この球界の片隅に


 「噓でしょ」「今は調子が悪いだけだって」「冗談でもそういうことは言うな」「どこか悪いのか」「どうして」「もう一度冷静になって考え直せ」「理解できない」「いままで頑張ってきたじゃない」。これが僕の引退に際してチームの内外の関係者が投げかけてくれた言葉だった。今年はマイナーでの登板のみだったけど、去年はメジャーで4試合に登板し、そのうち1試合では幸運にも勝ち星を拾った。2年目のプロ野球選手としては上出来すぎる成績だった。

 けれども僕は引退した。表向きの理由は肘の慢性的な痛みということにしていたが、本当のところは違った。確かに肘は今も痛むのだが、これくらいの痛みはどの投手も抱えているはずだ。実際のところ気持ちの問題だったのだ。野球に対して、いや、最近は生活のあらゆるものに対して意欲が湧かなくなっていた。



 昨年6月、アップルズはアナハイムに投手2人を渡す引き換えに、将来有望な遊撃手1人を得た。しかし夏場に投手が相次い故障しはじめ、次第にトレードを後悔するようになってきたころ、マイナーで投げていた僕に昇格の話がやってきた。1試合目こそ1イニングも投げきれずに4失点して降板したが、その後はペースを掴み、とうとうシーズンの最終盤に初勝利を得た。

 アップルズにとっては順位が確定した後の消化試合の一つだったが、対戦相手だったシカゴにとってはワイルドカード争いの真っ只中にあった。アップルズの先発エマートンが崩れ、3回から5点ビハインドという状態でマウンドに上がった。アップルズファンは半ばあきらめ、シカゴのファンには楽勝ムードが流れる中、僕だけは平常心でいた。とにかく目の前の打者を抑えることだけに集中すれば良いという気持ちで投げることが出来た。この状況なら得るものはあっても失うものはほとんどないと言い聞かせ、気を楽にして投げることが出来た。シカゴの選手たちは面白いように三振し、反対にチームメイトバッティングが勢いづいた。8回についに逆転し、僕は夢にまで見たメジャー初白星を手にした。ファンとチームメイトみんなから祝福を受け、笑顔だったシカゴのファンは絶望的な表情でGCAスタジアムを去り、取材陣は一目散に僕のもとに駆け足でやってきた。自分を中心にスタジアムの人々が動いているように感じた。全米の頂点のリーグの、中枢たる位置に間違い無く立っていると確信した。25年間野球を続け、求め続けたエクスタシーを全身で味わった。


 翌朝、昨日の出来事が全て夢だったのではないかとうくらい深い徒労に包まれて目が覚めた。試合後も友人や親戚たちが祝福の電話をくれたし、球団マネージャーからはウイニングボールを手渡されたが全く喜べなかった。祝いの言葉をかけてくれる相手に悪いので自分の気持ちは隠して受け取ったが、僕の心はひどく寒々としており、深い絶望の中にあった。一週間ほど何をしても感情が動かずチームドクターに相談したところ、鬱の症状が出ていた。

 「僕はこの前『最高』を手にした。なのにどうして」

 「だからですよ」

 求め続けた栄光を手にしてしまい、栄光をつかむとどういった精神と肉体の状態がどう変化するかを知ったがゆえに、全身が目標を喪失してしまった状態にあるという。思えば自分はメジャーリーグで「活躍したい」という気持ちより、メジャーの「舞台に立ってみたい」という気持ちでプレーをしていた。栄光は感じた瞬間過去となるという言葉を思い出し、冷えた心はさらに凍てつくほどの悪寒を感じた。枯れた街路樹を眺めながら「もしも心身が元通りになるなら」と、初めてドーピングをしようか考えてしまった。


