羽衣

羽衣: 清水駅。杉三と蘭が、改札口にやってくる。

蘭「三保の松原も汚くなったな。観光地になると、どうしてもね。じゃあ、杉ちゃん、切符かって帰ろうか。」

杉三は答えない。

蘭「能の世界に入ったか。」

蘭は、仕方なく切符を二枚買い、自動改札ではない改札へ移動する。

蘭「すみません。改札お願いしたいんですが。」

ところが、誰も出てこない。

蘭「すみません!」

と語勢を強くしていうも、反応はない。

杉三「羽衣が落ちたんだ!」

蘭「意味不明なこというなよ、杉ちゃん!」

杉三「だって布がどうのこうのってしゃべってるから。」

蘭「ぬ、ぬの?」

杉三「うん。」

蘭も、よく耳を済ますと、駅事務室から複数の駅員たちの声が聞こえてきた。

蘭「これでは、しばらく電車に乗れないな。何か不審物があったようだから。」

と、駅事務室の中でドアをあけるおとがする。

声「駅長、これ、どうしたらいいですかね?こんなもの、落とし主は現れるでしょうか?」

駅長「そんなことはあとでいい。先にお客さんたちの改札をしなければならないじゃないか。」

蘭「ああ、よかった。やっぱり駅長だ!」

駅長が、二人の近くに現れる。

蘭「二枚お願いします。」

駅長「お待たせしてすみません。こんどは、しっかりとさせますので。」

杉三「あの、羽衣はどこでおちたんですか?」

駅長「羽衣?」

杉三「さっき、駅員さんたちが、布のことで、話していたから。」

駅長「ちょうどいい、和服を着ているお二人なら、布の正体がわかるかもしれない。こちらにきてくれませんか?」

杉三「いいよ、いく。」

駅長「じゃあ、事務室にきてください。」

二人、駅長に促されて、駅事務室にいく。


事務室。

駅長「これなんですよ。なんだか、ボロボロで使い物にならないような布なんですが。」

それは、所々糸が盛り上がったような、モスグリーンの布だった。

蘭「ああ、絹織物ですね。節があるから、きっと紬のひとつですね。所々に太い糸を使うケースは、きっと、牛首あたりではないでしょうか。」

駅員「へえ、牛首ってなんなんですか?」

蘭「北陸でよくある絹織物ですよ。これで、立派な着物がつくれます。」

杉三「ちがうよ、蘭。」

蘭「違うって何が?太い糸は玉糸でしょ?」

杉三「牛首なら、全部が玉糸だけど、これ、所々に木綿を使ってるみたいだから、浜松のざざんざ織りだとおもうよ。」

駅長「ざざんざ織、ですか。」

杉三「うん。すごく希少価値のある布だよ。きれいなモスグリーンだね。」

駅長「きれいなのかな、なんだか、ボロい布にみえますな。」

杉三「紬の魅力はね、ボロい布に見せることなの。そうして幕府の目から逃れた紬は、お百姓さんたちは、すごく喜んだんだ。だから、ボロくみせる技術があるわけで。」

駅員「はあ、しかし、着物なんていまは、着る機会もないし、どうですか、廃棄処分にしましょうか?」

杉三「嫌だ!捨てないで!貴重なものだから持ち主がかわいそうだよ!」

駅員「ここにいつまでもおいておく訳にもいきませんよ。駅はゴミ箱じゃないんですから。」

杉三「だから、ごみなんかじゃないよ!それは持ち主が一番知ってるはずだよ。」

駅員「どんな立派な布だといわれても、勤務に差し障りが出るようでは、」

駅長「よしよし、わかった。じゃあ、こうしよう。彼にもってかえってもらい、使ってもらおう。」

杉三「喜んでもってくよ!ごみなんかじゃなく、これは羽衣なんだから!」

駅長「わかりました。じゃあ、それを差し上げますので、もってかえってください。」

蘭「本当にいいんですか?鉄道忘れ物に登録するとか、」

駅長「いやいや、そんなことをしても、落とし主は見つからないでしょう。それに、一般的に言えば、美しい布ではありませんから。」

蘭「わかりました。じゃあ、いただいていきます。」

駅長「ありがとうございます。」


数日後。蘭の仕事場。

蘭「えーと、沢田麗さんですね。お年はおいくつなんですか?」

麗「20歳です。」

その沢田麗という男性は、蘭よりも顔が白く、華奢な容姿だった。

蘭「わかりました。彫るばしょは?」

麗「腕に、」

と、いいながら顔をしかめた。

蘭「お体、お悪いんですか?」

麗「いや、そんなことは」

蘭「いやいや、よくわかりますよ。体に負担がかかるといけないから、腕一面ではなく、肩の辺りに小さなものを彫る程度にしないと、、、。」

麗「そんなこと言わないでください、どんなに痛くても我慢して強くなります。元服式とおんなじにしたいです。もう、仕事も限界だし。かつてやりたかった仕事は、みんな持っていかれてしまいました。僕はこの富士市で置き去りにされたのです。」

