第6話

 俺が十円玉に触れている限り、疑いが解けることはない。それなら、いっそのこと二人とも手を放して、十円玉だけで動いてもらおうではないか。


「外部からの力が加わらずに、十円が動くの?」

 響子が馬鹿にしたように聞いた。


 いよいよ名探偵パスカルの出番だ。

 十円玉の質量、重力、摩擦係数、空気抵抗などから、俺は厳密に計算した。

 その結果、

「人間の力など借りずとも、十円玉はひとりで動くはずだ」

 自動掃除機だって勝手に動いている。硬貨だって動くのだ。


「いいでしょう。本当に動くかどうかわかりませんが、やるだけやってみましょう」

 いつの間にか主催者のような態度をとるようになった102号は、俺の提案を受け入れた。


 俺と響子は、十円玉から指を放した。


「私たちに伝えたいメッセージはありますか?」

 102がそう尋ねると、十円玉は画用紙の上をひとりでに動き、「はい」の上で止まった。


「きゃあ~」

 響子は悲鳴を上げた。

 102は冷静に、

「そのメッセージをお話ください」と聞いた。


「い」「ま」「ま」「で」「は」「わ」「た」「し」「の」「い」「し」「で」「は」「な」「い」


「か」「お」「の」「は」「で」「な」「お」「ん」「な」「が」「う」「ご」「か」「し」「た」


「私じゃなく、所長が動かしたんだけど」

 追いつめられた響子は、そう言い訳した。



 自動で動いたことで、降霊術自体の信用度が高まり、参加者は関係のないことまで尋ねるようになった。


「どうやったらやせられるでしょう?」

「と」「ん」「か」「つ」「を」「く」「え」


「和也はどこにいった?」

「あ」「の」「よ」


「最近、体の調子が悪いんですが?」

「そ」「と」「に」「で」「な」「い」「せ」「い」「だ」


 俺はいまいち信用できなかったが、試しに俺しか知らない事実を質問してみた。

 これまで誰にも語ったことのない子供の頃の記憶だ。

 俺は、小学一年の夏休み、セミをとりに近くの雑木林に入ったとき、忍者に遭遇した。

「俺が小学一年の夏にセミをつかまえにいったとき、誰と会いましたか?」

「に」「ん」「じ」「ゃ」

 正解だ。

 こいつは信用できる。

 それならもう一問。

 俺はニューヨーク時代、バーテンのかたわら、客船に乗って小遣い稼ぎをしていたのはよくしられた逸話だが、俺がニューヨークにいた頃、バーテン以外にしていた仕事を尋ねるのだ。

「俺は……」

 俺がその質問をしようと口を開きかけると、十円玉はこちらの心を読みとったように、 

「せ」「ん」「い」「ん」と答えた。

 幽霊は人の気持ちがよめる。読心術の心得があるらしい。


「所長ばかりじゃなくて、私にも質問させてよ」

 今は俺が質問する番だが、響子は順番を守らず、割り込んできた。

「水素水って本当に効果あるの?」

「う」「え」「か」「ら」「よ」「ん」「で」「も」「す」「い」「そ」「す」「い」

「し」「た」「か」「ら」「よ」「ん」「で」「も」「す」「い」「そ」「す」「い」

「答えになってないじゃないの?」

 響子がそう言うと、「どちらともいえない」で止まった。

「そうね、その答えなら当たってそう」


 ここに調査に来たはずの、探偵までが信用したようだ。こうなると収拾がつかない。

 俺もついでに、

「ビルの廊下に出ると、子供がうるさいが、有効な手だてはないものかね」

「ろ」「う」「か」「に」「で」「る」「な」

「夕刊断ろうと思うけど、新聞屋が強面で言い出せなくて」

「こ」「と」「わ」「る」「な」

「かぐや姫はなぜ解散したの?」

「どちらともいえない」

「これから株価は上がりますか下がりますか」

「どちらともいえない」

「ビッグフットって本当にいるの?」

「どちらともいえない」

「織田信長は本当に本能寺で死んだの?」

「どちらともいえない」


「本当はわからないから、どちらともいえないなんて曖昧な答えにしてるの?」

 響子が十円玉に向かってそういうと、


「お」「ま」「え」「た」「ち」「の」「し」「つ」「も」「ん」「が」「は」「や」「す」「ぎ」「て」「こ」「た」「え」「る」「の」「が」「お」「い」「つ」「か」「な」「い」


「それならゆっくり質問します」

 102がそう言ったのに、また十円玉が答える隙もないほど立て続けに、どうでもいいくだらない質問が連発した。 


「い」「い」「か」「げ」「ん」「に」「し」「ろ」


 それから十円玉の暴走が始まった。


「お」「ま」「え」「ら」「ぜ」「ん」「い」「ん」「こ」「ろ」「す」


 殺せるもんなら殺してみろ、と俺は言おうかどうか迷った。


「な」「ん」「だ」「と」「?」


「俺じゃない。こいつが言ったんだ」と俺は102を指した。


「自分が言ったくせに、人のせいにするなよ」

「あんたの司会が下手だからこんな結果になったんだ」

「所長が無理に動かすからいけないのよ」

「本当は和也なんだろう?」


「い」「い」「か」「げ」「ん」「に」「し」「ろ」


「ああ、怒らせちゃった」

 自分が一番怒らせたくせに、響子は人ごとのように言った。


 幽霊がきれたので、そこで降霊会はお開きだ。

「幽霊怒らせた状態で終わるのはまずくない?」


 響子にそう聞かれたので、俺は十円玉を盤に乗せ、上から人指し指で押さえた。

「きれてますか?」

 硬貨はまるでそれ自身が意識を持っているように、「はい」のほうに向かおうとする。俺は人指し指だけでなく、親指と中指も加え、全力で硬貨の支配権を奪った。


「き」「れ」「て」「な」「い」「っ」「す」「よ」


 それが幽霊の答えだった。


 それから俺は、

「ソックリさん、ソックリさん、入ってきた窓から、どうぞインドあるいはインドネシアに帰国してください」と言って、十円玉をポケットに入れた。これで相手がどうあがこうと、円満に終了したことになる。


 俺は他の三人の顔を順番に見てから、

「ご協力ありがとうございます。これでさまよえる魂も成仏することでしょう」

 と閉会を宣言した。


「ああ、疲れた」

 といって、102はあくびをした。

「来るんじゃなかった」

 201の老婆は泣いていた。

 103の女はゲップとおならを同時にするという特技を披露し、会場は和やかな雰囲気に包まれた。


「誰がゲップとおならをしたと言うの?」


「この部屋はそいつのせいで、炭酸ガスとメタンガスが充満している。早く外に出ないと危険だ」

 俺たちは全員203号室から出た。


 階段を下りると、数人の背広姿の男達が待ち構えていた。

 そのうちの一人に、

「お話、聞かせてもらっていいですか」

 と問われた。お話なら俺の得意中の得意だ。

 そこで、俺の上司だった今の警察庁長官が、たった半年で俺より階級が下になった話をした。


 気がつくと、刑事達は響子を取り調べていた。

 俺は、彼女が事件の黒幕だと警察に密告していた。できれば本人に自首してほしかったが、あの勝ち気な性格がうんというはずがない。


「あの方の指示で、今回のことを仕組まれたんですか?」

「いいえ。降霊術に協力してもらっただけで、彼は事件のことは知りません。私が大家さんに報告し、佐藤が部屋を空けた隙に、大家さんに中を調べてもらいました」

 大家の家の庭には、俺の車の隣に赤色灯を乗せた乗用車が駐まり、後部座席に102号が乗っていた。

 これから本物の囚人になるようだ

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る