蟻の戯言
「あなたはこんなことを考えたことがあるだろうか。
電車に乗っているとき、流れていく街の景色を見て、その一軒一軒の家に人が住んでいて、その全てに数十年の人生がある。その膨大さに、圧倒されたことはあるだろうか。
世界にはそんな人生が、だいたい70億ほどあるらしい。それよりはるかに多くの人生がこれまでに有っただろうし、今後も生まれてくるのだろう。
あなたはそれをどう思うだろう。感動するかもしれないし、何とも思わないかもしれない。それは自由だ。
私はこう考える。
たしかに膨大な人生があるのだろう。だが、それらは本当に、全て違った人生なのだろうか、と。70億人いたら、"70億種類"の人生がある、と本当に言えるのか、と。
歴史上の人物には伝記がある。歴史上の人物以外には伝記がない。それはそうだ。例えば1950年生まれ2015年に亡くなった、アメリカのバージニア州に住むある農夫の男性の一生を事細かに記録して出版したところで、家族や友人以外誰が読むだろうか。いや、そもそも友人もそんな本をもらったところで、パラパラ読んで適当な本棚に詰めて終わりではないか。
ありふれた人生、ありふれた一生、ありふれた人間、そこに意味や価値は無い。
私たちは普通、蟻を区別しない。なぜなら、やろうと思っても区別できないからだ。昨日道端で見かけた一匹の働き蟻を、今日見つけるということは不可能に近いだろう。たとえ見たとしても識別できず、気づかないだろう。
では、昨日道端で見かけたサラリーマンを、また見かけることは可能だろうか。それはとても難しい。声をかけ話したりして記憶しなければ、蟻と同じで気づかないだろう。
人間の大半は「蟻」である。区別する必要が無い。それは、あなたに関わりがないからだ。あなたが普段関わるコミュニティに属する人間以外は、すべて「蟻」なのだ。あなたも、私も、この世界を生きる人間の大半にとって「蟻」だ。
場合によっては、身近な人にとっても「蟻」と認識されているかもしれない。「蟻」としての、その"種類"だけを区別されることによって。サラリーマン蟻、主婦蟻、学生蟻、はたまたウェーイ系蟻、売れないミュージシャン蟻、飲み会に絶対来ない蟻、ヒステリー蟻…。ありとあらゆる「蟻」の種類がある。私たちは「その人」を見ているつもりで「蟻」の"種類"を見てはいないだろうか。
本当は、皆違うのだ。違うが、意味は無い。残念ながら。しかし意味は無くとも、確かに違うのだ。それはとても重要なことだ。大切なことだ。ただ、それは意識しなければ、主張しなければ、声を上げなければわからない。
物言わぬ「蟻」は、いつまでも「蟻」である」
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