蘭「置き去りに?」

麗「僕はもともと浜松にすんでいて、和裁を習っておりました。でも、家族は、みんな必要のないものだ

といい、材料も道具も、みんな捨てられて、、、。」

蘭「珍しいですね。若いのに、着物とか和裁に興味があるなんて。」

麗「だから、文身をして、違う人になりたいんです。」

蘭「文身なんて古い言葉を知っているとは驚きです。彫り師の間でも、そんな言葉はいまは使わないですよ。だけどね、からだの弱いかたに、完遂するのは、むずかしいですよ。その顔をみればわかります。文身のせいで、健康がわるくなったら、もっと大変になりますよ。」

麗「そうですか、、、。」

と、インターフォンが五回鳴る。

蘭「ごめんね、いまお客さんと一緒だから。」

声「お客さんってどんな人?」

蘭「だから、ちょっと待ってて。」

声「どんな人?待っているよりはやく教えてくれた方が楽じゃないか。」

蘭「この発想は杉ちゃんじゃないとできないな。もう、終わるまであがって、お茶でも飲んでて。」

と、車輪が動くおとがして、杉三がはいってきた。

杉三「お客さんってどんな人なのか、知りたいから聞くわけで、僕は怪しいものではありません。僕の名前は影山杉三です。よろしくです。」

麗「あ、その着物はもしかしたら、」

杉三「はい、これでしたら、先日清水駅で偶然拾ったざざんざ織りを表にして、羽二重を裏にして、仕立てました。」

麗「その布は、僕が織ったものです。それは、僕が最後に織らせてもらった布です。電車の窓から、放り出された布です。きっと、捨てられてしまっただろうな、と思っていましたが、そうやって、仕立ててくれたのなら、もうなにも言うことはありません。」

杉三「そ、そんな、僕が羽衣を盗ったということになるんですか?僕はもう、おとしてしまったかたは、現れないと思ったから、、、。わあああ、ごめんなさい!」

と、幼児と変わらない位になきだす。

蘭「すみませんでした。こんどはよく言い聞かせますから、弁償はしますので、、、。」

しかし、この肝心なときに、麗は気を失い、椅子から床の上に崩れ落ちてしまった。

数時間後

麗が目を覚ます。みると、布団に入っている。どこにいるのだろうかと、回りをみると、蘭の家の客用寝室にいた。

蘭「あ、気がつきましたか。よかった。」

麗「あの、影山という人は、、、。」

声「ごめんなさい、、、。」

杉三は、両手で顔を覆って泣いていた。

麗「いえ、そんな、なく必要はありません。そんなに綺麗な着物に仕立ててくれたなら、ざざんざ織りも、喜びますよ。ほんとに、最期の一枚は、本当に親切なひとに渡ったんですね。それだけでも、心置きなくあの世にいけます。」

蘭「心置きなくなんて、まだまだ可能性はありますよ。もし、可能であれば、体調を回復したら、本格的に和裁を習ってはいかがですか?まあ、なかなか着物と言うものは、需要がないですけれど、入手したらずっと着られて、とても楽しいものですよ。いろんなブランドもありますし、それに触れられることは、やっぱり日本人ならではなのではないでしょうか。」

麗「そうですね。でも、自信がありません。これまで、何をやっても、叱られてばっかりで。なんで普通の人が興味を持たないものに興味をもつんだ?と、よくしかられました。」

蘭「そのものが、ざざんざ織りだったんですか?」

麗「ええ。」

蘭「それなら、ものすごく貴重なものなんだから、自信をもってくれてもいいんじゃありませんか?ざざんざ織りは、だれかに師事したのでしょう?」

麗「赤星という方でした。」

杉三「赤星さんは、いま唯一ざざんざ織りをやっている人だった。あとは、誰もいない。」

麗「そんなことは、言いませんでしたよ。」

杉三「当たり前だ!職人さんってのは、いつの時代にも黙ってるからかっこいいの!大島ならまだ後継者がいるからテレビなんかに出てるけど、ざざんざ織りは、もうどうなるか、はっきりとわかっているからなにも言わないんだよ!普段から大島を身につけるのは、そういうこと!」

