第43話 魔力に導かれしモノ

「ほれほれ、頑張りぃや。早よせんと賞金首が逃げてまうで」

『こっちだって急いでいるんですよ!』

「ホンマ、シェルは海中とは違って森ん中やと動きが悪いなぁ。オタク、横に出っ張り過ぎやで。少し痩せたらどうや?」

『デカいのは貝殻であって、私の本体は大きくないですよ!! というか、文句言うなら降りて下さい!!』


 仲良く(?)軽口を叩き合いながら、私とヤクトは森の中を移動していた。厳密に言えばヤクトは私の貝殻の上に乗っているだけなんですけどね。

 しかも、移動を始めたら否が応でも直面する問題――主に横幅が広く小回りが利き辛い図体のこと――に対して一々ツッコミを入れてくるので無茶苦茶鬱陶しい。時折、本当に振り落してやろうかと物騒な考えを抱いてしまいそうになるけれど、アクリルが連れて行かれた廃村の位置を知るのは彼だけなので、此処は我慢の為所である。

 因みに彼のツッコミに対して私も律儀に言葉を返すが、此方は声帯なんて持っていないので私の台詞は一言も向こうに届いていない。なので、傍から見るとヤクトがシェル相手にグチグチと独り言を零している風にしか見えないのだ。

 まぁ、向こうも自分の言葉が相手に通じないと思っているからこそ、好き勝手に言っているのだろうけど……先程、私が貴方の意見に肯定したり反応を示した事を忘れてませんかね?


「せやけど、この調子なら数分と掛からずに目的地に辿り着けそうや。馬みたいに面倒な操作も必要あらへんし、ホンマお前さんは便利やなぁ」


 ヤクトは薄っすらとはにかみながら、ポンポンと貝殻を叩きながら私の頑張りを褒めてくれた。時々こうやって素直に褒めたりもしてくれるのだから、それまで抱き掛けた怒りや不満は何処かへ吹っ飛んでしまう。憎もうにも憎み切れないキャラとは、彼の事を言うのだろう。


「さて、もうじきで目的地や。きっとオークションは既に―――ん?」


 目的地まで残り僅かと言うところでヤクトが何に気付き、正面に向けた表情を不自然そうに曇らせた直後、私達が向かっている方角から凄まじい突風が木々を騒めかせながら吹き抜けた。

 突風に巻き上げられた土埃や枯葉が激しい風圧を伴って襲い掛かり、パシパシと細かい砂粒のぶつかる感触が貝殻越しに伝わって来る。ヤクトも帽子を目深く被りつつ、突風で吹き飛ばされぬよう上から抑え付けるので必死だ。


「何や、この風!? ちゅーか、何ちゅうゴツイ魔力や!」


 突風がやって来た先にある魔力の膨大さに勘付いたヤクトは、埃混じりの突風が顔に当たるのも無視して真剣な眼差しを前方へと向けた。彼の言う通り、これは只の風ではない。並々ならぬ膨大な魔力が生み出した風であり、そして私はこの風に含まれた魔力に覚えがあった。


『これは……まさかアクリルさんの!?』


 だが、私の記憶が正しければアクリルにはメリルから渡された魔封じのブレスレットがあり、それによって魔力の暴走は封じられる筈だ。まさかブレスレットが何らかの理由で外されたのか? だとしたらアクリルの価値に気付いた人間の手によって何をされるか分かったもんじゃない!

 そう考えていると、移動中ずっと発動していたソナーの波紋が動く物体をキャッチした。チラリと其方に目を向けると、夜の闇と森の蔭が折重なった深い暗がりの中を移動する魔獣達の姿があった。それも彼等は眩い光に引き寄せられる虫の如く、魔力の突風を生み出している根源に向かって直進している。

 ヤクトも私の視線の先に居る魔獣達の動向に気付いたのか、面倒事になったという自分の本音を舌打ち一つで表現した。


「ヤバいで。魔獣は人間の魔力を好んで喰らう習性がある。それも高ければ高い程に集まり易いと来たもんや。奴等が一斉に動き出したっちゅー事は、信じられへんけど……この魔力は人間の――」


