世界の外、想像の中
@DEGwer
世界の外、想像の中
「やっぱり世の中が変わるって悪じゃないですか」
彼は独り言のようにつぶやいた。僕は、無精髭を弄る手を止めて、彼を見た。
「そんなに訝し気な顔をしないでくださいよ。あのね、別に世の中の変化に耐えられない、みたいなね、そんな老人みたいなことを言ってるわけじゃないんですよ」
彼の端正な顔からは、素朴な実直さがにじみだしている。確かに物好きには見えないが、かといって反知性的なところを感じる、ということはまったくない。
「こう、人間って、想像力が貧弱じゃないですか。いや、貧弱なのは知識の方なのかな。とにかく、未来って誰も想像できないじゃないですか」
そもそも、今僕がなぜ彼の隣に座っているのか、思い出せない。非常事態なのかもしれないが、彼の創り出す雰囲気、といったものが、不思議と僕を落ち着かせていた。
「それは確かにそうかもしれないですね。こうやって前も見ずに、ハンドルもない車に乗って、運転席と助手席でただおしゃべりをしている、なんて、ちょっと前は考えもしなかったわけだし」
適当に相槌を打つと、彼は顔を曇らせた。
「いや、そういうのって、SFの中なんかにあるじゃないですか。私が言ってるのはもっと突拍子もないことなんですよ。一昔前なら、インターネットだとかね、今ならアレですかね、何て言うんでしたっけ」
彼は両手首を何度かひねりながら指先をせわしなく動かし、その「もの」の形を示そうとした。ああ、アレのことだ。少し前、商品名で有名になり、正式名称を僕は知らない。彼はこのような話に商品名を出すのを嫌うようだった。
「アレですね、わかりますよ」
「よかった。とにかく、ああいうのって、誰も想像しなかったわけじゃないですか。突然出てきて、根付いていって。次に出てくるのがいつなのかもわからなければ、何が出てくるのかもわからないけど、また何かが出てくるんじゃないかっていう確信だけがあって。でもね、想像できないっていうことは、なくても誰も困らない、ってことなんじゃないかな」
「確かに、それがある世界を体験してみないと、そのありがたみなんて分かりませんもんね。でも、アレのない世界って、今やもう、すっごく不便だったな、って思いませんか?」
「思いますよ。アレが出てくる前は、そんなこと思いもしなかったのに、ね。ところで、アレ、の開発者の人のブログ、って読んだことありますか?」
ブログ、という旧世代の響きが、この雰囲気の読めない男から発されたことに、少し驚く。
「ないですけど」
「まあそんなに面白いものじゃないですよ。ちょっと規模が大きいだけで、まあよくある苦労話、それに耐えた後の栄光の時代、とかね、完成の喜び、とかね、そういったことがつらつらと綴られているだけです。でね、それが面白くない、っていうことが重要なんです」
「というと?」
「進歩なんて、してないんですよ。そりゃ、アレのおかげで社会は変わりましたし、我々だってその社会に生かしてもらってるわけですから、そんな身勝手なことを言うと罰が当たるのかもしれません。でもね、人類史上、そんなの何回もあったことじゃないですか。そのたびに苦労があってね、感動があってね、でも全部、結局いつものやつの焼き直しで。別にこの時代に生まれなくたって、何かまた別のことでね、こういう変化に立ち会うことになる、って考えると、なんだかどうでもよくなってきてしまって」
「そうだけど、それはやっぱり、わがまま、ということなんじゃないんですか?みんな、この時代を知ってるし、満足しているから、そういうことを言うんじゃないかなって。もっと未来に生まれてもいいことなんてないかも、と思うのは、やっぱり想像力の欠如であって、過去に生まれてたら、なんて考える人は、そうそういないんじゃないのかな」
「そうですか?私は、インターネットはおろか、自動車だって、鉄道だってない時代に生まれても、それはそれでよかったと思いますよ」
「そうですかね。やっぱり僕は、そんな不便な時代には生まれたくないし、未来がどうなってるかなんて想像もつかないけど、やっぱり確実に便利になった未来に生まれたかったと思う。まあそんなことを言っていると、いつまでも生まれられないんですけどね」
僕は自嘲気味に、フフッと笑った。彼は笑わず、前の景色を眺めていた。
少し間があって、彼がまた口を開いた。
「知ること、って、不幸せなことだと思います」
「なんでですか?」
