トレード


 ベンジーの目の前にはホログラム加工が成されたスワンソンのカードが置かれていた。スワンソンが初の首位打者を獲得した際に作られた、特別なものだという。

 ベンジーは七色に光るアップルズの正捕手が自分のものならどんなに良いかと夢想し、夢から覚めると、いけ好かないロナルドが持っている現実に引き戻された。ゴルトシティ一の不動産屋の息子で、父のカネにものを言わせ、同級生の欲しいものを見せびらかすという、10歳にして美徳のかけらすら持ち合わせない男だった。本当はブルックリンのファンながら、アップルズのカードを買い占めているのも、「庶民」の同級生から、羨望のまなざしを向けてもらうためであった。

 「頼むよ。俺が持ってるブルックリンの選手のカードは全部お前にやるから」

 「嫌だね。だって君が持ってるカードなんて、僕は全部持っているよ」

   ロナルドに頼みごとをするなど屈辱極まりないことだったが、スワンソンのカードはそれ以上の魅力があった。しかしけんもほろろに断られてしまった。

  「親父にお前のお父さんの店を使うように言っとくから」

  「駄目だね。君のパパがうちに来ても、買える物件なんてないだろう」

 子供の喧嘩に親が口を出すべきではないが、親を、子供の側から親を口論の材料にしてしまっては世話ないと、ベンジーは子供ごころに思った。

 「君がこのカードを交換したいなら、僕が見たことがないカードを持っておいで」

 ベンジーには返す言葉が無かった。ベンジーの野球カードコレクションはせいぜい150枚ほどだが、ロナルドのコレクションは今シーズンに発売されたものだけで、既に200枚近くあるようだった。炎天下のバザー会場でレモネードを一日中売り歩いて得た小銭で、1袋1袋祈るようにして開封しているベンジー達を尻目に、ロナルドは涼しい顔で箱ごと買っていた。

 「自分で稼いだお金で買ったカードは、どれも見たことが無いくらい輝いてるよ」

 「僕のカードはパパの愛情で輝いて見える」

 精一杯の強がりも通じなかった。ベンジーは野球カードにまつわる記憶の糸を手繰る。なにかロナルドに自慢できるカードはないか、特にロナルドが好きなブルックリンの選手のカードの記憶を探った。なぜか全く野球に関心の無いはずの、妹のキャシーの顔が脳裏に浮かんできた、

 「忘れてた。僕だって世界的にかなりレアなカードを持ってるじゃないか」

 帰ろうとするロナルドがピクリと反応した。

 「しかも君の大好きなブルックリンの、この前アップルズ戦で隠し球でアウトを取った、トムソンのカードだ」

 「お前はウソついているだろ。俺はトムソンのカードを全て持ってるぞ」

 ロナルドは半信半疑ながら、話に食いついてきた。

 「ウソじゃないよ。トップスター社から出しているカードで、トムソンの背景が金と銀にコーティングされている。それこそ隠し球をした日にゲットしたから、それを記念して特別に作られたやつなんじゃないかな」

 「い、いまそのカード、ど、どこにあるんだよ」

 「妹が持ってる。でも妹は野球にあまり関心が無いから僕が言えばくれるんじゃ無いかな」

 「あ、明日絶対持ってこいよ。お、お、お、俺は君の妹用に、ロリポップキャンディーつけて持ってくるからよっ」

 

  家に帰ると一番にキャシーの部屋に向かった。5つ年下の妹は動物のぬいぐるみでままごと遊びをしていた。熊のぬいぐるみの手元には、輝くトムソンが挟まっていた。

 「キャシー、このカードお兄ちゃんにくれないか」

 「別に良いよ」

 ベンジーはロナルドが素晴らしい価値のあるものと思い込んでいるカードを手にした。一週間前のブルックリン―ゴルトシティ戦、ベンジーは隠し球の瞬間をスタジアムで目の当たりにし、試合後も怒りが収まららなかった。なにか気を紛らわそうとしてGCAスタジアム内のグッズショップでカードパックを購入し、家に帰ってから開封するとトムソンが入っていた。悔しさのあまりトムソンのカードを床に叩きつけると、妹が「要らないなら頂戴」と言うのであげることにした。妹は折り紙をトムソンの背景に貼り付け、唯一無二のカードを作り上げた。これが「世界的にかなりレアなカード」の真実だった。おそらくロナルドが想像しているカードとは、遥かに差があるはずだった。

 「あなた、いってらっしゃい」

  先程までトムソンの持ち主だった熊はままごと遊び一家の父親であるらしかった。キャシーはぬいぐるみといくつかのおもちゃの世界で暮らし、そこには野球も、野球カードも、腹の立つ野球ファンもいなかった。急に妹が作ったトムソンでスワンソンのカードを交換するのが馬鹿らしくなった。ロナルドが自分のハッタリを面白いように信じ込んだだけで充分すぎる収穫だった。自分と同様にカードを見せつけられた友人にこの話をすれば、彼らも溜飲を下げるだろう。なによりほかならぬキャシーが自作したカードをロナルドに手渡すなんて、兄として正しい行動ではない。

 ベンジーはトムソンのカードをままごと一家の熊に返した。妹が夢想するこの世界では、トムソンのカードはどれほどの価値のあるものなのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る