第4話 挨拶

 「た、谷岡、道、です。よっ、よろしくお願いします」


 谷岡は壇上の上で勢いよく、九十度にお辞儀をした。その挨拶に、体育館にはクスクスと笑い声が響く。その笑い声が、谷岡道の顔を熱くさせた。


 相変わらず、谷岡は大勢の前で話すのはあまり得意ではなかった。

 教育実習で、一クラスくらいの人数相手なら喋れるようにはなったが、全校生徒、という大規模になると難しかった。


 落ち込みながら職員室へと行き、自分の席へと座った。腰を下ろし、ため息をつくと、「たーにおーか、先生!」と、男性の明るい声が聞こえた。顔を上げると、満面の笑みを浮かべた男性が立っていた。


 「自分、清水しみずです。清水隆行たかゆき。ここに二年くらい勤めてるので、わからないことがあったら、何でも聞いてください!」


 「あっ、えっと、た、谷岡です! よろしくお願いします!」


 谷岡がまた九十度に体を曲げると、清水はケラケラと笑った。


 「あっはは! 壇上でもそうでしたけど、すっげえ丁寧!」


 「え、えっと……はは」


 谷岡は頭の後ろを少し撫でながら、視線を逸らした。すると、清水は「じゃあ俺、教室行くので、失礼します!」と元気の良い声を残して、職員室を去っていった。


 一息つく谷岡の肩を、ツンツンと、誰かが叩いた。振り返ると、唇を尖らせた女性が立っていた。その女性は、胸元まである黒髪は真っすぐで、瞳は大きく、美人な方だった。近い距離に緊張した谷岡は、数歩前に出て下がる。


 「えっと……?」


 「清水先生、去年も一位だったんですって」


 「え……?」


 「先生アンケートのことです。今まで私が一位だったんですけど、清水先生が入ってきて以来、一度も一位をとれてないんです」


 そう唇を尖らせる美人に、谷岡は何と返していいかわからず、「は、はあ」と間抜けな返事をした。


 「ぷぷっ、変な声ですね。私、新山にいやまみどりです。よろしくお願いします、谷岡先生」


 にっこりと笑った新山の笑顔はとても可愛らしく。谷岡は少し頬を赤くしながら、「よろしくお願いします」と体を九十度にした。その姿に、新山はクスリと笑って、「それじゃ、私も教室に行きますね」と職員室を出て行った。


 「あ、僕も行かなきゃ」と、独り言のように呟き、谷岡は名簿が入ったファイルとノート、ペンを持って、3年B組へと向った。





『3年B組』という表示が掲げられていることをもう一度確認し、谷岡は深呼吸をする。中から騒ぎ声が聞こえる。心臓の音が、聞こえる。もう一度深呼吸をし、震える手で扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。教室を見渡した瞬間、さっきまで騒いでいたのが一変した。


 「え、えっと……」


 戸惑っていると、教室はまたすぐに騒ぎだした。谷岡は教壇の前にたち、「あ、あの……」と声を出すが、騒いだ教室は止まない。どうしたらいいものか、迷っていると、脳内に浮かぶのはあの音。


 谷岡は、二回手を叩く。

 その瞬間、教室の騒ぎは止んだ。しかし、視線は一気に谷岡へと移り、谷岡は戸惑う。


 「み、みな、皆さん、はな、しを……」


 谷岡がそう言うと、教室のどこからか、「きこえませーん!」と男の子の大きな声が聞こえた。その言葉から、生徒達はクスクスと笑い始める。


 「……ぼ、僕は、あまり、大きな声を……だすの、が苦手、です」


 「そんなんで先生が出来るんですかー!」


 また誰かの声で、クラスが笑い始める。そんな中でも、谷岡は言葉を続けた。


 「……先生は、なれるか、わか、りません」


 谷岡の言葉に、クラスの全員が静かになった。目を丸くした。谷岡は、ゆっくりと深呼吸をし、優しい笑顔を向ける。


 「僕は、みんなの『先生』になりに来ました。一年間、よろしくお願いします」


 ゆっくりと、しっかりと、クラスの全員に見えるように、谷岡は体を九十度曲げた。その姿に、クラスの全員が息をのんだ。





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