既にシュターゼンは後者に転落していたが、せめて自分は救援が来る未来を信じて待ち続けようと己に辛抱強く言い聞かせた。

 そこでエマは視線を落とした。緩く交差した彼女の腕の中では、アクリルが彼女の胸に凭れ掛かるようにして眠っていた。緊迫した空気に長時間晒された事でアクリルの未熟な精神は音を上げ、そのまま睡魔に導かれて深い眠りに沈んでしまったのだ。

 眠る赤ん坊をあやすように背中を一定のリズムで叩きながら、エマは申し訳ない罪悪感で一杯になった。アクリルが此処に連れて来られたのは、彼女自身もまたヘルスタッグの狙いの一つだったからに過ぎない。だが、エマは自分達の撒いた種が彼女にも災いを齎したのだと思い込んでいた。見当違いも甚だしいが、責任感の強いエマがソレを知る由は無かった。

 ヘルスタッグの肩越しから見える空から夕焼け色が急激に薄れ、代わりに藍色が強調され始める。夜は目前にまで迫っていた。



 救出部隊が森に入ってから程無くして、夜の帳がビッグウッドの森を包み込んだ。淡い暗がりが行く手に立ち塞がり、闇に慣れていない人間の肉眼では手の届く範囲ですら見えているかどうかも危うい。暗視スキルを持っている私は別だが。


「くそ、暗いな。明かりが欲しいぜ」

「我慢してくれ。此処で明かりを灯せば、光に反応した虫共が我々の所へ殺到してくるぞ」


 隊員の誰かが零した愚痴に対し、ロブソンが物静かな声で制止する。

 単なる虫であれば殺到してもわけないが、この世界における昆虫は魔力を有した強力な魔獣だ。万が一に群で襲われれば救出を果たすどころか、部隊そのものが危機に陥ってしまう。それを考慮すれば、ロブソンの指摘は見事に的を射ているとしか言い様がない。

 更に彼は余計な戦闘を避けるべく、徹底した隠密行動で部隊を巧みに先導した。ハンター業で培った知識と直感、そして森を知り尽くした地の利を活用すれば、森に生息する昆虫に見付からぬよう動くのは造作も無かった。

 だが、徹底的に危険を排除しようと努めても、流石に一匹の魔獣も出会わずに進むのは無理があった。キツツキのような鋭い口を持つ蝶パピック蓑を纏った蜘蛛ミノグモ枯葉に擬態した蛙デロッグ

 ビッグウッドの環境に適応し、独自に進化した魔獣と何匹か遭遇したものの、私達に襲い掛かって来る魔獣は一匹も居なかった。


「意外じゃな、どの魔獣もワシらを見ても襲って来ないとは……」

「ここは食料が豊富だから、人間に遭遇したからと言って積極的に襲うヤツは少ないんだ。もしも襲う時があれば此方が危害を加えようとした時か、ビッグウッドを伐採しようとした時ぐらいかな。とは言え、ヘルスタッグを始めとする縄張り意識の強い奴は別だけど」

「ほほう、成る程のう」


 弓矢の青年がビッグウッドの森ならではの事情を説明し、それに耳を傾けていたドワーフが感心を示した直後だ。部隊の先頭を歩いていたロブソンが足を止め、腕を上げて後続に制止を求めた。


「見付けた。アソコだ」


 ロブソンが指差したのは100m程先にある、森の中心部にある一本のビッグウッドだった。その頃には全員の肉眼は暗闇に慣れ切っており、ロブソンが指差す先にあるビッグウッドの天辺付近に大きな穴が開いているのが見えていた。


「ひょっとして、あの穴がヘルスタッグの……?」


 ヤクトは携帯用の望遠鏡で巣穴を覗き込みながらロブソンに尋ねる。


「ああ、そうだ。アレがヘルスタッグの住処だ。住処から半径100m以内が奴の警戒を買うキラーレンジ危険域であり、そして穴の向こうは絶対領域だ。自分が持ち込んだモノ以外の生物が巣に忍び込もうものならば、奴の怒りは忽ちに頂点に達するだろう」

「要するに自分の空間に土足で踏み込もうとするヤツは皆敵っちゅー訳やな。何や、あの厳つい外見に似合わず、意外と繊細な性格をしとるやないか」


 ヤクトの冗談染みた解説に何人かクスクスと声を殺して笑うが、直ぐに表情を引き締めてヘルスタッグが住まうビッグウッドに目を向けた。

 しかし、この位置ではヤツの姿を捉える事は出来ない。中に居るのか、それとも外出しているのかも不明だが、少なくとも宴はまだ始まっていないとロブソンは確信していた。


「宴が始まれば、この付近は種族もランクも関係なしに多くの昆虫魔獣で埋め尽くされる。チャンスは今しかない」


 ロブソンが先程の虫笛を取り出し、この中で一番足の速い従魔――狼の形をした樹木獣ウドルフ―――を連れた、斥候が得意そうな軽武装の女性に手渡した。そのついでに彼女の手の甲に手を翳し、同心円状の魔法陣を植え付ける。


