第85話 暴君の宴

 ヘルスタッグが暴走してから数時間後、教習所の門から建物へと続く広大な庭は大勢の人間でごった返していた。死傷者を搬送する医療関係者から、教習所を右往左往する研究員や試験官、そして試験に参加していた受験者と、彼等の安否を確認しに足を運んだ身内等だ。

 因みに死者数だが、アレだけの数がヘルスタッグの風魔法で吹き飛ばされながらも然程多くなかったようだ。木々に放り出された故に枝木がクッションとなって助かった者も居れば、試験官の従魔によって間一髪救われた者も居るそうだ。しかし、必ずしもゼロではなかったが。


「ガーシェル、大丈夫かいな?」

『私は大丈夫です。ただ、アクリルさんを御守り出来なかったのが悔しくて……』

「無理もあるまい。よもや、このような事態になるとは誰にも見当が付くまいて」


 教習所内にあるホールの一室にて、私はヤクト達と再会を果たした。しかし、アクリルがヘルスタッグに連れ去られてしまったという事実もあり、その再会は喜びの欠けた通夜にも似た沈痛なものであった。

 特に私の心は重い自責の念で押し殺されてしまいそうだった。いや、例え本当に押し殺されても、文句は言えないだけの失態を犯してしまったのだ。

 契約者を守るのが従魔の仕事だと言うのに、そんな基本的な事すら守れなかった。ましてや私の場合はアクリルを守る事において強い決意を持っていただけに、その落胆は海溝のように深かった。


『申し訳ありません。私がしっかりしていれば、こんな事には……』

「済んだ事を何時までも引き摺ってても、何の得にもならんで。それにコレはガーシェルだけの責任やあらへん」

「そうだ。先ずはアクリルを取り返す。それが最優先事項だ。落ち込むのは後回しにしろ。それにヘルスタッグがその場で獲物を殺さず、態々連れ去ったと言う不可解な行動も気になる。可能性としては低いが、まだアクリル達が殺されていない可能性も捨て切れん」

『はい』


 もしヤクトやクロニカルドが私の犯した失態を責めた場合、私はソレを甘んじて受け止める覚悟だった。がしかし、彼等は私に対し罵倒も非難も浴びせなかった。

 寧ろ、アクリルを守れなかった事で気落ちする私を気遣かってくれる配慮が節々に見て取れる。その優しさに有難味を覚える一方で、更に私の自責の念を重くさせた。だからこそ、私は二人の言葉に従って、落ち込んだ気持ちを切り替えようと努めた。


「それにしてもシュターゼンや! アイツのせいでコッチは巻き添えを食らったんや! あの疫病神をとっちめな気が済まへんわ!!」

「全くだ! 下らん面子のせいで大惨事を引き起こすとは! もしも奴と会ったら、今度は息の根を止めてくれるわ!」


 只、彼等とて必ずしも怒りを抱いていないという訳ではなく、その矛先は騒動の元凶であるシュターゼンに向けられていた。

 アクリルがヘルスタッグに連れ去られた経緯は私の記憶魔法で余すところなく伝えたが、彼女と一緒に連れ去られたシュターゼンに関しては二人とも同情はおろか憐憫すら抱いていなかった。まぁ、そもそも彼の自業自得なので当然ですけどね。

 そして私達の会話に間が訪れそうだったので、私は先程から気になっていたある事をヤクトに尋ねた。


『ヤクトさん、その肩に乗っているエルピーはどうしたんですか?』


 そう、ヤクトの肩には何故かエマの従魔であるグリーンワームのエルピーがちょこんと乗っていた。私と同様に気落ちと不安が入り混じった、悲しげな表情を浮かべて地面を見下ろしている。

 私の問い掛けにヤクトは多少の躊躇いを込めた溜息を吐き出し、束の間の沈黙の後に口を開いた。


「実はなぁ、エマもヘルスタッグに連れ去らわれてしもうたんや」

『ええ!? どういう事ですか!?』

「うむ、実はな――」


 そう言ってクロニカルドが語ったのは、ヘルスタッグがシュターゼンとアクリルを掴んだまま教習所を後にした直後の出来事だった。

 私達が実技試験を受けている最中、ヤクト達は街中でエマと再会して世間話に花を咲かせていたそうだ。但し、その内容は血縛を始めとする今回の一件の発端が見え隠れキナ臭い内容であったが。

 すると、三人の会話を遮るように唐突に教習所の方から甲高い咆哮が轟き、振り返ると大通りを超低空――ヤクト曰く手を伸ばせば触れられそうな程――で飛行するヘルスタッグの姿が目に入った。

