怒りに任せて

怒りに任せて

ある日の銀行。

蘭「じゃあ、外で待っててね。通帳の作り直しだからすぐ終わる。」

杉三「わかったよ。」

蘭は、窓口へ向かう。

杉三が外を見ると、原付バイクがやってくる。バイクは、けたたましい音を立てて、銀行の前で止まる。

一人の女性がバイクから降りてくる。そして、ATMに向かっていく。

女性「並んでます?」

杉三「いえ、待たせてもらっているだけです。」

女性「待たせてもらっている?」

杉三「はい。蘭が、通帳の作り直しをしてますので。あ、僕はATMは使いませんから、お先にどうぞ。」

と、女性の表情が変わる。急にもじもじしたような表情。

杉三「どうしたんですか?僕はあきめくらで、どうせ操作なんかできないから、やってくれて結構ですよ。」

女性「そうなんだけどね。ちょっと、外へ行ってくれる?」

杉三「僕は歩けないので、階段を下りれないのです。だから運転手さんにやってもらわないと。介護タクシーのね。」

確かに、銀行の入り口は長い階段になっていた。

女性「じゃあ、向こう向いていて。」

杉三「なんで?」

女性「だって、口座番号とか見られると困るわ。」

杉三「だからなんで?」

女性「だって、カードの暗証番号を見られたら。」

杉三「あきめくらにはわからないので、気にしないでください。それに、こんな狭いところだから、方向転換できませんよ。」

女性「最悪、、、。」

と、同時に携帯電話が鳴る。

女性「はい、もしもし、、、。」

声「おう、もう出したか?」

杉三「出したって何を?」

声「本当に二百五十万振り込んであっただろうな?あのばあさん。」

女性「そんな大声出さないでくださいよ。今出しますけど、車いすの変な男がいて、邪魔するんですよ。」

杉三「理由がわかったよ!」

女性「あんたも、そんな大声出さないでください!電話が聞こえなくなるでしょうが!」

杉三「すぐに警察を呼んで、警察を呼んで!この人、いわゆる出し子だよ!早く!」

ちょうどそこへ、新しい通帳を作り直した蘭がやってきて

蘭「杉ちゃん、そんなに騒ぐなよ!」

杉三「いや、蘭、この人、振り込め詐欺の出し子だ。今、二百五十万円を出そうとしたんだ。」

女性は、逃げようとするが、蘭がATM室の入り口を車いすでふさいでしまった。蘭は急いで、呼び出しベルを押した。

と、そこへ、じりりりーん!と、耳をつんざくようなベルの音が鳴って、銀行の従業員たちが駆け込んできた。

杉三「この人を捕まえて!振り込め詐欺の出し子だ。今、おばあさんが振り込んだ金を、出そうとしていたんだ!いくら、あきめくらでもちゃんと聞こえた。あのばあさん、ちゃんと二百五十万円振り込んだだろうなと。」

すぐに銀行の授業員たちは彼女をさすまたでとらえた。蘭が急いで、電話をしたので、華岡たちがすぐに駆けつけてきた。

華岡「はいはい、娘さん、いいアルバイトがあると言って、誘いにのってはいけませんな。じゃあ、署でゆっくり話を聞かせてもらいましょうか。あなた、年齢はいくつ?」

女性「13。」

杉三「それにしては老けてるな。」

華岡「まあ、理由もいずれわかる。じゃあ、署まで行きましょう。誰が君を出し子としたのか、全部話してもらうよ。特殊詐欺ってのは、犯人が捕まりにくくて有名だからね。うんと厳しく聞き出さなくちゃ。」

杉三「華岡さん、あんまり責めないであげてね。」

蘭「杉ちゃん!また変なこと言う。」

杉三「だって、窓をけ破ったりとかしなかったじゃないか。女性だからということもあるのかもしれないけれど、金を実際にとったわけではないし、こうやって、逃げないんだから、

もともとは悪い子じゃないと思う。」

蘭「杉ちゃんのそういうところ、わかんないな。」

杉三「でも、かわいそうだから。」

女性「ちゃんと話します。私、やっぱり、世の中からいらないってことなんでしょう。やっぱり、自殺したほうがよかったな。」

華岡「いやいや、そうされちゃ困る。これから、犯人の名前をたくさんあげてもらうからね。じゃあ、これをはめて、署までお願いします。従業員の皆さん、お世話様でした。」

と、華岡は、彼女に手錠をかけて、彼女を外へ連れ出す。


警察署。取調室

華岡「だから、黒幕があるんだろ、その組織の名前と、主催者を言ってみろ!」

女性「黙秘します。」

外のマジックミラーから、部下たちが取り調べの様子を観察している。

部下「馬鹿ですなあ警視は。そうやって感情を押し付けるだけじゃ、黙秘権を貫き続けるだけですよ。」

部下「だから警視ってのは嫌いなんだ。警視はサラリーマンっていうけど、まさしくこれだ。警視の取り調べの下手さは有名なんですから。本当に、なんで俺たちにやらせてくれないののか、不思議でしかたないですよ。」

部下「まあ、仕方ないだろ。俺たちはノンキャリアだ。警視に従うしかない。」

部下「そもそも、キャリアとかノンキャリアって一種の人種差別のようです。だって、警視は、三十分取り調べをしているのに、容疑者の名前も聞き出せないんですよ。」

部下「全く、俺たちも運が悪いな。こうして、ダメな警視にお仕えしなくちゃならないなんて。」

と、全員、大きなため息をつく。

数日後、再び取調室。

華岡「ではですな、新藤さん。」

部下「ああ、やっと彼女の名を割り出したのですか?」

華岡「そうだ。彼女の名は、新藤ヒカルさんだ。カタカナでヒカルと書くそうだ。親が、同じ名前の歌手にあやかりたくてつけたのだと彼女は言っている。」

ヒカル「まあ、馬鹿親が、私を通して夢を見たくてつけたんだわ。」

華岡「おお!やっと口を開いてくれたか!」

ヒカル「口を開くって、言っておくけど、私は、警察に協力するつもりはないわよ。だって、私がそうしなかったら、ほかの人たちが、活動できなくなるでしょ。」

華岡「そのか、つ、ど、うが犯罪なんだ。罪のない高齢者から金をだまし取るなんて承知しないからな!」

ヒカル「承知しなくたって、やることはやるわ。上の人にしたがうしかこの世でやっていくことはできないと、教えてくれたのは誰かしら?」

華岡「だから、それはいけないことだと言っているんだ!もう、13歳なんだから、そのくらいわかるはずじゃないか。一体、いくらだまし取ったんだ、君は。その金が、被害者の人たちの思いがどれだけ詰まっているか、考えたことはあるか?」

