白蓮の忘れ物

美術館。杉三が、ブラマンクの絵をしげしげと眺めている。

杉三「きれいな絵だなあ。」

蘭「杉ちゃんって変わってるね。そういう荒れた絵をなんで好きなんだろう。僕はその人よりも、ルノアールとか、モネとか、そっちのほうがいいんだけどな。」

杉三「ルノアールは嫌だな。あんまり美しく描くのもよくないと思うんだ。だって、現実のものは決して美しくないからさ。」

蘭「杉ちゃんは、本当に変わっているね。」

杉三「当たり前だ。だって、美しくないものを美しいと無理やり思わせるのは大した技術はないよ。それよりも、ほんとうにこれでいいんじゃないかと、思わせるのが、美術ってものじゃないの?」

と、近くで絵を見ていた男性が、杉三に近づいてくる。

男性「素晴らしいことをおっしゃってくださいましたね。はい、まさしくその通りですよ。むやみに美しいと思わせる美術は、今の時代には通用しません。みなさんがルノアールの絵に感動するのは、現実が美しくないからそう見えるだけで、現実をしっかり見つめている画家は、そうはいませんよ。」

杉三「はい、ブラマンクこそ、現実を一番見せているのではありませんか?」

蘭「杉ちゃん、それじゃあ写真はどうするの?」

杉三「写真でも絵でもどっちも同じ。世の中がこうなっていますってことを伝えるのが写真でも絵でも同じだと思うよ。それを変な風に美しくするのは一番悪いの。だからルノアールの絵は嫌い。」

男性「素晴らしい!そうそう、絵を描くってことは、単に美しさだけでは足りません。大事なのは、画家の方々が、世に問いたいことをはっきり示すこと。そして、それをしっかり受けとってくれる感性を持つことです。彼は、しっかりと、それを理解していると思いますよ。よかったら美術館のアンケートにそれを投函されたらいかがですか?」

杉三「僕は、あきめくらで読むのも書くのもできないのです。」

男性「なるほど!そういうことだったのですね。それではその素晴らしい感性があっても不思議ではありません。よろしければ、僕が代筆しましょうか?」

蘭「ちょっと、待ってください。あなたは何者ですか?もしかしたら何かの勧誘ですか?」

男性「いや、全然違います。名前は、宮崎龍之です。」

蘭「で、ご職業は?」

男性「はい、東京芸術大学で講師をしています。」

蘭「あ、ああ、すみません!芸大の先生だったんですね!ほら、杉ちゃん、君も謝れよ。」

杉三「なんで?単にブラマンクの絵についてしゃべっていただけじゃないか。」

蘭「そうじゃないの。知らないのかい?芸大っていうのはね、」

龍之「いやいや、芸大といっても、僕ははしくれのようなものですから、友達だと思ってくれて構いません。杉ちゃんという愛称のようですが、お名前はなんですか?」

杉三「影山杉三です。歳は45です。」

龍之「へえ、お年を感じませんね。その口調や声質から、まだお若い方なのかと思っておりましたよ。」

杉三「ええ、よく言われますよ。でも、それはただの馬鹿であるということを示しているだけで、何も意味はありません。よかったら、ブラマンクの絵について、詳しく聞かせてもらえませんか。説明書きも何も読めないので、ぜひ、詳しく聞かせてください。」