 三人は咄嗟に身を屈めて此方に向かってくるヘルスタッグを遣り過ごそうとしたが、奴と擦れ違った際に、まるでスリに遭ったかのようにエマが連れて行かれてしまったのだ。その時にエルピーはエマの肩から振り落とされてしまい、地面に転がって気を失っていた所をヤクトに保護された……という訳だ。


『でも、どうしてエマさんを? それにアクリルさんを連れて行く理由も分かりません。もしも恨みを晴らすだけならば、シュターゼンだけで十分なのでは?』

「エマちゃんはシュターゼンの共犯として睨まれ、アクリルちゃんは宴のメインディッシュとして選ばれた……と見るべきでしょうね」


 私の問い掛けに答えたのはヤクトでもクロニカルドでもなく、私達の下へとやって来たキューラだった。そこに何時ものフザけた面立ちはなく、この状況下の緊急性を理解している生真面目な顔を作っていた。


「共犯云々に関しては何となく分かるけど、もう一方の宴とかメインディッシュとかってのは一体何やねん?」

「ヘルスタッグの性格を一言で言えば暴君よ。残虐無比、傍若無人、侮辱されれば徹底的に相手を潰す執念深さ。そしてヤツは目立ちたがり屋でもあるわ。自分が素晴らしい王だと他者に認めさせる為に、奴は自分の縄張りで宴を開く習性を持っているの」

「宴って……基本的にはどんな事をするんや?」

「まぁ、一つは公開処刑みたいなものね。これは恐らく自分を扱き使ったシュターゼン、そしてシュターゼンの目論見に巻き込まれたエマちゃんが狙われる可能性が極めて大ね。特にヤツは人間に敗北した恨みもあるから、その分宴も盛大になるでしょうね」


 その盛大という言葉に良い意味が微塵も含まれていなかったのは明白であった。またエマが危機に晒されていると悟ったのか、ヤクトの肩に乗っているエルピーが「キュ!?」と短い鳴き声を上げて反応した。

 そんなエルピーの頭をヤクトが一頻りに撫でて落ち着かせると、今度はアクリルに関する質問を投げ掛けた。


「それじゃ姫さんは何で連れ去らわれたんや? メインディッシュとか言うとったけど?」

「魔獣は魔力を好む生物よ。身体測定の初日にアクリルちゃんが見せた膨大な魔力を目にしたら、どんな魔獣だって目の色を変えるのは当然でしょ?」


 成程、初日の身体測定の時でアクリルがやらかした魔力の暴走の一件を機に、ヤツはアクリルに目星を付けていたのか。それなら彼女を態々連れ帰ったのも合点がいく。


「それに宴は直ぐに始まる訳じゃないわ。言い換えれば、アクリルちゃん達は直ぐに殺されないって事よ」

「宴は何時から始まるんや?」

「何時に始まるかまでは断定は出来ないけど、大抵が夜中に開かれているわ」

「夜中って……」


 そこで言葉を切り、太陽の方へ振り返るヤクト。既にソレは西の山脈に足を着け掛けており、色も淡い夕焼け色に変色していた。それはタイムリミットである夜中を迎えるのも時間の問題という意味を表していた。


「おいおいおい、既に夕方に差し掛かっとるんやで!? あんまりのんびりしてられへんで!」

「ええ、分かっている。救出部隊の編成が完了次第、すぐに出発させるわ。後はヘルスタッグの宴会が開かれる場所を知ってそうな人から聞き出すだけよ」

「宴会場を知っている者だと? そんな奴が居るのか?」

「恐らく……だけどね。もし分からなかったら虱潰しを覚悟しなくちゃいけないけど、彼等ならば何か話を聞いているかもしれない」

「それって、どういう――――」


 キューラが語る情報源についてヤクトが深く掘り下げようとした時だ。門の前に金の装飾と匠の彫刻が施された、豪奢な馬車が停車した。派手な馬車の登場に、その場にいた人々の目が釘付けとなったが、馬車から二人の男女が降りるや彼等の視線は其方に固定された。


「キューラ女史!! これは一体どういう事ですか!! 私のシュターゼンに何があったのですか!!」

「きゃ、キャロライン! 落ち着きなさい! 此処は公共の場なのだぞ!」

「アナタは黙ってなさい!!」


 馬車から現れたのはシュターゼンの両親……キャロラインとブダッシュだった。

 キャロラインは人目を憚らずに怒りを曝け出しているのに対し、一方のブダッシュは場を弁える事を知っているらしく彼なりに理性を保とうと努めていた。

 また彼女の短慮を嗜める常識人としての一面も覗かせたが、逆に怒鳴り返されて沈黙してしまう。何と言うか夫婦と言うよりも、ヒステリックな女主人と気弱で幸薄そうな従者と言う表現の方がしっくりと来る。