ヒカル「ありません!そんなこと考える暇もございません。それなら、私たちの苦しみはどうなるの?」

華岡「苦しみ?金をとられた人たちはもっと苦しいんだぞ。突然、頼りにしていたお金が、みんななくなるんだ。生活費も、交通費もみんななくなって、何もかも不自由になってしまう人たちのことを考えたことはないのかい?」

ヒカル「うるさい、うるさい、うるさい!どうせ、私のいうことなんてって思ってるわよね。まあ、犯罪者ならそれでいいわ。刑務所で獄死できれば、自殺する手間も省けるし。私を書類送検するならすればいいし、死刑にするならそれでもいいわ。とにかく、私は死ねることほど、望んでいることはありませんから!」

華岡「そういうのを贅沢っていうんだよ!命というのはね、生きるためにあるんだよ。」

ヒカル「いらないわよそんなもの!私は、早死にしたほうがいいの。そうすれば、今までの苦しみも全部とれるじゃないの!」

華岡「いい加減にしろ!」

と、机をたたく。

部下「警視、そんなことをやってはなりませんよ。そうしたら余計になめられるだけですよ。」

華岡「し、しかし、、、。」

部下「もう、警視、そのくらいわきまえておきましょうよ!」

華岡「ううん、、、。」

ヒカル「ほーらみなさいよ。私の勝ちだわ、偉い警視さんが、何も言えなくなるんだから。」

華岡「勝つか負けるかは関係ないの!それより、君は、まだ十三だ。この年では起訴できないので、保護観察処分になった。保護司のもとに行って、生活をするんだ。君を担当してくれる人は、君のおばあさんが眠っているお墓を管理している、住職の加藤さんだ。」

