短編銀河

銀狼

先生と私の『友達』

 壊れかけのアパートの階段を駆け上がって、三つ目のドアをノックもせず開ける。だがここは私の部屋ではない。靴を脱いで上がり、奥へ行く。


「また来たのか」

「来ました」

 そう答え、私はテーブルの上に学生鞄を置いた。

「暇だなあ」

「先生ほど暇じゃありませんけど」

「何を言うんだ、私は忙しいよ」

「いつもこの部屋に居るじゃないですか」

 いつものソファーに腰掛ける。テーブルを挟んだ向こう側のソファーには、いつものように先生が寝転んでいる。

「それは事態の表層しか読み取っていないからそう思うんだ」

「じゃあどんな裏があるんですか」

 テーブルの上の煎餅に手を伸ばす。

「それはもちろんこうして思索に耽るという、ってこら、勝手に私の煎餅を食うな」

「そうですか、やっぱり暇なんですね」

 バリバリと音を立てて煎餅を噛み砕く。うん、やっぱり煎餅は醤油味に限る。

「キミはいつも人の話を聞かないな」

「いいえ、先生の話はよく聞きますよ。重要だと思うお話限定ですが」

「その煎餅は私にとって重要なんだが」

「これ買ってきたのは誰でしたっけ」

「…まあいいや」

 ここに来るのは、この"先生"と話すためだ。"先生"は学校の先生ではないし、塾の先生や家庭教師というわけでもない。ただの年上のお兄さんだ。どんな仕事をしているのかは知らない。訊こうと思ったことはない。ただ、私が学校から帰ってきてここに寄ると必ず居る。留守だったことは一度としてない。どうやって生活しているのかは謎である。なぜこの人が"先生"なのかというと、私が今まであってきた人間の中で唯一そう呼ぶに値する、あるいは、私にとって唯一そういう立場になれる人、だからだ。私にとっての"先生"は、この人だけだ。


「今日あった事件、聞いてくれますか」

「ダメと言ったら話さないでいてくれるのか」

「いいえ」

「ほら」

「じゃあお話しますね」

 この部屋にはテレビが無い。ラジオもない。パソコンなんてもの、この人は存在すら知らないかもしれない。新聞も取っていない。当然携帯、スマホは持ってない。この部屋で21世紀を感じさせてくれるのはCDコンポぐらいだ。あとは本が山積みになっているだけ。相変わらず埃っぽい。

「ある男子高校生が自殺したそうなんです」

「ほお」

「ビルからの飛び降りです…遺書にはこう書いてあったそうです。『友達ができない』」

「そりゃ悲しいねえ」

「心にも無いことを言わないでください」

「おい、キミは私が血も涙も無い男だとでも思ってるのか」

「思ってます」

「ひどいな」

「それはひとまず置いておいて、この件について私の見解を述べてもいいですか」

「いいよ」

「では…」

 鞄からノートを取り出す。今日の学校授業中に考えをまとめておいたのだ。先生と話すとき、私はいつもこうしている。

「この件についての私の見方はこうです。その男子生徒には遺書で書いているように、友達ができなかった。家族には相談していたようです。しかし、それを苦にして自殺するぐらいですから、きっと心の中に負の感情を溜め込みすぎてしまったのだと思います。いじめ等は無かったと思います。おそらく、人と関わるのが極端に苦手な方だったのでしょう。自分以外の人には簡単にできることが、自分には全くできない…。その劣等感は、とても我慢できないものだったと思います。学校の誰かが彼のことを気にかけ、話しかけてあげさえすれば…こんなことにはならなかったでしょう」

「うん。で、それを一言でまとめるならば」

「死は防げた、です」

「そうか」

 先生は自分の寝転がっているソファーのすぐそばに置いてあるスポーツ飲料のペットボトルに手を伸ばした。この人はこれしか飲まない。他のものを飲んでいるところを見たことがない。先生は話し始めるとき、いつもこうして喉を潤す。

「彼の死という点から考えるなら、今のキミの意見は全く正しいと思うよ」

「ありがとうございます」

「しかし、その件で何より面白いのは死の理由だ」

「『友達ができない』、という?」

「そうだ。彼は、友達が必要だったんだろうか」

「必要、ですか」

「うん。なんで友達が欲しかったんだろうね」

「友達が欲しかった理由…」

 友達が欲しい理由、か。クラスでの孤独に耐えられないから?悩みを相談する相手が欲しかった…いや、そもそも彼の悩みは友達ができないことだろう。これはちょっと考えるのに情報が少なすぎる。いや、待て。そもそも友達は…。

