第5話

 響子とゆうすけは笠松ビルに向かい、俺はそのまま裏野ハイツで引き続き調査に当たった。調査と一言でいうが、とても一人で手に負えるような仕事ではない。猫の手も借りたいとはこのことだ。


 まず、何をどう調査するのか決めなければならない。

 相手は幽霊だ。これまで行ってきた調査とは、別のやり方にしなければならない。


 俺は考えに考えぬいた。

 そこで、降霊術を催し、幽霊を呼び出し、直接聞き取りをすることにした。今のうちに、参加者を募らなければならない。


 まずは、俺の後見人ともいえる、世紀の暇人、笠松ビルオーナー笠松大五だ。

 俺は、滅多に電話のかかってこない管理人室に電話を入れた。

「社長、いい物件が見つかりました。裏野ハイツというんですが、あんな古いビルなんか売っ払って、そこを一部屋十万円で貸し出せば、老後は安泰ですよ」

「このビル、売り払うったって、どこが買ってくれるんだよ?」

 世界広しといえど、耐震性と防火体勢に疑問符がつくあの老朽雑居ビルを購入しようという御仁は現れないだろう。


「そこまでひどくはないよ!」


 スズメバチでお困りなら、でおなじみの長岡害虫駆除代表長岡義男にも電話をした。

「社長、裏野ハイツさんにものすごい巣がありまして、外の壁全体に広がる大きなものです。全部で百万匹くらいいそうです。五十万円で見積もっときました」

「そんなすごいの、うちじゃ無理。丁重にお断りして」


 最近、アイドル活動を始めた居酒屋若杉の娘綾名にも、

「社長、アイドルになるなら一人暮らしを体験してみないと。今なら格安で借りられるんだけど」

「ポチの散歩はどうするの? タダでおじさんがやってくれる?」

 犬の散歩を続けているということは、アイドルの仕事は忙しくないのだろう。

「そんなことないよ」


 三人に出席を拒否され、俺は落ち込んだ。それからすぐに、部外者は呼ばず、身内だけで行うほうがいいことに気づいた。


 降霊術は本格的なものだが、霊能者は必要ない。普通の人間だけで充分だ。その代わり専用の道具が必要だ。探偵業の傍ら副業として便利屋も営む俺は、中古業界にも顔が利く。降霊術の道具一式くらい手に入れることはたやすい。だが、今日中に揃えるとなると話は別だ。

 日が暮れるまであちこちの骨董屋を駆けずり回り、なんとか専用の道具を手に入れた。


 俺ひとりの努力のおかげで、予定した八時には、降霊術を行うことができそうだ。


 俺が愛人のために月四万九千円で借りた、103号室の上は203号室だ。空き室で調度品がなく、リビングに事務所から応接セットを運び入れておいた。

 電気が通じていないのと、雰囲気を出すため、テーブルの上に数本のキャンドルを用意した。冷房もないので、窓は開けてある。ときどき風が炎を揺らす。


 キャンドルに囲まれるように、骨董屋から手に入れたウィジャ盤(OUJA BOARD)が置かれている。ウィジャ盤は、十九世紀にアメリカで発売されたボードゲームの一種で、アルファベットや数字が印刷されている。参加者はプランシェットと呼ばれるハート状の板の上に指を乗せ、そのプランシェットが文字や数字の上を動くことで、幽霊と対話する仕組みだ。

 経験者の多くが自分の意思と無関係に動くと証言しており、筋肉の疲労に伴う自動的な動きと説明づけられている。


 本人の知っていることははっきり答え、知らないことでは迷った事例があることから、潜在意識説も唱えられている。

 体調がおかしくなったり、人格が豹変するなど、トラブルが頻発し、危険な遊技とも呼ばれる。

 ウィジャ盤は商品にすぎないが、その起源は古代のギリシャや中国に遡ると言われている。今回、オリジナルのものではなく、俺が若干手を加えて改良し、使いやすいものにした。すでに意匠登録をすませ、国内の玩具メーカーに売り込んでいる最中である。


「どうみてもこれコックリさんでしょう。画用紙にマジックでひらがなと数字書いて、財布から出した十円玉置いただけ」

 響子がいちゃもんをつけることぐらいわかっている。そう言われた場合に備え、あらかじめ言い訳を考えておいた。

「たしかによく似ているが、コックリさん自体、明治時代にウィジャ盤を日本仕様にしたものだからウィジャ盤の一種で、似ていて当然さ。ちなみに名前はソックリさんという」

「そっくりじゃなくて、コックリさんそのもの。どこが違うの?」

「よく見てみたまえ。コックリさんは選択肢がはい、いいえの二つだが、これはどちらでもないがある」

 コックリさんの場合は「はい」と「いいえ」の間に鳥居があるが、ソックリさんでは鳥居はなく、「どちらでもない」がその位置に記されている。


「本当だ」と彼女は感心し、ウィジャ盤を見つめた。「もうひとつ、オリジナルなところがあるわ。字がへたくそなのはほっといて、ひらがなの並び準がおかしい。やいゆえを、わいうえよって、小一以下。さすが小学校中退で、ろくにひらがなも知らないだけのことはあるわ。それなのに名前がひらがな」

