第40話 大嫌いからの大事件

 パラッシュ村から脱出して既に3時間が経過し、見上げれば夜の黒色を基調とした星々の絢爛を装飾とした夜空の絨毯が空を埋め尽くしていた。

 何事も無い日常であればのんびりと夜空を見上げて、その美しい星空の光景を堪能していた所なのだが……今はそれどころじゃない。

 パラッシュ村を離れた現在、裏手に広がる山中を北に向かって直進している。北上している間も敵が来ないかとヒヤヒヤしていたが、ソナースキルを活用しながら周囲を警戒するも敵影は感知出来ない。つまり、私達の近くには居ないという訳だ。

 向こうも諦めた……と都合の良い可能性はないだろうが、それでも遠くまで距離を稼げたのならば探すのに苦労している筈だ。この隙に更に距離を稼いで、それから―――とそこまで考えて私はふと気づいてしまった。


『これから……どうすれば良いのだろうか?』


 メリルやガーヴィンは既にこの世には居ない。彼等の親戚に頼ろうにも、私はソレすら知らない。アクリルは知っているだろうか? いや、知っていたとしても、先ずは両親の死と向き合わなければならない。彼女の幼い精神が耐えられるかどうかを考えると、不安ばかりが頭に過る。

 そうだ、メリルから頂いた『記憶魔法』とやらを今の内に調べてみよう。脳内にステータスを表示してっと……おっ、あったあった。確かに譲渡されているな。それじゃ、ちょいと確認してみよう。


【記憶魔法:自分が見た記憶を他人に見せる魔法。一般人でも扱えるポピュラー魔法の一つ。また物や動物にメッセージを託す事も可能】


 ほうほう、これと言って特に珍しくもなければ攻撃系の魔法でもないが、自分が見た記憶をそのまま他人に見せられるという訳か。つまりは私の記憶が監視映像となり、証拠にもなるという事かな。うん、何か凄く便利そう。

 これならば謎の黒ローブの男達に襲われた事実を他人に知らせる事が出来そうだ。尤も、信頼出来る他人に会うまで無事に居られたらの話だが。

 と、記憶魔法の確認が終わった所で私の体内にあるセーフティハウスに避難させたアクリルに動きがあった。どうやらメリルに掛けられた魔法が解けて、目を覚ましたようだ。私はセーフティハウスの床に触手のウェーブを発生させ、ベルトコンベアーのようにアクリルを外へと連れ出した。


『アクリルさん、大丈夫ですか?』


 私の質問に寝起きで頭が回らないのかぼんやりとしていたアクリルだが、眠らされる直前の記憶を思い出したのかハッと円らな瞳を大きく開くや私の方へ振り返る。


「ガーシェルちゃん! おとーしゃんとおかーしゃんはどこ!?」

『………』

「ガーシェルちゃんってば!!」

『お父さんとお母さんは……アクリルさんを逃がす為に村に残りました』


 両親の死を単刀直入に伝える度胸の無い私は、牛歩のような遠回しでアクリルの質問に答えた。だが、幾ら足掻いても何れ答えは言わなければならない。そんな思いが私の精神を擦り減らし、目に見えないプレッシャーが心臓を鷲掴みにして握り潰さんとする。


「おとーしゃんとおかーしゃんは……死んじゃったの?」


 今にも泣き出しそうな震えた声で核心を突かれた途端、私はヒュッと息を飲み、一瞬何と答えるべきか迷った。幼いアクリルですら両親の死を勘付いているみたいだが、その声には両親が生きていて欲しいという願望に縋り付いているのが見え見えだった。

 だが、もし此処で下手に誤魔化したり希望を抱かせるような物言いをすれば、彼女は村へ戻ると言いかねない。そんな事になったら、向こうから獲物がやって来てくれたと黒ローブの男達が手放しで喜ぶのは目に見えている。

 メリルやガーヴィンの約束を守る為にも、それだけは避けなければならない。私は彼女を傷付ける上に嫌われるかもしれないという恐怖を覚悟して、事実を口にした。


『残念ですが、お父さんとお母さんは……もう……会えません……』


 嗚呼、やっぱり私は臆病者だ。他人の死には無関心を持てるようになったのに、いざアクリルに両親が死んだ真実を口にしようとして、結局は遠回しの台詞しか出てこなかった。

 だが、遠回しの台詞でも私の言いたい事を理解したのだろう。私を見据えるアクリルの瞳に涙の幕が張られ、溜め切れなくなった傍からボロボロと大粒の涙を零し始めた。


「うぞだ……!」

『……申し訳ありません』

「うぞだあああああ!!! ああああああああ!!!」


 流石に両親の死を受けれるには、アクリルみたいな子供には酷だったようだ。鼻水を垂れ流しながら大声で泣き叫ぶ姿は年相応だが、彼女の涙の理由が両親を失ったものによるものだと思うと、見ている此方の心にも悲痛な感情が深く心に突き刺さる。