龍之「はい。いいですよ。では、杉三さん、こちらにいらしてください。」

杉三「杉ちゃんでいいよ。僕、敬語でしゃべるの苦手だから。」

龍之「ああ、わかりました。では杉ちゃん、この絵はタイトルを海と言いまして、ブラマンクの代表作にもなっております、、、。」

二人は、蘭のことは構わずに美術館の中を移動してしまう。

蘭「おいおい。まってくれよ杉ちゃん。」

と、あとを追いかけるが、

蘭「あれ?」

と首をかしげる。

蘭「あの歩き方、、、。」

なぜか見覚えのある歩き方だった。


展示室の出口。蘭が、出てくる。杉三たちはどこかに行ってしまっていた。

蘭「どこ行っちゃったんだよ。全く、、、。」

監視員「あの二人なら、ミュージアムショップにいますよ。」

蘭「ああ、すみません。すぐ帰らせますので。」

監視員「お兄さんも大変ね。でも、とても楽しそうだから、もう少し大目にみてもいいんじゃないですか?」

蘭「僕は、実の兄ではないですが、杉ちゃんには手を焼きますよ。」

監視員「まあ、それではさらに大変ね。骨休めのつもりで、カフェテリアで待ってたら?」

蘭「わかりました。」

と、カフェテリアへ移動する。


カフェテリア、蘭はコーヒーを飲みながら、展示会で配られた本などを読んでいる。

と、車いすの音がして、

杉三「蘭、遅くなってごめんね。来週、東京に連れてってよ。」

蘭「と、東京?何しに?」

杉三「うん、龍之さんのアトリエに行きたいの。」

龍之も入ってくる。

龍之「すみません、長々待たせてしまって。彼が僕のアトリエに来たいというものですから。」

蘭「申し訳ありません。長居してしまって。」

龍之「いえいえ、とてもうれしかったですよ。もし、アトリエに来てくださるのなら、何もないけど、喜んでおもてなしさせていただきます。」

蘭「すみません、アトリエは、東京のどこですか?」

龍之「立川のほうです。」

杉三「立川は遠いの?ここから一日がかり?」

龍之「そんなことはありませんよ。東京駅から中央線でいけば。あるいは、お二人であれば、介護タクシーを貸し切りでいらしてくれてもいいんじゃないですか?」

蘭「そうか。そういうてもありますね。」

杉三「そういうわけで、来週の日曜日に、アトリエに行くって約束したんだ。蘭、手伝ってね。」

蘭「杉ちゃん、偉い人のお宅に、すぐに上がるべきじゃないよ。」

龍之「いえ。かまいません。独身男の、つまらない部屋です。誰か客を招くなんてこの十年では一度もありませんでしたよ。ぜひいらしてください。」

杉三「わかったよ。必ず行くからね。」

蘭「つかぬことをお聞きしますが、もしかしておからだが悪いのでは?」

龍之「ああ、歩くのに癖があって変に見えるだけですよ。」

蘭「そうでしょうか、、、。」

龍之「はい。嘘じゃありません。大丈夫です。」

蘭「わ、わかりました。」

杉三「じゃあ、来週の日曜日には、必ず行くね!」

龍之「わかりました。ぜひ来てください。」

杉三「はい!」

蘭は、大きなため息をつく。


日曜日。立川駅。改札口を通り抜ける杉三と蘭。

蘭「ええと、ここで待ってればいいのか。それにしてもやっぱり東京だ。どこをいっても人だらけだよ。」

杉三「にぎやかでいいじゃない。」

蘭「まあ、そうなんだけどね。人が多いのは、ある意味疲れるよ。」

杉三「そうだね。」

と、龍之がやってくる。

龍之「やあやあやあや、お待たせしました。駅前の階段で転んでしまいまして。全く、情けない話ですな。」

蘭「転んだ、のですか?」

龍之「はい。大の大人が、階段で転ぶなんて情けない話ですね。もう少し家をはやく出ればよかった。次は気を付けます。」

蘭「次は、ですか?」

杉三「蘭、どうしたの?早くアトリエいこう。どこにあるんですか、アトリエは。」

龍之「はい、すぐですよ。高層マンションですが、エレベーターはちゃんとありますので、気にしないでください。」

杉三「わかりました。それさえあればいいよ。」

龍之「じゃあ、いきましょう。」

蘭「僕らは階段が、、、。」

龍之「大丈夫ですよ。車いすエレベーターもちゃんとあります。」

蘭「ならよかった。」

三人は道路を歩き始める。龍之が先導し、次に杉三、最後に蘭がついていく。しかし、龍之の歩くスピードはものすごく遅い。それに、なぜか足の動きが変なのだ。左足を回すように歩いている。バレリーナそっくりだ。

蘭「この人、、、。」

杉三「どうしたの?」

蘭「いや、なんでもない。」

十五分ほどして、その高層マンションに到着した。三人は、入り口にあったエレベーターに乗った。彼のアトリエは、15階だった。

龍之「どうぞ、お入りください。」

杉三「お邪魔します。わあ、素敵な絵が一杯!」

そこにあるのは、いってみればピカソのような、何を描いているのか何もわからない絵ばかりだった。

蘭「いつも、こんな絵を描いているのですか?」

龍之「ええ。最近人物画はなかなか描いていないのです。」

蘭「そうですか、、、。正直、こういうのは、、、。」

龍之「まあ、はじめての人はそう言います。だから平気ですよ。」

杉三「中村つねみたいですね。」

龍之「ああ、よくわかりましたね。つねは僕も尊敬している画家なんですよ。」

杉三「よくわかりますよ。僕も、母とつねの絵を見に行ったことがあるんです。」

龍之「いいですね。あの人も、もうちょっと長生きしてもらいたかったなあ。」

杉三「はいはい。そうですね。惜しいなってひとはたくさんいますよ。ほんとに。」

蘭「あの、すみません。この肖像画は、先生の作品ですか?」

龍之「そうですよ。」

そこには、優しく微笑む中年の女性が描かれていた。

杉三「へえ、きれいな人。モナリザの微笑みとは、また違うような、、、。日本的なきれいな人だ。有名人なら、柳原白蓮だ。こんな、きれいな人をモデルさんで雇ったんですか?」

