第33話 セーフティハウス

 シェルがアクリルを一口で飲み込んだ。それを見た瞬間、彼女の父親であるガーヴィンは一瞬何が起こったのか理解出来なかった。何故ならば従魔は基本的に主人に忠実なのが当たり前だという考えが頭の中に居座っていたからだ。

 だが、徐々に現実を理解すると彼は慌ててシェルの下へと駆け寄った。駆け寄ると言うよりも、傷だらけ身体を引き摺ってという方が的確かもしれないが。


「おい、シェル! アクリルを吐き出せ!!」


 傷だらけの手で煤けた貝殻を叩いて訴えるも、ガンガンと硬質的な音が響くだけで肝心のシェルはうんともすんとも言わずに沈黙に徹している。元々シェルに声帯と呼ばれる器官なんて存在しないのは知っているが、それでも何かしらのリアクションが欲しかった。

 期待していたシェルからの反応が無い事を認めると、ガーヴィンはすぐさまバトルソードを手にした。シェルの頑丈な貝殻を切断するのは不可能だが、貝殻の隙間に鞘を差し込んで力尽くで抉じ開けるぐらいは可能だ。

 そして貝殻の隙間目掛けてバトルソードを突き入れようとした時、背後から当てられた弱々しい女性の声が彼の動きを制止させた。声に釣られて振り返ると、俯せのまま上体だけを起こしたメリルが夫の背中に弱々しい視線を投げ掛けていた。


「メリル!」


 それまでの目的を忘れたかのようにガーヴィンは握り締めていた剣をほっぽり出すと、彼女の傍らへと近付き膝を折ってしゃがみ込んだ。


「大丈夫か、メリル?」

「ええ、大丈夫。でも、私達のせいでアナタが……」

「気にするな。お前達の為ならこれぐらいの傷、どうって事ないさ」


 どうって事ないとガーヴィンは気さくに笑いながら言ってのけるが、平常ならば格好良く見えるソレも重傷を負った姿では台無しどころか、余計に痛々しさを煽っている感は否めなかった。

 メリルの表情に申し訳なさと無念さに加え、新たに遣る瀬無さが追加されるのを見て取ったガーヴィンは幼子をあやすかのように彼女の頭に手を置いて優しく撫でた。最初は夫の好意を受け入れていた彼女も、やがて気恥ずかしさを覚えると自分から話題を振り出した。


「ところで……アクリルはどうしたの?」

「ああ、それなんだが――」チラリと視線をシェルの方へ投げ掛ける。「――何を思ったのか、シェルがアクリルを飲み込みやがった」

「シェルが?……へぇ、珍しいですね」


 メリルの口からポロリと零れ落ちた最後の一言は、ガーヴィンのような驚愕や困惑は含まれておらず、寧ろ「それは意外だ」と深刻さを然程感じさせない軽い響きを含んでいた。その口調に含まれた性質を夫は瞬時に見抜き、詰め寄るよう顔を近付けた。


「おいおいおい、そんな悠長に言っている場合じゃないだろ! アクリルが食われたんだぞ!? 兎に角、今すぐシェルの殻を抉じ開けて―――」

「アナタ、ちょっとは落ち着いて下さい」再び行動に移ろうとしていたガーヴィンを、メリルが冷静な口調で呼び止めた。「シェルはアクリルの従魔なんですよ? 主に対して歯向かうような真似をする訳ないでしょう?」

「だが、現にアイツはアクリルを―――!」

「それもシェルに何か考えがあっての事でしょう。今だけは、あの子シェルを信じて待ちませんか? それにあの子は従魔じゃない時から私達を救ってくれた恩人じゃないですか」


 そう言うとメリルはそっとシェルに視線を注いだ。そこにはアクリルの身を案じる思いも含まれているが、シェルに任せれば大丈夫という絶対的な信頼感がそれ以上に含まれていた。

 嘗てシェルに命を救ってもらった経験があるだけに、メリルの言葉には説得力があった。ガーヴィンは複雑な思いを顰め面に滲ませた末、重い溜息を吐き出して彼女の隣にドカリと乱雑に座り込んだ。


「もしアクリルの身に何かあったら、アイツを絶対に許さないからな」

「ふふ、そう言いながらも律儀に待って下さるんですね」

「……ほっとけ」


 何だかんだでシェルを信頼し絆されているガーヴィンの本心を見抜いたメリルがくすくすと笑うと、夫は不貞腐れた表情で顔をそっぽ向けてしまう。その時に彼の耳が赤く染まっていたが、メリルは敢えて指摘せずに心の奥に仕舞い込んだのであった。