蘭「大島とはまた違うと思うけど、とにかく、こんなに貴重な布が作れるのですから、赤星先生にもう一度会いにいったらいかがですか?」

麗「いや、もう浜松には戻りたくありません。多分父も母も、ざざんざ織りでやっていくことは、できないから、それを教えるために、置き去りにしたんだと思います。」

杉三「置き去りに?へえ、息子さんを?そんな親はいませんよ。」

蘭「もしよかったら、顛末をきかせてください。なぜ、ここにきたのか、僕らはよくわかりませんので。」

麗「はい、あの朝、僕は両親と三人で電車にのりました。どこへいくのかと聞いたら、清水でつむぎの品評会があるから、いこうということでした。僕は、その通りだと思って、布を持って電車にのりました。清水駅で、父が弁当箱の袋をゴミ箱にすてて、、、。そして、三人でバスに乗っていったのですが、ついたのは品評会ではなく、病院だったのです。」

蘭「ひどい話ですね。騙してつれていくのは一番悪いですよ。」

杉三「で、どうして富士にきたんです?」

麗「僕が、病院の前でいきたくないと伝えたら、両親は、じゃあおいていく、として、二人だけで帰ってしまったんです。追いかけようと思ったんですが、なぜか行き先を間違えてしまって、清水ではなく富士にきてしまったんですよ。」

蘭「そこまで酷いことをされたのなら、警察にいくとかして、調べてもらった方がいいですよ。それは、一種の虐待で、人権侵害にもなりますから。」

麗「そ、そうですね。でも、どう伝えたらよいのでしょう?」

蘭「いや、単に刑事課へ電話するか、あるいは、福祉事務所にいくとか。」

麗「そんなこと、必要ない。だって、そんなことしたら、愛されてもらえない。もう、大人なんだし。」

蘭「いや、犯罪なんですから、縁をきるべきではないかと。」

麗「そんなこと、、、。」

杉三「本当のことを言っていいんだよ。僕は読み書きができないから、言いたいことはみんなぶつけな。どうせ、記録するのもできないから、みんな素通りしていくから大丈夫。君は、怒りに任せて、富士へきてしまって、本当は途方にくれている。そうでしょ?」

麗「はい、もう最期だなとも思うんです。僕、体も悪いので。」

蘭「そうですか、、、。あっさり言ってしまいましたね。それではやっぱり、彫ることはできませんよ。で、どこへも行くところがないんですか?」

麗「はい、、、。しばらくはカプセルホテルにいたんですが、、、。体も疲れてしまって、十数分歩いたら休むを繰り返しました。もう、自分は長くはないだろうなと、、、。」

杉三「青柳教授のところに行ったら?空気はうまいし、食べ物はあるし、何より、だれでも困っている人を受け入れて、くれるじゃない。」

蘭「それが一番いいかもね。病院よりも、もしかしたら、役にたつのかもしれないよ。」


数時間後、大渕の山奥にある小さな建物。

玄関ドアに、平仮名で「たたらせいてつ」と書かれた張り紙をしてある建物の前でタクシーはとまる。それに気がついた水穂が、持っていた竹ぼうきを下駄箱にしまい、門をあける。

水穂「やあ、蘭、久しぶりじゃないか。元気かい?」

蘭「お陰さまで。掃除ができるようになったの?」

水穂「まあ、一時間以内ならな。」

杉三「よかったじゃない。誉めるべきだよ。教授、いる?」

水穂「いるけど、いま、新人さんといっしょ。」

蘭「そうか、じゃあ、待たせてもらおうかな。ここで。」

水穂「いいよ。庭で待っててくれれば。」

杉三「じゃあ、そうする。」

水穂は、門をあけ、杉三たちを庭へ案内する。庭は、全体的に苔がはえていて、真ん中には錦鯉が優雅に泳いでいる池がある。そこには、ししおどしが設置されていて、爽やかな竹の音が定期的に鳴っている。

