芸術的なプレー

 ゴルトシティ市主催の人権週間企画の一環で、一枚の油絵を描いた。僕は子供のころから晴れの日は野球、雨の日は絵を描くという暮らしをしていたので、自分で言うほどではないのかも知れないが、絵に関してはかなり自信があるのだ。

  黄色い肌の遊撃手、黒い肌の二塁手、白の肌の一塁手が選手が美しい守備を披露し、背中に”レイシズム”と名前の入ったバッターランナーをアウトにするという絵を描いた。野球選手が描く絵なのだから、野球の絵が良いだろうという軽い気持ちで描いた作品だったが、評判はとても良かったようで、週間が終わったあともGCAスタジアム内に飾られることになった。

 「メディーナには色んな才能があるんだな」

  試合前に展示セレモニーがあり、その場で老打撃コーチが褒めてくれた。

 「油絵と野球は通じるものがあるかい?」

  僕は少し考え込んだが、「無いですね」と偽らざる気持ちを正直に答えた。

 「野球と文学は大いに関係があるって言ってたのは、お前ではなかったか」

 「文学とは関係があると思いますが、美術とはあまり関係が無いように思います。フットボールやサッカーは文学より美術のほうに近い気がしますが」

 「わしにはよくわからない」

 「すみません。今のは出まかせです。本当のところ、他のスポーツのことは僕にもよくわかりません」


  その日の試合で僕は守備のミスを2つしてしまった。4回にはライナー性の打球を弾き、8回には僕の送球を一塁手のベラスケスが落とした。監督はライナーについては、あの打球の強さでは誰も取れないと諦め、送球ミスについてはどうしてあれが捕れないと、ベラスケスを叱っていたが、僕に言わせれば両方とも自分のミスだった。美しい守備の絵を展示した日に2つも守備で失敗してしまうのは、いつもの守備の失敗より歯痒いものがあった。

 

 帰ってから球団がくれた僕の絵の原寸大パネルを壁に飾った。自分の絵筆で描いた選手たちを見つめた。レイシズム選手も含めて(悪役を醜く描くのは、アンフェアに思ったのだ)、全員が理想的な体勢でプレーをしていた。静かに正確で素早いプレーの瞬間。僕だって時々はこれくらいの野球が出来ることもあるが、1年に1度あるかないか、それもこうして試合後に気付くのだ。もちろんもっと早く、プレーの最中に自分の素晴らしさに気付きたいのだが、自分のプレーほど良さに気付かないプレーも無いのだ。反対に自分の悪いプレーは真っ先に自分が発見し、暗くて重い残像が頭にしばらく残るのだ。

 出来れば抱えずに過ごしたい残像を2つも抱えたまま、僕は床に就いた。


  その晩、僕は古今東西の芸術家が所属する野球チーム同士の試合に招待される夢を見た。

 ゴッホ、ダリ、ゴーギャン、ミレーといった顔ぶれを前に僕が思ったのは、野球後進国のヨーロッパの芸術家が多く、ちゃんとプレーできるのだろうかという現実的なものだった。僕の心配は杞憂に終わり、レンブラントとウッチェロの投げ合いは迫力のあるものだった。

 ダヴィンチが敬遠されると、フーケが送りバントでダヴィンチを二塁に進め、僕の打席になった。相手チームがリリーフにルソーを送ると、彼の素晴らしいスプリットを前に三振してしまった。チームメイトである巨匠たちに申し訳ない気持ちでベンチに引き下がった。落ち込んでいると、ビジョンに原色で彩られた美しいホームランのリプレイ映像が流れた。ピカソかフェルメールだろうと思いダグアウトで待ち受けたが、ホームに帰ってきたのはナムジュン・パイクだった。そこでようやく自分が見ている光景が夢であることを悟った。

 ひとつ言えるのは「芸術的なプレー」とは、こういうことでは無いことだ。教訓めいたものはそのくらいだったが、とにかく夢の中の試合は楽しかった。ウォーホールがキャッチャーフライを打ち上げる。レオナール・フジタが難なく捕球する。フジタの髪型にキャッチャーヘルメットがあまりにぴったりはまっていたので、吹き出してしまったところでフェイドアウトしていった。

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