R.I.P.

 スマートフォンでTwitterを開くと「まだそんな歳じゃない」という投稿が目に入ったので悪い予感がした。続けてスポーツニュースサイトのアカウントの投稿を読むと、予感が実際に起こったであることが分かった。


<ゴルトシティ・アップルズ投手コーチ、マイケル・ブリックスが急死>


  驚きはしたものの、今朝のニュースでブリックスの体調が優れず入院し、戦線を離れることは知っていたので、少しだが覚悟はあった。私は2年前マイナーのコーチをしていた頃、タンパの球場で見かけた日のことを思い出した。現役時代は監督に怒られるほと襟足を伸ばしていた黒い髪は真っ白になっており、反対に色白だった肌はやや黒々としていた。思い返せばあの頃から体調が悪かったのかもしれない。それでも現役時代足を大きく蹴り上げるフォームが映える長い足はそのままだったし、当時と同じく女性ファンに囲まれていたので、死が迫っているなど露ほども思わなかった。

 私はそのことを投稿しようかと思い100字ほどの文章にまとめたが、アップする寸前に止めた。私のアカウントをフォローしている知人の中にはブリックスも野球も全く知らない人もいる。そうした人に故人の思い出話に付き合わせてしまうのは悪いような気がしたのだ。

 翌日も仕事があったのであまり考えないよう心掛け、好きなロックバンドのMVをスマートフォンでで何曲か再生しつつ眠った。


 朝のニュースでも訃報が報じられた。まだ縦縞だったころのアップルズのユニフォームに身を包んだブリックスが、マウンドに立つ映像が放送された。私がアップルズの試合を見始めたころのものだった。思えば現役時代を知っているアップルズの選手が亡くなるのは、20年間アップルズを応援し続けて初めての出来事だった。その当時私はブリックスよりも、彼とセットアッパーの座を争っていたダニー・トーリどちらかと言えばを応援していた。だがあくまでトーリがアップルズの中で特に好きな選手であったというだけで、ブリックスももちろんアップルズの選手として応援していた。私はアップルズを「家」あるいは「家族」というようなものであると捉えている。「信仰」や「恋人」というほど心身を捧げてはいないし(そうしたファンがいるだろうが)、目を背けたい嫌な部分もあるけれど、常に寄り添い、まとまることにより心の安らぎと結束を感じる存在といつも考えている。親戚や兄弟のなかでも特に仲の良い親戚や兄弟がいる、そうでない親戚や兄弟もいる。それでも「家」の一員として特別な結びつきを感じている。そんな選手が亡くなった。なにか自分なりの方法でブリックスを偲ぶ行動を起こしたいと思った。


 夕方、会社から帰宅すると久しぶりにビデオゲームを物置から取り出し、ブリックスが現役だったころのソフトを読み込ませた。電子のマウンドにブリックスが再び立った。最後までワイルドカード争いをし、ブリックスが最優秀中継ぎに選ばれた年の、懐かしい顔ぶれがそろった。既に大スターだった若き日のスワンソン、一塁には今はアップルズの指揮をとるオコンネル。一年だけアップルズに在籍したマクニッシユ、「ベネズエラの重戦車」というあだ名をほしいままにしていたキャブレラ。少年だったころの記憶が選手の名前とともに蘇ってきた。久しぶりのプレーでコントローラーが上手く指に収まらず、思い出深いアップルズはどんどん失点してしまったが、確かにアップルズにマイケル・ブリックスという、背番号19の投手がいたということを心に刻むことが出来た。

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