ヒカル「は?なによあのくそ坊主!」

華岡「そんなこと言ってはいけない。自ら立候補してくれたんだから、感謝しなければいけないぞ。明後日くらいには、ここを出て、お寺で生活を始めるんだからね。」

ヒカル「なんで私があのくそ坊主のもとで暮らさなきゃいけないの!」

華岡「誰も、立候補してくれた人がいなかったからだ。」

ヒカル「それに、やっと死ねると思ったのに。」

華岡「自殺なんてするもんではない。君は十三年しか生きてないのに、自らそのふたを閉めるにはあまりにも早すぎるぞ。」

ヒカル「いいえ、そうするしか方法はありません!」

華岡「よし、こうしよう。君がその加藤先生のところで更生しなかったら、おじさんがお詫びとして、10万円の現金をやる!」

部下「ちょ、ちょっと、警視!」

華岡「いや、このくらいしなければ彼女は動かないんだ!」

部下「しかし、その十万円はどこから出すんですか、それを考えないと、不法になりますよ!」

華岡「俺の持ち金から出す。それでいいじゃないか!俺の金であれば、俺が出したことになるんだから!」

部下「警視、落ち着いてください!」

ヒカル「いいじゃない。10万もらえるんだったら私やるわ。絶対、あんたに支払わせてみせるから!」

華岡「よし、わかった!明日、保護司の先生のところに行こう!」

ヒカル「わかりました!」


翌日。手錠をはめられたヒカルは、部下たちにつかまれながら、菩提寺である東上寺へ向かう。

華岡「ほら、出ろ。」

しぶしぶ出るヒカル。

華岡「呼び鈴を押して。」

ヒカル「こう?」

と、入り口の呼び鈴を鳴らす。するとガラガラと戸が開く。

声「ようこそおいでくださいました。君は、新藤ヒカルさんだね。」

優しそうな僧侶だった。

ヒカル「あーあ、あたしの進路をダメにしたくそ坊主だわ!」

加藤「加藤健一です。よろしく。」

といって、彼女の手を握ろうとするが、

ヒカル「セクハラ!」

と払いのける。

加藤「さあ入りなさい。今日から、君も家族の一人として暮らしてもらうからね。」

ヒカル「いらないわ、家族なんて!」

加藤「じゃあ、何がほしいかい?」

ヒカル「自殺よ!」

加藤「それだけはいけない。」

ヒカル「キリスト教ではいけないけど、私はそうじゃありませんから。」

加藤「どちらも、おんなじことを言うんだよ。自殺は、いけないこととみなされる。」

ヒカル「何でですか?」

加藤「自らの命を絶ったものは、極楽にはいけず、永遠に、地上をさまようしかないんだ。」

ヒカル「いいわよそれで。私は、いらない人間なんだし。」

加藤「まあ、最初は誰でもそう思うんだ。でも、いずれは変わっていくよ。」

ヒカル「いいえ、私は十万円をもらうの!」

加藤「金に汚れちゃだめだよ。」

ヒカル「まあ、坊主丸儲けとはこのことだわ。人の死体で生活している人が、そんなきれいごといったらね、閻魔様に舌を抜かれますよ。」

華岡「とにかく、中に入ってください。雨が降りそうです。」

見上げると、黒雲が空を覆っている。

加藤「そうか。雷でも落ちたら大変だ。うちへ入ろう。」

ヒカル「坊主頭は格好の餌食だわ!」

加藤「いや、君もさ。」

ヒカル「私は死ねるから外にいるわ。」

華岡「死んだら、十万円をもらえなくなるぞ!」

ヒカル「そうだったわね。じゃあ、すぐ出ていきますから。」

しぶしぶ寺院の中に入る。

本堂には、大きな金色の千手観音像が立っている。

ヒカル「どうせ、観光資源しかできないくせに!」

加藤は、本堂から、住居部分にヒカルを連れていく。妻の加藤れい子が料理を作っている。

加藤「来たぞ、私たちはずっと娘がほしいと思っていた。これが娘だ。娘のヒカルさんだ。」

ヒカル「は?どういうこと?私は赤の他人です!」

加藤「いや、このくらいの距離でなければ、保護観察は務まらない。」

れい子がテーブルに湯呑を持ってくる。

れい子「さあ、まずはあなたがもっているものを吐き出しちゃいなさい。このテーブル、壊していいわよ。もう、三代目ですし、年老いてるもの。壊してもいいから、まず、吐き出すのよ。空っぽにしなければ、新しい言葉は入らないわ。」

と、ざーっと雨が降ってくる。まるで車軸を流したような雨。

れい子「あらら、降り出したわね。洗濯物たたんでおいてよかったわ。」

ヒカル「そういうことがむかつくの!金持ちでのんびりで慈善事業ぶって、あんたたち、いい人だと思われてると思うけど、知らず知らずのうちにわたしのような貧乏人を、傷つけているのに気づいてないわ!それが一番むかつく!このテーブルを壊すのならあんたを殺す!」

れい子「それでもいいわよ。私たちも、そう長くはないんだし。ねえ、あなた。」

加藤「そうだな。わしらもいずれは、仏様のもとに帰るんだからね。」

ヒカル「それを早めるにはどうしたらいいの?」

加藤「一生懸命生きることさ。」

ヒカル「一生懸命生きたって、結局大人のおもちゃにしかなれなかった女がここにいるのよ!」

と、加藤に殴りかかる。最大級の雷が落ちた。

加藤「うん、殴るならそれでもいいさ。」

ヒカル「このやろ、このやろ、このやろ!死ね死ね死ね!」

加藤は、抵抗もしなければ、反論もしない。ヒカルは自分の体が疲れるまで、やり続けた。

ヒカル「はあ、、、。」

れい子「終わった?」

ヒカル「疲れた、、、。」

れい子「じゃあ、病院に連れて行くわ。」

ヒカル「病院?」

れい子「今回はこの程度でよかったわ。前回の子は、背骨まで折ったのよ。でも、この儀式をしないと、前へ進めないから、やらなきゃいけないんだけどね。」

ヒカル「儀式?」

れい子「怒りを解放させるテストよ。まあ、加藤も何人か子供を見ているから、慣れてしまっていて、もう、こうして何十回も殴られるのよ。でも、手当しないと、私も困るし。一緒に病院まで行きましょうか。あなたを一人にしてはいけないって、華岡さんに言われてますから。自殺のおそれありと。」

