笛を吹く少年
笛を吹く少年
楽器店。杉三が、古筝の弦を探している。
店員「なんですか、また切れたの?」
杉三「そうだよ。悪いか。」
店員「悪いかってことはないんだけど、もうちょっとお母様の財布を考えたほうがいいんじゃないのか?」
杉三「母ちゃんは、いつでも弾いてていいよっていったよ。」
店員「いつも何時間くらい弾いているの?古筝。」
杉三「知らない。いつも時計なんか見ないから。お昼過ぎに始めて三時のおやつを過ぎて、気が付いたら夕飯の時間になってることが多い。」
店員「なるほど。それじゃあ、よく切れるわけだ。」
杉三「じゃあ、弦をくれる?細いやつ、一本。」
店員「わかったよ。じゃあ、498円。」
杉三「(巾着を取り出すが)わからない、どれが498円?」
蘭「杉ちゃんまたわからないの?いい加減に覚えろよ。この銀の奴が100円玉。そして、茶色いのが10円玉。銀で小さいのが一円玉。これを四つと、これを九つ、これは八個。だしてごらんよ。」
杉三「はっこってどれが八個なの?」
蘭「そうか、勘定もできないのか。もう、かして。じゃあ、すみません、498円払います。」
と、巾着の中から498円を出して、店員に渡す。
店員「ハイ毎度。お兄さんも大変ですな。」
と、袋詰めした絃を杉三に渡す。
杉三「蘭は僕のお兄さんではないよ。友達だからね。」
店員「はあ。それならもっと大変になるな。」
杉三「関係ない。僕が弦を変えればそれでいいのさ。じゃあ、切れたらまた来ます!」
店員「はいよ!」
杉三たちが、店の外に出ると、店のショーウインドウを熱心に眺めている、15歳くらいの少年がいた。近くにいる女性は母親だろうか。かなり苛立っている様子だ。
杉三「こんにちは。どうしたの?」
少年が嬉しそうな顔をして振り向く。
杉三「笛子、ほしいの?」
母親「どうもすみません。この子、言葉がほとんど出ないんですよ。」
杉三「言葉が出ない?僕は字が書けないから、お相子だ。僕、影山杉三、杉ちゃんって呼んで。こっちは親友の伊能蘭。」
蘭も軽く会釈する。
母親「ほら、行くわよ、秋帆。早くしないと塾に遅れるでしょ。」
杉三「へえ、塾なんかいってるの?」
母親「そうなんです。勉強ができないから。」
杉三「なんで?学校は?」
母親「それが、最近行きたがらなくて。今日も精神科で見てもらおうと思っているのですが、ここで止まってしまって。」
蘭「正確に言うと児童精神科ですね。」
杉三「まあ、病院も必要だけどさ、塾はいらないんじゃないの?それより笛子習わせたほうがよっぽどうまくいくようになると思うけど?」
蘭「杉ちゃん、あんまり人の話に口を出すなよ。」
杉三「いや、伝わるまで言わなきゃダメなの!塾なんてそんな無意味な活動させるなら、笛子習わせたほうが絶対いいよ!塾に行かせたら、ますます委縮してどんどん社会的にダメな男になっていくと僕は信じるね。それよりも、あの目をみてごらんよ。純粋な美しい目さ。
だから、必ず笛子習ったら、大物になるぜ。」
蘭「馬鹿も休み休み言え。第一このあたりで笛子の教室はどこにもないよ。楽器はうっているかもしれないけど、音楽を習うには、先生につかなくちゃ。それに、先生に払うお金だってかかるし、楽器の維持費も必要だし、、、。」
杉三「それは後で考えればいいんじゃないの。それよりも、彼のやりたいという気持ちだと思う。蘭、これは早いほうがいいな。そういうわけで、この巾着の中にあるお金全部使って、彼に一本買ってやろう。」
蘭「馬鹿!何を言ってるんだよ。そうしたら僕らのご飯代はどうなるのさ。」
杉三「残り物で何か作れるさ。」
