第15話 脱出のヒント

 頂きに満月が上り、太陽の光とは異なる落ち着き払った月光が天から降り注ぐ。安らぎにも似た月光の光が美しい夜景を産み出し、それを眺めながら私は露天風呂に浸かって日々の疲れを癒していた。

 日本人ならば誰もが理解出来るであろう。美しい夜景を肴にし、風呂と同じ温度に温められた日本酒を煽る。自然と癒しが一体化し、解放感と贅沢感が一挙に味わえる。これに勝る至福なんて他に見付けられまい。

 露天風呂でのんびりと肩まで使っていると、隣に広がる蒸気のベールの向こうに影が現れた。露天風呂と聞いて連想するのは? そう、混浴である。

 一糸纏わぬ姿で男女が同じ風呂に入り合う。男性ならば夢のシチュエーションを想像しただけでムフフとなってしまうだろう。現に私も鼻の下がダラしなく伸び切っていた。

 チラッと視線を影の方へ向けると、影に纏わり付いていた蒸気のベールが徐々に暴かれていく。そして完全に蒸気が晴れ上がると、そこには綺麗な照りと艶を持った真っ白い豆腐がいた。


「なぁんだ、豆腐かよ。期待させやが――――――――は?」


 呆れたようにツッコミを入れ掛けて、目の前の事実に気付いた途端に脳が急停止する。


「何で露天風呂で豆腐が浮いているんだ?」


 豆腐を認識した途端、周りにあった蒸気が四散し、蒸気によって隠されていた周囲の光景が明らかとなった。豆腐だけじゃない。私の周りにはネギにシラタキ、白菜やシメジと言った食材が大量に浮いている。


(何だ、この食材は? いや、ちょっと待て。この食材の組み合わせに見覚えがあるような……)


 困惑している私を他所に、今度は露天風呂の至る場所でボコボコと泡が噴き出した。いや、これは沸騰しているのか? 沸騰して煮え立つ湯のリズムに合わせて食材達が踊り出したところで、漸く私はこの見覚えのある具材達が何の料理に使われているかを思い出した。


「これって、まるで鍋じゃねぇか!」


 そう突っ込んだ瞬間、満月の月と夜空がパカリという音と共に取り払われた。空と思っていたソレの正体は鍋の蓋の裏側だったのだ。そして取り払われた空に代わって現れたのは、此方を覗き込むように見下ろす三人の親子。


「はぁーい、今日はお父さんが釣り上げたシェルで作ったシェル鍋ですよー」

「わあーい! おいしそー!」

「ははは、アクリルは貝や魚が大好物だもんなぁ」

「うん! だいすきー!」


 この親子、何処かで見覚えのあるような……。それにシェルだって? 一体、何処にそんな具材があるのだ? それに三人の視線が自分を突き刺しているのは気のせいだろうか? 

 いやいやいや、冗談ですよね? 私は人間ですよ? 人間が人間を食うなんて―――あれ? 私の手は何処行った? 足も無いぞ?

 すると幽体離脱したかのように視点が私の頭上へと移動し、私自身を見下ろした。何と今の私は人間ではなくシェルと呼ばれる巨大な貝の生物になっていたのだ!

 それを見るのと同時に私は思い出した。あっ、そう言えば自分シェルに転生したんだわ――と。


「良い具合に煮詰まってきましたし、そろそろ頂きましょうか」

「うわぁー! とっても良いにおい!」

「ああ、海の幸の匂いだ。シェルの出汁が利いているな」


 あれれー? おかしいなー? 煮立った鍋の中に居るのに、全身から北極並の寒気で満たされた冷や汗が止まらないぞー?……なんて現実逃避している間にも、三人はそれぞれ得物(箸・フォーク・ナイフ)を手にした。

 あかん、これ食われるオチしか見えへん。そう思った瞬間、三人は三日月のような不気味な笑みを浮かべて得物の矛先を私に向けた。


「「「いただきまーす!!!」」」

「いやああああああああああああ!!!」


 その掛け声と共に三人は一斉に得物を振り下ろし、私の身体を突き刺した。



「はっ!」


 得物に身体を貫かれた瞬間、私の意識は夢から現実へと急浮上した。目覚めた直後は心臓がバクバクと激しく動悸していたが、アレが現実ではなく夢だと分かると一気に心拍数は安定した。