 そう言って、彼女はウィジャ盤を馬鹿にするように笑った。

 彼女程度の眼識では、これが相当の達筆で、名だたる書道家の手によるものと見抜けないのも無理はない。


「名前がひらがななのに、ひらがなを知らないなんて傑作」

 まだ笑い続けている。

 俺は、簡体字、繁体字、常用漢字、アラビア文字、ハングル文字、ルーン文字など、あらゆる文字に精通している。だが、名前のせいで、ひらがなだけが苦手なのだ。


 そのとき、ドアをノックする音がした。

「おじゃまします」

 玄関口に現れたのは、102号室の40男と201号室の70女だ。


「今日はどうされました?」

 と俺が聞くと、

「そちらが呼んだんでしょう」と102は言った。「それから私、102じゃなくて佐藤と言います」

 102はこれまでひた隠しにしてきた名前をようやく明かした。俺たちのことを信用したからだろう。紅丸小路などという変わった苗字を期待していたのだが、ありふれた佐藤では、せっかくの納涼企画が台無しだ。


「ありふれてて悪かったね」


 参加者は席に着いた。俺の真向かいは響子。彼女の隣は201号室の老婆。俺の横には、囚人102号。幽霊のことで大家に苦情を言い続ける102はもちろん、幽霊の正体が自分の孫だと言い張る201号室の老婆にも来てもらった。


 俺は、三人にソックリさんのやり方をレクチャーした。

 俺と響子が十円玉を人指し指で上から押さえ、102がこの場に降りてきた霊に質問をすると、十円玉が文字の上を動き、メッセージが示される。


「おしゃべりしてないで早く始めましょう」

 進行担当MC102は、降霊術の開始を宣言した。


 俺は、あらかじめ手引き書を作成しておいた。

「これを読めばいいんです?」102は聞いた。

 俺は「はい」と答える代わりに、十円玉を盤の「はい」の上に動かした。


「いきなりあれですね。まあ、いいでしょう。暗くて読みにくいな。え~、ソックリさん、ソックリさん。どうぞおいでください。もしおいでになられましたら、どちらでもないへお進みください」


 響子はともかく、俺は一切力を込めていないのに、十円玉は自動掃除機のようにひとりでに動き、「どちらでもない」の上で止まった。


「私も力を入れていません」

 響子が無駄なおしゃべりをしたので、

「静かに」と102が注意した。


 102の司会を無視して、老婆が、「和也なのかい?」と聞いた。

 硬貨は「いいえ」の上に動いた。それで、彼女は落胆した。


 そのとき、下の階で何か物音がした気がした。102も103も留守のはずである。101号室の住人が帰ったのだろうか。いくら壁や天井が薄いボロアパートでも、101号室の音がここまで届くとは思えないが。


 俺がそう言うと、響子はものすごい目つきで俺を睨んだ。

 その目は俺に何かを訴えていた。きっと俺は、絶対に話してはいけないことを知らずに話してしまったのだろう。


 司会者はそんなことなど気にせず、

「それではあなたのお名前を聞かせてください」と聞いた。

 ひとりでに動こうとする十円玉に対し、俺は渾身の力を込め、「ひ」まで持っていった。

「よけいなことしないで」

 響子がいった。

 次は「ゆ」だ。

「やめて」


「もういい。名前は後回し」

 司会者は名前の件はあきらめて、次の質問をした。

「あなたは日本の方ですか?」


 俺は肩の力を抜いた。十円は「いいえ」を示した。

「どちらから来られましたか」


「い」「ん」「ど」


 インド出身だった。それで俺の部屋のテレビにインド映画が映ったのだ。

 だが、俺はあることを思いついた。響子が油断しているのをいいことに、自分の意志で十円玉を動かした。


「ね」「し」「あ」


 ここの幽霊はインドネシア人だった。


「ふざけないで」

 響子は怒ったが、俺はふざけてなんかいない。

 インドとインドネシアは区別が難しいので、そこをはっきりさせようとしたのだ。


「違いくらい子供でもわかります」

 無知な彼女に俺は博学な知識を披露した。

「インドネシアとはインド諸島という意味で、インドネシアの短縮形はインドと言う。インドポップはインドネシアポップスで、インドフーズはインドネシア料理。実際、インドをインドと呼ぶのは日本くらいで、普通はインディアかヒンディーと言う。インダス川に由来する名だから、本来は日本のほうが正しいけど、西洋人が大雑把にとらえたからこうなってしまった」