蘭「まあ、杉ちゃんの発想ならそうなるよな。杉ちゃんの手にかかれば、漬物だって立派な料理になるし、、、。」
杉三「じゃあ、この蘭がお金出してくれるから、これで笛子を一本買ってください。蘭、この一番高級なのはいくらなの?」
蘭「えーと、一万五千円。」
杉三「じゃあ、入ってるお金は?」
蘭「二万円。」
杉三「足りる?」
蘭「足りるけど。」
杉三「じゃあ、それを全部出して買ってあげよう。」
秋帆の顔が、喜びの顔そのものになった。
杉三は、楽器店のドアを開ける。
杉三「すみません、この笛子、一本ください。一番高い奴。」
店員「ああ、お客さんね、これは笛子じゃなく、長崎の明笛という楽器なんだ。長崎でしか流行ってない楽器だからさ、どうせ、うちに置いといても売れないから、半額で譲るよ。6000円だけ出してくれればいいから。」
杉三「そうするとどうしたらいいの?」
蘭「一万円だけ出せばいいんだよ。だから、このお札を二枚じゃなくて一枚。」
と、一万円札を一枚取り上げる。
蘭「一枚で一万円というんだ、はい、これを店員さんにわたして。」
杉三「じゃあ、もう一個の一万円はどうしたらいい?」
蘭「また何かに取っておくの。」
杉三「わかった。」
と、店員に一万円札を渡す。
店員「お釣り四千円。領収書書きますか?」
杉三「うん、書いて、この人たちにあげるから。」
蘭「領収書は手紙じゃないんだよ。」
杉三「だって、店にあげましたという証明者だろ?それは持っとかないと。」
蘭「わかりました、書いてください。」
店員は、領収書を渡す。
蘭「はい、ありがとう。」
店員「じゃあ、明笛をお包みしますので、少々お待ちください。」
少年の顔が、これ以上うれしそうなものはないというくらいうれしそうになる。
杉三「よかったね。」
母親「全く、この子ったらどうしてこんな変なものに興味を持つのかしら?」
杉三「きっと、素晴らしい作曲家とかになるんだよ。」
母親「そんなお金ないわ!」
杉三「いや、こういう子はのびるからって父ちゃんが言ってた。」
店員「はい、明笛ね。大事に使ってね。」
秋帆は、嬉しそうにそれを受け取る。
母親「そうやって、お母さんのこと悲しませないでよ。今度は勉強でちゃんとやって。でないと、お母さんは、もうつぶれそうだわ。」
しかし喜び勇んでいる秋帆には聞こえなかったようだ。
母親「どうもすみません、大事なお米代をこんなものにさせてしまって。」
杉三「いや、いいってことよ。」
母親「後で、現金書留で送りますから、住所を教えてくれませんか?」
杉三「僕、あきめくらで住所がわからないの。だから、もっといいお礼をしてほしいな。」
母親「じゃあ、どうしたら?」
杉三「うちで一緒にカレーを食べて?」
母親「カレーですか?」
杉三「そう!」
蘭「すみません、忙しいことだとは思いますが、杉ちゃん始まりだすと止まらなくなるので、どうかカレーを食べて行ってやってくれますか?もう、迷惑なのはわかっているのですが。」
母親「まあいいわよ。秋帆も行く?」
杉三「じゃあ決まりだね!僕のうちに来て。このすぐ近くなんだ。」
母親「じゃあ、、、。秋帆、行きましょう。」
杉三「やったあ!」
杉三の家。蘭と、秋帆、母親がテーブルに座っている。
母親「名前を名乗らせてください。小泉秋帆と母の小泉京子です。」
蘭「しかし、なぜ、秋帆君は、そのような珍しい笛に興味を持ったのでしょう?」
京子「わかりません。言葉なんて、何十年の昔になくなりましたから。だから、あの子が何を考えているのかは、正直わからないのです。」
蘭「そうですか、じゃあ、コミュニケーションは筆談で?」
京子「まあそうですね。一応、失声症といわれているのですが、セラピーかカウンセリングとか、いろいろ受けさせたけど、何も意味がなくて。」
