Δ*Delta*
叶 遥斗
Δ*Delta*
protos deuteros tritos Δ2*Delta deuteros*
Δ1*Delta protos* 終わり始まり
どこともわからぬ小さな島。ここには『黒い髪』と『褐色の肌』の特徴を持つ人々が暮らしていた。老人から幼子まで数えても20から30名ほど。頭から被った一枚の布を腰ひもで結んだ質素な着衣。そうでなければ殆ど半裸。どういう歴史があるかはわからないが、魚介を主食に少しの野菜を食べて暮らしている。
そこに一人、異端が混じっていた。
「ペレ。おはよう今日もいい天気だね」
島の子どもが手を振った。ペレと呼ばれ顔をあげたのは黒髪ではない。
「うん。今日もいいお天気」
一見すると美少女だったが、静かに返す声は柔かながら男性特有のそれ。肌は白く輝き、小柄である。長い髪の先は自由にカーブを描いている。服装も島人とは違い長い裾は幾重にヒダが波打っていた。裸足に履いたサンダルも島人の履き物とは違う。何から何まですべて。
「きっとね、ペレのおかげなんだよ」
無邪気な顔で島の子どもは笑う。
「僕はなにもしてないよ」
はにかむペレに、それでも笑う。
「ペレが来てからずっと晴れてる。もう何年も。じいちゃんが言ってた」
「そう、だねえ。僕が来てからもう何年も経ったんだよね」
確か、ペレの前にいる島の子どもはまだ赤ん坊だった。だから島長である祖父から聞いた話でしか知らないのだろう。
「本当は神様なんでしょう? ずっとこの島にいていいからね」
島の言葉で『誰かさん』という意味を持つらしい愛称は誰につけられた呼び名であったか。ペレは小首をかしげた。
「僕は神様なんてがらじゃあないと思うけどな」
しかし、自分が何者であるかはわからない。
ずっといていい、そういわれても。感情は動かない。ここにいたいとも、どこかに行きたいとも思っていないのだから、多分どうでもいいのだ──そんなことを口にすれば気を悪くするだろうからわざわざ言ったりはしないが。
この島へ来たとき。何日も意識を失っていたと聞く。ペレを連れてきたのは大きな、美しい七色の鳥。島長の話ではその鳥は自らを神鳥と名乗ったらしい。普通鳥は喋らないよね、とペレでさえ肩をすくめるというのに島の人間は誰も長の言葉を疑わなかった。神鳥は島長にこうも告げたという。
『どうか、──この者を託したい』
島人は皆お人好しだったらしい。どこの誰かもわからないよそ者を温かく迎え入れた。
ペレには記憶がない。この島へ来る前はどこで何をしていたのか。何故神鳥に連れられて来たのか。何もわからない。それどころか食事も排泄も睡眠も必要ではなく成長も老化もしなかった。どうやら普通の人間ではないらしい。だというのに島人たちはなおもこうしてペレを島においていてくれるのだから、やはりお人好しだ。
疑うとか、怖れるとか。平和な彼らには縁の遠い感情だったのかもしれない。
「僕は自分が何者であるか知らない。それってすごく恐いことなんだと思うんだけどな」
「でもペレはペレだよ。おれもじいちゃんも、島の皆も。ペレのこと大好きだから。神様でも神様じゃなくても別にいいし」
「──うん。お天気ずっと続くといいね」
晴れた空の眩しさに、ペレはそっとまぶたを伏せた。
■■■
ある日、島に漂流者が現れた。どこぞの国の学者だと名乗る男は航海の途中海賊船に襲われ、単身小舟で逃げてはみたものの何日も広い海を漂ったらしい。すっかり憔悴し日に焼けてしまってはいたが、もともとの肌はペレと同じ色だ。彼が元気になるとその学者ならではの目をペレに向けた。
「君はこの島の人々とは違うね」
民族学、というものについて何か語っていたが彼があんまりたくさんのことを言ったので内容はほとんど記憶に残らなかった。ただ、世界には大きく分けて二通りの人種しかいないらしく、それはこの島の人のように黒い髪であるか、学者のように白い髪であるかなのだという。
「君の髪は赤いな。だがよく見ると芯が透明、これは白い髪の仲間だ」
稀に色を持つ髪の人物がいる。その場合でもやはり黒か白の系統に分類できた。
「おそらく、これからの時代に色を持つ人々が増えていくだろう。今はまだ珍しいがね」
「どうして僕の髪は赤いの?」
ペレは長い髪を手櫛で慣らし、無造作に一つに結んだ。
「まだ詳しいことはわからんが、魔力が関係しているのだという」
「魔力……。僕、魔法なんて使えないよ?」
普通の人間ではないが、特別な力を持っているわけではない。少なくともこの島に来てからのペレは魔法など使っていない。
「魔力は生き物や物や場所に宿るんだ。魔法を使えるかどうかはまた別の話だ」
「どういうこと?」
難しい話をしていると島の子どもらがやって来た。ペレの頭に白いベールを被せると皆で作ったという花の冠をいくつも乗せる。すっかり赤い髪は隠れたがどれが一番似合うかで大騒ぎだ。
