蒸気機関車

 「しまった!ベラスケス、止まるべきでした!」

 ベラスケスも実況と同じ瞬間にしまったと思った。ロサンゼルスの遊撃手は外野からの返球を本塁に突入しようとするベラスケスよりも早く捕手に届けた。慌てて踵を返すと捕手は素早く三塁手へ転送した。こうなると普段は「蒸気機関車」と形容される豪傑も、往復運転のトロリーバスである。三塁手と捕手に挟まれた2対1の鬼ごっこが始まった。三塁手が投げるふり見せて脅してくる。ベラスケスは藁にもすがる思いでこの2人から抜け出す術を考えてみた。我ながら馬鹿げたアイデアだと思ったが、「怖い顔をする」というのが浮かんだ。アップルズナインの中で1、2を争う強面の自分なら、怒りを全面に出した顔をすればおののくかもしれない。ベラスケスは球を受け取ろうとする捕手を思いっきり睨んだが、かえってこちらを小馬鹿にしたような表情を浮かべている。抜け出すどころか相手のペースにはまってしまった。

 三塁手が捕手へ送球し、今度は捕手に追われる。この距離なら捕手にタッチされることは無いが、ふたたび三塁手に転送されたら即座にタッチアウトである。なんとか出来ないものか。輪をかけておかしなアイデアが浮かんだ。

 「ワハハハハハ」

 怖い顔の自分が突然笑い出したら不気味に思うだろう。確かに三塁手が「え?」という顔をしたが、別段相手のプレーに変化はなかった。怪訝そうな表情の三塁手が捕手からボールを受け取り、右手に掴んだ白球で軽く肩に触れた。審判がアウトを無情にコールし、虚しさだけを残して”回送列車”はベンチに引っ込んだ。万策尽きた末の高笑いは、アウトになる運命を避けられない自分を嘲笑しているように見えたかもしれない。そう考えるとやりきれない思いが沸き上がってきた。

 「ガッデム!」

 ベラスケスはベンチを蹴っ飛ばした。彼が蒸気機関車と呼ばれるのは常に全力でプレーするスタイルに加え、起こると頭から白い煙を出しているように見えるからだった。スポーツドリンクの入ったペットボトルも叩きつける。ベラスケスの怒りにはまるで関心が無さそうに、 キャットフィールドが「ナイスラン」と声をかけた。

 「俺だったら諦めちまうよ」

 諦めるという言葉にさらなる頭に怒りを覚え、ブっ飛ばしてやろうかと思ったが、いつも眠そうにしている彼は淡々と言った。

 「この腹だぜ」

 キャットフィールドがでっぷりと突き出した腹を持ち上げる。

 「だから遠くに飛ばすのさ」

 打席でもベンチでも寝ぼけ眼の大砲は万事この調子だった。それでいて得点圏打率は常に上位をマークしている。なんだか怒りをぶちまけている自分の方がばかばかしくなってきた。何故かキャットフィールドの急に太い腹に愛着が湧いた。

 「でもさすがに太りすぎだぜ。歳をとると膝に来るぞ」

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