「先生、そもそも友達を欲しがるのに理由が必要なのでしょうか」

「ふぅん」

 先生が鼻で笑った。どうやら今回の件に対する先生の見方の入り口に立つことができたらしい。

「そう、友達を欲しがるのに理由は要らない、と一般に思われている。誰もが友達を持つべきだし、大切にすべきだ、とされている。それが『友達』」

 寝っ転がっていた先生が起き、ソファーに座り直した。

「では、『友達』とは何だろう」

「ええと…親しい間柄の相手、でしょうか」

「その定義でいくと家族も恋人も私とキミとの関係も『友達』になってしまうが」

 しまった。何も考えずに答えてしまった。

「血縁関係、恋愛関係、師弟関係以外の親しい間柄の相手のこと…」

「それでも不十分なのだが…ていうかキミ、私と師弟関係だと思っていたのか」

「はい」

「弟子をとった覚えはないんだけど」

「先生に覚えがなくても、私は勝手にここに来ますよ」

「…まあいいや。で、そうだな、『親しい』とはどんな状態だろう」

「うーん、気軽に話せるような、気の置けない関係でしょうか」

「だろうね」

 またスポーツ飲料をゴクゴク飲む。2リットルのラッパ飲みだ。

「もし彼に、私とキミのように話せる間柄の先生がいたとしたら、彼は自殺したと思うかい」

「しなかったと思います」

「では、もし彼に恋人がいたら」

「当然しなかったでしょう」

 友達はいないのに恋人がいるという状況を全く想定できないが、たぶんしない。

「では、彼には家族がいなかった?」

「あ」

「そう、彼には相談できる家族がいた」

「なのに自殺していますね…」

「家族は『友達』ではない」

「はい…」

「しかし、彼の家族は、彼が「自分は友だちができないんだ」と相談できるほどに『親しい』関係だった」

「彼は本当に『友達』が欲しかったんですね」

「"死ぬほど"ね」

「不謹慎ですよ」

「冗談は素直に楽しめばいいの」

 先生は皿の中から海苔のついた煎餅を選り分けて食べた。

「なぜそれほどまでに『友達』が必要だったのか」

「『親しい』相手が必要…というわけではないわけですね」

「そうだ」

「とすると…」

 先ほどのやり取りを思い出す。一般に、友達を欲しがるのに理由は要らない…。

「『友達』がいない自分が社会的に逸脱した人間だから、でしょうか」

 先生がニコッと笑った。

「その通り」

「でもそれでは…」

「うん、彼にとっては『友達』が誰であるか、何であるか、なんてことはどうでも良かったんだ。ただ自分が『友達』だと思える相手を見つけ出し、その空席を埋めることで自分を社会的逸脱という状態から救う。そうしたかっただけなんだよ」

「そんな…」

「それが彼にとっての『友達』だったということさ」

「自分を、『一般人』にするための…ですか。しかし、それでも彼には家族が居ました。死なずとも、そこに逃げ込めばよかったのではないのですか」

「そんなことをすればますます"引きこもり"という社会的逸脱者になってしまうじゃないか。それに彼は、『友達』がいる、という状況にこそ自分の安心できる世界を見出したんだ」

「そして、それが果たせなかったんですね」

「まあそういうことだ。そこで死ぬという選択をしたのは誤りだったと思うけどね。死んだら社会どころかこの世から逸脱だ。…ところで、キミにとっての『友達』は何だろうね」

「私にとって、ですか」

 『友達』か…。考えたこともなかった。仲の良い相手はみんな友達だと思っていたが、はたしてそうだろうか。そもそも、何をもって『友達』となるのだろうか。「お友達になりましょう!」という宣言に対して合意が有った場合だろうか。そんなことをした覚えは一度もないし、今日びそんなことを言ってたら、なんて恥ずかしい奴だと思われるだろう。お互いが『友達』だと思っている場合…は駄目か。相手が思っているかどうか、確証を得ることができない。口ならなんとでも嘘がつけるし。

「『親しい』、『友達』だ、と判断する基準が難しいです」

「だろうね」

 先生はまたゴロンとソファーに寝てしまった。

「先生の基準は何ですか」

「そうだねぇ、馬鹿とか死ねとか気軽に言い合える相手かな」

「真面目に答えてください」

「ええっ、結構真面目だったんだけど」

「そうなんですか?」

「そうさ。まあ、それじゃある程度納得してくれそうな答えにするとだな…」

 頭の後ろを掻いた。先生の癖だ。

「近くにいるとうんざりするが、遠く離れるとさびしくなる、しかし、そんなふうに思っているなんてことは口が裂けても本人に言えない、そういうやつだと思うよ。『友達』は」

「………」

 ちょっと納得。


「そろそろ日が暮れるぞ」

 いけない、もうそんな時間だったのか。煎餅を一枚咥え、さっさと帰り支度をする。

「また来ます」

「また来るのかよ」

「駄目ですか」

「今度来るときは煎餅と飲み物を買ってきてくれ」

「ふふ、わかりました」

 じゃあ、と軽く会釈をして部屋を出る。先生はこっちを見ずに気だるそうに手を振っていた。


 家に着くまで、さっきの先生の話のことを考える。きっと先生にとって、『友達』というのはただ仲がいい、親しいというだけでは駄目なのだろう。表面上の、打算的な、社会生活を円滑に行うための手段として利用するような『友達』を、先生は否定している。あるいは、自分と同類の考え方だったり、同じ趣味趣向を持っている、話せる、遊べる、自分にとっても相手にとっても"都合のいい"『友達』も否定しているのだろう。自分を安心させ、安定させ、満足させるための、保険のような、クスリのような『友達』。そんなものは、いくらでも代わりがいる。

 …もしかして、自殺した彼は、そうではない、先生の言うような『友達』を求めていたのだろうか。かけがえのない『友達』を。しかし、それも結局同じことだ。「かけがえのない『友達』」という性質を持った何者かを求めているのだ。目の前の人間を正視せず、自分の理想との合致を求めているにすぎない。独りよがりだ。なんにせよ、きっと「『友達』をつくる」などというのは、「自分を楽しませてくれる相手を見つける」のと同じことなのだ。暇つぶしのアプリをダウンロードするのと大差ない。自分を楽しませてくれないのだったら投げ出す、飽きたら削除…。そのためのハードウェアは『友達』というわけだ。

 かけがえのない『友達』、か。軽々しく『友達』なんて言葉、使えなくなってしまったな。

 そんなことを考えているうちに家についた。さて、明日の放課後はスーパーに寄ってから先生のところに行かなくちゃ。

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