水穂「いま呼んでくるからね。しばらくまって。」

と、いいながら咳をする。麗は、水穂をじっとみる。

水穂「気にしないでくださいね。からだの弱いだけですから。」

と、口をぬぐいながら廊下を小走りに歩いていく。

数分後

懍「どうぞ、おはいりください。」

杉三たちは、弟子のものに手伝ってもらいながら、なかへ入る。麗も、中にはいる。

懍「沢田麗さんね。よろしくお願いいたします。」

懍は丁寧に一礼し、名刺を手渡す。しかし、麗は、それをビリビリに破いてしまう。

蘭「失礼な、、、。」

懍「いえいえ、こういうことはよくありますから、気にしないでください。」

麗「ここはもしかしたら、刑務所みたいなところですか?」

懍「ちがいますよ。まあ、ご両親に似たようなことをされたんなら、それはおつらいですね。一番最愛の方ですからね。でも、大丈夫ですよ。ここはね、君みたいな人がたくさんいるから。まず、居住は、近くにウイークリーマンションがあるから、そこで暮らしてください。で、一番大切なのは、ここを終の住処にしないこと。それだけは守っていただきます。つまり、いつかはご家族のもとに帰るか、一人で暮らせるようになって、退室していただきます。そうしないと、パンクしてしまいますから。雑用はこの、磯野さんに任せてあるし、相談事があったら、彼が聞いてあげる役目を担っておりますので、何なりとお申し付けくださいね。」

その言葉は、魔法使いの老人のように見えた。懍は、真っ白な長髪を縛りながら、

懍「必要があれば、セラピーなんかも受けられますので、どうぞごゆっくり過ごしてください。」

と、応接室を出ていく。


数日後。蘭の家に達筆な文字の葉書がとどく。

蘭「あ、教授からだ。」

杉三「何だって?」

蘭「体の障害の検査の為、麗君に病院に行ってもらいました。短肝細胞がんという、かなりの重症がんのようなので、もう現代の医学では無理だと告知されました。今回、終の住処にしていはいけないというルールは、敗れることになりそうです。生徒たちには伝えておきました。虐待の経験者もいるので、彼のことをねたむとか、笑う人はおりません。私達は責任をもって彼の最期を看取れるように、努力していきます。」

杉三「そうだ、もっといってくれ。彼が早く楽になってもらえるように。」

蘭「しかし、どうしたら彼の両親は見つかるんだろう。彼を置き去りにして、どこへ行ったんだ?」

杉三「ざざんざ織りのお店にいってみよう。確か、赤星という、、、。」

蘭「浜松までいくの?」

杉三「当たり前だ。」

蘭「わかったよ、仕方ないなあ。いってみるか。」


富士川橋をわたっていく新幹線。

浜松駅。北口から、駅員に手伝ってもらいながら、遠州鉄道に二人はのりこむ。浜北駅で、降りる。

蘭「こんなところで降りてどうするんだよ。」

杉三「たしか、遠州織物の資料館があるはずなんだけどな。」

蘭「みちは?」

杉三「とりあえずいってみよう。」

と、ロータリーをまっすぐ進む。

蘭「どこいくんだよ、杉ちゃん。」

杉三「はたのおとがするんだ。」

蘭「はた?」

杉三「静かにして。」

と、聞こえる方へどんどんいってしまう。確かに、蘭にも不思議なおとは聞こえてきた。

杉三「ここだ。」

と、ある小さな家の前でとまる。

蘭「赤星、、、。」

杉三「ごめんください。」

と、ドアを叩く。インターフォンはついていない。

杉三「ごめんください。」

蘭「留守なのかな。」

杉三「いや、はたのおとがするんだ。」

と、はたのおとがやみ、ガチャンとドアが開いた音。

そこには、杉三が仕立てた着物と同じような着物を着たお婆さんがたっていた。あまりに年をとっていて、魔女のような印象を与えた。

杉三「僕は影山杉三といいます。こちらに弟子入りしている、沢田麗の友達です。」

おばあさん「ああ、彼にも友達ができたのですか。あたしは、赤星京子ともうします。こちらの方は、お兄様?」

蘭「いや、僕はたんなる付き添いなんです。名前は伊能蘭です。」

京子「かれは、亡くなってしまったんですか?麗君。」

杉三「確かに、魔女の弟子になったら、救われたかもしれませんよね。彼のような人だったら、魔女のような、特殊な分野に行った方が楽になれますよ。」

蘭「杉ちゃん、魔女という言い方はやめた方が、」

杉三「ごめんなさい。着ている着物が黒かったし、声の口調から、連想してしまったんです。」

京子「まあ、ほんとに面白い人ね。魔女さんとよんでくれるなんて、そんな呼ばれ方ははじめてだわ。」

杉三「お願いしたいんです。彼に魔法をかけてやってください。ざざんざ織りを続けていけるようにしてやってください。」

京子「そうなのかもしれないけど、彼についでもらうとしたら、彼の方がかわいそうだわ。これからも着物離れは進んでいくだろうし。かれのご両親が心配していたのは、将来性のない仕事につかせて、彼が生活できなくなるのを心配してるのよ。」

