第16話 脱出は真夜中が基本

 日が暮れて、天蓋から星々の刺繍が施された夜の帳が下ろされる。昼間は活気に満ち溢れていた漁村も夜を迎えると、一日の終わりに相応しい静謐で慎ましい雰囲気に包み込まれる。

 やがて人々は夜の闇に見守られながら微睡みの世界へ落ちていくが、彼等とは対照的に真夜中になってから行動を起こす者も居た。他ならぬ私だ。

 体内時計から察して、大体今の時刻は深夜一時といったところだろうか。流石にこの時間帯では人気は殆ど感じられず、遠くから寄せては返す小波の音が鮮明に聞こえるほどに静けさが勝っていた。

 だが、逃げ出すにはこの上ない好機チャンスだ。周囲に人間が居ない事を再度確認した上で、私は昼間の内に考え纏めた脱出計画を決行する事にした。

 第一段階は自分が居るプールからの脱出だ。しかし、これは大して難しくなかった。先ずプールの縁の一歩手前まで近付いた所で、ケツを下に向けながら身体を斜め上に持ち上げる。分かり易く説明すれば、射角を付けた対空ミサイルを想像して頂けたら十分だ。

 そして現時点で出せ得る最大出力のジェット噴射で一気に水面から飛び出し、プールの縁を飛び越えた。しかし、そのまま地面に着地すれば貝殻と地面がキスし合ってエンダァァァァとはならずに破滅的なけたたましい騒音を出してしまう。そこで着地する寸前で自分の周囲にバブルバリアを展開し、着地の衝撃を和らげるのと同時に騒音を極力封殺した。

 こうして夜の静けさを破る事無く第一段階をクリアする事に成功した。続いて第二段階――陸地の移動だ。これが脱出において最大の悩みの種だったが、アクリルが齎してくれたヒントのおかげで解決策を導き出せた。

 当初、私は脱出する為には異世界に存在する移動手段――馬車もしくは船――を手に入れる必要があると考え、それをどうやって手に入れるかで悩んでいた。が、そもそもこの前提が大間違いだった。どう足掻いてもシェルの身では移動手段に乗る事は出来ても、操作するのは到底不可能だ。

 では、どうするか。答えは簡単だ、自分で移動手段を生み出せば良いのだ。前世の私は造船や馬車を作る技術なんて持っていないが、今の私は違う。どんなものも(大体)思い通りに作れる、魔法と呼ばれる素晴らしい能力を身に着けている!

 早速私が考案した魔法を試してみるとしよう。厚みを持たせた泡の円盤を産み出し、それを貝殻にサンドイッチさせるように左右に装着させる。するとステータス表示が私の眼前に現れた。


【泡魔法:バブルホイールを会得しました】


 キタァァァァァ!!! 思った通りの結果とバブルホイールの出来栄えに、私は内心で狂喜乱舞した。これで陸地を自由に駆ける足(車輪?)を手に入れた。もう陸に上がったら手も足も出せないとは言わせないぞ。

 試しに運転してみると、操作は意外と簡単だった。重心を前に掛ければ前に進むし、左右どちらかに掛ければ掛けた方向に曲がってくれる。バックも同様だ。この操作方法、何かに似ているなと記憶を探らせると、セグウェイの操作方法と完全に一致していた

 では、倉庫を後にして外に出よう。幸いにも此処の漁村は防犯意識が低いのか、鍵を掛けるという習慣が定着していないようだ。尤も、私みたいな重たいシェルを盗み出す物好きな輩なんて居ないだろうが。

 倉庫の扉を静かに開けて、外を窺う。暗視スキルとソナーを活用しながら周囲を念入りに探るが、日が昇る前から仕事に入ると言われる漁民と言えども、流石に今の時間は就寝中のようだ。

 今の内に海に脱出しよう……と言いたいのも山々だが、そう簡単にはいかない。この漁村は居住区と港を隔てる壁のような横長のゲートがあるのだ。何故そんな事を知っているのかと言うと、漁師達に捕らえられて解体所の倉庫に運ばれる際にゲートを潜ったからだ。

 つまり、私が居る解体所は居住区エリアの一角に置かれており、再び海に戻る為にはゲートを越えなければならないという訳だ。では、このゲートをどうやって突破するのかというのが次の課題だが、私の答えはだ。

 これを聞いた人が居れば冗談言っている場合かと思うだろうが、此方は至って真剣だ。単刀直入に言えばゲートを突破するのは不可能だ。分厚い壁を破壊する術は無いし、溶解針でチマチマ溶かしていては時間が掛かる。