 暫く泣き続けていたアクリルだったが、突然私の傍へ駆け寄ると私の貝殻をぽかぽかと叩き始めた。子供の腕力程度では私の貝殻はビクともしないが、心の方には動揺の波が立っていた。


『あ、アクリルさん!?』

「どうじておかーしゃんとおとーしゃんをまもってくれなかったの!! どうじてアクリルだけなの!?」

『そ、それは……』


 私だって本音を言えば家族全員を助けたかった。けれどもメリルは最早手の打ち様が無かったし、ガーヴィンもアクリルを守る為に最善を尽くした結果が自身を殿しんがりに据えて敵の足止め役を買うというものだった。

 父と母を同時に失った悲しみや理不尽に対する怒りは分からないでもないが、今回ばかりは仕方がない事なのだ。けれども一度火が付いてしまったアクリルの癇癪は治まらず、遂には荒れ狂う激情に流されるがままに声を荒げた。


「ばかばかばか! おとーしゃんやおかーしゃんをまもってくれないガーシェルちゃんなんてきらい! だいっきらいだァァァァァ!!!」

『アクリルさん!!』


 そう一頻りに叫ぶと彼女は踵を返し、山中に広がる森の奥へと突っ走ってしまう。思い掛けない罵倒に暫くその場から動けなかったが、直ぐにこのままではいけないと我に返りアクリルの後を追い駆ける。

 しかし、私の巨体(縦横約2m)では木々が生茂る山中では思うように速度を出せない上に、小柄なアクリルの方が山中を動き回るにおいては有利だった。幸いにも歩幅が短いおかげで差は開かれないが、一方で距離も思うように縮められない。

 だけど、参ったな。メリルの言う子供の癇癪とやらを甘く見ていた。子供は時に感情任せになり、泣いたり暴れたり駄々を捏ねたりするのは私もよく知っている。それを知った上でならば彼女の癇癪を受け入れられると思っていたのだが、先程の『大嫌い』の一言はは想像以上に私の心を抉った。

 じくじくと傷口が染みるような痛みが胸中に広がり、それに釣られて『大嫌い』の言葉が頭の中で鐘を打ち鳴らして反響するかのように何度も往復する。心も痛いわ、足取りも重いわで私の精神面は踏んだり蹴ったりだ。

 まさか結婚どころか童貞のまま死んだ自分が、子供に嫌われる親の気持ちを実感する日が来るとはなぁ。人生って本当に何が起こるのか分からんもんだ。

 しかし、ここで諦める訳にはいかない。メリルとガーヴィンにアクリルを託された以上、彼女を守ると言う責務が私には有る。そして何よりも―――――。



 小柄な体躯を活かして灌木の間を擦り抜け、アクリルは我武者羅に森の中を走った。幼い彼女に走り理由も無ければ、行き先と呼べる目的なんて無い。只、自分の内に燻る感情を上手く消化し切れず体を動かしていないと、ガーシェルに酷いことをしそうだと思っただけだ。

 彼女も本心では、悪いのはガーシェルじゃない事ぐらいは認めている。しかし、幼い子供という生き物は御門違いだと分かっていても、怒りの矛先を身近な何かにぶつけたがるものだ。しかも厄介な事に、一度感情を誰かにぶつけてしまうと、それを非と認めようとしない。

 ガーシェルから離れたのも、ソレが理由だ。自分のしている事が間違いだと分かりながらも、それを今更になって素直に認めたくない。未成熟な子供の精神が生み出した矛盾にアクリルは翻弄されていた。

 そしてアクリルは逃げるように只管に走り続けていると、前方の灌木の向こうに夜の暗闇に抗う光が見えた。焚き木と思しき温かな光だ。


(だれかいる!)


 焚き木をするという事は人間に違いない。そう考えたアクリルは灌木を突き抜け、焚き木の元へと向かった。結論から言うと、彼女の予想は見事に的中していた。但し、その焚き木を囲っている人間の善か悪かまでは見抜けなかった。


「あ……」

「ん?」


 灌木を抜けた先には一台の馬車が止まっており、その傍に作った焚き木の周りでは数人の男達が屯っていた。顔に鋭い傷跡を付けた目付きの悪い男、動物の肉を骨ごと噛み砕くでっぷりと太った巨漢、そして鳥籠のようなケース型の牢屋に閉じ込めた子供を馬車へと運ぶ猫髭を生やした猫背の男。

 誰を見ても善人らしい人間だとは到底思えず(子供をケースに閉じ込めている時点でアウトだが)、アクリルの脳裏で山賊や黒ローブ達の姿が浮かび上がり、目の前の男達とダブった。


(この人達、わるい人だ!)