蘭「柳原?」

杉三「だから、いつだっけ、大正時代に貴族の娘でありながら、ただの平民と駆け落ちをした、いわゆる白蓮事件を起こした人だよ。」

蘭「杉ちゃん、その顔をどこで見たの?そんな大昔じゃ、、、。」

杉三「ポスターだよ。静岡県立図書館に貼ってあった。」

蘭「杉ちゃんの記憶力は、、、。」

龍之「いえ、間違いではありません。彼女のポスターは、様々な図書館に貼ってあるのを見たことがあります。なんとも彼女をヒロインにしたテレビドラマもやっているらしくて、話題の人なんですよ。」

蘭「そうなんですか。全く知りませんでした。そんな人物がいたとは。でも、この絵は、白蓮を描いたわけではありませんよね?だって、大正時代ですから、当然、白黒写真しか撮影できないはずだし。この絵はカラーで描かれていますから、、、。」

龍之「はい。別にモデルさんをやとったわけではありません。この人は、僕の母なんです。」

蘭「お、お母さま!?」

龍之「ええ。全くその通りです。嘘偽りはありません。」

杉三「なるほど。こんなにきれいなお母さまだから、こんなに美しい絵が描けるんだ。理由がよくわかりましたよ。いつも、お母さまを見て、自然に美意識が湧き出してきたのでしょう。いいなあ。こんなきれいなお母さまといつも一緒で。」

龍之「いやあ、そうじゃないんですよ。」

杉三「そうじゃないってなにが?」

龍之「僕のこと、放置したまま、どこかへ行ってしまったのです。まあ、そういうと、白蓮とそっくりということになるのですが、、、。」

杉三「そっくり、といいますと?」

龍之「僕は三人の父がいるんです。最初に結婚したのが、僕の父親で、小学生まではその家族で生活していたのですが、母が、あいそうをつかしてしまって。僕は、孤児院に預けられていたのですが、孤児院の先生から紹介で、母が勤め先の社長と結婚しました。でも、その人は母に暴力を行って捕まってしまいましてね。その先は、僕も詳しくはしらないのですが、どこかの会社員と結婚して、別の子供までいる始末だそうです。確かにきれいな人なのかもしれませんが、僕はあまり、母に対する思いはないですね。」

杉三「本当にそっくりだ。そんな人が母親じゃ、非常に困ったでしょ。きれいな人だから、許してやるとかいう男は平気でいますからね。お母さんも、もうちょっと責任もってもらいたいよね。白蓮の場合は家が傾いたとか、そういうことだったらしいけど、今は、そんなことはあまり重要視しなくてもいい時代だからねえ。」

蘭「杉ちゃんは、本当になんでも知っているなあ。そんなことまで聞きだして、どうするんだよ。」

杉三「僕はどうもできないよ。」

蘭「でしょ。だったら他人のことを根掘り葉掘り聞くのはよくないって、はやく覚えな。すみません。何度も教えても聞かないのです。つらいことを思い出させてしまいごめんなさい。」

龍之「いいんですよ、事実は事実。変えることはできません。それはそれで受け入れなきゃいけませんよ。どんなに期待をしたとしても、かなわないということはいくらでもあるんですから。」

蘭「そうですか。やっぱりお偉い方ですね。」

杉三「ちなみに、この絵は、お母さまが若い時に描かれたんですか?」

蘭「杉ちゃん!」

龍之「いえいえ。大丈夫です。これはね、昨年前に想像して描いたのです。母が、いなくなったのはもう、十年以上前だから。母の写真を頼りに描きました。」

杉三「なるほど。そういうことだったんだ。お母さんを描くというと、なかなかうまくいく人は少ないと、ある美術館で聞いたことがありました。なんか、お母さんを美化し過ぎているような気がしたんです。」

龍之「そうですか。やっぱり僕は、家族の絵を描くのはどうしても苦手ですね。よく、七五三の祝いなどで、娘さんの絵を描いてくれという依頼をうけたことがありましたが、喜んでもらっても、自分の中ではよい絵だとはどうしても、思えなかったほうが多いんですよ。」