 チームドクターと心の病状について定期的に話し込んだことを除いて、ほとんど記憶に残っていないシーズンオフが終わると、僕は狂わんばかりに練習に打ち込んだ。もう一度メジャーのマウンドを踏むぞ、もう一度勝ち星を得るぞと、限界までキャッチャーに白球を投げ込んだ。今思えば躁状態にあったのかもしれない。白い球を投げている間だけが楽しく、練習後帰宅してからも家の壁に向かって気のすむまでボールを投げた。おかげで肘を慢性的に痛めるようになってしまったが、「痛みこそ成長の証」とさえ思った。指からボールをリリースするタイミンで右肘の奥がピリッと痛んだが、自分の体が痛むことで自分が野球選手である実感を取り戻した。

 だがそれも開幕までだった。開幕をマイナーの球場で迎えると、途端にあらゆる気持ちが萎えた。メジャー登録40人ロースターには選ばれたものの、昇格の話は噂すらなかった。メジャーという絶頂を知った後ではマイナーの球場もファンも芝も相手打者もみずぼらしく、そのマイナーから抜け出せずいる自分が一番つまらないものに思えた。僕は野球を愛しているのではなく、様々な人から熱のある視線を浴びたいがために野球をしていたのではないかと考えるようになり、心はますますひび割れた。腕と肘のコンディションを整え、白球を投げるのがひどく億劫に感じられた。もはや野球は自分の心になにもたらさない存在になっていた。メジャーのマウンドに上がれるほど野球を愛し、野球に愛されていたつもりだったのに。


 午後になってから書類上の手続きをすませ、ロッカールームと宿舎にあったわずかな私物を持ち帰ると、拍子抜けするほど簡単に野球を辞めることができた。帰宅すると験担ぎと体調管理の為絶っていたビールをしこたま飲み、盛大にトイレへ吐いてから床に就いた。吐くまで飲むのはやりすぎにしても、心身に活力がみなぎってくるのを感じた。野球なんて捨てて正解だった。現に野球を捨てた今こんなに体が楽なのだから。あんなものはガキの遊びの延長だ。北中米と東アジアだけのスポーツに熱をあげるなんてナンセンスだ。もともとは嫌いだったけど、うっかり実力があったもんだからメジャーリーグまで行ってしまった。ベッドの中で酔いの勢いに任せてひとり毒づく。時折敬虔なクリスチャンの家で育った自分にとって縁遠いものだったはずの口汚く、人種差別とも取れるような単語を交えて。しかし野球への愚痴をこぼせばこぼすだけ、穢れなきグラウンドでの思い出は美しく蘇った。人は死ぬ前に人生の走馬燈を見ると聞いたことがあるが、いま野球限定の走馬燈が僕の頭を駆け巡っている。というよりも僕のこれまでの人生は、常に野球とともにあったということだ。おもちゃのバットを構えて野球好きの父を喜ばせたところに始まり、ハイスクールのリーグで初勝利を挙げ、試合後にガールフレンドが初めて頬にキスしてくれた瞬間。初めてナックルカーブで奪った三振。街で偶然すれ違ったランディ・ジョンソン。U-18の全米代表に選出され日本で投げた試合。大学の練習試合で達成したパーフェクトゲーム。初めてルーキーリーグで登板した霧雨のマウンド。最後はやはりシカゴとの一戦だった。

 そうだ。僕は間違いなく野球選手だったのだ。誰もこの事実を否定できない。この世にメジャーリーグがある限り、記録の片隅に僕の名前は刻まれ続ける。それも「勝利投手」として。僕は明日の朝目を覚ませばもう野球選手ではなくなる。幼き日から毎日白球を握り続けた野球人生が終わる。悪くない一生だった。それでも人生は続くし、僕とは関係なしに、この世に野球は存在し続ける。

 だんだん意識が薄らいでいくのを感じた。今日野球を始めた少年が僕より変化球の上手い投手になり、出来ればアップルズに入団してくれることを祈りながら、眠りの世界にフェイド・アウトしていった。


(第1シリーズ完結)

 


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ゴルトシティ・アップルズにまつわる短編集 真屋るみ @maya-rumi

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