ヒカル「わかったわ。」

れい子は、意識をなくしている加藤を背負う。女性なのに、軽々と背負ってしまった。もしかしたら、柔道でもやっていたのだろうか。

れい子「じゃあ、行きましょうか。」

ヒカル「私も行くの?」

れい子「当たり前でしょ。」

ヒカルは、しぶしぶれい子についていく。加藤も意識を取り戻してきたらしく、指がぴくぴくと動き始める。

三人、20分ほど歩いて、池本クリニックにやってくる。

受付「あら、加藤先生。またですか。いい年してよくやりますね。もう、お年なんですから、あんまり無理しないでくださいよ。」

診察室から、杉三と蘭が出てくる。

蘭「杉ちゃん、ありがとうね。」

杉三「いいってことよ。でも蘭、久しぶりだったね。調子悪くなったの。」

二人は、車いすを動かしながら、受付のほうへ向かってくる。その際に、蘭が巾着を床に落とす。

れい子「ほら、拾ってあげて。」

ヒカル「自分で拾わせればいいじゃない。障害のある人を甘やかしてはいけないし。」

れい子「車いすの人は、立てないのよ!」

ヒカル「は、はい、、、。」

と、蘭の近くへいき、巾着を拾い上げ、

ヒカル「これ、落とし物じゃありませんか?」

と、巾着を突き出す。

蘭「あ、すみません、危うく忘れるところでした。ありがとう。」

と、巾着を受け取る。

ヒカル「きれいなタトゥー、、、。」

蘭「ああ、ありがとうございます。」

杉三「今日は彫れないぞ。蘭も、調子が悪いんだから。」

ヒカル「誰よ、あんた。」

杉三「僕は影山杉三です。杉ちゃんと呼んでください。この人は、親友の伊能蘭。」

ヒカル「へえ、どっかの芸能人みたいな名前。」

杉三「いや、ただの馬鹿と言ってください。」

ヒカル「おあいにく様、あなたには用はありません。あなたは、一体何をしている人なんですか?」

杉三「ただの馬鹿をしています。それこそあなたは?れい子さんの付添人だから、まだお若いのかな。」

ヒカル「じゃあ、私、あんたの付き添いをしようかな。うるさいおばさんではなくて。」

杉三「いや、れい子さんに従わなければだめですよ。れい子さんのもとにいるのですから。」

ヒカル「じゃあ、あのおばさんの知り合い?」

杉三「はい。ずっと友達です。」

ヒカル「ねえ、お金なら何でもあげるわ。あのおばさんの弱点を教えてよ。」

杉三「いや、僕は教えられませんね。お金なんてもらっても使い道がないからね。」

ヒカル「使い道がないことはないでしょう?お金があれば好きなものは買えるし。ほしいもの、たくさんあるんじゃないの?」

杉三「ないよ。だって、使いかたも知らないんです。それに、住むところはあるし、食べ物もあるし、着るものも、この黒大島があれば十分だし。」

ヒカル「黒大島?」

杉三「うん、今着ている着物のこと。」

ヒカル「着物なんて、歩けないくせに、そんなもの身に着ける権利はあるのかしら。」

杉三「いえ、僕らにも、自由な生活は保障されています。」

ヒカル「生意気!この人!」

杉三「僕は馬鹿だからね。」

れい子の声「ヒカルちゃん、診察に行くから、戻ってきて!」

蘭「ああ、れい子さん来てたのか。」

杉三「れい子さん、また仕事?」

れい子のほうもわかったらしい。

れい子「そうよ、杉ちゃん。まあ、今回は大変だけど、何とかするわ。ほら、ヒカルちゃん、戻ってきなさい。」

ヒカル「はい、、、。」

と、もといた場所へ戻っていく。

杉三「れい子さん来てたんだ、じゃあ、僕らもれい子さんと一緒に帰るか。」

蘭「しかし、今日は検査で疲れたよ。」

杉三「じゃあ、蘭だけ先に帰れば?僕は、れい子さんに手伝ってもらうから。」

蘭「馬鹿、仕事中でしょうが。」

杉三「でも、ヒカルちゃんって女の子は、かわいそうだね。」

蘭「まあ、そうだね。基本的にれい子さんのもとへくる子は、何か事情があるのだろうけど。」

杉三「怒りに任せてか?」

蘭「そうだね。」

杉三「僕は、もっと仲良くなりたいな。」

蘭「迷惑かけるなよ、杉ちゃん。」

杉三「そんなわけないでしょうが。確かに、あきめくらではあるけれど。れい子さんがイヤだといったことはないよ。」

と、診察室からヒカルが出てくる。

杉三「ヒカルちゃんどうしたの?」

ヒカル「なんでまだいるの?すぐ帰るんじゃ?」

杉三「今蘭と話してた。どうしたのその顔は。」

蘭「はは、逃げるつもりだったな。」

ヒカル「えっ、なんでわかるのよ!」

杉三「もしかして、僕らのことを、れい子さんが言ったのかな。」

ヒカル「、、、。」

杉三「あ、まさしくそうか。じゃあ、僕たちもれい子さんと一緒に帰るね。」

ヒカル「ちょうど、近くだから、お茶でも飲みませんかと言っていたわ!」

杉三「あ、やっぱり。」

ヒカル「もう、なんで私は。」

杉三「大丈夫。僕らは馬鹿だけど、悪い人間じゃないよ。れい子さんに聞けばわかると思うよ。だから心配はいらないさ。それよりさ、加藤先生、お怪我はどうかな?」

ヒカル「ええ、二、三日は安静にと。」

杉三「そうかそうか。加藤先生もとてもいい先生だよね。そこらへんのお坊さんとは、違うって、母ちゃんが言ってた。」

ヒカル「あーあ、なんで私は、必然性のないことに絡まれるんだろう。」

蘭「必然性がないように見えるものほど、意外に必要なこともありますよ。」

ヒカル「そうですか、、、。」

れい子と、加藤が出てくる。加藤は、意識を取り戻し、もう安定しているらしい。その顔は本当に穏やかで、ヒカルを責めるような顔ではなかった。

加藤「ヒカルさん、怒りはもう収まったかな。」

ヒカル「も、も、申し訳ございません!」

思わず頭を下げてしまった。

加藤「いえいえ、これも、必ず乗り越えていかなければいけませんから、大いに使って結構です。」

ヒカル「ごめんなさい!」

れい子「じゃあ、帰りましょうか。」

杉三「僕のうちへ来ませんか?カレー作りますよ。」

加藤「それはいい。杉ちゃんのカレーはおいしいからな。」

ヒカル「安静にしなくていいんですか?」

杉三「うちの客用寝室を使えばいいでしょ?」

加藤「そうだね、杉ちゃん。それはいいアイデアだ。そうやって余っているものを無駄にしないのがいいところだよ。」

蘭「いつも加藤先生は、ほめてくれるんですね。どんなことでも。」

加藤「それが一番だからね。若い人には。」

杉三「僕はもう若くないけどね。」

れい子「じゃあ、私、タクシー呼んでくるわ、みんなで杉ちゃんの家に行こうか。」

と、スマートフォンをダイヤルする。


杉三の家。

ヒカル「一体、何が始まるというんです?」

蘭「杉ちゃんがカレーを作っているんです。」

ヒカル「カレー?それでこんなに時間がかかるの?」

蘭「手作りだから余計に時間がかかるんだ。」

ヒカル「だって、袋を鍋に入れて、三分煮ればいいだけじゃないの?」

加藤「レトルトしか食べたことがないんだね。そんなカレーよりよほどおいしいよ。」

杉三「はいできたよ。みんな食べて。」

れい子「私、手伝いに行くわ。杉ちゃん、車いすで運べないでしょうから。」

と、杉三のもとへ移動する。

杉三「ああ、ありがとう。」

れい子が、ご飯を器に盛り、カレーをかける。そして、ヒカルの前にそれを持ってくる。

れい子「はいどうぞ。杉ちゃんのカレーは天下一よ。」

杉三「冗談が上手だねえ。」

れい子「とにかく食べてみなさいよ。」

と、スプーンを手渡す。

ヒカル「いただきます。」

と、しぶしぶスプーンを受け取って、カレーを口にするが、

ヒカル「何よこれ!」

杉三「あ、まずかった?」

ヒカル「違うわよ!おいしいから、あんたのことが憎らしいのよ!歩けなくて、文字も読めないあんたが、どうしてこんなにうまく料理ができるのか憎らしくてたまらないわ!あなたって、読み書きできないことはつらいことかもしれないけれど、わたしから見たら、あんたは、恵まれすぎているほど、恵まれているから、嫉妬するわ!」

