第32話 目覚め

 五歳児であるアクリルは、この世の全てを把握し切れていない。それは彼女ぐらいの年代の子供ならば誰もが当然と呼べる事であり、一方で成長するに連れて世界の成り立ちや理などを徐々に理解していくだろうという期待もある。

 しかし、この時点で真っ新な白紙に近い彼女の人生録に復讐という言葉は存在しなかった。無論、その意味さえもだ。

 故に復讐と言う名目で大事な家族――父親と母親、そしてシェル――を傷付けるガロンという男の言動が理解出来ず、アクリルは彼に対して『嫌い』という感情を抱いた。因みにアクリルが人間相手に嫌いと思ったのは、彼が初めてである。

 生まれて初めて抱いた負の感情と共に、彼女の中で凄まじい力が激しく渦を描き出した。それは人間が持つ生粋の力とはベクトルが異なる、魔力と呼ばれる得体の知れない第二の力だった。

 この世界の人間ならば五才ぐらいから魔力に目覚め、そこから魔力の扱い方を習得するのだが、今のアクリルはから生じた怒りや悲しみと言った激情によって感覚が曇っており、力の存在に気付いていなかった。しかも、その感情は魔力をセーブする為に必要な箍を外すよう無意識に誘導していた。

 まだまだ感情的にも揺らぎが大きい幼子に、それらを止める術は有る筈がなかった。更に彼女の負の感情が一気に膨れ上がったのは、ガロンが親指で喉を掻っ切る真似をして自分の母親を殺害するよう命じた瞬間だった。


(どうしてアクリル達を苛めるの? どうしておとーしゃんにおかーしゃん、シェルちゃんに村のみんなを苛めるの? 嫌い。皆を苛める人は嫌い。皆に酷いことをする人は嫌い。そんなヤツなんか……そんなヤツなんか―――!!)


 そして山賊が鉈を振り下ろしメリルの首を刎ねんとした時、アクリルの感情が渦巻いていた力と共に爆発した。


(いなくなっちゃえ!!)


 彼女の怒りに呼応するかのように、首に掛けていた鈴が揺れてカランッと音を立てた。



「あ?」

「ん?」


 その場にはそぐわない鈴の音が不意に鳴り響きに、鉈を振り下ろしていた男の手がメリルの首の皮に触れるか触れないかというスレスレのところで止まった。鉈を持った男はパッと顔を上げ、不思議そうに辺りを見回している。

 彼だけじゃない。私の耳や他の人間の耳にもカランコロンと転がるような可愛らしい鈴の音が耳に張り付いている。どうやらコレは敵味方問わず無差別に聞こえているようだ。


「何だ、この鈴の音は? 一体何処から―――!?」


 ガロンは炎の縄を強く握り締めたまま、もう片方の手で片耳を抑えながら周囲に視線を巡らした。そして鈴の音源を見付けた途端、鬱陶しさと疑問の半々で満たされていた彼の表情は一転して、生気すら奪い尽しそうな蒼で埋め尽くされた。

 ガロンが敷いた視線のレールを辿っていくと、一人の幼女――アクリルが大きい目に涙を溜め込んだまま、悲しみよりも怒りが多く分配された眼差しでガロンを睨み付けていた。

 だが、たったそれだけでガロンが顔を蒼褪める筈が無い。彼を蒼褪めさせたのはアクリルの身体から発せられている膨大な魔力だった。彼女の背後にある風景を真夏日の陽炎のように歪ませ、長い髪の毛は見えざる魔力の上昇気流に乗って揺ら揺らと蠢いている。

 魔法という何かしらの形になったものならば兎も角、不可視の魔力だけで風景を歪ましたり、髪の毛を阿修羅のように逆立たせるなんて……魔法や魔力に疎い私ですら異常だと瞬時に理解した。


「あ、アクリル! あ……貴女……! まさか―――」


 メリルも娘から放たれる凄まじい魔力に気付き、何かを口にしようと開き掛けたが一足遅かった。


「おとーしゃんやおかーしゃん……! シェルちゃんを苛めるやつなんか!! だいっきらいだぁぁぁぁぁ!!!!」


 アクリルの内に溜め込まれた憤怒が未熟な理性のダムを決壊させ、同時に膨大な魔力が津波となって周囲に押し広がった。

 途端、耳に張り付いていた鈴の音は一気に重厚感と破壊力を増し、最終的には教会の鐘にも匹敵する激しい音へと変化した。その音は最早福音を通り越して、立派な音響兵器としか言い様がなかった。


「ぐあああああ!! あ、頭がいてェェェ!!」

「頭が……割れちまうぅぅぅ!!」


 最初に音を上げたのはアクリルとメリルの傍に居た山賊達だった。苦痛の余り白目を剥き、口角から泡を飛ばしながら地面に倒れ伏すと、頭を抱えながら地面をのた打ち回っていたが、やがて意識を飛ばしたのかダランと手足を投げ出したまま動かなくなった。


「ち、畜生! 一体何だってんだ! この喧しい音はよぉ!!」


 ガロンも音の暴力に追い詰められているらしく、広い額には苦痛を主原料とする汗の粒が無数に浮き上がっていた。あっさりと倒れた部下と違い自前の足で立ち続けているものの、山賊の頭領としての意地や根性で支えられているようなものであり、足元はふらつき覚束なくなっている。