「相手を引き離せそうな位置に付いたら、この通信魔法で教えてくれ。また何かしらの異常事態が起こったら、同じくコレで伝えてくれ」

「了解」


 女性は従魔に跨ると、踵を返して暗闇の中に溶け込むように姿を消した。そして再びビッグウッドの方へ目を向けていると、ロブソンの左手に刻まれた通信魔法の陣に薄青色の光が灯った。


『位置に付いたわ』

「始めてくれ」


 言葉短に伝えると、フッと光が消えて再び静寂が舞い戻って来た。しかし、始めてくれと告げてから数秒程経っても一向に何かが起こる気配は見当たらない。


「おい、ホンマに向こうはちゃんと動いてるんか? それに虫笛の音も聞こえへんで?」

「虫笛から放たれる音は人間の耳には聞こえない小さい音波なんだ。だから、人間の耳に届かないんだ」


 どうやらヤクト達の耳には届いていないようだが、私の発達した聴覚は確かに虫笛の音を捉えている。聴覚検査に用いられる、あの面白味もない機械音に似た音色が、森の何処かから微かに聞こえる。

 その音色に暫し意識を傾けていたが、傍に居たクロニカルドが「動いた!」と小さくも興奮に満ちた声を上げたのを機に、目前の現実へと意識を引き上げさせた。

 見れば巣穴から半身を覗かせたヘルスタッグの姿があり、キョロキョロと頻りに辺りを見回していた。恐らく虫笛の音色に反応しているのだろう。やがて音色が聞こえて来る方角を見極めると、背中の羽を広げて巣穴から飛び出した。

 騒音と呼ぶ他ない荒々しい羽音が周囲に撒き散らされ、それまで満たされていた厳かな夜の静寂が一瞬にして打ち壊される。そしてヘルスタッグが音を追い掛けて飛び去って行くのを密かに見送ると、奴と入れ替わるかのように私達は巣穴へと近付いた。

 だけど、それにしても―――


「遠目からでも分かっとったけど、近付いて見上げるとホンマにデカイな……」


 ―――と、ヤクトが私の心の声を代弁してくれた。何がデカいのかと言うと、言わずもがなヘルスタッグが巣に利用していたビッグウッドだ。テラリアにあった立派な高層物ですら足元に及ばないのではと思えるような巨大さだ。


「ヘルスタッグは巣を選ぶ際、ビッグウッドの中でも成熟した木を好むからな。大きいのは当然だ」

「へぇー……。で、どうやって助けに行くん?」


 そう、問題はそこだ。この高さでは木登りが得意な人でも無理があるし、第一先程のヘルスタッグが戻って来ないという可能性だって捨て切れない。すると年若い青年がおずおずと挙手し、全員の視線を一身に集めた。


「あの、フラッタ……僕の従魔なら、あの高さまで行けると思います」

「成程、バルーンスライムか」


 バルーンスライムとは、主に標高の高い山岳地帯に生息する魔獣だ。その名の通り身体を風船のように膨らませ、クラゲのように空中を浮遊する風変わりなスライムだ……と鑑定スキルで得たステータスの一節に書かれてある。

 何にせよ、バルーンスライムならば、ビッグウッドに設けられた巣穴まで楽々と辿り着けるだろう。そんな考えが満場一致で全員の脳裏を過り、ロブソンも青年の申し出を受け入れる事にした。


「なら、早速頼む。三人を救出したら、即座に巣穴から離れるんだ。良いな?」

「は、はい!」

「それと通信魔法も授けておく」先程の女性同様、青年の手の甲に魔法陣が刻まれる。「中の様子で気掛かりな点があったり、三人を見付けたら、逐次報告してくれ」

「わ、分かりました……! フラッタ、頼むよ」


 青年に頼られたフラッタは主の期待に応えるかのように空気を吸い込み、自身の身体を膨らませ始めた。当初は子供の風船のように小さかった身体が、みるみるとアドバルーン並に巨大化していく様に、契約者である青年以外の誰もが驚きを露わにした。


「それでは、行って参ります」


 そしてフラッタが青年の身体に触手を巻き付けると、人間の重さを屁とも思わせない勢いで上へ上へと上昇していく。果たして無事に辿り着けるのか様子を眺めていたい気持ちもあったが、ロブソンから「周囲の警戒を怠るな」という御達しを受けて意識を周りに向けた。

 近くに魔獣の気配は感じられない。恐らく、この森の住民も不用意にヘルスタッグの住処に近寄れば命が無い事を知っているのだろう。一刻も早くアクリル達を救出し、早々に此処から立ち去りたいものだ。しかし、そんな純朴な願いは一種のフラグだったようだ。


ズズンッ


 森の彼方で爆発に匹敵する強い衝撃が起こり、地震のように大地を駆け抜けた震盪力が私達の内臓を微弱にシェイクした。それだけで衝撃の凄まじさが如何程のものかが嫌でも分かってしまう。そして衝撃の正体が何なのかは見当も付かないが、誰の仕業なのかは見当が付く。


