第3話

 映画の後、明日の天気を観ていると、ドアをノックする音がする。

 こんな深夜遅くに誰だ。

 すっかり忘れていたが、この部屋で幽霊が出たことから、ノックの主は幽霊かもしれない。

 おそるおそるドアを開けると、四十代の男が立っていた。

「隣の102号室の者ですが、そちらは?」

 といきなり尋ねて(訪ねて)きた。この場合、どちらのタズネテも仕えるレアなケースだ。

 化粧をしていないのに、これほど肌が白い人間も珍しい。平安貴族を思わせる上品で陰気な顔立ち。性格は粘着質で根暗に違いない。


「何をぶつぶつ言ってるんですか?」

 そうか、俺はここに越してきた設定だった。

「設定?」

「ご紹介遅れました。私……」

 名前はどうする? 探偵が本名を名乗るわけいかない。そこで、

「名乗るほどの者ではございません」

「はあ?」

「それではごきげんよう。アディオス」と言って、俺はドアを閉めた。

「ちょっと待ってください」

 男はドアを開けた。


「暇つぶしに来たわけじゃありません。実は、私の部屋に幽霊が出たのです。驚かないでください。ときどき出るのです。その幽霊が、103号室に変な男がいるから、追い払って欲しいと私に言うのです」

「どこのどいつなんだ。その変な野郎は?」

 俺は幽霊を困らせるその男が心底許せず、拳を握りしめた。

「おたくです」

 隣の男はそう言った。

 彼にそう言われて、俺は自分が霊能者であることをばらすことにした。しかし、設定では会社員ということになっている。不動産屋のバイト社員も広い意味で会社員だ。

「私、この部屋に幽霊が出ると聞いて、不動産屋から時給八百円で雇われて暮らすことになりました」


 殺人や自殺などの事故物件を販売したり貸したりする場合、不動産屋は客にそのことを説明する義務がある。但し、最初の一回限りでいいので、バイトを雇って短い期間だけ、住みこんでもらうことがある。家賃がタダでお金までもらえるが、勇気と鈍感さが求められる裏のバイトだ。

「それが何ですか?」

 男は俺の説明に納得していないようだ。そこで

「ひいては、明日の夜八時にここで降霊術を行いますので、住人の方はふるって強制参加してください」と肝心の用件を告げた。

「言っている意味がわからない」

 男はむっとした表情で俺を睨んだ。

「今度、隣に引っ越してきた設定の者ですが、よろしくお願いします」

 俺は頭を下げた。

「おたくとこれ以上、話しても無駄みたいなので戻ります。これじゃ幽霊も手こずるはずだ」

 と囚人番号102はいって、自分の独房へ帰っていった。



 探偵という職業は、常に死と隣り合わせだ。俺はこれまで数え切れないほど、死にそうになった。

 麻薬捜査で潜入したコロンビアでは、人質の代わりにコーヒー農園で働かされ、ブラジルではアマゾン川の謎の生物を捕獲したが旅費が尽き、コーヒー農園で奴隷のようにこきつかわれた。オオスズメバチ退治に出かけたインドネシアでは全身を刺され、治療費を立て替えてもらうかわりに、コーヒー農園で働かされた。


 幽霊が出たと言われたぐらいで、びびるような俺ではない。

 準備も万端だ。いざ幽霊が出た場合に備え、二部屋とも照明は点けっぱなしにしておいた。怖いからではない。暗闇でいきなりうらめしや~とやられては、本能的に懐に忍ばせたコルト・パイソン銃をぶっ放しかねないからだ。