 あー、夢で良かった……。しかも、内容が悪夢なだけあって余計に目覚める事が出来て良かった。とは言え、今見た悪夢が正夢になるのも時間の問題だ。

 今、私は解体所と呼ばれる倉庫に設けられた冷水のプールに浸されている。前に言っていた砂抜きの作業の真っ最中だ。新鮮な水中で呼吸をする度に砂が吐き出され、想像以上に水中の酸素と一緒に砂を体内に取り込んでいたのだなと感心すら覚えてしまう。

 だが、二日も浸され続けると吐く砂の量も少なくなり、後少しで砂抜きが終わる事を物語っていた。恐らく三日目で体内にある砂は全て吐き出されるだろう。そうなれば、私は人の手によって解体されてしまう。

 此処で作業している人間の話に聞く耳を立てた限りでは、貝殻は防具の材料として商人に売り飛ばされ、身は私を釣り上げたガーヴィンという男性が買い取るのが確定済みとの事だ。何でも娘さんの誕生日パーティーのメインディッシュとして出される予定だとのこと。謂わば、私の身はクリスマスに登場する七面鳥の丸焼きに匹敵するのか。

 光栄と言いたいところだが、誕生日を迎えるアクリルには申し訳ないが食われてやる気は更々無い。昔、小学校の先生か幼稚園の先生が『牛さんや豚さんは皆に食べられる為に生まれたのよー』という台詞を言っていたが、ありゃ嘘だ。

 もしそれを教えてくれた先生が目の前に居たら、こう言ってやりたい。好き好んで食われるヤツなんて居るんかぁ! ボケェ!!――――と。

 まぁ、そんな愚痴はさて置いてだ。問題は此処からどうやって脱出するかだ。今居る冷水のプールから出ても、陸地で身動きが取れないまま誰かに見付かり再びプールに戻されるのがオチだ。

 やはり陸地を移動する手段を見付けないといけない。ほんの一部だけしか見ていないが、この世界の乗り物は帆船や馬車が主流であるところを察するに、中世期並の技術しか発展していないみたいだ。

 これらに乗って脱走するのか? いや、無理だ。馬を操るテクニックなんてないし、そもそも馬の細い背中に乗るなんて論外だ。だからと言って船に密航しようにも、この図体では目立ち過ぎる。


(何か良い方法は無いものか……うん?)


 脱出計画の前に陸地を移動する手段をどうするか考えていると、ガラガラという音を立てなが倉庫の扉が開かれた。扉から差し込んだ長細い光のレールが倉庫内を横切り、それに乗って真っ直ぐに伸びた人影が私の居るプールに滑り込んだ。


「ほーら、まだ居るだろ?」

「シェルちゃん、げんきー?」


 現れたのはガーヴィンとアクリルの親子だった。父親が娘を抱き上げながら、円形のプールに張られた水の中に居る私を覗き込む。そしてアクリルが私に向かって無邪気に風車を握り締めた手を振り、数日経っても変わらぬ好奇心に満ちた純粋な目を私に向けてくる。うむ、今日も天使だ。そして私の種族名を上手く言えていない舌足らずな言葉遣いが可愛い。

 娘さんは私に興味を持ったのか、私が此処に連れて来られてからはずっと此処へ通いっ放しだ。まぁ、私の事を動物園か水族館でしか見られない珍しい動物ぐらいにしか認知していないのだろうが。

 そして何時も通りに私を眺めていた二人だが、そこで漁村で働いている人間が扉越しからガーヴィンの背に向かって呼び掛けた。


「ガーヴィンさん! 話があるから来てくれって村長さんがアンタを呼んでいるよ!」

「ああ、分かった! 今行く! アクリル、お父さんちょっと他の人達と話をしてくるから此処で待っててくれないか? 但し、手を伸ばしたり身を乗り出したりするなよ? 水に落ちたらコイツにパックンと食われちゃうからな? 約束出来るな?」