 だが、確かにガロンの言う事も一理ある。この音の正体は一体何だ? アクリルの方を見据えながら鑑定スキルを見ると、あるアイテムの名前がステータスとして表示された。


聖なる鐘ホーリーベル:希少な聖属性のアイテム。邪気を祓う魔除けの力が含まれている為、身に着けた人間には不幸を跳ね除け幸福を齎すという伝説がある。また魔力を込めれば音は増幅し、遥かに離れた人々の耳にも届くようになっている】


 ホーリーベル? そんなものが一体何処に……ああ、あった! アクリルの首にネックレスのように引っ掛けているアレか! つまりアクリルから爆発的に放出された魔力にホーリーベルが感応した結果、今みたいな音響兵器となってしまったという訳か。

 しかし、これは弱ったぞ。山賊達も音に阻まれて手出し出来ないが、それは此方も同様だ。一番傍に居るメリルが両耳を塞ぐ格好でアクリルの暴走を鎮めようと試みているが……―――


「あ、アクリル……! 落ち着いて……!」

「うああああああん!! わああああああん!!」


 ――感情の赴くままに暴走させているアクリルの耳に、母の訴えが届いていないのは明白であった。挙句にはメリルの意識も朦朧とし始め、娘に呼び掛ける言葉から力が失われていった。


「チクショウ! このクソガキがぁ!!」


 鼓膜を劈く鐘の音に元々頑丈でない堪忍袋の緒が切れたガロンは、アクリルに向けて本気のファイヤーボールを放った。火球は直線を描いてアクリルに襲い掛かり、そして彼女を巻き込んで盛大に爆ぜた―――かに見えた。


「うああああああああん!!!」

「な、何ィ!?」


 甲高い泣き声と共に倍増した音の衝撃波が爆炎を掻き消し、アクリルを守ったのだ。期待を裏切られたガロンはすぐさま連続して火球を放ったが、その全てが音波で築かれた不可視の壁に阻まれ、彼女に火球が届く事は無かった。


「ぐぅ……! くそったれ! こんな話聞いちゃいねぇぞ……!」


 幼児相手に手も足も出ない現実に苦虫を噛み潰す思いを抱きながらも、強情を張っていたガロンも意識が遠退き始め地面に片膝を着いた。

 するとガーヴィンの体に巻き付いていた火の鞭が一気に下火へと向かい、注連縄ほどの太さを持っていたソレは瞬く間に頼りない藁のような細さへと縮退していく。恐らく意識が遠退いた事で、火の縄を維持する為に向けていた集中力が失われたのだろう。

 それを見てチャンスと睨んだガーヴィンは拘束を解こうと両腕を押し広げると、火の鞭は意図も簡単に引き千切れ、儚い火の粉となって四散した。


「!! しま―――」

風撃ヴァンクラッシュ!!」


 自由を取り戻したガーヴィンは、握り拳に纏わせた小型の竜巻をガロンの顎目掛けて打ち抜いた。所謂アッパーカットではあるが、そこに強力な竜巻の威力が加わったことでガロンの巨体は高々と宙に舞い上がった。

 そしてガロンの肉体は重々しい地響きを立てる勢いで、焦土と化した地面に叩き付けられた。殴られた直後で意識も飛んだらしく、白目を引ん剝いたまま黒く焼け爛れた大地に手足を投げ出す姿は敗者と呼ぶ他なかった。あと歯も複数圧し折れ、不細工な歯抜け面を晒したのは個人的にいい気味だと思った。


「か、頭が! 頭がやられた!」

「くそ! 逃げろ! もうアイツに構っている必要も従う必要もない!」

「何だよ! 散々威張っておきながら、結局はやられるのかよ!」


 ガロンがやられる姿を目の当たりにするや、子分達はあっさりと見切りを付けて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。仇討ちを試みるどころか何の躊躇いもなく忠誠心も破棄するところからして、ガロンの人徳の無さが窺える。まぁ、暴力で得た信頼なんて大抵がそんなものだろうが。

 これで一つ目の問題は解決した。あとは――――


「うあああああああああん!!!」


 未だに感情を爆走させているアクリルを如何に止めるかだ。既にガーヴィンは立っているので精一杯なまでに傷だらけで、我が子を止められる力なんて残っていない。彼よりも弱いメリルなんて尚更だ。

 バルドー達が戻って来るまで待つしかないのか? いや、それでは傍に居るメリルが助からない。こんな騒音以外の何物でもない鐘の音に晒され続ければ、彼女の鼓膜どころか精神がイカれてしまう。

 何か手立ては無いものか……。彼女を傷付けず、そして音を止める方法は……。

 ………いや、待てよ。もしかしたら“”が使えるかもしれない。試した事は無いが、少なくとも彼女を傷付けるようなスキルではない事だけは確かだ。

 そうと決まれば善は急げ。私は力を振り絞り、土潜りのスキルで地中に潜り込んだ。無論、逃げる訳ではない。アクリルに近付く為だ。地中ならば音の影響は大幅に低減するし、何よりも苦痛を和らげた利点は大きい。

 そして地中を全速力で掘り進み、遂にアクリルの真下に辿り着いた。


『アクリルさん、少し驚くかもしれませんが……我慢してくださいね!』


 聞こえているかどうかは定かではないが、そう前置きだけすると私は地中から飛び出し―――


バクンッ


 ―――直上に居た彼女を飲み込んだ。

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