第13話 九死に一生を得て再び九死に……

 光も無い暗闇が支配する世界の中、私は恐る恐る目を覚ました。暗視を使っても何も見えないが、だからと言って怯えたりパニックになったりはしなかった。しかし、これは自分が冷静だからとか、強がっているからではない。只単にパニックになるだけの体力なんて残されていないからだ。


【名前】貝原 守

【種族】シェル

【レベル】14

【体力】5/1980

【攻撃力】166

【防御力】311

【速度】73

【魔力】166

【スキル】鑑定・自己視・ジェット噴射・暗視・ソナー(パッシブソナー)・土潜り・硬化・遊泳・浄化・共食い・自己修復・毒耐性・研磨・危険察知

【攻撃技】麻痺針・毒針(強)・溶解針・体当たり・針飛ばし

【魔法】泡魔法(泡爆弾・バブルチェーン・バブルバリア)・水魔法(ウォーターバルーン・ウォーターマシンガン・ウォーターショットガン・ウォーターカッター)


 そう、現在の私の体力は僅か5しか残されていないのだ。何故かと言うと、言わずもがな例のヴァロッソが繰り出したダークマターが原因だ。


 あの時、ダークマターの爆発が産み出した暗黒物質のドームが背後にまで迫った瞬間、私は咄嗟に機転を利かして地中深くに潜り込んだ。自分の足の遅さでは何れドームに捕まってしまうのは明白であり、残る手段は地中に逃げ込んでドームを遣り過ごすしかないと考えたからだ。

 ギリギリと言っても良い程に寸前で導き出された結論は功を奏し、私は命辛々ダークマターの魔の手から逃れる事が出来た。だが、残念ながら無傷とまではいかなかった。

 地面に完全に潜り切る直前でドーム状の暗黒物質が通過し、貝殻の蝶番部分を掠めたのだ。人間の身体に例えるならば踵の先っぽを掠ったようなものだ。しかし、その先っぽに触れた部分から体力をごっそりと奪い取られてしまった。

 流石の私もコレには肝を冷やすのを通り越し、一瞬だけ明確な死が頭に過った。だが、それに気を取られぬよう死を思考の最奥へと投げ込み、あとは無心となって暗黒物質の影響が及ばぬ地中を掘り進んだ。

 気付けば寝る間も惜しんで丸半日も地中を掘り進んでいたらしく、土中から這い出ると海中は夜色の緞帳が下ろされていた。

 しかし、一部だけ明かりを放っている場所もあった。ヴァロッソのダークマターだ。一日経ったと言うのに、未だに暗黒物質のドームは消える気配を見せず、不気味な闇色の光を放ち続けていた。海の森がどうなったのか気掛かりだが、それを確かめる為に再びドームの方へ向かう勇気は無かった。

 不本意な形で安住の地に別れを告げた私は、再び地中に潜って体力を温存させる事に専念した。今は良いが、問題は今後だ。本能に従って活動していた仲間達に頼らず、この過酷な世界を一匹で生き抜かなければならない。

 今になって振り返ると食っちゃ寝だけで過ごせていた日々が、極めて貴重であったかのように思えてしまう。いや、弱肉強食の世界で貴重なのは平穏に過ごせる事だ。命を脅かされず、空腹にも苛まれず、安らぎの時間を過ごせる。そんな貴重で贅沢な暮らしが一瞬でパァになってしまった。これを憂鬱と言わずして何と言う。


「はぁ、ついてないなぁ……」


 願わくば他にも安住の地か、もしくはそれに似た場所がある事を祈りながら深い眠りに落ちて行った。



 夜色に満たされたアドリカ海洋では、朝日が昇る前から複数の漁船が横一列に並んで海を渡っていた。漁船に備え付けられたカンテラの灯火を頼りに手元を確認しながら、漁師達は海に投げ込んだ底引き網を逞しい腕で巻き上げていく。

 今の時期は温暖期と呼ばれる豊漁の季節であり、漁業を営む男達にとっては一番の稼ぎ時である。何時もならば網の中には活きの良い大量の魚がビチビチと跳ねており、それを見る度に男達は陸地に待つ家族が喜ぶ姿を想像して頬を緩めたものだ。