「今はそんなこと話している場合じゃないでしょ」


「二人とも抑えて」

 進行役に注意され、俺たちはおとなしく黙った。

 その結果、呪われし203号室に不気味な沈黙が訪れた。俺は平気だが、残りの三人は恐怖のあまり、無意味おしゃべりを始めた。

 201号室の老婆は、

「本当は和也だろう。恥ずかしいからインド人って言ってるんだよね」と盤に向かって話しかける。

 102号室の男は、

「階下と違って二階はいいねえ。それでいて家賃が同じなんておかしい」

 と、これ以下はない低い家賃にけちをつけている。

 103号室の女は、

「インドフーズがインドネシア料理なら、インド人はインドネシア人ってこと? それならインド人のことなんて呼べばいいの?」

 と、相変わらずしつこい。


 俺は降霊術に集中したいので、

「おい、怖いからっていい加減にしろ。いくらしゃべっても怖いことには違いがない。目の前の恐怖に立ち向かうしかないんだ」

 と彼らをたしなめた。


「しゃべってるのはあなただけです」

 と、103号室の女は自分に向かっていった。まるで鏡に映る自分の姿に向かって「世界で一番きれいなのは誰?」と聞いて、「それはあなたよ」と自分で答えるようなものだ。


「お静かに!」

 102は真剣な表情だ。

「質問を続けます。あなたはどうしてこのアパートに出るのですか?」


「が」「い」「こ」「く」「じ」「ん」「は」「か」「り」「ら」「れ」「な」「い」


 外国人秤られない。

 日本語としては少しおかしいが、外国人の使う日本語なのでやむをえない。

 外国人は秤を使えない、測ることができない。そういった意味のようだ。


 俺がそう言うと、十円は「いいえ」の上に動いた。


 意味が違うということだ。


「あなたは外国人ということで、このアパートを借りることができなかった。そういう意味ですか?」


「はい」


「それは、このアパートに恨みがあるということですか?」

「いいえ」

「それならなぜこのアパートに出るのですか?」


「が」「い」「こ」「く」「じ」「ん」「は」「か」「り」「ら」「れ」「な」「い」


 外国人秤られない。

 日本語としては少しおかしいが、外国人の使う日本語なのでやむをえない。

 外国人は秤を使えない、測ることができない。そういった意味のようだ。


 俺がそう言うと、十円は「いいえ」の上に動いた。


 意味が違うということだ。


「ループしない」

 響子は、幽霊に向かって言った。

「違います。あなたに向かっていいました」

 そのあなたとは見えない幽霊だった。


 102は先を続ける。

「あなたはどうしてほしいのですか?」


「こ」「の」「へ」「や」「を」「か」「し」「て」「ほ」「し」「い」


 それにはいろいろと問題がある。最大の問題は家賃の件だ。支払い以外にも住民票をどうするのか、頭を抱えざるをえない。


「貸して欲しいとおっしゃいますが、あなたはいつもこの部屋にいるのではないですか?」


「2」「0」「2」


「あなたは202号室にいるのですね?」


「はい」


「202号室ではダメなのですか?」


「ば」「ば」「あ」「が」「う」「る」「さ」「い」


 その気持ちはわかる。幽霊のことを自分の孫と勘違いしている201号室の老婆が、やたら話しかけてくるのだろう。彼女は、

「そんなことお言いでないよ。私だって寂しいんだからね」

 とおかしな言い訳をした。


「203は空き室でしょう。別に202だって契約交わしたわけじゃないから、そっちに移ればいいだけの話と思うけど」

 と響子が余計な口出しをした。


「だ」「ま」「れ」「か」「お」「の」「は」「で」「な」「お」「ん」「な」


 黙れ! 顔の派手な女。幽霊はそうメッセージを伝えてきた。


「インド人に派手って言われるような顔じゃないけど」

 響子が反論すると、201の老婆も、

「この程度の顔が派手と思うのかい。インド人というのは嘘で、やっぱり和也なんだね」

「そうよ。私の顔なんかどう見てもインドの人より地味だけど。もしかして、所長がわざと動かした?」


 まずい。俺が疑われた。こんなときはあれだ。


「あ」「ん」「な」「と」「こ」「ろ」「に」「き」「ん」「か」「じ」「ゅ」「ー」「が」


 キンカジューとは、南アメリカに生息するアライグマの一種である。


「やっぱりそうよね。さっきからおかしいと思ったら、所長が動かしてたんですね」

 響子が指摘した。

 三人の視線が俺に注がれる。俺は窮地に陥った。


「まさか、信頼と実績のラーチャー様が疑われるとは思わなかったな」

 俺はひどく落ち込んだ振りをした。

「その信頼と実績は、私一人の力によるものです」

 俺は、自分にかけられた疑いを晴らそうと、

「顧問弁護士のスミスバーニー君をここに呼んで欲しい」と要求した。

「そんな人いません」

「どうしても俺を信用してくれないんだな」

「はい」と103。

 102も無言でうなずいた。

 201などは、「幽霊は和也なんだから、インチキをしてごまかさないでください」と言い張って、話にならない。

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