蘭「あの、失礼ですけど、、、。」

杉三「どうしたの、蘭。心配そうな顔して。」

蘭「先生、もしかしてその手の動きや、歩き方、僕の勘違いであればいいんですが、もしかして舞踊病では?」

龍之「ああ、、、。」

杉三「ど、どういうこと、蘭。」

龍之「よくわかりましたね。お二人は、なんでもわかってしまうのでしょうか。でも、母に頼るのもできないので、仕方なく病院に通う程度しかできませんよ。」

蘭「待ってください。それはご家族の力も借りないと、生活できなくなりますよ。今でこそ、歩けるかもしれませんが、きっとそのうち、自力では何もできなくなるでしょう。それでは、」

龍之「いいんです。きっと、母は僕がいないほうが、幸せになれるのではないでしょうか。」

杉三「そんなことありません。僕が言うのも何ですが、お母さんであれば、産んだときのこととか、覚えているのではないでしょうか。」

龍之「どうですかね。たぶん覚えていないでしょう。」

杉三「でも、僕は何とかしたい。」

蘭「杉ちゃん、他人の話に顔を突っ込むなよ。」

杉三「でも、何とかしたいの!かわいそうじゃないか。何とかしてお母さん、見つけてもらわなければ。」

蘭「またそんなこと言って!やり方はどうするの!」

杉三「この絵を使えば?それに、華岡さんもいるよ。」

蘭「杉ちゃん!」

杉三「僕はやる!」

蘭「ああ、こうなってしまったら、もう止められない、、、。」

龍之「杉三さん、その熱心さはよくわかるのですが、、、。」

杉三「きっと喜ぶよ。」

龍之もため息をつくほどであった。


数日後。

杉三たちが、晩御飯を食べていると、玄関のチャイムが鳴る。

美千惠「どなたですか?」

と、すでにドアが開いて、華岡が入ってくる。

蘭「どうしたんだよ、華岡。せめてご挨拶をしてから、入って来いよな。」

華岡「いや、蘭、これは言ったほうがいいと思って。今、署からとんできたんだよ。」

蘭「とんできた?お前鳥じゃないのに。」

華岡「鳥になってたら、もっと早くつくよ。」

蘭「それはいいから、汗臭い汗を何とかしろ。」

華岡「それより、大事な話なんだ。」

蘭「一体なんの話だ?」

華岡「ああ、宮崎龍之の母親の話だ。」

蘭「なんでお前が調べたんだ?」

声「華岡さん、何かわかりましたか?」

蘭「杉ちゃん、華岡さんは忙しいんだから、些細なことで捜査を依頼しないの!」

華岡「そうそう。そうやって蘭は怒るから、蘭には言わないでと杉ちゃんに言われてたんだよ。」

蘭「ああ、全く。」

華岡「それよりも重要な情報があるんだ。」

杉三「いいよ。上がって。」

華岡「ああ、上がらしてもらうよ。おばさん、悪いけど、コーヒー一杯入れてくれる?」

美千惠「はい、わかりましたよ。」

二人、食堂に戻る。

杉三「で、捜査の結果は出たの?」

華岡「ああ、宮崎由布子、つまり宮崎龍之の母親について調べたよ。とんでもない女だね。」

蘭「とんでもない?」

華岡「まず、彼女の最初の結婚は、見合い結婚で、のちに龍之の父親である、会社員だった。しかし、龍之は12歳で舞踊病を発症している。しかも、彼の父親も同じ病であるらしい。」

蘭「つまり遺伝病なんだね。」

華岡「その通り。で、由布子は、龍之を一年間孤児院に預けたが、職員の紹介で、自身が働いていた、食品メーカーの社長と再婚した。そのため、龍之は、一緒に暮らすようになったが、その社長から、激しい暴力を振るわれるようになって、もう耐えきれなくなった由布子は、龍之を残して出て行ってしまったいうんだ。」