杉三「嫉妬するんなら、何が充実していないか、何でもいいから話してみな。」


ヒカル「うるさい!障害のある人は、そうやって優男ぶるけど、本当は私たちの助けなければ、生きていけないことを気が付いてもらいたいものね。」

杉三「一体何に、傷ついているんです?」

加藤「話してみて、頭を空にしなければ、新しいものも入らないからね。」

ヒカル「うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!みんなそういうきれいごとを言うけど、被害者は私なの!あんたたちじゃないのよ!どうせ、あんたたちは、きれいごとを言って、私を更生させようとしているんだと思うけど、それはお見通しだから!どうせ、地位とか名誉とか、それのためにわたしを道具として使って、自分たちの称号を上げようとしていくんでしょ!この世の人たちは、みんなそうよ!だからさっさと死にたいの。答えはいつもそれなのよ!」

杉三「じゃあ、どうして振り込め詐欺の出し子になったの?」

ヒカル「だって、そうすればお金入るし、それに何よりも、そういうきれいごとを言う人たちからお金を盗るわけだから、そういう人たちに勝利した気分になれるからよ。そうしなければ、私、その気持ちから救われない。」

杉三「それと振り込め詐欺は違うんだけどね。悪いことってのは、誰も幸福にしないよ。」

ヒカル「ええ。だって、偉そうなことを言って、結局自分の幸福しか追わない人は、この世にたくさんいますからね。その被害にあってるんだから、私は、悪いことをしたほうが、生きているっていう気がするわ。」

杉三「そうか。じゃあ、僕にはそういうことをしていいから、他の人を巻き込むのはやめてくれ。」

ヒカル「は?意味が分からないわ。」

杉三「言い方を変えるよ。君の、その考えは確かに一理ある。学校の先生なんかが悪い見本だろうね。でも、僕たちはそういう人たちに生かされているようなものだから、僕らを悪い見本にして、ほかの人に危害は加えないでくれ。」

蘭「杉ちゃん、加害者のことかばうなよ。」

杉三「だって、彼女はほかの考えを思いつかないと思うよ。それを作り出したのは僕らでもあるわけだし。学校では、こういう人たちに優しくしましょうと、教師から言われると思うけど、それは確かに自分をかっこよく見せたいっていう思いが、少なからずある。きっと、彼女は、そのままでいいのだと言ってくれた人がいないんだよ。きっと、向上しろと言われていたけど、本当に彼女を思っていってくれたのではなく、自信の名誉を上げるために言っていた人としか、彼女は出会ってないんだよ。でも、その例外的な人ってなかなかいないから、彼女は苦しいわけだから、僕が例外になってあげる。」

蘭「杉ちゃんの発言は、時々そうやって、抽象的になりすぎるから嫌だよ。僕は、犯罪者には手を出したくないから、杉ちゃんが何とかしてあげてね。」

杉三「いいよ。」

蘭「いいよって、杉ちゃん。」

杉三「事実、そうだから。」

蘭「はあ、、、。」

加藤「そうなんですよ、蘭さん。杉ちゃんの意見もある意味では正しいよ。彼女は非常に傷ついてるんだ。だから、被害者と言っても過言ではない。」

蘭「でも、どうやったら、彼女を救えると?過去にしがみついているだけでは、更生はできませんよ。」

加藤「蘭さん、それはやめよう。過去は終わったものだからいい加減にしろとか、運命を受け入れて前向きに進めという言葉は、確かに偉大な言葉かもしれないけれど、その前の段階として、まず、彼女の話を受け止めてやれる存在が必要なんだ。彼女は、受容されたと思わなければ、前向きに生きることはできないと思うからね。」

蘭「しかし、そんな時間なんてあるのでしょうか?」

加藤「常識的にはないかもしれないが、それが必要な子もいるんだよ。」

れい子「そうよ。そのままだと、大変なことになるわ。現に、犯罪を犯しているんだから。」

蘭「そうですか、、、。」

杉三「まず、カレーを食べて。僕らはヒカルちゃんの味方だよ。」

ヒカル「はい、、、。」

と、再びカレーを口にして、

ヒカル「おいしい、、、。」

杉三「よかった。じゃあ、僕らも食べようか。」

れい子「じゃあ、私、配膳するから。」

と、冷めてしまったカレーを持ってくる。

全員「(合掌して)いただきます!」

カレーを食べ終えると、ヒカルは、れい子と加藤に連れられて、東上寺へ戻っていった。

東上寺

ヒカルは、寺の手伝い人として暮らし始めた。東上寺は確かに鎌倉時代に作られた千手観音像を所蔵しているので、これを見に来る観光客も多かったが、菩提寺としての機能もあったから、檀家として寺を訪れる人が何人もいた。


東上寺の玄関。一人のおばあさんがやってくる。

おばあさん「すみません。お聖人さんは、御在宅でしょうか?」

ヒカル「いえ、今講座にでかけています。」

おばあさん「奥様は?」

ヒカル「いますけど、どうしたのですか?」

おばあさん「ええ、葬儀を行ってもらいたいんです。主人が亡くなりましたので。」

ヒカル「しばらくお待ちください。」

おばあさん「はい。」

と、玄関の上がり框に座る。

ヒカル「座っていいとは言ってないんですけど。」

おばあさん「でも、歩いてきて疲れたので、座らせてください。」

ヒカル「年寄りだからと言って、人のうちに入り込んで勝手に座る権利はありません!」

そこへれい子がやってきたので、ヒカルはびくっとする。

れい子「あら、本江さん。こんにちは。今日はどうされましたか?ご主人は?いつも、一緒に来てくれたのに。」

本江「ええ、それが昨日、、、。」

れい子「まあ、本当?」

本江「ええ。医者によると、もう年だからいくら手術してもだめと言われて、緩和ケアにいたんですが。」

れい子「そうでしたか、、、。」

本江「はい。私にとって、ただ一つの家族でした。子供も、いないので。この先、私はどうしたらよいのでしょうか?」

れい子「わかりました、とりあえず葬儀を執り行いましょう。息子さんたちが戻ってくる予定はありますか?」

本江「いえ、戻ってはきません。私が育て方が下手なのが悪いんです。」

れい子「どこにいるんですか?」

本江「長男は病院にいます。病院のほうが、傷ついた人がたくさんいて、居心地がいいと言って、もう出る気はないようです。」

れい子「次男さんは?」

本江「いえ、長男の世話と、孫の受験で忙しいので、戻ってこないと言っています。きっと、私と、主人に会いたくないから、そういう口実を作ったんだと思うんですけど。でも、悪いのは私ですから、仕方ないことです。」