杉三「それが一番悪いところですよ。売れないんだったら売れるように何とかするのが商売ってもんじゃないですか?必ずね、僕みたいに頭の古い人は現れますよ。きっと、世の中は古いものに、傾倒していくようになるでしょう。だから、売れないと嘆くのではなく、売れるように何とかしようとしてあげてくださいよ!」

京子「なんとかしろって、、、。私も、ざざんざ織りをやってきて、いくら傷ついたかしら。古いものに携わっているとね、学校やら職場やらで、いじめられて、それでもやらなきゃいけないのよ。まわりのひとに、いくらバカにされてもやらなきゃいけないの。ほしいと思って買いにきても、お値段がどうので、消えてしまうわ。そんな思い、彼にさせたくないんです。かわいそうですから。」

杉三「そんなこと、なんにも気にしないと思いますよ。彼はね。」

蘭「ねえ杉ちゃん。もう、やめようよ。もう、ざざんざ織は織られないんだよ。」

杉三「えっ、羽衣、もう織れないの?」

蘭「羽衣じゃないってば。」

杉三「じゃあなんだ。」

蘭「君みたいに、着物がすきなひとは、なかなかいないじゃないか。」

杉三「他にだっているんじゃないの?」

蘭「どうかな?」

京子「おしえてあげるわ。答えは、ゼロよ。」

蘭「わかったでしょ、杉ちゃん。もう遅すぎるんだよ、気がつくのが。さ、夕飯に間に合うように帰ろう。」


たたら製鉄所

布団に寝ている麗。庶務係りの水穂が、茶を入れた鉄瓶をもってくる。

水穂「お茶のみますか?」

麗「あ、頂きます。」

と、起き上がろうとするがそれさえもできない。

水穂「ああ、無理しなくていいですよ。吸い飲みあるから。」

と、枕元にあった吸い飲みに茶を入れる。

水穂「どうぞ。」

と、吸い飲みを口にいれてやる。

麗「お茶が美味しいんですね、鉄瓶でお茶飲むと。」

水穂は後ろを向き、咳をする。

麗「いいんですか?水穂さん休まなくても。」

水穂「大丈夫ですよ。都会よりずっと楽です。体は悪くとも、心がよければ、持病があっても居きられますよ。妻が戻ってくるまでは、生きていたいから。」

麗「水穂さんは、奥さんに、」

水穂「まあ、世間一般的に言えば、そう見えますけどね、妻が刑期を終えて帰ってきたとき、うちの明かりをつけて出迎える人が、誰もいないんじゃ、かわいそうでしょ。」

麗「そんなに、大切なんですか?」

水穂「うん。たった一人しかいないんだから、たった一人はついていてあげたいな、と思うんですよね。それって、黙っていてはダメなんです。特に若い人は。だって、世界のことについて、なにも、知らないんですから。」

麗「僕は、父にも母にも捨てられてしまいました。布を作りたいと言えば言うほどしかられて。学校での勉強よりよほど楽しかったのに。それをしようとすればすると、怒鳴られるし。」