 時刻は午前三時。このまま朝まですごすことになりそうだ。

 横になりたいが、103号室は空き室のため部屋にベッドはない。

 もちろん、優秀な我がアシスタントのことだ。当然、クローゼットに布団が入っているはずだ。期待して開けると、寝袋があった。

 コンパクトに圧縮されて収納袋に入っているものが多いが、これは最初から使用時の大きさだ。植物を思わせる鮮やかな黄緑色をしている。

 顔を出す口の部分が唇のように厚くなり、蓋のようなものが上に出ている。腿から下の足の部分がふくらんでいる。着ぐるみのように何かを模してるのだろう。

 どこかで見たような気がする。

 そうだ。あれだ。

 すぐ目の前にあるのに、俺は思わず、

「あ、あんなところに食虫植物ウツボカズラが」と指さしてしまった。

 使用者は寝袋に食べられてしまうのか。

 その考えはすぐに否定された。そんなものを販売すれば、メーカーは製造者責任をとらなければいけないからだ。


 それでも、まだ不安は残っている。

 砂漠だろうが密林だろうが、どこでも平気で寝られる俺は、これまで寝袋を使う必要はなく、今回が初めてだ。

 寝袋なんかでうまく寝られるだろうか。

 それ以前に使い方がわからない。誰からも使用方法を教わっていない。

 こうなれば、一か八かやってみるしかない。


 俺ははれ物に触れるように、寝袋をとりだした。

 洋室の床の上に置くと、コートと帽子を脱いだ。ゆっくりと足を入れ、そのまま体を中に潜り込ませ、顔だけが出た仰向けの状態になる。

 成功だ。三十三歳にして、ようやく俺は寝袋を使うことができた。

 安心した俺は、「ウツボカズラに見せかけて、ただの寝袋じゃないか」と声に出した。


 それで寝袋が怒ったのか、いきなり蓋が下りてきて、俺の顔の上に覆い被さった。

 蓋は布なので害はないが、前が見えない。よく眠れるように光を遮るのだろう。

 気がつくと、口の部分もゴムのように閉まっている。

 中で手足を動かしても、寝袋から抜け出せない。

 俺は寝袋に拘束された。まるでウツボカズラに食われた虫だ。


 冷房がないので、テラスの窓は開いたままだ。一階なので外から中に入ることが出来る。この状態で襲撃されると、手も足もでない。


 待てよ。

 本当に、この寝袋は響子が用意したものだろうか。これはもう寝袋というよりイタズラグッズだ。いくらなんでも、探偵が使うものではない。アパート関係者の誰かがおもしろがって購入したが使いものにならず、邪魔になるので、ここに置いていたのだ。それを俺は誤って使ってしまった。

 後悔しても、もう遅い。俺は、この状態のまま第三者による救出を待たねばならない。


 照明は点いているものの、蓋のせいで、部屋の中が見えない。ただし、首を横に曲げれば、床の辺りは一部見られる。

 窮屈で退屈なので、ときどき顔だけを横に向ける。そのとき、何者かの両足が見えたような気がした。


 誰かがそばに立っている?

 音などの気配は一切なかった。


 幽霊か?


 俺はどうすることもできず、寝袋に閉じこめられたまま、一夜を明かすしかなかった。


 足を見たこと以外は、特に何も起こらず、そのうちに幽霊なんか、それほど怖がることないのではと思うようになった。


 UMA(未確認動物)や空飛ぶ円盤といったオカルトにひとくくりにされているが、幽霊にそこまでの希少性はない。空飛ぶ円盤やネッシーが捕まったら大騒ぎだが、ちょっとした心霊現象くらい誰でも経験がありそうだ。

 心霊体験など日常茶飯事のごくありふれた現象にすぎない。一生のうちに幽霊を見る機会など、セントバーナード犬を見る回数より多いかもしれない。


 幽霊は、科学的に説明がつかないという理由で、単なるデマ、あるいは錯覚や幻覚など実際には存在しないことになっている。

 本当に存在しないのなら、ここまで世界中で心霊談が語られることはないのではないだろうか。幽霊という概念のない民族が、どこかに存在するのだろうか。英語の世界では、肩こりに相当する英単語が存在せず、I have stiff shoulders. のような文章で表現しなくてはならないが、幽霊に相当する単語が存在しない言語はあるのだろうか。


 もちろん、幻覚の場合もあるのだろうが、幽霊以外の幻覚を見たことのない人間が、半透明の人間という決まったパターンの幻覚を見るのはどうしてだろうか。


 幽霊は一種の物理現象ではないのか。

 だが、常識的に考えれば、人間の姿をした半透明の生物などありえない。

 あれが生物の本体ではなく、ホログラフィのように、投影された映像だったらどうか。

 すると、肉体を失った死者は、物理的な実体を持たずに存在することになる。そんなことはありえない。


 ここでコペルニクス的に発想を変えてみよう。


 現代人のほとんどは、スマホゲームやテレビゲームをしたことがあるか、人がプレーするところを見たことがあるはずだ。大抵の場合、プレーヤーはゲーム内のキャラクターを操作する。

 そのキャラクターは物理的な実体を持たず、情報処理の結果を三次元または二次元の映像として表現したものである。

 昔はコンピュータの性能が低いので、映像は雑で、第三者目線だったが、今ではよりリアルで精緻な映像で、本人目線も選択できる。コントローラーに振動機能がついて、視覚聴覚以外にも訴えたり、VRといって目の前を専用の器具で覆って、実際にそのシーンを体感する方向に進んでいる。


 俺は、車を盗むテレビゲームをしているとき、この世界そのものがゲームではないかという疑問を持ったことがある。

 それまで何もない無のなかからビッグバンで宇宙が誕生した。宇宙が膨張していることから、今では当然のように受け入れられているが、本当に何もない無から物質宇宙が生まれるだろうか。

 宇宙を生み出した何かを知ることができないから、無ということにされているだけで、その何かは存在しているはずである。夢の中では夢を生み出した脳を知ることができないように。