蘭「そうですか。じゃあ、もしかして、明笛がいい道具になるかもしれませんよ。その吹いた曲が、長調であれば明るい気持ちでしょうし、短調であればくらいでしょう。それをわかると、少しコミュニケーションをとれるようになれるかも。」
京子「でも、先生はどこに?こんな使用頻度の低い笛。」
蘭「そうですね。明笛は、長崎にわずかに残ってるくらいの笛だからね、、、。」
と、車いす用のトレーにどんぶりを乗せた杉三がやってきて、
杉三「はい、できたよ。ご飯が少ないし、今日は米を買ってこなかったので、カレーうどんにした。残り物には福があるとはこのことだった。」
蘭「まさしくその通りだ。」
杉三「みなさんどうぞ!」
と、どんぶりをテーブルの上に乗せる。
秋帆は声のない口を動かして、いただきますと言おうとしているができない。
杉三「無理しなくていいよ。あとで、大渕いこうね。」
蘭「大渕?どういう意味だ?」
杉三「決まってるじゃないか、水穂さんのところだよ。」
蘭「水穂のところに行って何をするの?」
杉三「だから、明笛をやってる方を知らないかなって。」
蘭「馬鹿!水穂は洋楽のピアニストだよ!そんな人間が知ってるはずがないだろ?」
杉三「じゃあ、青柳教授は?和胡弓弾くじゃん。」
蘭「そうだけど、、、。」
杉三「まあいい、食べ終わったらすぐに行く!」
蘭「もう仕方ないんだから。」
それを無視して、秋帆はカレーうどんを食べ続けていた。
製鉄所。庭はきの掃除をしている水穂。そこへ、インターフォンが五回なる。
水穂「はいどうぞ、開いてますよ。」
というより早く杉三は、ドアを開けていた。
杉三「来たぞ。かれが、秋帆君だ。言葉こそしゃべれないが、明笛のうまさは天下一!」
水穂「明笛?珍しい楽器だな。」
杉三「だから、明笛の先生知らない?」
水穂「ちょっと教授に聞いてみる。」
と、応接室に移動する。
蘭「杉ちゃん、あんまり単刀直入にいうなよ。」
杉三「いや、その方がいいんだ。そうしないと、彼がかわいそう。」
車椅子のおとがして、懍がやってくる。
懍「こんにちは。君が、笛子を上手に吹くのですか。」
秋帆は、しっかりと頷く。
懍「そのためには、自己主張ができるようになるといいですよね。」
しょぼんとしてしまう秋帆。
懍「自己主張は言葉だけじゃないですよ。音楽でも、十分にできます。」
杉三「じゃあ教授、お教室を探してくれるの?」
懍「知人で一人いますから、習わせましょう。」
杉三「やった!よかったね!秋帆君!」
懍「この場合は必然的に何か習わせた方がよいですね。彼は完全に自信をなくしております。表情を見れば、萎縮していることもわかる。」
杉三「やった!大成功!」
蘭「杉ちゃんが習う訳じゃないんだよ。そんなに喜ぶなよ。」
杉三「いや、他人の事が自分の時みたいに嬉しくてさ。」
蘭「ばか。」
一緒にやって来た京子は、苦虫を潰した顔をしていた。
京子「結局、レッスン料は誰が払うのよ。」
杉三「まあ、それよりも、秋帆君が天才生をいかに発揮するかを期待した方がいいと思いますよ。」
京子「私のことは誰もいわないのね。」
杉三「まあ、嫌でも、秋帆君かうまくなったら、連れてこなくてはいられなくなりますからね。」
懍「ちょっと連絡をとってみますので、またここに連れてきてください。自宅教室にいくよりも、此所で習った方がよいでしょう。お母様は、他のようをすませてくれて構いませんよ。秋帆君は、秋帆くんの世界があり、お母様はお母様の世界があるわけで、互いにそれらを邪魔しない方が、成功するものですのでね。」