「はーい!」

「よし、良い子だ」 


 ガーヴィンはアクリルの広い額にキスを落とすと、彼女を地面に降ろして自分を呼びに来た人間と一緒にその場を後にした。

 一人残されたアクリルは私の入っているプールを覗き込もうとするも、辛うじて身長が足りないのか此方からでは銀色の頭髪がプールの淵に見切れる程度だった。精一杯背伸びしても、ほんの少し額が競り上がっただけで目までは届かない。お父さん、お子さんの為にももう少し配慮してあげて下さい……。

 自力だけでは難しいと判断したのか、アクリルは左右を見渡して何かを探す素振りを見せた。そしてバケツ状の木の桶を見付けると、それをプールの前に運んで踏み台代わりにした。おお、幼児ながら中々に頭が回るじゃないか。

 そして漸くプールの淵から可愛らしい顔をした無垢の少女が現れた。自力で覗き込めるよう奔走したからか、その表情は活き活きとした達成感で満たされている。

 そんな彼女の頑張りに報いて……と上から目線で言うのもアレだが、私の方から彼女へと近付いていく。此処に移されてから余り動かなかった為か、私が音も立てずに接近してきたのを見るやアクリルは「おお!」と喜びを爆発させ、若干興奮しながら必死に手にした風車を上下に振り出した。

 何というか、アレだ。悪代官が閉じた扇子を動かして『近う寄れ』と命じている風にも見えるし、猫の気を引きたいが為に猫じゃらしを精一杯上下させている風にも見える。というか、すっかりお父さんに言われた言い付けを忘れてない? あんまりこっちに身を乗り出し過ぎると落ちちゃうよー?……なんて思ったのがフラグだった。


「あっ」


 ガタンッとバケツが引っ繰り返る音と同時にアクリルの口から短い声が漏れ、次の瞬間にはプールに吸い込まれるように頭から落ちていった。身を乗り出し過ぎたせいでバランスが取れず、頭の重量に引っ張られてしまったのだろう。


「あ、アクリルさぁーん!!?」


 私の居るプールは大人の膝丈に当たる程度の水位しかないが、アクリルを始めとする幼子からすれば溺死するには十分な高さだ。

 私は咄嗟に触手を伸ばし、彼女を水中から拾い上げるとすぐさま自分の貝殻の上に乗せた。幸いにもほぼ一瞬の出来事だったので、致命的な事故には至らずホッと胸を撫で下ろした。


「けほっ、けほっ」

「やれやれ、どうなるかと思ったけど無事で何よりだ」


 落ちた時の衝撃で思わず水を吸い込んだらしく、咳き込んではいるものの暫くすると正常な呼吸を取り戻していった。しかし、やはり幼児だ。突然の出来事に感情の制御が追い付かず、今にも零れ落ちそうな大きな瞳の端に涙の滴を浮かべて泣き始めてしまった。


「けほっ、けほっ、う、うええええええん!!」

「あわわわ! ビックリしましたよね!? もう大丈夫ですから泣き止んで下さい~!!」


 前世で子供の相手なんて碌にしたことがない私が、まさかシェルに生まれ変わった異世界で子供をあやす日が来るとは思いもしなかった。こんな体では慣れもへったくれも無いが、それでも一生懸命出来得る限りアクリルを慰めた。

 触手を伸ばして優しく彼女を撫でたり、涙を掬ったり、彼女を乗せたままプールを泳いだり、泡魔法でバブルマジックを披露したり、必死かと突っ込まれるぐらいに必死になって彼女を慰めた。

 やがて涙も引っ込んで落ち着きを取り戻した頃には、アクリルの表情には満天の笑顔が咲き乱れていた。同時に好奇心も息を吹き返したらしく、アクリルは私の貝殻を叩きながら「もっとやって」とアンコールを飛ばす有様だ。