「ヘルスタッグか!?」

「分からん! だが、奴が飛び去った方向と爆発が起こった位置は大体合っている!」

「おい、大丈夫か!? 何があった!?……おい、返事をしろ! 駄目だ、通信が繋がらない!」


 その衝撃の大きさは部隊の数名を浮足立たせ、ロブソンも咄嗟に通信魔法を介して囮役を担った女性の安否を確認しようとするが、どれだけ叫んでも返事は返って来なかった。凄まじい衝撃と通信魔法の途絶……残念ながら、その答えは明白であった。


『ロブソンさん! 巣穴に到達しました!』


 部隊の間に立ち込めた不安と焦りの濃霧を切り払う明光の如く、ロブソンの通信魔法から吉報が飛び込んできた。それを聞いて全員がビックウッドを見上げれば、フラッタと共に上昇していた青年がヘルスタッグの巣穴に足を掛けようとしていた。



「誰か!! 誰か居ますか!?」


 ヘルスタッグの巣穴へ恐々と乗り込み、目前に広がる暗闇に向かって青年は叫んだ。巣の中は外の夜とは比べ物にならない深い闇で埋め尽くされており、従魔使いとして危険な任務に幾度となく挑戦した青年を以てしても踏み出すのに躊躇を覚えた。


「お、おい!! ボクを助けに来たのか!! 早く此処から逃がしてくれ!!」


 だが、態々青年が闇に足を踏み入れる必要はなかった。今回の騒動の元凶であるシュターゼンが、暗闇の中から命辛々と言わんばかりの這々の体で現れたからだ。見掛けに寄らず動きが速く、まるで肥え太ったゴキブリのようだと思ったのは内緒である。

 彼から数秒遅れて、寝惚け眼を擦るアクリルを抱えたエマが暗闇のベールを脱して青年の前に現れた。シュターゼンのように恥も外聞もかなぐり捨てて救助を求める訳でもなく、落ち着き払った瞳の奥底に安堵を揺蕩わせ、只々青年に感謝の念を注いでいた。

 任務で伝えられていた救助者全員の無事を確認し終えると、青年は直ぐさまロブソンから与えられた魔法陣に向けて呼び掛けた。全員の無事が分かったからと言って、そこで任務が終わる訳ではない。彼等を無事に街へと連れ戻し、そこで漸く任務は完了するのだ。


「ロブソンさん、全員の無事を確認しました」

『よし、救助者を連れて今直ぐ脱出するんだ。ヘルスタッグを引き付ける囮役がやられたかもしれん。ヤツは此処へ戻って来るぞ』


 薄青色に輝いた魔法陣から流れてきたリーダーの声には救助者の無事を祝う歓喜はなく、先程以上に切迫した緊張が滲んでいた。

 そこで青年は森の彼方からやって来た衝撃を思い出し、其方の方角へ振り返る。そうか、今の攻撃で仲間は……と感傷に浸っていられたのも束の間だった。胸倉にやや強い衝撃が走り、反射的に視線を落とせば、必死を通り越して狂気に取り憑かれたシュターゼンが青年の胸倉にしがみ付いていた。


「おい! 何をボサッとしているんだ! 早く此処からボクを逃がせ! 急げ!」

「わ、分かりました! では、一人ずつ順番にフラッタ……バルーンスライムに掴まって下さい!」


 シュターゼンの命令に従うのは正直癪ではあるが、一刻も早く此処を後にすべきだという意見には賛成であった。そして青年が従魔に掴まるように案内するや、シュターゼンは真っ先にスライムの触手にしがみ付いた。

 相変わらずの自己中心っぷりに思わず呆れの溜息が零れそうになったが、青年はそれを寸での所で飲み込んだ。そして自分も暖簾のようにダラリと垂れた触手の一本を掴み取り、巣穴に残されているエマとアクリルに手を差し伸ばした。


「さぁ、二人も此方へ―――」


 ゴウッ! 


 彼方からやって来た突風の刃が空を切り裂き、青年の言葉を掻き消し―――フラッタの身体を一閃する。

 まるでパンパンに詰まった水風船を名刀で切り捨てるかのように、フラッタの身体に一瞬だけ薄い斜線が浮かび上がったかと思いきや、次の瞬間にはバンッと弾け飛び、体内のジェルを撒き散らした。


「フラッタ!!」

「う、うわあああああああああ!!」


 唯一の命綱であるフラッタがやられた事により二人の身体は重力の法則に従い、地上に向けて真っ逆様に落ちていく。

 落ちていく青年の視界が辛うじて捉えられたのは、巣穴から顔を慌てて覗かせるエマとアクリル、そしてビッグウッドの森の中を高速で飛来するヘルスタッグであった。恐らくや多分という曖昧な言葉を使わずとも、暴君が怒り狂っているのは火を見るよりも明らかだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る