「自分の知らない世界がまだまだある、っていうことじゃないですか。で、人類の知識の限界、っていうのが、そこらへんにふらふら漂っててね、その先にだって世界はいくらでも広がってるわけじゃないですか。知る、っていうことは、何か広い世界、それが何なのかは誰にもわからないんだけど、そういうものがある、っていうことを暗示してくるわけでしょ。で、私たちは生きてるうちにそれを見ることなんて絶対にできない。そのふらふら漂ってる限界の膜の先にはね、全然違う世界が漂ってて、で、それもまた膜を持ってて、いつの日かそれがくっついてね、中身がごちゃ混ぜになっちゃうかもしれない。そうなるともう、私たちの知っている世界、なんてものは跡形もない」
「でもそれは、君がものを知る、ということとは無関係に起こってくることでしょ。君が信じようと信じまいと、世界は変わる。僕らは無力だ」
「そうですよ。でも、想像の外に世界がある、なんていうのも、想像の中の話にすぎないんです。これから世界は変わることはない、と信じていれば、世界は変わることはない」
「でもこうやって現実に、世界は変わってるじゃないですか」
「そう。少なくとも、そう見える。でも世界はちっとも変わってない。コンドラチェフの波、って聞いたことあります?」
「数十年に一度、技術革新があって、それが景気の波として現れる、っていうやつでしたっけ?」
「そう。話が早くてよかった。でね、私たちが革命的だ、って騒いでることなんて、全然革命的じゃないんです。毎回同じように、研究者や技術者たちが、お決まりの感動をして、それで何十年かしたら、ふつうの人たちにもその影響が出てきてね、なんて便利なものができたんだって言ってね、で、見かけ上、社会は変わる」
「アレ、の時も、確かにそんな感じでしたね」
「そう。でもその喜びとかね、熱狂とかね、全部ぬか喜びなんです。どうせ何十年か、まあ運がよくても何百年かしたらね、みんな忘れてるし、ただの歴史の一ページ、として刻まれるだけで。未来の小学生は、歴史の資料集のそのページを気にかけることなんてしない。いや、資料集に載ってること、あれは全部すごいことなのに、その一個一個を気にする人なんてほとんどいないでしょう。あの中の一つになることに、ものすごい努力だとか、挫折だとか、そういったものが隠れているはずなのに」
「確かに、今時紡績機なんかを気にかける小学生なんて、そうそういないですもんね」
僕はそう相槌を打ちながら、人類の未来、いやそこに人類がいると決まっているわけではないから、単に未来、というものについて、そういえば真面目に考えたことなんてなかったな、と思った。
「で、遅かれ早かれ、資料集からも消えていくんです。ここまでが希望がない話」
「希望のある話なんてあるのか?」
僕は彼のとらえどころのない話に、不思議と引き込まれていた。つい気が緩んで、タメ口で応じてしまう。
「あります。だってこれは全部、未来、なんてものを信じた場合の話でしょう?」
彼は、僕の口調の変化、といったものを、全く気にかけていない様子だった。
「俺がいない未来なんて関係ありません、という話か」
「そうじゃないんです。未来なんて、存在するのかな」
「どういうことだ」
「だって、未来なんて、全部空想上の産物じゃないですか。この世界は因果律で動いてるから、未来なんてあってもなくても、少なくともその未来になるまでは、何も起こらない。未来の存在なんて、確かめようがない」
「たしかにそうかもしれない。でも、歴史の集積が、未来の存在を暗示している、という考え方は、きわめて自然だと思うが」
「歴史だって、全部、今のために作られたもの、っていう考え方だってできる。別に、何が本当なのか、なんてことは重要ではないんです。確かめようがないんだから。確かめようのないことには、本当も嘘もそもそも存在しない、と考えてもいい」
本当も嘘も存在しない、という言葉に、僕は違和感を覚えた。本当か嘘か、どちらかは分からないけど、どちらかを信じるしかないはずだと思っていたし、だから、彼は逃げているのだ、と考えるしかなかった。
少し腹が立って、僕は鎌をかけてみる。
「じゃあお前は何に縋って生きているんだ。死んだ後に何も存在しない、なんて恐ろしくはないのか」
彼は動じない。
「じゃあ、あなたは、死んだ後に何かが存在するより、死んだ後に何も存在しないほうが怖い、ということですか?」
彼はここで初めて、僕に質問を投げかけてきた。しかしそれは、至極簡単な質問に思えた。
「当たり前だろ。まあ、死んだ後に何かがあるから死が怖くない、なんてことはないけどな。少なくとも、何もないよりましだ。何も信じられない」
彼は腕組みをした。困っている風ではなく、ただしっくりとくる言葉を探している、という様子だった。
「私は、死が怖くない」
淡々としたその態度は、決して彼が強がっているようには見えなかった。
「なぜだ」