「ひっく……ここどこぉ?」


 烈火の如く泣き叫んでいたアクリルが涙を引っ込めたのは、シェルに飲み込まれてから程無くしてからだった。それまで荒れ狂う感情に押し流されるがままだったが、周囲の風景が変わった事に伴い感情が一時的に鎮火したようだ。

 今、アクリルが居る場所は父や母やシェルが居た雑草地帯ではなく、ミルクのような優しい淡い白と新鮮な赤味を混ぜ合わせた薄い桃色で埋め尽くされた不思議なドーム状の空間だった。

 試しにアクリルが足元に広がる白に触れると指が軽く沈み、離せば弾力で押し戻されて元の状態に戻る。まるで肉塊か、煮固めたゼラチンを触っているような感覚だ。

 見渡す限り光源は見当たらないが空間の明るさは確保されており、暗闇の恐怖に苛まれるという心配も無い。が、それでも見知らぬ場所に放り込まれてしまったという困惑と恐怖は拭い切れず、それに付け加えて自分一人だけしか居ないという心細さがアクリルに襲い掛かる


「うぅ……。おとーしゃん、おかーしゃん、シェルちゃん……みんなどこぉ?」

『大丈夫ですよ、アクリルさん。皆さん無事ですよ』


 再び目に涙が溜まって泣き出すかと思われた矢先、聞き慣れた従魔の声が鼓膜に届きアクリルはハッと顔を上げた。肝心の姿は見えずとも聞いた声を間違える筈が無い、そんな確信を胸に宿すとアクリルは辺りを見回しながら叫んだ。


「シェルちゃん!! どこなの!? シェルちゃーん!!」

『安心して下さい、アクリルさん。私はこの空間に居ますよ』

「シェルちゃん!!」


 やっぱりシェルが自分の傍に居るんだ! そう確信したアクリルは不安で押し潰されそうな気持ちから一転し、心強い仲間を得たかのような安心感に満たされた。ついでに涙も止まり、満面の笑顔が咲き乱れる。


「シェルちゃん、どこに居るのー!? 姿を見せてー!」

『ええっと……そのぉ、姿を見せるのは少し難しいですねぇ』

「なんでー!?」

『何でと言われましても……ちょっと説明するのが難しいかもしれませんけど、アクリルさんが居るのは私の中なんです』

「シェルちゃんの?」


 どういう意味だとアクリルは首を傾げ、幼い頭でその意味をじっくりと考える。そして突然閃いたかのように両目を大きく見開き、彼女なりに導き出した答えを口にした。


「もしかして……私シェルちゃんに食べられちゃったの!?」

『ある意味で間違っていませんけど厳密に言えば違います』


 やや食い気味に(そして必死なのか早口で)否定すると、シェルは軽く溜息を吐いて間を置くと、可能な限り分かり易く且つ丁寧に説明した。


『ここは私の体内に作られたセーフティハウスと呼ばれるものです。俗に言う異空間……いや、魔法空間なるものでしょうか」

「いくーかん? まほーくーかん?」

『うーんと……簡単に言ってしまうと私の体内に部屋があって、そこにアクリルさんを避難させたと言えば分かりますか?』

「よくわかんないけど、シェルちゃんのおなかの中におへやがあるんだね!」

『まぁ、そういう事ですね』


 幼い子供に何度言葉を組み変えて説明しても、このスキルの本質は理解できないだろう。まぁ、無理して理解する必要も無いので今はアクリルの解釈に任せても問題ないだろう。と、そこでアクリルは何かを思い出し急に不安と真剣さを綯交ぜた表情を浮かべた。


「……あっ! シェルちゃん! おとーしゃんとおかーしゃんはどうなったの?」

『御二人なら無事ですよ、ホラ』


 真っ白い空間の一部に円形の穴が出現し、その中にはテレビの砂嵐にも似たノイズが走る。アクリルが円の中心を食い入るように見詰めているとブンッとテレビを点けたような音が聞こえ、円の中にガーヴィンとメリルが互いに身を寄せ合う映像が流れた。シェルが目にした映像が、このセーフティハウスの内の空間に映し出されているのだ。


「おとーしゃん! おかーしゃん!」


 アクリルはモニターに手を伸ばすも、それは実体のない靄のように彼女の手を擦り抜けてしまう。二人が目の前に居るのに手が届かないという事実にアクリルはシュンと項垂れるように落ち込むが、それをフォローするかのようにシェルが優しく語り掛ける。