京子「私のことは、そうしてください。笛なんかには、一切関わりたくありませんから!」
懍「ええ、それでも結構です。」
京子「わかりました!」
それから数日後、秋帆は、明笛のレッスンを受けに、定期的に製鉄所にやって来た。京子は、送り迎えはしたが、笛にはまったく関心がなかった。
ある日のこと。
空が暗くなり、雷が鳴り始めた。大粒の雨がザーザー降ってきて、あっという間に洗濯物をびしょ濡れにした。
京子「ああいまいましい!なんでこんなときに雨なんか降るのよ!」
と、自宅マンションのベランダへでて洗濯物を取り込み始めた。すでにびしょ濡れになっていて、また干さなければならない。
京子「乾燥機にいれるしかないわね!」
と、怒りに任せて洗濯物を乾燥機に突っ込んだ。乾燥機は洗濯機の上の棚の上に設置されていた。乱暴にいれたから、全部はいりきれず、洗濯ものが雪崩のように京子の頭上に落ちた。
京子「もう!」
乾燥機をどしん!と叩いたそのとき。
なんともいえない、フルートとはまた違う、独特の美しさのあるおとが聞こえてきた。
京子「まあ、素敵な音だわ。」
よく聞いてみると埴生の宿だった。
京子「楽しとも、たのもしや、、、。あたしのお母さんが歌ってくれたっけ。」
目の前の乾燥機を見上げた。ずいぶん古いものだ。もう、買って20年近くたつ。
京子「新しいの、結局買えなかったな。」
埴生の宿は、更によく聞こえてくる、、、。
京子「これはみんな、お母さんからもらったものだわ。一生懸命働きすぎて、急にいってしまったな、お母さん。」
母と自分の酷い貧乏暮らしだった。そして、いまの自分も貧乏なままでいる。
京子「お母さん、亡くなるまえに、この乾燥機をくれたんだよね。引っ越しで新しいの買う必要がないように。あたしは、なんで最新型が欲しいなんてわがままをいったんだろう。」
埴生の宿をききながら、京子は、後悔の念にさらされた。
京子「お母さん、今頃どうしているかな。あたしは、息子の秋帆でさえも、育てられないよ、、、。お母さんは、あたしに乾燥機をくれたけど、秋帆に何をしてあげられるだろう。」
周りを見ると、落ちた洗濯物の山。
京子「なんで、こんなにとげとげしていたんだろう。早く乾燥機に入れなくちゃ。」
急いで洗濯物を拾って、乾燥機の中に入れた。
京子「お母さん、ごめんね。私、ちゃんとやるわ。だってこれ、お母さんのプレゼントだったんだもんね。」
いつの間に、埴生の宿は止んでいた。
京子「あれ、、、?」
と思って後ろを振り向くと、明笛を持った秋帆が立っている。
京子「秋帆!じゃあ、今の埴生の宿は、、、?」
秋帆は一生懸命声を出そうとしている。
京子「あんたが吹いてたの?秋帆?」
秋帆「ま、ま、だ、い、す、き。」
京子「秋帆!」
秋帆は満面の笑みで、京子に抱き着いた。
京子「秋帆偉かった偉かった!そしてありがとう!」
涙が止まらなかった。
京子「ママを許して。あんたにひどいことばっかり言って。」
秋帆は首を横に振った。京子はさらに強く、秋帆を抱きしめた。
京子「ありがとう!」
次の日は、秋帆の明笛のレッスンの日だった。京子は身だしなみを整え、カバンをもって、準備を整えて待っている秋帆に、
京子「さあ、秋帆!」
今度はにっこりしながら言った。
製鉄所
声「埴生の宿も我が宿、、、。」
歌いながら、母と子は帰っていく。
杉三「お母さん笑ってるよ。」
懍「やっと、修復してくれたようですね。」
水穂「僕らも、役に立ててよかったのかな。」
杉三「時には、こうして役に立つときもあるもんだね。」
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