「未来を信じていないから、かな。ついでに言うと、過去だって信じていない。この世界は、僕が生まれると同時にできて、僕が死ぬと同時に消える。もっと言うと、今、以外はそもそも存在しないのかもしれない」
「それにしてはこの世界はできすぎだ、とは思わないのか」
「まあ、それは。でも、できすぎた夢、というのもたまにはあるでしょう?夢の中で、昼間は想像もしないような景色に出会う。でもそれを私たちはおかしいとは思わない。単なる脳の気まぐれ、以上の何かを、感じることがある」
「後から思い返すと、支離滅裂だったりもするけどな」
「うん。でも、たいてい何も思い出せない。支離滅裂だったかどうか、も検証できない。そこで、です。この世界が全部私の夢の中、と考えることに、矛盾することなんてあるんでしょうか」
確かに、矛盾はしないような気がする。しかし、そのまとめ方は、あまりにも乱暴に思えた。
「じゃあこの街も、車も、僕も、お前にとっては存在しないということか」
僕は彼を挑発する。彼は、挑発には乗らずに、淡々と続ける。
「かもしれない。で、ここで最初の話に戻るんです。変化、あるいは進歩、なんてものを信じるのは、とても恐ろしいことだと思うんです」
「お前の夢の外の世界、を感じさせるからか」
「それもあります。まず、私が消えれば世界も消える。そんな世界が進歩するなんて、無意味です。だって私が進歩を望んでいないんだから」
「ずいぶんと自分勝手だな」
「無意味なことに一喜一憂する人を見るのは私だってつらい。この世界が私の夢の中だとしても、別に感情がなくなるわけじゃない。で、もう一つは、うーん」
彼はまたしばらく黙り込んだ。少しして、また口を開く。
「私がこの世界を、結構気に入ってるから、ですかね」
「さっきお前は、この世界は変わらない、と言ってたじゃないか。お前のお気に入りの世界は、ずっとこのままだ」
「そうならいいんですけど」
彼はまた黙り込んだ。先程までの淡々とした語り口は消え、心細さがにじんでいた。彼は小声で、「死んだ後の世界など存在しない」と呟くと、小さく頷いて、また話し始めた。
「変わらない、という保証だってないじゃないですか。もちろん、私は悠久の時の流れ、なんてものは信じないから、人類が滅んだあと、なんて世界は考えない。変な話ですけど、私が死ぬとき、まあそれは世界が消えるときでもあるんですけど、そのときの世界には、完全に普遍的なものであってほしい」
「というと」
「可能性を感じたくないんです。膜の外の世界は、恐ろしいから。いや、恐ろしいのは、膜の外に世界がある、ということ自体なんですけど。簡単に言うと、世界の最終形態、みたいなものを見届けたい、ということになるんですかね」
「つまり、変化、というものは、その世界が最終形態じゃない、ということを示してくるから嫌いだ、ということか」
「そういうことです。夢の中でくらい、全知全能でありたい、と思うじゃないですか。もし次にこういう世界の夢を見るとして、どこかこの世界に似ているんだけど、どこか違う気がする、そういうときに、これが同じ膜の中の世界なのか、それとも全然違うところに浮かんでいる、たまたまよく似ただけの世界なのか、ということが分からないのって、すごく残念な気がしませんか?」
僕は答えなかった。ふと外を見渡すと、見慣れた景色があった。しかし、そこは僕がよく見知った世界とは、全然違う場所なような気もした。
「ここはどこだ」
不安になって、僕は尋ねた。彼は笑いながら答えた。
「見ての通り、あなたの家ですよ。ここから先は、私のあずかり知らぬ領域ですから、あなたの好きにしてください。人生を考え直すもよし、仕事をするもよし。はたまたすべて忘れて、シャワーなんて浴びてもいいかもしれない。いずれにせよ、私の観測範囲外のことです。私にとっては、存在しないのと同じ」
「なぜここを知っている」
「この世界は私の夢の中ですからね。何を知っていても不思議ではない」
そういうと彼はいたずらっぽく笑って、付け加えた。
「冗談ですよ。あなたの鞄の中の、封筒に書いてありました。それでは」
彼は車のドアを開けた。僕はゆっくりと、外に出た。
二、三歩歩み出たところで、彼が思い出したように、僕に声をかけた。
「あっ、今日は、ありがとうございました。この世界は私の夢だ、なんて言っておきながら、その夢の中の住人にこんな話をしてしまうなんて、私もまだまだ諦めきれていないんですね」
そう言うと彼は穏やかに笑った。僕は振り向いてにこりと笑い、頷くと、無言で玄関をくぐった。
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