 そんな頼りない夫を置き去りにして、キャロラインは早足で進み始めた。コッコッコッとハイヒールを甲高く鳴らしながら、若干前のめり且つ大股で進む姿に貴族の高潔さはなかった。あるのは彼女個人の怒りだけだ。

 そしてキャロラインがキューラの前で足を止めると、怨敵を睨むような険のある眼差しでキューラを射抜いた。しかし、視線の矢を受けている当人は涼しげな表情――の中に侮蔑の色も含まれている――をキャロラインの視線を遣り過ごしている。


「キューラ女史! シュターゼンがヘルスタッグに攫われたというのは本当なのですか!? 貴方がたは一体何をしていたんですか!! それでも国代表する機関の一員なのですか!?」

「確かにヘルスタッグを止められなかったのは私達の不徳の致すところです。言葉もありません」

「ならば、速く連れ戻しなさい!! こんな所で油を売ってモタモタしている場合ではありませんでしょう!!」


 人間って怒ると頭に血が上ったと表現するが、顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らすキャロラインを見ていると、強ち間違いじゃないと思わざるを得ない。

 しかし、貴族という特権階級の権化とも言うべき存在を前にしても、キューラは臆した様子を微塵も見せなかった。寧ろ毅然とした態度で挑み、それでいながら(一応)目上に対する礼節も欠かず、文字通り大人の対応を以てしてキャロラインに向き合った。


「勿論、これより救出に向かいます。ですが、その前に御二人にお尋ねしなければならない事があります。これは極めて重要な事ですので、御協力のほどをお願い致します」

「だったら要件を早く言いなさい!!」

「では、単刀直入にお聞きします。御子息はヘルスタッグを何処で捕獲しましたか?」


 その質問にキャロラインは「は?」と気の抜けそうな呆けた声を出した。たった一言ではあるが、質問の真意を理解していないのは明白であった。キューラの瞳に「察しろよボケが」と言わんばかりの苛立ちが薄らと波立つが、パチリと瞼を瞬かせて感情をリセットすると愛想の良い笑みを浮かべて言い直した。


「ヘルスタッグは恐らく自分の縄張り……つまりシュターゼン氏が捕獲した現場に戻る筈です。つまり、そこへ行けばシュターゼン氏を見付け出せる可能性は極めて高い筈です」

「だったらそれを先に言いなさい!! 確かシュターゼンがアレをハンター達と一緒に捕まえたのは……アナタ!!」キャロラインの視線が、両者の遣り取りを傍から眺めていただけのブダッシュに鋭く突き刺さる。「何ボサッとしているの!! さっさと場所を思い出しなさい!!」


 突如差し向けられた嫁のヒステリックにブダッシュは一瞬だけ狼狽えるも、直ぐに真剣な面持ちで思考を巡らす。

 八つ当たりを受けても然程尾を引いていない様子から察するに、キャロラインからの理不尽は日常茶飯事のようだ。幸薄そうな彼に、ちょっぴり同情してしまったのは内緒である。そしてブダッシュは狭い脳内で記憶の引き出しを漁り、答えを取り出した。


「確か……そう、ビッグウッドの森だ!」

「ビックウッドの森? それは確かですか?」

「ああ、間違いない! 息子が自慢していた! ビッグウッドの森で従魔を手に入れたと!」

「そうですか。これまた厄介な場所に……」


 キューラの呟きを耳聡く拾い上げたヤクトが「どういう意味や?」と尋ねれば、彼女は難儀そうに眉を傾げ、厄介な理由を語ってくれた。


「ビックウッドの森は此処から東へ進んだ先にある広大な森なの。ビッグウッドという名の通り、木の一本一本が巨大でね。一番大きいヤツで数軒分の家が建てられる程よ。だけど、ビッグウッドの森には当然ながら魔獣が住んでいるわ。中でも昆虫魔獣……それも大型種が数多く生息しているのよ」

「成る程、そりゃ確かに厄介な場所やな」

「ええ、現時点で集められるだけの腕利きを集めたけど……困難が予想されるわ」


 キューラが口にした困難に対し、ヤクトも納得を込めて首を縦に動かす。と、それまで話の流れを見計らい沈黙を守っていたキャロラインが口を開き、我慢の臨界点に達したと言わんばかりに大声を張り上げた。


