ロッカールーム


  アップルズの指揮官であるマックス・オコンネルは深い疲労感と虚脱感に苛まれた。ボストンとの試合に勝利したものの、試合は延長17回まで続き、スコアも15-14という有様だった。大リーグに引き分けが無いことを恨んでいるうちに時計の短針が12を指した。

  オコンネルは疲れ切った体で、選手たちにどんな言葉を掛けるら良いかを考えながらビロッカーへ続く通路を歩いた。1試合で16点も取られるのはシーズンが始まって以来最悪の数字だった。守備の連携はちぐはぐで、特に内野陣のアウトカウントごとの約束事が全く徹底されていなかった。守備の不甲斐なさを一喝したい一方で、長く苦しい試合で17点も挙げたのだ。勝利した日には必ずナインを褒めようと監督に就任した際に心に決め、以来欠かさずに実行してきた。迷いに迷った末に、少し守備について釘を刺した上で若草色の林檎たちを褒めることにした。

 だがドアを開くとさながら野戦病院というような雰囲気だった。誰一人として元気な者がいなかった。キャットフィールドに至ってはユニフォームを脱ぎながら眠ってしまっていた。オコンネルは「みんな」と声をかけたが、反応は無に等しい、今何かを言ったところでキャットフィールドが目を覚ますだけど考え、ドアの前でイメージした台詞は放棄した。

 「今日はすぐにベッドに入れ、以上」

 明日もここで試合があるし、試合前のミーティングで言えば良いことだ。


  頭の中で推敲に推敲を重ね、昨日のゲームを振り返るこれ以上ないコメントを思いついたが、今日はドアを開ける前に台無しになった。”蒸気機関車”とあだ名されるほどに怒りっぽいベラスケスの、「もういっぺん言ってみろ!」という大音声を耳が貫いた。予想通り喧嘩の相手はメディーナだった。彼のやや文学的なきらいのある表現が癪に触ったのだろう。険悪な雰囲気のなか、今日も寝ぼけ眼のキャットフィールドの隣に立ち「静かに」と、一言だけ言ってから淡々とスターティングメンバーを読み上げた。もう昨晩のことは忘れることにした。


  グリーンモンスター(ボストンのフェンウェイパークには左翼に特大フェンスがある)の上を美しい放物線のホームランが通過する。決勝打を放ったのはキャットフィールドだった。喧嘩していたとは思えない和気藹々とした表情でメディーナとベラスケスがホームに帰ってくる。年に一度あるかないかという清々しい試合の締めくくりだった。

  昨晩とも今朝とも違う、頭の中に全く迷いのない状態でロッカールームのドア前に立つことが出来た。ドアを開け、各々に興奮して監督に気付かずはしゃいでいるなか、キャプテンのスワンソンだけが「僕がまとめますよ」とオコンネルに気付いた。

 「みんな、静かに。楽しい気持ちもわかるが、僕の話を聞いてくれ」

  アップルズのハートと呼ばれる偉大な選手の一言に皆が襟を正し、オコンネルとスワンソンの方を向いた。

 「今日だって9回まで無得点だったし、昨日は14失点してるんだ。ちょっとこのロッカーの雰囲気はおかしいんじゃないか」

 選手たち皆がうつむき、オコンネルもぎくりとした。確かに今日も9回表まで打撃も守備も低調だったのだが、「勝ったからそれでいいか」という気分になっていた。

 「まだまだ俺たちは試合が山ほど残ってる。もっとやることがある。今日はは9回まで無得点、昨日は14失点。でも勝ったんだ!最後の最後に勝ったんだ!もっともっと喜びを爆発させろ!」

 下を向いていた選手たちが一斉に「おおーっ!」と喜びをあらわにし、昨晩野戦病院を彷彿させた場所とは思えない活気ある光景が広がった。オコンネルにとって残念だったのは自分の発言ではなく、スワンソンの発言でひとつにまとまったことだった。今なら選手たちは自分の言葉に素直に耳を傾けてくれるだろう。だが言いたかったこと、それ以上のことをスワンソンが言ってしまった。

 「それでは監督お願いします」

 「よくやった!以上」

 ボストンには連勝したものの、オコンネルは3連敗を期したような心持になった。



 

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