学者は昔話の神話を岩の壁に書き記した。
「この世界には黒い髪の人と白い髪の人がいた、そこに魔力を持った悪魔が別の世界からやって来たんだ」
悪魔がどんな姿であったか、それを知るものはいない。学者は恐そうな絵を描いて子どもらにこれが悪魔だと言い張った。
「悪魔は悪さばかりをして人間を困らせた。人間は悪魔と戦うことにしたんだ」
岩の壁はどんどん悪魔の絵が増えた。人々は剣や槍を持っている。
「悪魔を倒すと、悪魔の魔力がこぼれた。そこにいた人に、物に、場所に魔力が宿った」
学者は悪魔を倒した人を、剣を、大地を光らせた。
「人に宿った魔力は、髪の色に影響を与える。あるいは魔力の宿った道具を使ったり、魔力の宿った土地で暮らした場合なども影響を受ける。一度影響を受けた色は子孫に遺伝する」
「ペレは?」
ペレの髪がどうして赤いのか。それは学者にもわからない。
「昔悪魔と戦った戦士の末裔かも知れないな」
さらに学者は言った。『魔法』はその人が魔力を持っているか魔法の道具を持っているかして、魔法の扱い方を知っていて、使いこなせる練習をしなくては使えるものではないのだと。
島の子どもらは学者の真似をして岩の壁に悪魔を描き始めた。
「悪魔はまだいるの?」
「いやいない。人類はすべての悪魔を討ち負かした。しかし最後の悪魔が施した呪いは今なお世界に蔓延っている」
知らないのか、と学者は苦い顔をして呻いた。
「ここは小さな島だしな。大陸から遠く離れていては魔属なども現れはしない楽園なのだな」
魔属。聞いたことがある言葉のようにも思えたが、それはぼんやりとしていてやはり何の事かわからない。
「悪魔がいなくなっても世界は平和にはならなかった。魔力からは化け物が生まれた。魔属だ。そしてその魔属を使って人間に戦争を仕掛けてくるのが、魔王だ」
「魔王──?」
悪魔がいない世界に魔王は君臨した。
「魔王はどこから来たの」
「それはわからない。でも魔王がいたせいで人間はずっと魔属に脅えて生きてきた。長い長い年月を。七年前、勇者が魔王を倒すまで」
ペレは目を丸くした。
「それでもまだ魔属の残党がいる。魔王がいなくなっても油断はできないが」
「待って。勇者が魔王を倒したの?」
「そう、七年前だ。おかげで魔力の磁場が乱れて天候が荒れることも少なくなった。世界はあるべき姿に戻りつつある」
この島は穏やかな気候に恵まれた位置にある、と学者は語った。晴天が続くのは別にペレのせいではない。わかりきっていたことだが。
「……そう。勇者が魔王を倒したんだ。じゃあ魔王はもういないんだね」
「勇者は今頃ファンダリアの姫君と暮らしているはずさ」
魔属に襲われることがなかった島の人々には、魔王も勇者も遠い話だ。記憶がないペレにとっても、ふわふわとしか伝わらない。何かがペレの心に引っかかったが、学者はもう話を進めていた。
「何度か魔物を見たことがある。あれは恐ろしかった」
魔王の配下である魔属にはいくつかの種類があり、学者の遭遇した『魔物』や、人の形をした『魔人』、はては『魔神』と呼ばれるものまでいた。
「魔神は魔属のなかでも最強最悪。昔の伝説によく出てきてはいろんな国を滅ぼしていた。魔神や魔人だなんて滅多にはいないんだがね」
ペレは学者の話も途中から聞こえてはいなかった。遠くの一点をじっと見ていた。
「──僕の髪は赤だけれど。どんな魔力の影響を受けたらあんな虹色になるのかな」
「何のことだ?」
ペレは白い指を空に向けた。
「あそこにいるんだ。虹色の人が」
空に人が浮かんでいるなんて。学者はペレの指し示す先を不思議そうに振り返った。きらきらと虹色に煌めく長い髪。そこには確かに長身の男がいた。我が目を疑った学者はみるみる顔色を変える。あれは人間ではない。人の形をしてはいるが、耳だか角だかよくわからないものが頭についている。あれは人間ではない。あれは。
「魔属……!」
魔人であるか、魔神であるか。学者にはわからなかった。どちらにせよ、こんな小さな島くらいは簡単に滅ばされてしまう。勇者が魔王を倒した平和な時代。魔属の残党がまだ。
「──いやだ、死にたくない……」
■■■
島のあちらこちら、火の手が上がっていた。ペレは燃え盛る景色を信じられない想いで見つめていた。
たった一体の魔属が島を滅ぼしてしまった。
突然現れた虹色の大きな鳥がペレを拐わなければ、今頃ペレもあの炎のなかだ。
「ねえ、お願い。島に戻って。まだ誰か助けられるかも」
話に聞いた神鳥ならば、言葉は通じるはずだった。しかしペレが必死に頼んでも、鳥は島に戻らなかった。熱風に煽られ、ペレの髪をおおっていた白いベールと花の冠が島の犠牲者を悼むように炎の海に消えていく。
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