第5話 自信


 「ねえ、あの谷岡って人、いつまでかな?」


 「一ヶ月!」


 「えー? 二週間くらいで辞めちゃうんじゃない?」


 三人の女の子がクスクスと笑いながら話していた。その内の一人が、「でもさー」と上を見上げながら言う。


 「でもあいつ、なーんか緩いよねえ。今までの私達の先生って、全員厳しい先生だったじゃん?」


 「私達が問題児だからね〜」


 「ぷっ。まあ確かに、今までとは違う感じ?」


 「もしかしたら……もしかするかも?」


 三人は顔を見合わせる。そして、一斉に吹き出し、「ないってー!」と大きな声で笑った。

 三人の意見は、三人だけのものではなかった。クラスの全員が、同じことを思っていた。自分たちが問題児なことは重々承知していて、そんな自分たちを抑えるために厳しい先生が担任としてやってくる。しかし、どの先生も厳しく叱るだけで。クラスの全員が、気分が悪かった。だから、先生に逆らった。すると、先生は全員辞めていく。だから、今回の谷岡もそうなると、そう思っていた。だけど。



 『僕は、みんなの『先生』になりに来ました。一年間、よろしくお願いします』


 三人の女の子は、目を丸くした。三人の女の子だけでなく、全員が。全員が、感動したのだ。


 クラス全員、初めてだった。


 『先生』に、こんなにも丁寧に頭を下げられたのは。








 「授業を、は、はじめ、ます」


 谷岡が3年B組の担任になって一週間、さっそく授業が始まった。天明学園は、名が通る進学校だ。授業が始まる日も、そして進み具合も他の中学より早い。


 「この、数式を……早水はやみさん」


 谷岡がそう言って、廊下側の一番後ろの席に視線を移す。そこには、黒髪のショートカットの女の子が欠伸をしていた。


 「わっかりませーん」


 一週間が経ち、谷岡は未だに生徒達に受け入れられてはいなかった。こちらが問題を提示しても、全員が「わかりません」と答える。谷岡はそれがわざとであり、自分がまだ認められていないこともわかっていた。


 しかし、わかっていたのは、谷岡だけではなかった。クラスの全員が、段々と、『谷岡道』という人物をわかってきていた。


 「いえ、わかります」


 早水は、顔をしかめる。


 「わかりませんって、言ってんじゃん」


 「わかります。早水さんなら、わかります」


 「はあ?」


 「わかります」


 答えが出るまで、この問答はずっと続いていた。当てられた生徒は、あまりのしつこさに脱力して。


 「……X=3」


 素直に、答えを言うしかなかった。


 「はい、よくできました」


 谷岡はそう、優しく微笑む。その笑顔は、真っすぐと、早水の方へと向けられていて。その笑顔を嬉しいと思わない生徒は、3年B組の中にはいなかった。





 授業が終わり、谷岡は職員室に戻り自分の席に座った。息をつくと、「谷岡先生! お疲れっす!」と清水がブロックチョコを一つ、谷岡へと渡した。谷岡は、「あ、あ、りがとう、ございます……」と微笑み、ブロックチョコを受け取る。


 「B組はどうっすか? 問題児ばっかで大変でしょ」


 「……問題、児……」


 谷岡は二度瞬きをして、へらっと笑った。


 「問題児なんて、いませんよ。みんな良い子です」


 谷岡の言葉に、清水は目を丸くし、すぐにニッと笑う。


 「じゃあ、来週が楽しみっすね!」


 「来週?」


 首を傾げる谷岡に、「あれ、忘れてたんですか?」と、清水は楽しそうに笑って、ブロックチョコを口にする。


 「来週、クラス対抗ドッチボール大会ですよ。優勝クラスには、その日の給食に高級アイスがプレゼント! もちろん、先生の分もありますよ」


 「へえ、そんなイベントが、こんな早くに」


 「クラスの団結力や、先生との交流のためらしいですよ」


 「……なる、ほど」


 谷岡は目を細めて、ブロックチョコを口にした。







 「はー? ドッチボール大会? んなのやる気ねーーーーーよ」


 クラスの真ん中の席に座ってる、森本が言った。森本の言葉に、谷岡は「え……?」と、少し驚く。そんな谷岡に、生徒達はさらに言葉を投げる。


 「どーせ、勝てるわけねーんだよ」「そーそー、努力がそう簡単に実わけないの」「それに、問題児の俺等に審判は毎年厳しいし」「アイスなんて親に買ってもらえばいいしなー」なんていう生徒達の言葉に、谷岡は少し困ったように笑った。


 「皆さん、自信が、ない……んですか?」


 谷岡の言葉に、クラスの雰囲気が一変した。

 さっきまでへらへらと笑っていた人たちは、鋭い視線を谷岡に向ける。しかし、谷岡はそんな視線に気にもせず、笑顔のまま続ける。


 「自信がない……のなら、確かに、やらない方が、いいでしょう」


 「そんなんじゃねーよ!」


 森本が立ち上がって言った。谷岡は「ほう?」と首を傾げる。


 「ここの先生達が悪いんだ! 俺等ばっか、厳しく指導しやがって! だから、こんな大会、勝てるわけねーんだよ!」


 「勝てますよ」


 「また、いつもの……っ! 数式と違って、この大会は勝てねーんだ! 無理なんだよ!」


 「いいえ、勝てます。……森本くん、皆さん、勝てないのは先生達があなた達だけ厳しく評価しているから、と言いましたね。ドッチボールだと、少しでも相手が痛がると強すぎだ、とか言われるんでしょう。線を超えたらいけないだとか」


 谷岡の言葉の通りだった。クラスの全員が頷く。


 「では、簡単な話です。先生達が文句を言えないほど、圧勝すればいいだけです」


 生徒達全員、目を丸くした。きょとんとした生徒達に、谷岡は優しい笑顔を向ける。


 「できますよ、君たちなら」


 谷岡の言葉に、「できねーよ!」と森本がもう一度反論する。森本は拳をギュッと握り、先ほどよりも荒い声をあげている。


 「んだよその自信! わけわかんねーよ!」


 森本は人差し指を、谷岡に向けた。


 「そんなに自信あんだったら、もし大会で俺等が一位とれなかったら、このクラスから出て行けよ!」


 森本の言葉に、谷岡は目を丸くする。きょとんと、二回ほど瞬きをして、ニッコリと笑った。


 「ええ、いいですよ」






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