ヒカル「もっと、親を大事にしないんですね。その人たち。」

れい子が、意外そうに彼女を見る。すぐにヒカルは目を背ける。

れい子「まあ、気にしないで。じゃあ、主人が戻ってきたら、葬儀の日程とか話し合いましょうか。」

本江「わかりました。また来ますので、何時ごろ戻るか教えてください。」

れい子「もう、三十分くらいしたら戻ると思うので、カフェかどこかで待っていてくれますか?」

本江「わかりました。」

ヒカル「この中で待っていることは許されないのですか?」

れい子「ああ、それでもいいですよ。じゃあ、そうしましょう。今お茶を入れますのであがってください。」

本江「申し訳ないですね。お邪魔します。」

と、靴を脱いで、部屋の中に入っていく。

れい子「ヒカルちゃん、お茶を差し上げて。」

ヒカル「わかりました。」

本江は、テーブルに座り、ヒカルは、お茶を用意する。

本江「ありがとう。」

ヒカル「いいえ。」

れい子「じゃあ、葬儀の日程を決めましょうか。」

ヒカル「私も、聞いていてもいいですか?」

れい子「いいわよ。」

ヒカルは、本江の隣に座る。

れい子「えーと、スケジュール確認したけれど、明日も明後日も、空いているから、葬儀はできるわよ。ご主人のことだから、たくさん招待するでしょう?」

本江「ええ、部下の人がたくさん、、、。」

れい子「営業部長だったものね。何人くらい見えるかしら。」

本江「少なくとも30人近く参列するんではないでしょうか。それに、お通夜だけしか来れない人もたくさんいると思います。」

れい子「じゃあ、椅子はもう少したくさん用意したほうがいいわね。」

本江「はい。」

れい子「喪主は、本江さんがなるのかな。息子さんたちに、施主とか頼めないかな。」

本江「たぶん無理じゃないかと、、、。」

れい子「そうか、代理人を頼めない?」

本江「それもできません、、、。」

ヒカル「亡くなられたのはお父様ですよね?それなのに、なんでお父様のことをそうやって息子さんたちは放置したのでしょう?」

本江「私たちが悪いんですよ。職場の部下ならちゃんと育てたのに、自分の息子二人を育てるには失敗しました。だから、呼ばないほうがいいんじゃないですか。お棺の前で暴言を吐かれたりしたら困りますもの。だから、無理なんですよ。」

ヒカル「でも、お母様もそれではお辛いでしょう?だって、家族は何よりもの支えなんじゃないですか?」

本江「いいえ、無理です。長男も次男も、私たちからは逃げてしまった。こういう事態には、もうかかわりたくないんじゃないですか。だって、二十年以上前から、二人とも絶縁状態なんですよ。それを取り戻すなんて、できはしませんよ。」

ヒカル「それでも、、、。」

れい子「ヒカルちゃん、世の中には、あきらめなきゃいけないこともあるのよ。」

ヒカル「そうですか、、、。」

会議はなおも続けられる。


杉三の家。インターフォンが鳴る。

杉三「誰だろ。」

と、玄関のドアを開ける。

配達員「回覧板です。」

と、画板を彼に渡して、足早に去っていく。

杉三「はい、どうもありがとう。」

美千恵が風呂から出てくる。

美千恵「どうしたの?ああ、回覧板か。」

杉三「母ちゃん、呼んでくれ。」

美千恵「ああ訃報回覧ね。誰が亡くなったのかしら。まあ!池田二男?本江さんの旦那さんだわ。もう余命一年って、本江さんに聞いたけど、こんなに早くなくなるとは、、、。人間ってわからないものね。」

杉三「誰?そのひと。」

美千恵「本江さんは、私の高校時代の先輩だったのよ。部活のね。すごく有能な会社員の方と結婚して、息子さん二人に恵まれたけど、長男さんは、統合失調症になってしまって精神病院に入院したままで、次男さんはそれを迎えるのが嫌で、確かアメリカに行ったままだと思ったわ。それでは、誰が葬儀を取り仕切るのかしら。本江さん一人では、なかなかできないでしょうし。」

杉三「そういえば、うちにも本江さん見えたよね?あの華道家のすごい人でしょ?展示会にもいったね。蘭も、青柳教授も行ったよね。」

美千恵「そうそう。あんたもよく覚えてるのね。みんなで展示会にいったし、あんたは知らないかもしれないけど、あんたの父ちゃんが亡くなったときにも、すぐに来てくれたのよ。」

杉三「うん、わかったよ。蘭たちにも知らせよう。」

美千恵「そうね。電話は母ちゃんがするから、あんたはそこにいてね。」

と、美千恵は固定電話をダイヤルする。


数時間後、製鉄所の近くにある、葬儀場。

懍「このたびは本当にご愁傷さまで、、、。」

本江「いえ、青柳教授まで来ていただいて、、、。」

懍「いえいえ、ご主人には非常にお世話になっておりました。ご主人が一生懸命営業をしてくださったおかげで、僕たちは、製鉄所のバリアーフリーをより強化することができましたから。」

蘭「それに、奥様の生けたお花は、素晴らしいものでしたよ。本当に、息子さんたちが二度と帰ってこれないのが悔やまれますけど、、、。」

懍「息子さんのことは、ここでは割愛しておきましょう。実現不可能なことを、このようなときに口にしてはいけません。」

蘭「ごめんなさい。」

懍「とりあえず、招待席は50席。幸いこの式場は、小規模から大規模な葬儀までできますので、増員されてもすぐに対処できるでしょう。控室で宿泊することも可能です。それに、葬儀が重複して行われることもありませんので。」

