一塁到達までに見る幻は
八回裏、一点差で二死満塁。「蒸気機関車」と呼ばれるほどに、ガッツのあるベラスケスすらバッティンググローブの下に手汗が溢れ出る緊張の場面だった。向こうもガチガチのはずだと言い聞かせ、なんとか心を落ち着けようとする。内角をえぐるツーシームが腰元に滑り込む。ほとんどやけくそで振り込むと、かすってフェアグラウンドに転がった。
自分の打球の行方など全く気にせず一目散に一塁を目指した。ベラスケスは自分に再び言い聞かせる。「今こそ蒸気機関車たれ」と。元々は怒りっぽい性格を揶揄したものなので、あまりこのあだ名を好んでいなかったが、今は自らの足に次々と石炭を
試合後ロッカーでこの時の話題となった。野球選手が一直線に、速さだけを追求してグラうんドを駆け抜ける場面はそう多くない。だがプロの打者ならば一度は必ず経験がある場面だ。ただひたすらに一塁キャンバスを目指し、周りのものは全く見えなくなる瞬間。ベラスケスには蒸気機関車の黒々とした車体、客車方向に流れる蒸気、生命力を感じさせる車輪の回転、そうしたイメージがありありと浮かんだところでセーフになった。
「みんなは今日の俺みたいな時に、何かイメージが浮かんだことがあるか」
各々がそれまでの選手生活を振り返ってみた。
艶福家のアダムズは「月並みな例えになるけど」と、よくわからない断わりを入れた上で、性交中の、射精への絶頂をイメージすると語った。肉体を激しく絶え間無く動かす推進力がセックスを思い起こすという。アウトかセーフかはわからぬせめぎあいもまた、早く絶頂に達したい慾望と快楽を長く続けたい理性がぶつかり合う感覚に近いという。 グラウンドで女体を呼び起こすことこそ、自分の俊足の理由だとアダムズは自信たっぷりに話した。
「だから早漏なのか?」
ベラスケスの返しに爆笑の渦が起こった。自信満々だったアダムズも「み、みんな笑いすぎだよ」と赤面したので図星のようであった。
日本人のクロヤマは「無」が浮かんでいくという。
「まず歓声が聞こえなくなって、どんどん目に見える風景が無くなっていって、一瞬だけ真っ白な世界の中に一塁キャンバスが浮かぶんだ」
チームメイトの下半身を肴にバカ笑いをあげていたナインが急に静かになる。”アップルズのソクラテス”ことメディーナから、「怖くはないのか」という意味の深い問いかけに、「一瞬の一瞬だけ怖い思う。でもそこに浮かぶのが一塁ベースという、大好きな野球のもので安心するんだよ」と”サムライ”は答えた。「禅の精神だね」とケビン・ミフネと尋ねたが、「ちょっと違うかな」と一蹴されてしまった。彼は日系人でミフネという苗字にも関わらず、”サムライじゃないほう”と一部で呼ばれていた。
スワンソンは「どんどん童心に帰る」と語り、マッサは大玉に追いかけられるなど、一目散に一塁を目指す時の幻影を語るなか、4番のキャットフィールドが首を傾げた。「そんなイメージが脳裏によぎったりするかな」。130キロの自分がみるイメージは、「揺れる腹」以外に無かったのだ。
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