「居場所が分かったのなら早く救出に向かいなさい!! 万が一にシュターゼンの……ヴァークナー家の跡取りの身に何かあれば、国に貴女の責任を訴えますからね!!」


 国をバックに持つキューラを直接脅すのではなく、その国に彼女の責任を訴えるという遠回しだが確実な手段を選んだ時点で、知恵の巡りは愚昧な息子より母親の方が遥かに上だと証明された。

 流石は没落し掛かった貴族の男を救い、そのまま領主の座へと導いただけの事はある。但し、その領主の座に腰を下ろした当人は、今では彼女の傀儡となってしまったが。

 キャロラインの一方的だが正統な訴えに対し、今度こそキューラも慌てふためくかと思いきや、彼女はにっこりと――但し、細まった瞼の奥にある眼は微塵も笑っていない――笑顔を作り、反撃の狼煙を上げた。


「先程も言いましたが、ヘルスタッグの逃走を許したのは私達の責任です。がしかし、ヘルスタッグの暴走そのものに関してはシュターゼン氏の自業自得です」

「な、何ですって!? 御自身の責任をシュターゼンに転嫁するなんて! 非常識にも程がありますわよ!!」

「シュターゼン氏が従えていたヘルスタッグですが、あれは正式な従魔契約を交わした訳ではなく、本人の隷属魔法で意思を束縛させていた可能性が極めて大です。そして隷属魔法の呪縛が解けた事によってヘルスタッグは暴走しました。これが自業自得の理由です。

 その結果、シュターゼン氏の他に五歳の子供と貴方が雇っていたメイド一名も連れ去らわれてしまい、更に暴走を止めようとした試験官とその従魔、暴走するヘルスタッグから逃れようとした受験生達も巻き添えを食らい、大勢の死傷者が出ました。この時点で過失傷害及び過失致死が成立です。

 そもそも隷属魔法によって魔獣を従わせるのは従魔に非ずと法律で明記されています。なのに、当人はその事実を隠した上に、更に魔法具で自身のステータスの一部を隠匿して従魔試験に挑んだ。これは詐欺罪に匹敵する違法行為です。

 更に連れ去らわれたメイドと面識のある人から、彼女がシュターゼン氏に代理血縛を強要されたという証言もあります。個人的な血縛ならば兎も角、他人の命を危険に晒す代理血縛は魔法関係の法令で堅く禁じられています。これは殺人未遂に当たる重罪です。

 勿論、救出には向かいますが、無事に戻ってきた場合はシュターゼン氏には、これらの罪を償って頂きます。もし彼が既に故人になっていた場合は、その責任は両親である貴方達が請け負う事になりますが……宜しいですね?」


 長々とした台詞を最低限の息継ぎで言い切り、光の角度によって白く輝いている眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。知的で大人びた動作とは裏腹に、キューラの表情は口喧嘩に勝った子供のようなドヤ顔を浮かべていた。

 それでも私は内心でキューラに拍手を捧げた。私だけでない。シュターゼンを毛嫌い、彼を甘やかしてきた両親に対し文句や不満のある人間ならば、誰もが心の中でスタンディングオベーションをしているに違いないと断言出来る。現に此方の様子を窺っている何人かは、キューラの真っ直ぐに伸びた背筋に向けて尊敬の眼差しを注いでいる。

 キューラのマシンガントークでハチの巣にされたキャロラインはハクハクと唇で空を噛み、漸く絞り出した声は動揺と困惑で震えていた。


「あ、あ、アナタは私達を脅そうと言うのですか!?」

「脅す? いいえ、シュターゼン氏が犯した罪を御教えしたまでです。では、先程も仰って下さったように救出の為に必要な準備に取り掛かりますので失礼します」


 軽く御辞宜をするや、キューラは軽い足取りで踵を返した。それを機に私達も彼女の後に続き、その場から離れた。

 背後ではキャロラインが待ちなさいだの聞きなさいだのと喚いているが、彼女の求めに応じる者は皆無であった。これから救助に向かわなければならないのだから、彼女の無駄話に付き合っている暇なんてない。