本江「ありがとうございます。こんなにきれいな式場があったなんて、私も知りませんでした。主人も喜んでいると思います。」

れい子「じゃあ、お通夜は明日の夜六時、告別式は明後日の10時、出棺はそのまま11時でどうですか?」

本江「ええ、それでよいと思います。」

懍「払いの膳などもやったほうがいいでしょうね。彼の、職場の部下の方も、たくさん見えるでしょうからね。」

本江「でも、そこまでは、、、。」

蘭「僕らも、お手伝いができたらいいのですが、、、。」

ヒカルは、黙ってこの話を聞いていた。

と、同時に、彼女の後ろに座っていた、水穂が、急に咳をした。

杉三「水穂さん大丈夫?」

懍「少し奥で休んでいてもいいですよ。」

水穂「しかし、僕も、何かしないと、、、。」

懍「その時になったら呼びますから。奥の間にいっていてください。」

水穂「わかりました。」

と、立ち上がる。

ヒカル「あ、あたしが連れていきます。」

と、彼の手を引いて、控室に連れていく。

廊下でも、水穂のせき込むのは止まらず、何回か立ち止まって、控室にたどり着くのは亀よりも遅かった。

ヒカル「水穂さん、横になりますか?」

水穂「いえ、座っていれば、大丈夫。水か何かあれば、」

といって、懐から粉薬の入った袋を出す。

ヒカル「今持ってきます。」

と、冷蔵庫を開けて、ペットボトルを一本だし、ふたを開けてやる。水穂は、畳の上に座り、それを受け取って、粉薬と一緒に飲み込む。そうすると咳は落ち着くが、彼が口を拭ったそのちり紙に、赤い血がにじんでいる。

ヒカル「水穂さんって、かわいそうですね。私と同じみたい。そんなに奇麗なのに。」

水穂「まあ、一般的に言えばそうなのかもしれませんけど、僕は、どうしてもやりたいことがあって。」

ヒカル「でも、周りからは必要とされてないんじゃないですか?青柳教授からも、あんな口調で言われちゃうし。きっと、青柳教授と、押し問答して、ここへ来たんじゃ?」

水穂「想像力がある方ですな。でも、押し問答はしていませんよ。教授が歩けないから、僕が手伝っただけです。製鉄所では、寮生が不眠不休で鉄を作ってますからね。誰も、席を外せないですし。」

ヒカル「製鉄?」

水穂「そうですよ。僕はこの体なので、製鉄にはかかわれないけど。居場所をなくした若い人が、製鉄をしに来るんです。僕にはわからないけど、みんな何かして、何か得るんでしょうね。出るときは、笑顔で出ていきますよ。」

ヒカル「つまり、更生施設ですか。でも、私は、そういうのは正直に言うと好きじゃないです。なんか、更生するというより、主催の人が自己満足でやってるんじゃないかって気がして、本気でかかわろうという気ではないのではないかと思うんです。そして、それをかっこいいと思っているから、いくら福祉がどうのと言われても、する気にならなくて。」

水穂「そういうみかたもありますね。僕も一時それを思った時期がありましたね。でも、人間って不思議なもので、その定理を知っていても、尊敬という感情はもってしまうものですよ。それをなくしたら、生きていくのが大変になるんじゃないですか。怒りだけでは、何もなりませんし。でも、不思議ですが、怒りが何かを導き出す道具になることもあるんですよね。一見矛盾するようですが、人生というものは矛盾ばかりで、まっすぐにはいかないものなのです。」

ヒカル「私、みんなが自分をかっこよく見せるためにしか生きてないんだということを知ってしまってからは、生きていようとは思わなくなりました。だって、学校でもそうでしたけど、私が勉強ができて、喜ぶのは私ではありません。それを知ってしまってからは、本当に疲れてしまって。だからもう、生きていなくてもいいんじゃないかって思うんです。」

水穂「なるほど、そうなると、お寺に拾ってもらったのは幸運でしたね。一般家庭では触れられないものに触れることができますよ。まあ、一般家庭でも、得られないことではありませんが、それを商売にしているようなものですから、勉強になるでしょう。」