『アクリルさん、御二人でしたら外に居ますよ。此処から出て御会いになりますか?』


 シェルの提案にアクリルは目を輝かせ、何度も頭を上下に振った。


「うん! おとーしゃんとおかーしゃんに会いたい!」

『では、今から外と此方の空間を繋げますので御待ち下さい』

「早く早くー!」


 ぴょんぴょんと可愛く飛び跳ねながら急かすと、何処からか『少々御待ち下さい』というシェルの声がやって来た。それからきっかり十秒後、アクリルの正面に広がる空間が両開きに展開し、向こうから太陽光の眩い光が差し込んだ。


『どうぞ、此処を通れば外に出られますよ』


 そうシェルがアクリルに促すように語り掛けると、彼女は両開きの空間へ足を踏み込む前にチラリと天を見上げて呟いた。


「ねぇ、シェルちゃん」

『はい、何でしょうか?』

「またシェルちゃんのおへやに遊びに来ても良い?」

『勿論です。アクリルさんは私の主人ですからね。何時でも仰って頂ければ、招待しますよ』


 アクリルはシェルの言葉に子供らしい満面の笑顔を浮かべ、「約束だよ!」という言葉を残すと両開きの空間の中へと踏み出した。白い光の津波がアクリルに押し寄せ、一瞬だけビックリして彼女は足を止めるも、直ぐに遡行するように波に逆らって前へと進んで行った。



 ガーヴィンが妻に促されて腰を下ろしてから数分が経過したが、依然としてシェルに動きは無かった。もしかしたら本当にアクリルを喰ったのではという疑念が湧き上がる一方で、妻に言われたようにシェルを信頼しようと努める己も居る。

 相反する気持ちが胸中で拮抗し、反発し合う度に発生する言い様のない苛立ちやもどかしさにガーヴィンは無意識に眉を顰め、胡坐を掻いた脚の上に置いた指をトントントンと貧乏揺すりのように何度も鳴らした。そんな夫の苛立つ様子にメリルは眉を顰めながら見咎めた。


「アナタ、少しは落ち着いたらどうです?」

「あ、ああ。すまん。しかし、アクリルが心配で―――」


 そう言い掛けて視線をシェルの方へ預けると、固く閉ざされていた貝殻がパカリと開いた。それに気付いた夫婦は互いに驚きと緊張を張り巡らした顔を見合わせた後、シェルを凝視するかの様に熱い視線を注ぎ込んだ。

 そして開いた貝殻の隙間の向こうに広がる暗闇の中でモゾモゾと何かが蠢き、程無くして貝殻の中から這い出て来たのは―――夫婦にとって宝とも呼べる我が子だった。


「アクリル!」

「おとーしゃん! おかーしゃん!」


 両親の姿を見付けるや、短い手足を元気一杯に振って駆け出した。妻の肩を借りて立ち上ったガーヴィンが片腕を広げ、夫を支えるメリルがもう片方を伸ばせば、アクリルは両親が作った弧の深い部分に飛び込んだ。


「おとーしゃん! おかーしゃん!」

「アクリル! 無事か!?」

「うん! シェルちゃんの部屋の中に居たからへーき!」

「良く分からないけど、無事で良かったわ……!」


 ガーヴィンとメリルは娘の無事を確認すると安堵の溜息を吐き出すのと同時に緊張の糸が途切れ、壊れ物を扱うように彼女を抱き締めた。やがてアクリルがジッと父親の顔を不安げに見上げているのに気付き、ガーヴィンは首を傾げながら尋ねた。


「どうした、アクリル?」

「おとーしゃん、ボロボロだけどへーき?」

「ああ、この傷か? ははっ、お父さんは頑丈だからな。これぐらいどうって事ないさ」


 そう言ってガーヴィンが笑いながら頭を撫でると、彼女の目からポロリと涙が零れ落ちた。無論、それは悲しみや苦痛による涙ではない。ガーヴィンが生きていると実感した事で覚えた強烈な安堵感からくるものだ。

 一度零れ落ちた涙を直ぐに仕舞い込むのは容易ではない。ましてや幼子の精神では制御なんて出来よう筈がない。その後もポロポロと真珠のような涙が彼女の柔らかな頬を伝って落ちていき、遂にアクリルは父親に抱き付きながら大声を上げて泣き始めた。


「うああああん!! おとーしゃーん!!」

「おっと! ははは、アクリルは泣き虫だなぁ」

「わあああああああ!!!」


 泣き虫という不名誉な肩書きを与えられたにも拘らず、アクリルの涙は奔流の如く勢いを止めることはなかった。ガーヴィンは泣きじゃくる娘の背中を優しく叩きながら抱き締め、メリルも穏やかな眼差しで二人を見守ったのであった。

 こうして山賊が引き起こしたパラッシュ村襲撃事件は幕を下ろした。多くの死と、人々の心に深い傷跡を遺して……。

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