 地面に潜って向こう側に出る術も考えたのだが、此方の居住区の地面は硬い石畳が敷き詰められており、私の持つ土潜りのスキルが通用しないのだ。

 では、どうするのか? そこで私が導き出した答えはというものだ。此方も荷台に乗せられた時にチラッと遠目にしか見れなかったが、高過ぎず低過ぎず普通の有り触れた山という印象だ。

 海底深くで生活していた私には多少困難かもしれないが、それでも何もしないで食われるよりかは遥かにマシだ。倉庫を出た私は寝静まった漁村を音も無く走り抜け、裏手に広がる山を目指した。



 漁村の裏手にある山麓の手前に差し掛かった私は、眼前に広がる夜の衣を纏った黒い山を見上げた。

 裏手の山は高低の起伏が乏しく、登山初心者でも努力次第で登れてしまいそうな難易度の低い山が連なっている。しかし、山の稜線が漁村を半ば囲う形で入り組んでおり、ハイキングならいざ知らず、交通の便に着目すると些か不便と言わざるを得ない。

 山間部や斜面には樅に似たずんぐりとした木が生茂り、その合間から虫と夜鳥の鳴き声が夜の合唱を奏でている。が、不思議と煩わしさは覚えない。


(見た限りでは近くに魔獣は見当たらないけど、念の為に他者の接近を知らせてくれるパッシブソナーは常時発動させておこう)


 暗視スキルのおかげで暗闇の中でも鮮明に見通せるが、もしこれが無ければ視界は暗夜に溺れ、ほぼ手探りで山道を進まなければならない所だ。そしてソナースキルによって森に潜む魔獣もキャッチしてくれるので、突然不意打ちで襲われるという心配もない筈だ。

 他に問題点は無いかを自分の中で念入りに精査し、やがて無い事を確認すると私は目前の山に向かって進み始めた。恐らく陸地を平然と移動し、剰え登山をするシェルなんて後にも先にも私だけに違いない。

 けれども山道の移動は自分が思っていた以上に順調だった。起伏が乏しいおかげでタイヤが山道に捉われる心配もなく、また自身の魔力を変換させて生み出した馬力は多少急な坂道でも楽々と上れる程のパワーを有している。

 更にタイヤそのものが泡だからか木枝を踏んでも潰すことなく乗り越える事が出来、不用意に物音を立てずに済むという静粛性の高さも嬉しい誤算だ。

 強いてデメリットを述べるならば燃費の悪さだろうか。漁村を脱出してから裏山の山腹に辿り着くまでの間に、既に4分の1の魔力が消費されてしまっている。これに付いては今後の課題と言ったところであろうか。

 そして山腹を少し過ぎた所で、私は足を止めた。常時発動させていたパッシブソナーに反応が表れたからだ。

 方向は自分を中心に2時と3時の間、目視する限りでは樅のような常緑樹が林立しているばかりでソナーに引っ掛かった生物と思しき姿は何処にも見当たらない。が、代わりにあるものを発見して「ん?」と眉を顰め、視線を一点に縫い止めた。


「あれは……タケノコ?」


 そう、日本人ならば一度は生で見た事はあるであろうタケノコが樹木の根元に生えていたのだ。それも中々の……いや、かなりの大きさだ。これ、現実世界のタケノコに比べて3倍近くもあるんじゃね?

 こんな異世界にも日本と同じ植物があるんだなーと思いながらノコノコと近付こうとして、ある事に気付いてピタリと足を止めた。何という事でしょう、タケノコが呼吸しています。

 いや、植物が呼吸するのは学校の状業で習ったけど、そういう意味での呼吸じゃない。酸素を吸って吐く度に内側が収縮するという、動物とほぼ同じ呼吸の仕方だった。


「えっ、まさかこれって……」


【ドーカ:森や山に生息する鳥型の魔獣。日の出と共に活動し、日の入りと共に活動を停止するというメリハリの付いた行動が特徴。魔獣の中では小型の部類に入り、戦闘力も極めて低いが、日中は速度が増し、夜になると防御力が増すという変わったステータス変動を見せる。活動を停止する夜間は植物に擬態して外敵を遣り過ごし、そのまま朝を迎えるまで絶対に目覚めない】


 もしやと思って鑑定してみたら、やはり魔獣だった。ソナーが反応した原因はコイツか。しかし、説明文だけを呼んでみると弱いけど中々にユニークなヤツだ。今は夜中だから防御力が増すのか。どれどれ、ステータスはどんなものかなっと。


【種族】ドーカ

【レベル】5

【体力】100

【攻撃力】5

【防御力】999(日中は1)

【速度】1(日中は999)

【魔力】5

【スキル】ステータス変動

【攻撃技】なし


「ぶっ!」


 ステータスを見た途端、思わず噴き出してしまった。ちょっと待って!? 防御力がシェル(私)よりも上じゃないか! そして日中は速度999!? ドラクエで言うメタルスライムか、こいつは!?