 やがてキャロラインの声が届かない距離にまで歩を進めた所で、キューラは徐に口を額た。


「本当は既に救出チームの編成は出来上がっているんだけど―――」

「?」

「場所が場所だから、もう1チーム欲しいんだよねぇ」


 そう言ってキューラは期待を込めた眼差しで、私達一人一人を一瞥した。その台詞と思わせ振りな態度だけで、彼女が何を言いたいのかは明白であった。

 それに対し私達も『何故』とか『どうして』とか、彼女の期待を裏切るような無粋な言葉は一言も漏らさなかった。寧ろ、遠回しにアクリルの救出に同行させてくれる彼女の申し出に感謝の念を抱き、ヤクトとクロニカルドに至っては好戦的な笑みさえ浮かべている。


「おう、その話乗っちゃるわ。それにここぞと言う所で断ったら、男が廃るっちゅーもんや」

「それに我が弟子の危機だ。ここで立たねば師匠としての面目が保たれぬ」

『アクリルさんを助けられるのならば、是非もありません』

「じゃあ、決まりね!!」


 各々の言葉にキューラは笑みを深め、満足そうに胸の前でパンッと手を鳴らした。

 それから程無くして、救出チームに組み込まれた私達は黄金色に燃える夕日に見送られながらテラリアを出立した。とは言え、目的地に到着する頃には太陽は西の彼方へ沈んでいるだろうから、ほぼ時間との勝負と言っても過言ではない。

 アクリルの無事……いや、生存を祈りながら、ビッグウッドの森へと続く道を全力で駆け抜けるのであった。



 ビッグウッド……名の通り巨大な樹木を意味するのだが、その大きさは一本につき五階建てのビルに匹敵する。この世界でソレが見れるのは、テラリアから東へ10km進んだ場所にあるビッグウッドの森だけだ。

 ビッグウッドの利点は只単に良品質の材木が大量に得られるだけに留まらず、加工が容易く様々な物に応用出来る上に、これで作った家は冬は暖かく夏は涼しいと寒暖耐久にも優れており、建築業界では大いに重宝された。

 だが、必ずしもビッグウッドは容易に手に入るという訳ではない。これが群生しているのは先にも述べた通り、ビッグウッドの森だけだ。そして其処は数多くの魔獣――特に大型の昆虫系魔獣――が生息する危険地帯であり、下手に踏み入れようものならば相応の痛手も覚悟しなければならない。

 温暖期の頃は深緑色の葉が天を覆う天蓋のように溢れていたが、寒冷期に突入しつつある現在では大部分の葉が枯れ落ち、目立ち始めた枝木の隙間から寒空を拝めてしまうまでに様変わりしていた。

 そんな頭が寂しくなったビッグウッドの森ではあるが、寒さを苦手とする昆虫系魔獣達にとっては寒冷期を凌げる唯一の安息地である事に変わりはない。

 ある魔獣はビッグウッドの木枝を集めて鳥の巣のように住処を作り、またある魔獣は何枚にも重ねた巨大な落葉をコートのように羽織って防寒具代わりにする。

 各々の知識と特性が克明に表れる中、大胆にもビッグウッドの木に直接穴を開け、その中に居を構える魔獣が居た。ヘルスタッグだ。

 それも只のヘルスタッグではない。彼はつい一時間程前までは隷属魔法によって強制的に自我を封じられていたが、突然その呪縛から解放されて自由の身となったのだ。

 そして真っ先に我が家へ帰宅すると、あの頃と全く変わらない木の香りや温もりを始めとする慣れ親しんだ空気が彼を出迎えてくれた。懐かしさは彼の荒ぶった気持ちを落ち着かせてくれたが、腹の奥底で煮え立つ怒りは収まる気配を見せない。

 不覚を取った己が悪いと頭の何処かで理解しているが、それでも人間如きに後れを取り、顎で扱き使われた記憶はハッキリと残っている。王者の誇りを踏み躙られた過去は、どう足掻いても消せないのだ。

 そこで卵状に削り取った空間の片隅に視線を傾ければ、自分を嵌めた主犯者と共犯者、そして旨そうな魔力を持つ御馳走が身を寄せ合うように縮こまっていた。

 御馳走は兎も角、自分を乏しめた輩だけでも先に殺してしまおうか? そんな殺戮欲が頭に過るが、彼はそれを寸での所で止めた。

 何故なら今日は己の帰還を祝う大事な宴が開かれるのだ。その時に見せしめとして血祭りに上げれば、彼の歴史に付いた汚点も少なからず薄れるだろう―――そう自己完結して、ヘルスタッグは穴から外を見遣った。

 既に日は傾き、もう間も無くすれば夜が訪れる。そして、この地に王が戻った事を告げる宴が開演するのだ。それを想像しただけで胸の中を期待が躍り、薄く開いた口から硬い骨同士を擦り合わせるような不快な笑い声が零れ落ちた。

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