 しかし、それは何時もならばの話だ。船員が網の中に視線を投げ込むが、網に掛かっている魚の数は30匹以下と、豊漁どころか通常を下回る不漁であるのは言わずもがなだ。網が上がり切るまでは少なからぬ期待を寄せていたのか、それを見た途端に船員は落胆したように溜息を吐きながら首を左右に振った。


「ガーヴィンさん、駄目だ! 今日は何処を回っても全然魚が獲れやしねぇ!」

「ああ、それぐらい見れば分かるさ! ったく、一体全体今日の海はどうなっていやがるんだ?」


 漁船団を率いるリーダー格のガーヴィンは太い眉の間に皺の谷を作り、大木のような太い腕を組みながら目前に広がる静寂な海に厳しい眼差しを注いだ。

 二週間前までは多種多様な魚が面白いように手に入り、男達は今年も豊漁だと頬を緩ませながら笑いあったものだ。ところが昨日からパッタリと魚が獲れなくなってしまい、それまでの豊漁が嘘だったかのようだ。こんな経験は漁師達も生まれて初めてであり、誰もが何かあったのかと首を傾げるばかりだった。

 因みに不漁の原因はスキュラフとヴァロッソの戦闘と、その結末で起こったダークマターの爆発なのだが、ガーヴィン達が海中で繰り広げられた魔獣同士の争いを関知するなど到底無理な話である。

 そして今日は魚を求めて、滅多にやって来ない遠洋――凶暴な魔魚が生息する為に危険水域とも呼ばれている――まで繰り出してみた訳だが、然程収穫量は変わらなかった。完全な無駄骨にガーヴィンは苛立って舌打ちをし、網を引き揚げていた船員の方へ目を向けた。


「おい、日の出までどれくらいだ?」

「あと一時間半と言ったところですね」


 船員が所有していた懐中時計に目を落としながら報告するのを聞いて、ガーヴィンは視線を水平線の彼方に向けた。海と空の境界線が薄っすらと朱色に染まっており、日の出がもう少しである事を物語っていた。

 もう少し漁を続けたいところだが、日が昇れば魔魚達の動きが活発になる。自分の命と収穫を天秤に掛けて、後者を選択するほどガーヴィンは愚かではなかった。


「仕方ない。今日の漁業はこの網を引き揚げたら撤収するぞ。このまま居続けたら魔魚に襲われかねん」

「了解しました。……!? ガーヴィンさん! 網に何か大物が引っ掛かっています!」

「何!?」


 船員の報告を受けてガーヴィンが船の縁から身を乗り出し、海水に浸かった網の中心に目線を落とす。カンテラの灯かりに照らされた網の中には、巨大な影がゆらゆらと揺らめいでいる。網を引き揚げるにつれて徐々に揺らぎが治まり、遂におぼろげな影から脱却して実体が現れた。


「驚いたな、こりゃシェルじゃないか! しかも、若くて立派なシェルだ!」

「こんな場所でシェルが獲れるなんて珍しいですね。シェルなんて、東国からの輸入品でしか見た事ありませんよ。それも年季の入ったボロボロのヤツをね」

「一匹しか居ないと言う事は、群れから逸れたのかもしれんな。だが、こんな珍しい物を最後の最後で引き上げられただけでも来た甲斐があったな」


 大量ではなかったが、珍しい魔魚を手に入れた事実にガーヴィンの口角が釣り上がる。漁師としての意地と面子を多少なり満たせただけでも御の字だと、彼の横顔がそう物語っていた。


「そう言えば娘さんがもうすぐで5歳の誕生日を迎えるんでしたね。その土産にコイツをプレゼントするのはどうですか?」

「はははっ、流石にコレを貰っても喜ばんだろう。だが、コイツの肉厚な身は調理すると美味いと聞くし、頑丈な殻は盾や防具に加工されて色々と役に立つとも聞く。要は金になるという訳だ。それで娘の好きな物を買う事にするさ」


 網に掛かったシェルを船内の水槽に慎重に入れ終えたところで、地平線の彼方から朝日が差し込んだ。日の出を迎えるのと同時に漁船団は180度回頭し、朝焼けの光をバックに帰路へと着いた。

 大物シェルを手に入れて胸を張るガーヴィンは、陸地に待つ妻と五歳になる娘の姿を頭に思い浮かべて笑みを零した。


 一方、ガーヴィン達に引き上げられたシェル貝原は未だに深い眠りの中だった。



 

 次回は6月1日に投稿予定

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