 あれ、もう泣き止んだのなら大丈夫なんじゃね? そう思って触手を伸ばし、彼女を陸へ戻そうと試みたが……。


「やー! もっとあそぶのー!」

「えええええ……」


 俯せになって私の貝殻にしがみ付くという断固拒否の構えを見せた。試しにぐいーっと引っ張ってみるがビクともしない。この子、意外とタフだわ。

 力尽くで引き離す事もやろうと思えば出来るが、下手をするとアクリルを傷付けかねない。私の攻撃力が触手の筋力に反映されている可能性もある上に、自分で言うのもアレだが触手の強弱を微調整出来るほどに器用ではない。

 結局触手で引き離すという手法を諦め、彼女を貝殻に乗せたままどうしようかなーと思っていたら「アクリル!」と切羽詰まった声がやって来た。声の方へ視線を向けると、アクリルのお父さんが慌てた表情で倉庫に入って来た。

 何で慌てているのか、なんて聞くに及ばず。大事な一人娘が魔獣の背中に乗って燥いでいるのだ。現世に例えるならばライオンの背に乗って背中をバシバシと叩いているようなものだ。そんな光景を見たら誰だって肝を冷やすに違いない。

 現に父親は靴も脱がずにプールに入ると、私の背中に乗っていたアクリルを奪い取るように抱き上げた。


「何しているんだ! こっちに来なさい! 危ないぞ!」

「やー! シェルちゃんとあそぶのー!!」

「駄目だ! シェルはな、鈍間だが実は獲物を待ち伏せして襲う卑怯者だし、死体だろうが可愛い海獣だろうが同族だろうが何でも平らげる悪食の持ち主だし、無害っぽそうな外見とは裏腹にとっても危険な魔獣なんだ!」


 お父さんや、私の心をピンポイントでズタズタにするのは止めて下さい。弱肉強食の世界で生き延びる為に精一杯なだけであって、好きでそういう生き方をしている訳じゃないんですよ?


「ほら、帰るぞ! ああ、服がびしょ濡れじゃないか! 帰ったらお母さんに事情を説明して、お説教して貰うからな!」

「やぁだぁぁぁぁぁ!! もっとあそぶのぉぉぉ!!」


 最終的にガーヴィンはギャン泣きするアクリルを抱えながら、私の居る倉庫を後にした。アクリルの鳴き声が徐々に遠ざかっていき、やがて聞こえなくなったところで私はひっそりと溜息を吐き出した。何というか、ちょっとした嵐が過ぎ去って一息付けたような気分だ。

 誰かに好かれるのは嬉しいが、それだけでは生き延びるのは不可能だ。自分が助かる為には、やはり此処から脱出するしかない。しかし、どうやって脱出すれば良いのやら……そう考えながら視線を下に落とすと、プールの底に沈んだ風車を発見した。確かアクリルが手にしていたものだ。恐らくプールに落ちた際に手放してしまったのだろう。

 日本の縁日で売られる風車かざぐるまとは異なり、オランダとかに見受けられる風車ふうしゃに似た構造をしている。見た目は異なれど、現世も異世界も発想は意外と似通っているのかもしれない。


「んっ? ちょっと待てよ。風車……見た目は異なる……発送が似通っている……」


 最初は漠然とした何かが頭の片隅に出現しただけだが、やがてそれは芋蔓式となって一気に私の頭の中に浮上した。そう、閃いたのだ。ここから脱出する手段を。そして手段が思い浮かべば、あとは方法と作戦を立てるまでだ。


「お、おおお! 良いぞ! いけるかもしれない! いや、これならば絶対にいける! これも皆アクリルちゃんのおかげだ! 脱出のヒントを下さったアクリルちゃんには感謝しないとなぁ! ぬははははは!!」


 私にとって一世一代の脱出計画がみるみると頭の中で構成されて行き、上手くいくかもしれないという自信と、それに伴う希望が満たされていく。そして二つの感情のボルテージが最高潮に達し、有頂天となった私はプールの中を縦横に泳いだり跳ねたりして浮かれまくった。


「なぁ、ガーヴィンさんが獲ったシェルが無駄に元気が良いんだが何故だ?」

「知らね。けど、あんだけ元気なら身も引き締まってて美味いに違いねぇや」

「そうだな」


 その姿を偶然目撃した漁師達が私の身は美味だと誤解するのだが、当の私本人は知る由もなかった。

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