 ヤクトの説明が終わるのを待たずして、私は泡の車輪を急回転させて走り出した。予告無しの急発進で危うくヤクトを地面に投げ落としそうになったが、幸いにも本人は反射的に這い蹲るようにしがみ付いてくれたおかげで事無きを得た。だからと言って、当人が怒らない訳がなかったが。


「くぉら!! 急に走り出すんやないわ! 落ちたらどないしてくれんねん!!」


 ヤクトは怒りを露わにしてガンガンッと私の貝殻を叩くも、私は何の反応も返さなかった。いや、厳密に言えば怒声や貝殻を叩く音が意識に届かぬ程に、私は目の前の事に集中していたと言うべきか。

 魔獣達の狙いは言うまでもなくアクリルだ。彼等に此方の事情なんて通じる筈がなく、もしアクリルと対面すれば容赦なく食らうのは目に見えている。

 そんな事はさせない。させてたまるか。メリルやガーヴィンと交わした約束の為にも、そして私にとって大事な人をこれ以上失わせやしない。そんな私の決意が車輪に伝わったのか、車輪の回転速度は更に上昇した。



「いやああああああああああああああああああ!!!!」

「ぬお!?」

「にゃ!?」

「何だと!?」


 アクリルの悲鳴が起こった直後、彼女の身体から怒涛と呼ぶに相応しい濃密な魔力の波動が溢れ出した。

 御立ち台に立っていた男達は異口同音に驚きを露わにし、アクリルに一番近かったボローンに至っては膨大な魔力の波に押されて御立ち台から転がり落ちる有様だ。そして3人の驚きは御立ち台の周りに集まっていた顧客達に次々と感染していった。


「何だ、この魔力は……!?」

「す、凄い! こんなのは初めてだ!」

「おい! こんなに凄い魔力の持ち主だとは聞いていないぞ! オークションをやり直してくれ!!」

「そうだ! やり直すべきだ!!」


 アクリルの膨大な魔力に金の匂いを嗅ぎ取った顧客達が、一斉にオークションのやり直しを求めて声を上げ始める。しかし、オークションの主催者であるハンスにとってもアクリルの魔力の凄まじさは予想外であり、直ぐに顧客達の求めに応じる事が出来なかった。


「な!? こ、こんなガキにこれ程の魔力があるなんて……!?」

「あ、兄貴! こいつはスゲぇですにゃ! オークションをやり直せば、さっきの倍以上の鐘が手に入りますにゃ!」


 慄くハンスとは異なり、キャトルの方は純粋にアクリルの魔力に目を輝かせている。無邪気と言うよりも能天気と呼ぶに相応しい反応にハンスは舌打ちしようとしたが、そこで彼の手首に嵌められているブレスレットの存在に気付いて「ん?」と眉を傾げた。


「おい、キャトル。それ、どうした?」


 ハンスの視線が自分の手首に向けられている事に気付いたキャトルは、ブレスレットの嵌った手を自慢気に持ち上げながら答えた。


「ああ、これですかにゃ? こいつはこのガキが持ってた物ですにゃ。どうせオークションで売られちまうんですし、あっしが貰っても別に問題は―――」


 そう意気揚々と説明していたキャトルだったが、そこでハンスに突然胸倉を掴み上げられ説明を遮らざるを得なかった。


「馬鹿野郎!! テメェ、何てことしてくれたんだ!!」

「ひっ! ど、どうしたんですにゃ兄貴!?」

「テメェがガキから奪ったソレは只のブレスレットじゃねぇ!! 魔封じのブレスレットだ!! まだ魔力のコントロールが未熟なガキが身に着ける一種の魔法抑制具だ!! それを奪ったせいでこうなってんだぞ!!」

「にゃ、にゃんと……! そ、それで何がヤバいんでしょうにゃ?」


 依然として事の重大さに気付いていないキャトルに、ハンスは怒りを通り越して深い失望感を覚えた。そして相手を見捨てるかのように胸倉を掴んが手で乱雑に突き放してやると、キャトルは思わず御立ち台の上で尻餅を付いた。