水穂「段々そうなってきますよね。僕らが、こどものころは、家族が暖かいから、見捨てることはなかったんですけど、いまはそうでもないから。」

麗「きっと、水穂さんのころの偉い人と、僕らの言う偉い人は違うんだろうな。」

水穂「そうかもしれない。」

と、いい、咳をする。

麗「水穂さん、」

と、いいかけるが止める。咳が止まらないからだ。

麗「水穂さん、、、。」

やっと咳がとまり、水穂は口をぬぐう。

水穂「もう、いい子でいなくてもいいよ。体を大切にして、頑張って御覧。」

と、またも咳き込みながら、部屋を出ていってしまう。

麗「いい子でいなくてもよい、か、、、。」


一月後

アリス「今日も、杉ちゃん部屋に閉じ籠ったきり?」

蘭「らしいよ。まあ、、、悔しいのはわかるけど、お母さんも大変だろうな。」

アリス「麗くん、製鉄所にいって、他の人格さんと回りの人が、喧嘩したりしないかしら。」

蘭「どうなんだろうね。体の方もしんぱいだよ。」

声「伊能さーん、郵便でーす。」

アリス「はいはいはいはい、いまいきます。」

と、玄関にむかう。

アリス「なんですか、こんな小包。」

配達員「そういわれても、わかりませんよ。僕らは運ぶだけなんですから。」

アリス「内容物、裁縫箱。はあ、裁縫箱ならうちにもありますから、押し付け商法はお断りです。」

配達員「そうですけど、ゆうぱっくでは、押し付け商法はできませんよ。」

アリス「一体、誰からなんですか?」

配達員「赤星京子さんです。とにかくね、受け取ってくださいよ。ゆうぱっくでは、到着の知らせを依頼人に、お伝えしなければならないことになっておりますので。」

アリス「わかったわ、」

と、渋々サインをする。

配達員「はい、まいどあり。」

と、すぐトラックにもどっていく。


食堂

アリス「一体どういうことかしら、うちに裁縫箱を送りつけるなんて。」

蘭「まあ、とりあえず、あけてみよう。」

アリスは、ハサミで段ボール箱を切る。すると、立派な鎌倉彫りで装飾された、小さな引き出し式の裁縫箱が出てくる。

蘭「あ、手紙がついてる。なになに、先日はありがとうございました。あのとき、私は一番肝心なことを言えずにいました。私には時間がないのです。もう、ざざんざ織りを維持することは、できません。杉三さんに、しかられたとき、自分の本当にやりたいことを言っていただいたみたいで、ほんとに、嬉しかった。でも、あと、数年したら、私は星になります。だから麗くんには別の道を歩んでほしいのです。それは、責任を放棄するのではなく、既に答えが見えているから、そう思ったのです。だから、厳しさではなく、愛情なのです。この裁縫箱を私だと言って、麗くんに渡してください。どうぞよろしくお願いいたします。」

アリス「やっぱり、後継者がほしいんじゃないかな。

裁縫箱を送りつけてきたんだから。いらないんなら、すてるわよ。ふつうは。」

蘭「頭のなかではそうかもしれないけど、現実はね。麗くんが受け取るべきなんだけどなあ、、、。」

と、蘭のスマートフォンが鳴る。

蘭「もしもし、伊能ですが、、、。」

美千恵「ちょっと、どうしても行かなくちゃならない用ができたの。申し訳ないけれど、杉三を預かってくれない?」

蘭「いいですよ、僕らも杉ちゃんに来てほしいところだった。じゃあ、しばらくテレビは見れませんね。」

美千恵「申し訳ないわね。すぐ戻るからと言ってあるんだけど、何をやらかすか、わからないもの。じゃあ、いまから連れて行くから、よろしく頼むわ。」

蘭「わかりました。」

と、電話を切る。

アリス「蘭、テレビ見て!」

と、彼の着物の袖を引っ張る。

蘭「どうしたんだよ、あ、、、!」

アナウンス「静岡県静岡市のあります清水駅で、二十歳の息子を置き去りにした容疑で、父親と母親が逮捕されました。被害にあった息子、澤田麗さんは、重い障害があり、余命は短いと宣告されており、

あと、数か月と診断された矢先だったということです。警察の調べによりますと、二人は、麗の介護で疲れて休ませてもらいたかった、と供述しております、、、。」

声「何を供述しているって?」

蘭「杉ちゃんだ!」

アリスが急いでテレビを消す。と、玄関のドアをバアン!と怒りを込めて開けた音がして、杉三がすごい剣幕で入ってくる。

蘭「大丈夫だよ、警察がちゃんと縛ってくれるから。」

杉三「彼には伝えたほうが、」

蘭「いや、終が近づいているのなら、やめたほうがいいよ。」

アリス「もう、知ってるんじゃないかしら。青柳教授のもとは、情報がすぐ入るから。だからこそ、彼には、羽衣を織ってもらわなくちゃ。」

蘭「赤星さんも、こんなものを送るなんて、意味がないよな。」

アリス「送り返そうか?こんなものいらない、その代わりに弟子にしてくれって書いて。」

蘭「うーん、一番の問題は本人だと思うけどね。」

アリス「だったら、電話したほうが早いわ。」


たたら製鉄所。麗がぼんやりとテレビを見ている。

水穂「辛くない?消そうか?」

麗「いえ、こうなってくれたほうがいいです。二度と、あんなひどいことはされたくないですし。」

水穂「でも、複雑でしょう。君は親御さんの助けがなければ生きていけなかったわけだから。僕も、妻に殺されそうになった時は、僕のほうが悪いんだって、思わざるを得なかったからね。」