 ゲームキャラも自分を動かしているプレーヤーとコンピュータを知ることができない。宇宙と宇宙を生み出した何かの関係は、ゲームとコンピュータとの関係に等しい。


 俺の立てた仮説。宇宙は、コンピュータのような知性によって、リアルタイムに計算され描き出されたヴァーチャルな世界である。

 我々生物の本当の姿は、その知性の領域に属し、おそらくは全体である知性体から独立した一部で、意識である自我を持ち、自分の肉体や運命、環境などを操作や計算している。

 宇宙内の体験に合わせて、自ら感覚を発生させているが、肉体そのものもヴァーチャルな映像である。


 これらの関係性をゲームにたとえてまとめると、


 ゲームキャラ:ゲーム:プレーヤー:コンピューター

=幽霊(外見のみのホログラフィ映像):宇宙:魂(右の領域の一部):宇宙全体を描く知性

=生物(細胞レベルまでシュミレートされた高負荷映像):宇宙:魂:宇宙全体を描く知性



 生物は肉体が滅んだ後も、ゲームオーバーとならず次の肉体を探し、生まれ変わる。新しい肉体が見つかるまでは、幽霊として存在する。過去の自分の画像データや声紋データを保持しているので、半透明の姿を投影したり、空気を振動させて声を出す。

 死ぬと体から魂が抜け出すという発想がよくない。オーブとかアストラル体とかいうものが魂の実体ではなく、肉体も含めて、それらすべてがヴァーチャルな映像にすぎない。体から抜け出た魂が、次の体に宿り、繰り返し生まれ変わるとしたら、その魂は宇宙誕生以前には存在しないことになる。魂は宇宙とは異なる次元に存在するから、いくらこの世界を観察しても発見できない。

 ゲームが一種類でないように、宇宙も複数個あっても不思議はない。物理学でも複数説が主流である。すると、プレーヤーが他のゲームをプレーするように、生命も他の宇宙を体験することがあるのかもしれない。


 何のことはない。幽霊の正体は、セントバーナードより安全なホログラフィーにすぎない。本気で怒らせてもたいしたことはできない。

 なかにはポルターガイストなど、物を動かす能力を持つ者もいるようだが、ほとんどが自分の姿すら映せなく、声どころか天井や壁などのラップ音を出すのが精一杯の非力な存在だ。呪い、祟りなどと簡単に結びつけるから、怖いのであって、熊や毒蛇に比べたら、危険性は遙かに少ない。


 唯物論的に説明づけようとして、脳内の電気信号ネットワークが自我の正体という意見もあるが、何百億個の脳細胞を伝わっていく無数の信号が、全体でまとまった意識をもつだろうか。それよりも別の次元に意識があり、意識が操作する仮想キャラクターが生物であり、生命側の活動に模して、脳が形づくられたとしたらどうだろう。


 輪廻転生などという古くさい言葉がいけない。紀元前のバラモンの僧侶が考え出した概念のようだが、生まれ変わりという発想そのものが、ニュートンやパスカル辺りが最初に思いついて、科学者の専門領域になっていれば、世間は信用したことだろう。

 前世という言葉も宗教用語のようで、あまり好きではないが、もし前世が無ければ、人はここまで個性的にならないのではないだろうか。工業製品のように没個性的で、固有の思想や意見を持つことがなく、本能のままに行動する。



 肉体の死によって意識が消滅することがないのなら、無理して長生きする必要はない。むしろ長生きは損失のほうが大きい。いますぐ死ねと言われても断るが、百年を一回生きるのと、五十年を二回生きるのとどちらがいいか聞かれたら、後者のほうだろう。


 最初の五十年はどちらも同じだ。普通は、死んでもすぐ生まれ変わることはないだろうが、運良く手頃な肉体が見つかり、即座に生まれ変わったと仮定する。


 後半の五十年スケジュール。

百歳の長寿者の年齢   51 60 70 80 90 100

五十歳の短命者の年齢  1 10 20 30 40  50


 短命コース側が青春真っ盛りな頃、長命コースはあちこちにガタが来て、短命コースが働き盛りになれば、長命コースの大半は介護状態で下手すれば子供の世代が死んでいる。


 古いテレビを十年使うか、五年ごとに買い換えるか、人によって意見は分かれるが、無料だったら、性能も上がっているので、買い換えたほうがいいに決まっている。

 昔は六十を超えて長生きすることは希だった。今では六十前に死ぬことは少ない。

 医学の進歩で死ぬ年齢が遅くなっても、肉体の若返りが起きたわけではない。昔ならとっくに死んでいる状態で生きながらえているのだ。本人は長生きできて幸せだと思っているだろうが、早死にしていれば、今、別の人間としての、子供や青年期かもしれない。

 あるいはこの世に執着が残り、生まれ変わることができず、どこそのアパートに化けて出る幽霊に落ちぶれているかもしれない。


 俺は独り言に見せかけて、今の話を幽霊に聞かせてやった。今頃は混乱しているに違いない。こんなぼろアパートなんかに取り憑かず、とっとと生まれ変わってくれ。

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