「テメェも知ってんだろう! 魔獣は人間の魔力を好む生物だって!!」

「え、ええ。そりゃ勿論―――ってまさか!!」

「ああ、そうだ! 森中に居る魔獣がガキの魔力に引き寄せられてやって来るぞ!!」


 ハンスの言葉で漸く己のしでかした失態に気付き、キャトルは顔を蒼褪める。が、既に手遅れだった。


「キシャアアァアア!!」


 不快すら覚える硬質的な奇声がオークション会場である廃村に響き渡った途端、冷や水を浴びせ掛けれたかのように場の空気が氷点下へと急降下した。非合法のオークションである事も忘れて舞い上がっていた顧客達ですら、その鳴き声を聞いた途端に口を噤んで息を飲んだ。


「ま、魔獣だ! 魔獣が来たぞ!!」


 そして顧客の中に居た誰かが魔獣の襲来を告げると、一瞬にしてオークション会場はパニックに陥った。流石の顧客達も自分の命と商品とを天秤に掛けるまでもないらしく、蜘蛛の子を散らすかのように我先にと逃げ場所を求めて駆け出した。

 がしかし、逃げる判断を下すには些か遅過ぎた。既に廃村の周りは複数の魔獣によって半包囲されており、必死に逃げても助かるどころか、自分から命を捧げるようなものだ。しかも、この廃村に現れた魔獣は極めて厄介且つ凶暴だった。

 サイス・マンティス……見た目は一言で言うと黒っぽいカマキリだが、その全長は1m以上にも達し、サイスという名の通り手足は鋭い刃で構成されている。

 ランク的には下位魔獣に位置する大して珍しくもない魔獣だが、出会ったタイミングが悪過ぎた。サイス・マンティスは本格的な寒冷期に突入する前に、越冬に備えて通常の倍以上の餌を捕食し、必要なエネルギーを蓄えるという習性を持つ。

 この暴食期と呼ばれる時期になるとサイス・マンティスの凶暴性は輪を掛けて強まり、更に旺盛な食欲も加わる事で目の前に現れた者は人間だろうと上位魔獣だろうと見境無しに襲って喰らう程に手が付けられなくなるのだ。

 つまり、オークション会場に集まっている人間の群れは、サイス・マンティス達からしたら質量共に満足のいく魅力的な食糧庫も同然なのだ。その上、最大規模の魔力を持った人間は魔獣からすれば極上な御馳走だ。只でさえ大量の餌を欲する彼等が足を運ばない理由がない。

 我慢という言葉を知らないサイス・マンティス達は空腹を満たさんと、逃げ惑う人間に襲い掛かった。

 自慢の鎌が空を切く音を奏でながら、人間の肉を造作もなく切り裂く。噴水のような血飛沫を巻き上げながら人間が一人倒れ伏すと、そこへ数匹のマンティスが詰め寄り肉を滅多切りにして新鮮な肉を味わい始めた。

 グチュグチュ、ブチブチ、ギチギチ……人肉を噛み締め、噛み千切り、音を立てて咀嚼する。昆虫の顎という事もあって生々しい捕食音が鮮明に聞こえ、聞く人が居れば肌が粟立つ程の戦慄を覚えたに違いない。しかし、パニックな上に周りも似たような光景が広がっているで一々気に留める人間など居なかったが。


「ひ、ひいいいい! な、何なんだ! この魔獣は!? く、喰うのは好きだが喰われるのは真っ平御免だ!」


 地獄絵図にも等しい阿鼻叫喚の中、御立ち台から転げ落ちたグエカは何とか逃げ道を探そうと這い蹲りながら周囲を見回していると、正面からぬっと伸びて来た影が自分の頭上に圧し掛かった。

 それに気付いて正面を恐る恐る見上げれば、そこには他のマンティス達よりも一回り大きく、禍々しさを覚えるほどに湾曲した鎌……いや、曲刀と呼んでも過言ではない凶器を両手に構えたサイス・マンティスが彼を見下ろしていた。


「ひぃ!」


 グエカは短い悲鳴を上げて立ち上がろうとするも、震えた足腰が肥満体を支え切れず再び尻餅を付いてしまう。結局足の遅い蛙のように這う這うの体で逃げようとするも、先程も言う様に暴食期に突入した魔獣達が目の前の餌をみすみす物がしてくれる筈がなかった。