麗「水穂さんはそれでも、奥様を待っていられるんですね。」

水穂「まあ、何回も言うけれど、振り向きはしないから。でも、待っている人がいなければ生きていけないのが人間だ。犯罪をする人って、目の前にあるものを見る目は良いんだけど、目の前ではないことを感じるのが下手なんだよ。時には言葉の裏を探ることが必要になる場合もあるよね。でも、そうじゃないときもある。それを、どう解釈するか、なんだけど、結局ね、自分が何をしたいのかを失ってしまうと、すごい劣等感を持つの。人間って。」

麗「水穂さん、聞いてください。」

水穂「いいよ。」

麗「僕は勉強して偉くなるべきだったのでしょうか?それとも、ざざんざ織を極めていくべきだったのでしょうか?」

水穂「それはね、君がどちらを楽しいと思えるかだ。」

麗「勉強をしていれば、点数が取れるととれないで、人種差別されることになります。ざざんざ織をやれば、将来の収入がなくなるからって、取りやめられます。どちらへ行けばいいのでしょう?」

水穂「どちらのほうが気持ちよかった?」

麗「わ、わかりません、、、。」

水穂「それではだめだよ。気持ちよいというほうに行きなさい。僕みたいに、演奏技術を求めすぎたばかりに、どちらもあぶはち取らずで失うことのないように。」

麗「あぶはち取らず?」

水穂「僕は、それでわかったの。音楽をするには、どんな音楽を作りたいかを一番最初に考えなければいけないこと。そのための情報は人づてでなく自分で見つけること。そして、それを実行できる環境を人文でセットすることだ。でも、それが高じて人を殺めることは許されない。逆をとれば、それさえしなければ、何をやってもいいということなの。だれだれの意見に従わなきゃいけないという、古臭い意見はさっさと捨ててしまわなければ、前に進めないんだよ。君も、過去に親御さんからさんざん言われてきたみたいだね。でも、考えてみて、親御さんたちはこれから裁きを受ける。そうしたら、悪いのは君じゃないよね。そうなると、君は、いろんなことができるよ。」

麗「僕は、学校の成績が悪かったので、家族みんなに叱られて、家族はみんな僕が嫌いだと感じて、ざざんざ織に手を出したのです。それだけなんです。単に楽しいから織っていました。それではいけないのでしょうか?それよりも、学校の成績をよくしたほうが、楽に生きられるといわれたけれど、何にも楽しくないんですよ。」

水穂「それを、ご家族に話したことは?」

麗「はい、ありました。でも、学校に行くのが大事だっていわれました。それが愛情なんだともいわれたけれど、僕は、勉強して愛してもらうよりも、ざざんざ織を織って愛してもらうほうが、よっぽど楽になれるのに、どうして赤星さんは、僕をだめな人間と言ったのでしょうか?」

水穂「そうしなきゃだめだ、と、思ったからでは?今にも消えそうな織りものに対して情熱を注ぐのは、将来の生活にかかわるから、わざと冷たくしているのでしょう。そうなると度胸を据えてざざんざ織りの製造

に専念してくれる人がいれば、それはありがたいことかもしれないけど、、、。でも、本来は、自分で進路を決定できるといいよね。」

麗「じゃあ、僕がもう一度お願いをしたら、やらせてくれるでしょうか?」

ところが、水穂はせき込んでしまう。麗の体の中で、何かが動き出したような、、、。

麗「水穂さん、チリ紙持ってきますから。」

と、急に椅子から立ち上がり、亀よりのろいペースで、机に近づき、おいてあったはこからチリ紙を取り出し、水穂に手渡す。


一方、京子の家はすでにざざんざ織りという看板はない。その代わりに売り物件と書かれた紙が貼られている。部屋にいくと、機織り機も、糸の山も、折った布も何もない。目の前にあった風呂敷包みをひもで縛ろうとしたその時、、、。