杉三「ひどい女だな。自分だけ逃げて、しかも再再婚までして。」

華岡「再再婚?」

杉三「龍之くんがそう言っていたよ、ほかの人と再再婚して、子供もいるんだって。」

華岡「は!何を考えているんだかね。もう、龍之だって、病状はこれからも悪化する一方だろう。それを放置して自分は出て行くなんて、まさしくネグレクトだ。」

杉三「彼女は、どこに住んでいるのかとか、わからない?」

華岡「うん、調べてみるよ。」

杉三「あんなにきれいな人だから、すぐにわかってくれるんじゃないのかなあ。」

華岡「そうだね。部下の調査によると、彼女は東京に住んでるらしい。」

杉三「ああ、よく物語にもでるよね。そういう話。」

華岡「まあ、そうだな。実際のそうなんだから、物語としても登場するんだろう。」

蘭「本当に大丈夫なのかな、、、。」

華岡「なんとかするよ。おい、お風呂借りていい?」

杉三「ああ、どうぞ使って。」

華岡「ありがとうな。」

と、鼻歌を歌いながら部屋をでる。

美千惠「再再婚か。なんだか、今の人ってそれをかっこいいと思っているのかしら。」

蘭「まあ、バツイチは当たり前だとも言いますし。」

杉三「被害者がいるんですけどね。そうなるんだったら、子供なんか作っても意味ないと思いますよ。だって、そうなってからは、成功するよりも、怒りと悲しみで病気になったり、家庭内暴力したり、挙句の果てには自殺までしてしまう。」

