イチローに倣いて(あるいは、優雅で感傷的なアップルズの1番打者)
僕はついているらしい。みんなが言うのだから、そうなのだろう。ここ5試合の打撃成績は、三塁線ギリギリの内野安打、美しい放物線の本塁打、外野フェンスにあるアップルズのロゴの2つ目のPの丸の中に跳ね返った三塁打、ストレートの四球、敬遠、敬遠、敬遠の球をセンター返し、遊撃手の送球ミスによる失策出塁、死球、相手の三塁手が気狂いになってしまったとしか思えないような野手選択による出塁、それを見て気の毒に思った1塁アンパイアがアウトにした内野安打、けちのつけようがない三塁打、ブルックリンのファンを奈落に突き落とすサヨナラ本塁打、敬遠、敬遠、平凡という言葉とは程遠い三振、車椅子の少年が立ち上がるほど美しい二塁打、敬遠、ビデオ判定でジャッジの覆った併殺打、そのビデオレコーダーを破壊する本塁打だっだ。
「マイク、わしにはわからない」
年老いた打撃コーチが僕に言う。
「その文学と野球の関係性というのが、わしにはわからないのだよ」
「野球は文学だということに気付いたんです。それも数字に支配された」
それまで全く本を読まなかった僕は最近になってから野球小説をよく読むようになった。『シューレス・ジョー』、『素晴らしいアメリカ野球』、『ユニバーサル野球協会』、『赤毛のサウスポー』、『守備の極意』、『12人の指名打者』、『球界消滅』、『球は転々宇宙間』、『神様のいない日本シリーズ』、『優雅で感傷的な日本野球』。こうした作品をを読み始めたのとほぼ同時にバッティング技術が向上しだした。言葉という肉体を持った野球の文学性に気付き、いくら野球を言葉で語れども数字に帰結してしまうこと、野球は数字と文学の間に位置していることを僕はコーチに話した。
「いくら僕が”平凡という言葉とは程遠い三振”や”車椅子の少年が立ち上がるほど美しい二塁打”をやってのけたところで、結局は1つの三振と1つの二塁打としてマークされるわけですよ。そのことに気付くと随分と球が打ち易くなりました」
「わしにはよくわからない」
コーチは野球を単純なスポーツとしてしか見ていないようだった。そのほうが打撃コーチとして正しいのだろう。
「ただ、今のお前にはイチローの言っていることがわかりそうだな」
「そんなまさか」
イチローとは日本からアメリカに来た初めての野手の選手だった。常識では考えられないようなフォームでほかの誰よりも多くの安打を打ち、守備でもレーザービームと呼ばれる強い返球で多くの走者を返り討ちにした。そうしたプレーの所作がひとつひとつが例外なく全て美しかった。まるで野球を現代芸術のようにとらえた彼の身体の動きは、官能的でさえあった。とにかく5試合ちょっと打っただけの僕がかなう相手じゃない。
「イチローの文学的な部分を引き続げるんじゃないかな」
「僕がですか」
<ドキドキがドッキンドッキンになるような>
<ほぼイキかけました>
<肉、肉をくわせろ>
イチローは一読しただけでは分からないメッセージを発言したり、Tシャツに書いたりした。他の選手なら奇癖とも言うべき行動だが、イチローを介せば野球という芸術や文学の一部なのだ。そして野球小説が文章の中に野球を持つように、イチローの意味が無いように見える言葉の中にも、野球があるのかもしれない。そういえばイチローは自分の偉大な通算記録や成績に全く関心が無く、ひたすら次の試合のことだけを考えているということを聞いたことがある。彼はきっと数字の支配から野球を救うおうとしているのだ。言葉の力によって。イチローの「イチ」とは日本語で、「最初」とか「始め」という意味なんだそうだが(これはチームメイトの日本人、クロヤマから聞いた)、イチローはスズキ家の最初の子供ではないのだという。イチローは生まれて間もなくから数字と言葉のジレンマと戦っていた男だからこそ、そうした発想が出来るのだろう。
彼には及ばないが、僕も数字にこだわらず、言葉の力で野球をしてみたい。バッティグケージに戻り、打撃投手の球を打ち返しては打撃結果を夢想する。数字にとらわれないバッティングを。言葉の力を持ったバッティングを。 稲妻のようにスタンドに突き刺さる本塁打、チーターのように速いセンター返し、美女に睨まれる三塁打、文学全集より分かりにくいライナー性の安打、童貞が打ちがちなスクイズ、天動説と比較されるべき二塁打、「その男、凶暴につき」一本分の犠牲フライ、左翼の小説家の球を
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