声「待ってください!」

杉三たちが近づいてくる。

蘭「急いで新幹線捕まえて、こちらにやってきました。どうか、工房を閉鎖するのは、もう少し待っていてくれませんか?きっと、工房を継ぎたい人が現れるはずです。」

京子「だから私、言ったでしょ?もういないって、、、。」

杉三「いますよ。」

京子「誰の事?」

杉三「澤田麗さんです。」

京子「馬鹿なこと言わないで。彼なら、もうお断りしたはずよ。」

杉三「じゃあ、なんで彼あてに裁縫箱を送ったりしたんですか?」

京子「ええ、私を忘れないでほしいから。」

杉三「忘れないでしょうよ。もっと思い出すでしょう。だから僕たちが代理で裁縫箱はお返しに来ました。だって、それがなくなるのなら、指導ができなくなりますから。」

京子「指導なんて、、、。もうこの工房を続けていたって、、、。」

蘭「今朝のニュースをご存知ですか?彼の両親、逮捕されたみたいですよ。」

京子「逮捕?彼はそんなこと、私に漏らしたことはなかったわ。ご両親はちゃんと、会社に勤めていた聞いていたから。」

杉三「わかった!わかった!」

蘭「杉ちゃんどうしたの?」

杉三「それをしらなかったんだね!」

蘭「どういうこと?ちゃんといってよ!」

杉三「麗君が、今はすごくつらいと、打ち明けるようなことができれば、こうはならなかったはずだよ!肝心なことを一番最初に言わないで、隠しておくからまずいんだ。もう、自分しかざざんざ織を織る人がいないから、厭世的に暮らしているんだと思うけど、彼が来てくれて、すごいうれしくなかった?何もなかったの?」

京子「なかったわよ。ただのもの好きな男の子って感じ。」

杉三「それでは、僕らが言うまで、何も知らなかったの?この際だから言っておく、彼は短肝細胞がんであり、あと数か月しか生きられない。それをきいたら、態度が変わるでしょ。お願い、彼に羽衣を織らせてあげてください!」

と、歩けていれば土下座するように頭を深々と下げる。

と、蘭のスマートフォンが鳴る。

蘭「はい、もしもし?何だアリスか。どうしたんだよ。」

声「すぐ帰ってきて!いま、青柳教授から電話で、麗君、倒れてしまったみたい!」

蘭「わかった、すぐ行く!杉ちゃん、もう帰るよ、麗君、危ないらしいから。」

杉三「そういうわけなんです。だから考え直してくださいね!」

二人、その家を出ていく。

京子「あたしも連れて行って!」


富士市立中央病院。集中治療室。

懍と、水穂が見守っている。医師たちが一生懸命声掛けをしているが、それでもだめらしい。

杉三と蘭が、飛び込んでくる。

杉三「教授、彼は大丈夫ですよね?」

懍は答えようとしない。

杉三「大丈夫ですよね!大丈夫ですよね!」

懍「杉三さん、見ればわかるでしょう、、、。」

杉三「わからないから聞いているんです!」

蘭「杉ちゃん、怒鳴らないでよ!病院なんだから!」

と、小走りに走ってくる靴の音。その音の主は、京子だった。

京子「麗さん、私です、赤星です!」

とガラスに顔をつける。ここでは許可がなければ一般の人は立ち入りできないのだ。看護師が、京子の様子に気が付いて、

看護師「もしよかったら、お別れの言葉をかけてあげてくれませんか?」

京子「お別れ、、、?」

全員黙る。もう、何が待っているのか、すぐにわかったのだ。

京子「私、いきます。」

看護師「では、ちょっとこちらにいらしてください。」

無菌服に着替えて、集中治療室に入った京子は、麗の枕元に近づき、

京子「麗君、私よ、京子よ。」

麗「おばさん、、、。」

かすかに京子のほうを向く。

京子「何?」

麗「また、ざざんざ織を一緒におりたいね、、、。」

そのとき、けたたましい警戒音が鳴った。

京子は、まだ暖かい天人の右腕を持ち、泣き伏せた。控室では、杉三はのどがかれんばかりに泣きはらし、蘭も水穂も涙を流した。懍は、モーツァルトのレクイエムの一説を口ずさんでいる。


京子が、天人の残した遺体を丁寧におきよめしている。杉三が入ってきて、

杉三「この羽衣、天人さんに返しましょう。僕が天人の羽衣を永久に持っていたのでは、天人さんは天にいつまでも帰れませんから。」

と、京子と二人で清水駅で拾ってきた羽衣を、冷たくなった遺体に着せてやった。

京子「これで、無事に天に上ることはできるでしょうか?」

杉三「ええ、もう、人間の悲しみも苦しみも忘れた、天人になっていると思いますよ。」

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