声「もうちょっと、しっかりしてもらいたいものだよなあ。」

蘭「世間話だから、気にしないでね。」

声「あいよ!」

蘭「全く、華岡はお風呂が長いな。僕が学生時代の時から、ずっと長風呂だよ。」

杉三「それはいいから。とりあえず、彼女が、今どこで何をしているのかを考えようよ。」

蘭「しかし、どうやってみつけるの?情報もなにもないし、、、。」

杉三「彼の出身地はどこだっけ?」

声「ああ、たしか東北のほうだったと思う。部下の話では、宮城とからしい。」

蘭「おい。はやく風呂から出て来いよ。」

声「たまには、いい風呂に入らせてくれよ。こんなにのんびりするの、なかなかできないし、ふろはいつもユニットバスだからなあ。」

蘭「あーあ、全く。だらしないんだから。それだったら銭湯へ行け。」

杉三「堪忍してあげようよ。」

声「杉ちゃんいいこと言う。」

蘭「早く出て来いよな。」

と、ため息をつく。

杉三「宮城っていうと、どうやって行くの?」

蘭「まず、東京へ行って、東北新幹線だ。仙台駅で降りる形になるかな。」

杉三「わかった。じゃあ、切符買って行って来よう。」

蘭「ちょっと待てよ、東京から仙台まで行くには何円かかると思っているんだよ。」

杉三「そんなことは関係ない。龍之さんのためだから。」

蘭「そうだけど、」

杉三「僕は龍之さんの本当のお母さんになってもらいたいんだ。白蓮さんにね。」

蘭「杉ちゃんは、利口なのか馬鹿なのか、、、。」

杉三「いいよ、どうせバカだもん。みんな馬鹿の一つ覚えだもの。」

と、華岡が風呂から出てくる。

華岡「ああ、いい湯だった。四十分入ったよ。杉ちゃん、僕らも協力するから、頑張ってあの女を見つけてくれ。」

杉三「いいよ。」

蘭「華岡はよくのぼせないな。全く。」

華岡「俺たちも協力するから、手伝ってくれ。」

蘭「わかったよ。」


翌日。杉三と蘭は仙台駅で、駅員にてつだってもらいながら、新幹線を降りる。

蘭「どうするんだよ、杉ちゃん。ここへきても何もならないでしょ。」

杉三「ああ、まだ地震のあとが残っているんだねえ。」

蘭「何が?」

杉三「あれ。」

蘭「だから何が?」

杉三「あれ。なんて書いてあるか、読めない。」

と、近くにあるビルを指さす。ビル自体は亀裂も何も入っていないが、ビルの看板はめちゃくちゃになっている。

蘭「ああ、看板をやられたんだね。相当、大きな地震だったんだろうな。」

杉三「世界が変わったよ。なあ、蘭、看板の文字、読める?」

と、一人の男性が出てくる。

男性「どうしたんですか、お二人さん。」

杉三「あ、おまわりさん。」

男性「よくわかりましたね。」

杉三「ええ、服に、華岡さんと似たようなものが付いていたから。」

男性「あら、知り合いなんですか?華岡警視と。」

杉三「友達なんです。」

男性「へえ、警視と知り合いなんて、物好きですねえ。仙台にどうしていらっしゃったのです?」

杉三「人を探しているんです。」

男性「人?ですか?」

杉三「ええ、宮崎龍之さんのお母さんの、宮崎由布子さんです。」

男性「宮崎由布子を探しに?」

杉三「はい。」

男性「宮崎由布子なら、現在留置所にいますよ。」

杉三「ど、どういうことですか!」

男性「はい。息子の宮崎園美を震災で亡くしてから、彼女は発狂したようになりまして。」

杉三「じゃあ、誰が宮崎龍之君のお母さんになれるんですか!」

蘭「そういうことか。龍之君には申し訳ないけど、僕らは何もできないのかな。」

杉三「一度、龍之君に会ってもらえませんか。」

蘭「杉ちゃん、僕らは犯罪を犯した人には会いたくないよ。」

杉三「そんなことは関係ないの。だって龍之君のお母さんは由布子さんしかいない。」

蘭「そうだけど、できないこともあるんだよ。」

杉三「じゃあ、誰が龍之を育てたの!誰が彼を画家にしてあげたの!誰が彼に絵筆を持たせようとさせたの!」

周囲が何事かとみている。

男性「わかりました。じゃあ、署のほうでゆっくり話しましょう。華岡警視とは、連絡をとっておきます。ちなみに私は、ここの刑事課の課長をしております。」

蘭「課長さんだったんですか。それは大変失礼なことをいたしました。」

課長「いや、気にしないでも大丈夫です。この、看板の建物は署です。地震で看板をやられましたから、警察署だとはっきりわからないのが申し訳なかったです。県のほうから修理代が来ないものですからね。では、どうぞこちらにお入りください。」

蘭「はい、すみません。」

課長「ではどうぞ。」

二人、手伝ってもらいながら署に入る。


署の談話室。

課長「で、宮崎由布子のことなのですが、、、。」

蘭「はい、いったい彼女はどういった容疑がかかっているんですか?」

課長「ええ、震災があって間もなくのことなんです。彼女は、現在の夫、宮崎保との間に生まれた宮崎園美と暮らしていました。しかし、園美は箪笥の下敷きになって死亡し、保は、酒に溺れるようになったそうなんですよ。由布子は、保を支えるために、詐欺集団に入団して、義援金詐欺をしていたそうなんです。」

蘭「ああなるほど。火事場泥棒だったんですね、戦時中にはよくありましたけどね。」

課長「はい。そういうことです。由布子はもともと演劇大学の出身者であることが分かっているので、そういうことに対しては、非常に卓越しているとは思うんですが、供述の真偽があやふやなのです。」

蘭「えっ、てことはつまり、女優になるつもりだったんですか?」

杉三「まあ、あの肖像画通りなら、女優を目指しても不思議はないよね。」

課長「肖像画、ですか?」

杉三「ええ、龍之君が、お母さんの肖像画を描いたのです。すごくきれいなひとですね。」

課長「ええっ!きれいな人ですか?」

蘭「はい、僕も認めます。」

杉三「柳原白蓮に引けを取らない美しさでした。」

課長「そ、そうなんですか?そんなに美しい方とは、今になったら想像もつきません。」

杉三「そうですか。じゃあ、龍之君がお母さんだと思い込んでいる女性は誰なんでしょう?」

課長「うーん、、、。」

杉三「それだけでは、演技とは言えないこともあるのではないでしょうか。」

課長「はい。しかし、それは私どもには見抜けません。」

杉三「じゃあ、手伝わせてください。」

蘭「何をいう!そんな失礼なことして!」

課長「いや、手伝ってください。」

蘭「どうしてですか?」

課長「お願いします。」


取調室

課長「由布子さん、どうやって募金詐欺を思いついたんですか?」

由布子「とにかく、被災して酒に走った夫をどうしても救いたかった。それでいいじゃありませんか。」

課長「そうなんですけどね、あなた、それを旦那さんの治療費として使っていなかったのが、もう捜査でわかっているんですよ。それで、その理由はおかしくありませんか?」

由布子「だって、その前に住む家がなければ何もなりませんわ。まずそこから始めなければ。私たちも、津波で家の半分をなくしましたから。」

課長「はあ、でも、あなたの住んでいるところは高台で、津波はあまり心配なかったと、近所の人が言っていましたよ。」

由布子「着るものも用意しないとまずいでしょう?」

課長「ああ、どこへ買いにいったのですか?」

由布子「はい、近隣のボランティアさんが来ていて、洋服を販売してくれたんです。行商みたいにね。ボランティアさんだから、名前も住所も明かしませんでした。五十円で買えるなんて喜んでいました。」

課長「それは本当にあったことなんですか?」

由布子「ええ。ありましたよ。残念ながら、名前も何も、私はしりません。ボランティアの方と関係を持つのは悪いことですし、その方だって、奥さんや子供さんがいるかもしれませんから。」