ヒカル「どういうことですか?」

水穂「ええ。明日の葬儀をよく聞いてみると、答えが出ると思いますよ。」

ヒカル「答えって、、、。」

水穂「故人が、どのような生き方をしてきたのか、ですよね。」

ヒカル「それだったら、答えは最初に言った言葉じゃありませんか?」

水穂「いえ、違います。もちろん、そういうこともあるかもしれませんが、、、。でも、もう一つ、答えがあるのです。それはね、」

と、言いかけて再びせき込みだす。その指はみるみる赤く染まる。

ヒカル「水穂さん、答えを言ってください。もしかしたら、体の悪いのにかこつけて、」

水穂「いえ、、、。非常に見つけにくい、こたえなのかもしれませんけど。」

さらにせき込む。

ヒカル「あ、あ、あ、、、。」

急いで背をたたいてみる。

そこへふすまをたたく音。

声「水穂さん、打ち合わせ終わりましたよ。帰りましょう。」

ヒカル「あ、青柳教授、水穂さん、このような状態で、、、。」

れい子がふすまを開ける。

れい子「大丈夫ですか?ああ、指を拭かないと、、、。」

懍「水穂さん、ご自身でも気を付けなければなりません。とりあえず製鉄所に帰ったら、土間の掃除は免除して差し上げますから、とにかく横になりなさい。」

ヒカル「少々、冷たいんじゃないですか?青柳教授。」

懍「いえ、うちではこれで通っています。」

ヒカル「でも、ここまで弱い人に掃除までさせるなんて、、、。」

懍「そうですね。だから免除するといいましたよ。」

蘭「とにかく、水穂、ゆっくりやすめよ。無理しすぎたんじゃないのか?」

水穂「いや、悪いのはこっちさ。自己管理してないんだから。」

ヒカル「とにかく、ゆっくりさせてあげてくださいね。」

れい子「ほら、私につかまってください。車まで送りますから。後ろに乗ったほうがいいですよね。いいですか、、、。」

と、水穂に肩を貸し、その場で立たせる。

れい子「歩けます?ゆっくりでいいですから、歩きましょう、、、。」

と、廊下へ出してやる。水穂は振り向いて、ヒカルのほうを見る。

水穂「今、言った言葉が答えに近いかもです。」

と言い、崩れるように歩いていく。

蘭「大丈夫なんですか、教授。ここへ連れてきて、、、。一体なぜ?」

懍「いや、ちょっと様子がおかしいのです。放置しておいたらまずいと思い、連れてきました。」

蘭「そうだったんですか、、、。」

懍「僕たちも帰りましょう。」

蘭「そうですね。ヒカルさん、ありがとう。」

ヒカルは、黙ったまま答えなかった。というより答えが出ない。

二人も、車いすで控室を後にする。一人残されたヒカルは、ぞうきんを取ってきて、水穂が汚した畳を掃除する。


通夜の日

日が沈むと、大量に人がやってくる。みな、黒い背広に黒いネクタイをし、中には仏花を持った者も。その応対は、本江の役目だった。挨拶を繰り返すたびに、本江の顔には、涙がにじみ出ていた。女性であれば、このように、勘定で動いても仕方なかった。

席は50席用意していたが、それだけではまた足りなかった。ヒカルは、座席を追加するのに忙しかった。

ぎゅうぎゅうになった部屋で、加藤は読経を開始した。参列者たちは、加藤の指示に合わせて合掌したり、一緒に読経したりした。

通夜は、すぐに終わってしまった。参列者たちは、帰ることになった。答えは何なのか、ヒカルが一生懸命考えていると、参列者たちが口々に言った。

参列者「本当に、お早い最後でしたね。営業部長は。」

参列者「定年退職して、すぐになくなられてしまったようで。奥様は、華道家だそうですけど、一人残して、寂しくなりますよね。」

参列者「退職した時は、病気だなんて思いもしませんでしたよ。時々、私たちの仕事場も身にきてくれましたし。いつ、余命一年と宣告されていたのか、私たちにもわからなかったくらいですよ。」

参列者「そうそう。営業の仕方をああだこうだと教えてくれて、しゃべるのも上手だったから、ほんと、学校の先生よりありがたい方でしたわ。社内では結構人気がありましたよ。今では、猛烈社員なんて少なくなったけれど、部長はそんなタイプでしたね。でも、相手への気持ちもちゃんとあるし、決して自分がすべてではなく、ほかの部下にも、気配りができていたから、偉かったんじゃないですか。」

参列者「厳しいけれど、根はやさしい親分、そんな感じだったかな。」

参列者「そうそう。そして、コメディアンでもあった。」

参列者「うん、あいつが偉かったのは、しっかり者の母ちゃんもいたからだ!息子たちはからっきしだめだったけど!」

参列者「ダメだったなんて言っちゃだめよ。部長の息子さんだって、優しい方よ。あれだけ部長が優しかったんだから。だけど、部長の時代と、息子さんの時代が違いすぎたのよ。私たちもそうだけど、部長のころは、スマホなんてなかったんだから。」

参列者「部長はそれを取り違えたのかな。」

参列者「まあね、息子さんは、それが原因でいじめられちゃったけど、きっと、気が付くと思うわ。あたしたちは、その語り部になってあげられるかな。今の若い人って、態度だけじゃだめだから。態度だけで、感じ取ってくれることはもうないから。」

参列者「感じ取りすぎるものもいるぞ!」

参列者「難しい世の中になったわね。私たちが一生懸命働いていた時と大違い。私たちは、こんな結果になるとは予想さえしていなかったわよ。私もね、思うんだけど、やっぱり、若い人には伝えていかなきゃいけないと思うの。だって、今の学校とか見たら一目瞭然でしょ、子供のころから社会的身分が付きまとうような時代だし。部長も含めて私たちのころは、学校へ行けるの自体が喜びで、学校ごとに社会的身分が形成されるなんてなかったもの。だから、それで自信を無くしていく子がいかに多いか。部長は、それを強く感じたと思うわ。」

参列者「そうだよな。部長の息子さんもそうだったかな。でも、部長は少なくとも偉い人だったよな。母ちゃんも偉くて。きっとさ、部長は、俺たちのために営業をしていたんじゃないとおもうよ。だって、息子さんがああなったんだから。いまも、出てなかったけど、きっと、出れなかったんだと思うよ。でもさ、善悪関係なく、部長のやってきたことが頭にはっきり焼き付いているのなら、たとえ俺たちのためじゃなかったとしても、部長は俺たちの中で永遠に生きているんじゃないか?」

その中年男性の言葉を聞いて、ヒカルは持っていたタオルを床に落とした。

参列者「あ、長居しちゃってすみませんでした。すぐに出ますから。ごめんなさい。おい、今日は営業部が全員集まったんだ。今から喫茶店で部長の思い出を語り合わないか?」

参列者「そうね。そうしましょう。」

参列者たちは、そういいながら、式場を後にしていった。ヒカルは、見る見るうちに涙をこぼして泣き出した。

声「ヒカルさん。」

振り向くと、杉三だった。

杉三「答え、見つかった?」

ヒカル「ええ。」

ヒカルは、止まらない涙を肘で拭いた。

杉三「よかったね。」

ヒカル「ええ。自信が良い顔をするための行為であったとしても、心に残ることもあるのね。それができるかの違いだけなのよ。それだけだったの。やっといま、始まりのある終わりに。」

空には星が出ていた。寒い中、道しるべのように、星は光っていた。









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