サムライ
タカシ・クロヤマが外角低めの球を見逃すと、感嘆のため息がスタンドから漏れた。しかしクロヤマが静かにバットを置いて一塁に向かって歩き出すとサムライ!サムライ!という大歓声に変わった。今季日本からやって来た彼はバッティングはもちろん、選球眼もとても優れていた。やや左投手に苦戦しているものの、熱心に練習に取り組む姿勢と東洋的な鋭い眼を持った端正な顔はあらゆるアップルズファンに受け入れられた。球場内のグッズショップではクロヤマのレプリカユニフォームの受注が追い付かず、嬉しい悲鳴をあげているという。
それにしても、とホルヘ・マッサはベンチで思った。大リーグにやって来た日本人選手は例外なく必ず一度は「サムライ」と呼ばれている。さらに言えばウェイン・チェンやチャンホ・パクといった台湾や韓国の選手すらもそう呼ばれていることがある。日本には侍以外にも特徴的なものは沢山あるし、反対に侍は現代の日本にはいない(いると信じている者も多いが)にも関わらず、日本人選手を十把一絡げに「サムライ」と呼んでしまって良いものか。代走を出され、今日はもう出番のないベネズエラ人二塁手はクロヤマの背番号1をまじまじと見つめながら思いにふけった。
「なにを考え込んでいるんだ」
中継ぎ投手のケビン・ミフネが尋ねてきた。両親ともに日米のハーフという彼もクロヤマ同様、日本球界からアップルズにやって来た。首位打者1回、最多安打1回という輝かしい成績を残して渡米したクロヤマに対して、ミフネは戦力外通告からアップルズのAAに飛び込み、なんとかメジャー昇格までたどり着いた苦労人であった。だが苦労を感じさせない明るさと軽薄さを良くも悪くも兼ね備えていた。
「タカシに”サムライ”以外の愛称を与えるべきだと思って。ヒデキ・マツイの”ゴジラ”だったり、シンジョーの”宇宙人”みたいに」
「でも、マツイもシンジョーも最初は”サムライ”とも呼ばれていたよ。僕もそうだけど」
「君は苗字がミフネだから、特にそうだろうね」
「ヘ?」
「ミフネだよ、トシロー・ミフネ。『用心棒』とか『無法松の一生』の」
「そういう選手がいたのか」
「………」
「とにかく俺はタカシさんは”サムライ”でいいと思う。格好良いし」
「やっぱり日米ハーフの君から見てもタカシは礼儀正しく、義理を重んじ、バットが太刀捌きに見えるかい。日本人の中でも”ブシドー”を持った選手なのかな」
「”ブシドー”?なんの話だ。最近ゴルト・シティを歩いていると俺のことをタカシさんと勘違いして、”サムライ”って呼んでくれるのさ。別のあだ名がついたら、俺も”サムライ”って呼ばれなくなっちゃうよ」
マッサはなんとなくミフネの投球に安定感が無く、なかなかメジャーに定着出来ない理由が分かった気がした。
マッサはクロヤマの人となりを知るべく試合後食事に誘ってみた。レストランへ行く道中、選手よりも早く勝利の美酒で赤ら顔になっているアップルズファンの一団に出会った。
「ヘーイ、クロヤーマ。ユー・サムライ」
「ノー。アイム・ノット・サムライ」
クロヤマの反応はマッサにとって意外だった。少なくともクロヤマ本人はサムライと呼ばれることについて何も気にしていないように感じていたし、そもそもファンの発言を否定するタイプには見えなかったからだ。驚いているとクロヤマがマッサの首にかかっているタオルを借りたいと拙い英語で話しかけてきたので、事情がわからないまま慌てて手渡した。俯いた顔のクロヤマが再び、「アイム・ノット・サムライ」と言う。どうしたんだろうか。
「バーット。アイム………ニンジャー!」
タオルでぐるぐる巻きにした顔を上げると、ファンは大爆笑した。マッサはあっけにとられた。真面目なだけでなく、ジョークで心をつかむことも出来るなんて!とはいえ、ニンジャかサムライなら絶対サムライの方がクロヤマに合っている。あんなにハンサムな男が顔を隠し、影で息をひそめる”シノビ”なのはもったいない。
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