課長「わかりました。では、募金を私的に使用したという容疑は、認められますね?」

由布子「でも、夫のためにやったんだからいいんじゃありませんか?」

課長「ご主人は今どこに?」

由布子「実家の働きで、東京にいます。確か、立川だったような。」

課長「立川に身内がいるのですか?」

由布子「ええ。彼はそこで、絵を描いているはずです。」

声「そんなわけないじゃないか!」

バタアン!と戸が開いて、杉三がやってくる。

杉三「課長さん、この人のいうことは全然違います。まず、立川にいるのは、旦那さんではなく、最初の結婚のときにできた息子さんです!」

課長「最初の結婚?あなた、まだ初めての結婚だといいましたよね。」

杉三「いいえ。三回結婚されています。最初のご主人が、龍之さんと同じ病にかかっていたから離婚して、二回目はDVに遭遇されて、いずれも離婚しているんですよ!」

課長「あの、これは事実なんですか?では亡くなられた園美さんにはお兄さんがいるという結果になりますよ。」

杉三「当り前だ!華岡さんから聞いたんだから。訪ねるのはこっちです。この人は、龍之さんのお母さんなんですか?彼が描いた肖像画と、全然違うじゃありませんか!」

と言って、杉三は、風呂敷包を開いて、龍之が描いた肖像画を見せる。

課長「こ、これを龍之さんが?」

杉三「これが何よりの証拠ですよ。彼にはあんなにきれいなお母さんに見せかけておきながら、本当に汚いことに手を染めたんですね!それに、病気の彼をおいて、勝手にこんなところへ逃げて、別の子を設けるなんて、龍之さんは、なにも浮かばれませんよ!」

課長「なんて美しい絵なんだろう。」

杉三「どうか目を覚ましてください。そして、お母さんに戻ってください。お願いします。」

と、半分涙目になり、顔を覆って、泣きはらした。


立川のアトリエ。龍之が再び絵を描いている。しかし、絵筆をしっかり持つことができず、何度も落としてしまう。

龍之「ああ、もう!」

と、頭をかきむしる。

壁には様々なものが貼ってある。電話番号などのほか、電子レンジやら洗濯機などの使い方まで、、、。壁に、診断書が貼ってあり、そこにはしっかりと「舞踊病」と書かれていた。それでも気を取り直して、絵を描き続ける。


仙台市の警察署。

由布子「最初に結婚したのは、母が縁談を持ち込んだからでした。私自体がそうなりたかったわけではありません。子供がなかなかできなくて、私の両親から、叱られていました。」

課長「それで、息子さんが生まれたときは、」

由布子「それはうれしかったんですが、そのあとがつらかったのです。夫が舞踊病になって、私は介護を担わなければならなくて、、、。」

杉三「まあ、それはしょうがないかもしれないですよね。」

由布子「一番つらかったのは、龍之をあたえられなかったことです。龍之は祖母である私の両親に預けられ、私はなんだか夫の付属品みたいにされて。」

杉三「それは、あなたが少しでも楽になってほしいからではありませんか?

由布子「そういう意味にとれる能力もありませんでした。とにかく、龍之をとられてしまって、夫も歩けなくなって、認知症みたいになって、、、。もう、こんな生活は嫌だからと、私は離婚しました。」

杉三「龍之君が舞踊病になったのは、12歳の時だと聞きました。」

由布子「はい。やっと夫から解放されたと思ったら、今度は息子までが同じものになるとは、予測していなかったので。もう、育てる気もなくしました。」

課長「それで、龍之君を乳児院に預けたんですね。」

由布子「はい。その間に、私は食品メーカーで働きましたが、初めのころは、自分が自由になれたので、喜んでいました。でも周りのひとは、そういうことを面白がって笑うのです。あのおばさん、独身だから、何か裏がある、そういわれて若い従業員さんたちに、さんざんからかわれて。」