「シィィィィ!」

「うげっ!」


 後ろと真ん中の節足の刃をグエカの下半身に食い込ませると、曲刀を彼の背骨に沿って走らせた。まるで豆腐を切るかのように肉が易々と裂け、赤い血液が溢れ出る。そしてパックリと割れた裂け目から、血に濡れた骨と臓物が姿を現した。


「い、いぎィ!! いだいいだいいだ!! や、やめろ! やめええええ!! あがああああああああああああ!!!」


 当人も生きた人間を屑殺して捌いた経験はあるが、まさか自分が魔獣の手によって背開きにされる日が来ようとは思いもしなかった。

 当然、痛みを和らげる麻酔も無しだ。よって常軌を逸脱した痛覚が神経を通ってダイレクトに脳へと伝達し、最早グエカの口からSOSを放つ事もままならない。まるで今まで積み重ねて来た非道の行いに対する報いを受けるかのようだ。

 そしてデスサイズは肋骨の隙間から覗く心臓目掛けて刃を滑り込ませ、グリッと捻った。ブチュッと肉塊を押し潰す音が聞こえた直後、グエカの悲鳴がパタリと止み、痛みに耐え兼ねて地面を只管に引っ掻いていた手から力が失われた。

 獲物の息の根を止めるとデスサイスは他のマンティス達同様に捕食を始めた。グエカの肥満体はさぞかし喰い応えがあるのだろう、赤い血に濡れた内臓脂肪を貪る食いっぷりは実に豪快で気持ち良さすら覚えそうだ―――無論、食べているソレが人間の死体でなければの話だが。

 そして骨を含めた臓物の大半を食し終えたところで、漸くデスサイスはメインデイッシュを一瞥した。何時の間にか独りぼっちで壇上に取り残されてしまった、泣きじゃくるアクリルを。

 悲鳴を上げたばかりの頃みたいな膨大な魔力はある程度弱まったものの、上手く魔力がコントロール出来ていないせいか依然として魔力は収まる気配もなく垂れ流されたままだ。


「キシャアアァア!」


 甲高い奇声を上げると、デスサイス・マンティスは壇上へと続く階段に四本ある節足のうち一本を掛けた。そして魔獣が一歩ずつ上って来るのに合わせてアクリルもジリジリと後退するも、あっという間に御立ち台の縁へと追い遣られててしまう。

 他に逃げられそうな場所は無いかと辺りを見回すも見当たらず、そうこうしている内にデスサイスはアクリルの居る壇上へと上がってきた。凶暴な魔物と間近で対面するのはコレで二度目だが、だからと言ってアクリルがそれに慣れる事はない。

 それにあの頃は大好きな母親と、まだ名前すら付けていなかったガーシェルが居てくれた。その事実はアクリルの心細さを加速させるのと同時に、幼さ故に決して頑丈に出来てはいない理性と言う名の防壁に罅を入れる。

 そしてアクリルの目の前に立ったデスサイスは鋭利な曲刀を高々と天に向かって掲げると、幼子の頭目掛けて振り下ろした。そこで遂にアクリルは目を見開く勇気を無くし、ギュッと瞼を固く閉ざした。


 ズドンッ!!

 ガキンッ!!


 だが、アクリルが想像していたような痛みの類は一切来なかった。何かが御立ち台の上に落ちたかのような音と衝撃、そして硬質的な何かに阻まれるような甲高い音が響き渡り、アクリルはハッと反射的に目を見開いた。

 するとデスサイスと自分の間に、何時の間にか奇妙な乱入者……純白の巨大貝が割り込んでいた。アクリルの立ち位置では後ろ姿からしか見えないが、それでも彼女の目にソレが飛び込んできた瞬間、ぶわりと涙が溢れ出た。

 当然、恐怖や悲しみではない。歓喜と安堵から来るものだ。そして彼女はしゃくり上げて上手く吐き出せない息を整え、振り絞るような声で彼の名前を――この世でたった一匹しか居ない自分の従魔の名前を叫んだ。


「ガージェルぢゃあああああん!!!」

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