 パッと見で悪い人か否かの判断が出来るようになったアクリルは咄嗟に踵を返して逃げ出そうとしたが、猫背の男があっさりと彼女の首根っこを摘まんで捕まえてしまう。


「やー! はなしてー!!」

「にゃははははは!! こいつはラッキーだにゃ! 奴隷オークションを始める前に新品の商品が自ら来てくれるにゃんてよ! それにチビだが、よくよく見れば上物だ。こいつは値が張るにゃ!」

「キャトル、余りはしゃぐな。万が一に近くに騎士が居たら厄介な事になるぞ」

「そうそうぅ、オイラ達はお忍びで来ているんだから見付かったら一巻のおしまいだよぉ。もうちょっと静かにしようよぉ。もぐもぐ」

「にゃはは、大丈夫ですってばハンスの兄貴。ここは少し前に起こった山賊事件を解決したばかりで警戒が薄れているんっすから。それとファットン! テメーは食っているだけで何もしてねーだろうが! 偉そうに言うんじゃねぇよ!」


 仲間達と会話を交わしている間にも、キャトルは手慣れたように懐から取り出した布をアクリルの口元に押さえ付けた。最初は抵抗していたアクリルだったが、布から漂ってくる甘い香りを吸い込んだ途端に脳が麻痺する程の強い睡魔が襲い掛かって来た。


「ガー……シェル……ちゃ………」


 強烈な眠気に抗えずアクリルの意識が陥落する寸前、ほぼ無意識の状態で最後に名前を呼んだのは父でも母でもなく、彼女の従魔の名前であった。

 意識が落ちたのを確認するとキャトルは喜々と馬車へ戻ろうとしたが、ほぼ同時に傍に会った木々が大きく揺れ、草木を踏み潰す音と共にソレは灌木を乗り越えて現れた。

 真っ白い貝殻を持った巨大貝――アクリルの従魔シェルことガーシェルだ。


『アクリルさん!』

「な、何だぁ!?」

「にゃ!? にゃんで山の中にシェルが居るんだよ!!」


 ファットンとキャトルが姿を隠そうともせず自分から登場したシェルに驚きを抜かすが、リーダー格であるハンスだけはガーシェルがこの場に現れた理由を冷静に考え、そして的確に答えを見抜いた。


「待て、コイツの貝殻の紋章……珍しい形をしているが、もしかして従魔なのか?」

「にゃにゃ!?……あ、兄貴! このガキンチョの手の甲にも同じ痣があるにゃ!!」

「やはりな、主を追い駆けてやって来たのか。その忠義には脱帽するが、だからと言って此方も折角手に入った素晴らしい商品を手渡す訳にはいかない。ファットン、こいつの相手をしろ」

「えええぇ? オイラですかぁ?」


 ファットンが気弱な表情で不服を申そうとするも、顔の傷で迫力が倍増したハンスの鋭い睨みがそれを黙らせた。


「テメェは食うだけしか能がないってところ以外をちったぁ見せろや」

「わ、分かりましたよぉ」


 兄貴の脅しに負けた巨漢は贅肉と地面を揺らしながらゆっくりと立ち上がり、ガーシェルと対峙する。その間にキャトルはアクリルを馬車へと運び込み、ハンスは御者台に飛び乗り馬の手綱を握り締めると、馬車越しからファットンの方へ覗き込んだ。


「良いな、今日のオークション会場は北西の廃村だぞ? 道に迷ったり間違えたりするなよ?」

「分かってますよぉ、コイツをぶっ潰したら追い掛けますからぁ」


 ファットンが悠々と答えるのと同時に、薄汚れた襤褸のような幌を纏った馬車が走り出した。ガーシェルは直ぐに馬車の後を追い掛けようとするも、それを阻止せんとファットンが上半身の脂肪をぶるるんと揺らしながら立ち塞がった。


「おっとぉ、そう簡単には行かせないよぉ。おめぇはオイラが直々にぶっ潰してぇ、そんでもって焼いて食ってやるゥゥゥ!!」


 ハンスの命令と己の食い意地とどちらが大事なのかは分からないが、気合の入った雄叫びを挙げながらファットンは巨体を揺るがせガーシェルに襲い掛かった。

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