杉三「どうして社長さんと結婚を?」

由布子「まあ、結婚していないと、笑いものになることがわかったから、社長であろうとなかろうと、誰でもよかったんですよ。」

杉三「誰でもよかった?」

由布子「ええ。私を解放してくれる人なら。」

杉三「ははあ、、、。」

課長「確かに、暴力的なひとは、割とイケメンが多いとか、女性を引く要素があるといいますからな。」

杉三「なるほどね。それで恋に生きるようになったわけね。」

課長「恋に生きる?」

杉三「だって、二番目の旦那さんと愛情をもって結婚したわけじゃなかったんですから。しかし、それを忘れさせるような人が出たわけね。」

課長「だれって?」

杉三「宮崎保さん。」

課長「よくわかりますね。」

由布子「そうなんです。私はやっと、健康な家族を持つことができ、心からほっといたしました。」

課長「で、その時に龍之君を仲間に加えようとは思わなかったですか?」

杉三「トラウマですよね。彼を連れて来たら、二番目の旦那さんにあったきっかけになってしまいますものね。最初のご主人も今はもう、あの世の人なんでしょう?」

由布子「もう絶縁状態なんですよ!そうしたいんです!そうさせてください!」

杉三「でもね、白蓮さん、もうできないよ。だって、一番必要と求めている人が、まだいるじゃないですか。それとも、まだ保さんといたいですか?」

由布子「わたしは、どうして子供にも夫にも恵まれないのでしょうか。私だけが、幸せをつかんではいけないようにできているのでしょうか?」

杉三「幸せ?そんなのは、他力本願では成立しないとおもいますよ。僕も、あきめくらで字が読めないんです。でも幸せに暮らしてます。それは幸せだって思えるからです。それだけは、間違ってはいないと思います。いくら馬鹿でも。」

と、取調室のドアをたたく音。

課長「どうしたんです?」

蘭「アトリエの管理人さんから、連絡があったんです。龍之君、病院に搬送されたって。」

杉三「ほんとに!どこの病院へ?」

蘭「日本医科大学。」

杉三「わかりました、すぐ戻ります!一緒にいこうよ!」

蘭「留置場のひとを連れ出すわけにはいかないよ、杉ちゃん!」

杉三「行こうよ、白蓮さん!」

蘭「杉ちゃんでもさ、」

由布子「わかりました。」

蘭「い、いや。」

由布子「行きます。」

杉三の顔がぱっと輝く。

蘭「そうと決まれば、東京駅からすぐにタクシーを手配するよ。」

と、スマートフォンを取り、タクシー会社に電話する。

課長の駅まで送ってもらうと、三人は、すぐに新幹線にのり、東京駅にたどり着いて、蘭が手配したタクシーに乗り込む。


日本医科大学病院

医師「ああ、お母さまですか。」

由布子「ええ。あの、龍之は、、、。」

医師「ええ、延命措置を取らせていただいていますが、現代の医学ではもう、、、。」

杉三「どういうことですか?」

医師「彼は、自身のアトリエから降りようとしたのですが、舞踊病のこともあり、階段をうまく降りることができなかったようです。管理人さんが見つけてくれて、通報してくれましたが、何時間もそこに放置したままだったようで、、、。」

杉三「じゃあ、僕らも彼に会わせてくれませんか?」

医師「いいですよ。彼の冥福を祈ってあげてください。」

杉三「わかりました!」

三人、病室に入る。全身を包帯でまかれ、機械の音がうるさいほどである。

杉三「おい、君のお母さんを連れてきたよ。どうか、目をさまして確認して!お母さんも何か言ってあげてくださいよ!」

由布子は何を言っていいのかわからない顔をしている。

杉三「お母さんなんだろ!声ぐらいかけてあげられないのかよ!」

蘭「杉ちゃん、」

杉三「いくらあんたが美人で、何回結婚したとしても、子供を作った張本人なんだから、責任とってよ!」

蘭のほうがさきに泣けてしまう。

杉三「ほら!てを握ってあげるとかさ!何か思いつかないの!」

蘭「杉ちゃん、この人はおそらく、そういう育ちしかしてないんだよ。」

杉三「そんなのなんて関係ないの!たった一つのものだから!」

由布子「たつ、、、。」

と、龍之の手に指を近づける。

杉三「しっかりしろよ、ほら!」

母親「龍之」

と、息子の手首を握りしめたとき、けたたましい音が鳴った。

医師「ご臨終です。」

杉三は、顔を覆ってなきだす。蘭は祈りの姿勢をする。

医師「では、葬儀のこともありますので、、、。」

母親「あの、ちょっと待ってくれませんか。」

医師「なんでしょう?」

母親「お清めさせてください。」

杉三「当然じゃないか!」

母親「杉三さんたちもありがとうございました。うちの子が引き合わせた奇跡です。」

蘭「二人だけにしてあげよう。」

杉三「そうだね。」

二人、病室を出る。

ドアを閉めると、

声「眠れ、眠れ、母の手に、、、。」

蘭「シューベルトの、子守歌だ。」

杉三「今、本当の親子になれたんじゃないかなあ。そんなきがするよ。」

蘭「そうだね。」

杉三「白蓮の忘れものだ。」

二人は車いすで病院を出て行った。

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