 だけど、この防御力じゃ私はおろか何人も傷付けられないだろう。待てよ、研磨を使えば或いは……いや、止めておこう。どう足掻いても今の私の力量では傷一つ付けられないのがオチだ。折角無防備な獲物を見付けたのに、手も足も出せないなんてトホホだ。

 諦めて踵を返そうとした時、ふとドーカの鑑定ステータスに書かれてあった一文を思い出した。朝を目覚めるまで絶対に目覚めないと言うのならば、このまま食ってしまえば良いのではないだろうか。

 蛇だって生きたままカエルを丸呑みにしているのだし、私だって仕留めた獲物を丸ごと飲み込んで喰らっているのだ。やれない事は無い……と思う。

 そう決断すると私は恐る恐るドーカに捕食舌を伸ばし、ギュッと捕まえた。本当に起きないのだろうかと不安が過るも、触手舌に巻かれたドーカは穏やかな寝息を立てたまま目覚めようともしない。よしよし、あとはこのまま引き摺り込んで……実食!


バクンッ


 ………成功か? 成功したのか? うん、胃に収まった感覚がするし多分成功だろう。傷付けるのは無理でも、そのまま直に捕食する事は可能みたいだ。今更ながら咀嚼を必要としない貝の身で良かったと思うよ。


【戦闘を行わずに捕食しました】

【捕食スキル:丸呑みを会得しました】

【初不戦勝ボーナス:レベルがアップして15になりました。各種ステータスが向上しました】


 うおおお!? 何だ何だ!? 何時も通りに捕食しただけでステータスが色々と表示されたぞ!? というか、丸呑みってどんなスキルなの? こんな時は教えてステータスさぁーん!


【丸呑み:相手が瀕死の時、もしくは著しくレベルが低い相手に対して発動する一撃必殺の技】


 やべぇ、茶化しながら説明を求めている場合じゃなかった。呼び名に似合わず、ガチで役立ちそうなスキルだ。そう理解するや内心で思わず正座してしまった。

 相手が瀕死になったら発動可能と使用条件こそ難しいが、その分見返りも大きい良スキルだ。何と言っても『一撃必殺』という文面から滲み出る力強さと厨二病感が半端ない。まぁ、こういう文面も異世界らしさをアピールしていると思えば愉快なものだが。

 しかし、戦わずに捕食するだけで覚えるって……待てよ、もしかして海溝でリトルシェルを喰らえば、そこで獲得出来ていたのか? うわー、本当に自分ってシェル族の中で異端だったんだなーとつくづく思い知らされる。

 まぁ、過ぎてしまった事を今更悔やんでも仕方がない。丸呑みも済んで、少しばかり腹も満たした事だし移動を再開しよう。そう思ったのだが、そこでまたしてもソナーが新たな反応をキャッチした。それも目前に広がる雑木林の奥にだ。

 ソナーの反応に従って雑木林を掻き分けて覗き込んでみれば、先程と同じタケノコ……もとい擬態して眠るドーカの群れがそこにあった。それを見た途端、胃袋がもっと食べたいと腹の虫を鳴らして抗議し始めた。

 実は漁村の倉庫に捕らわれている間、大した餌が与えられなかったのだ。精々小魚やエビみたいな生き物が精々だった。無論、それだけではお腹が張らず、ここ最近は空腹でひもじい思いをする羽目になった。

 つまり何が言いたいのかと言うと、目の前のドーカの群れが御馳走に見えて仕方がありませんでした。この後、滅茶苦茶丸呑みした。


 

【名前】貝原 守

【種族】シェル

【レベル】15

【体力】2060

【攻撃力】171

【防御力】321

【速度】75

【魔力】171

【スキル】鑑定・自己視・ジェット噴射・暗視・ソナー(パッシブソナー)・土潜り・硬化・遊泳・浄化・共食い・自己修復・毒耐性・研磨・危険察知・丸呑み

【攻撃技】麻痺針・毒針(強)・溶解針・体当たり・針飛ばし

【魔法】泡魔法(バブルボム・バブルチェーン・バブルバリア・バブルホイール)・水魔法(ウォーターバルーン・ウォーターマシンガン・ウォーターショットガン・ウォーターカッター)

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