第31話 『龍我のモノローグⅠ』

彼女との出会いは今でもよく覚えている。寂しげな瞳も、憂い帯びた表情も。親友を見つめる優しい視線も。


「......そんなとこで何やってんの?」


彼女は屋上にいた。

屋上の手すりに腰掛けて。

俺の声を聞いて振り返る。


なびく黒髪。

彼女の意識が俺に傾けられた。


「待ってるの」


彼女はそれだけ言い、黙り込んだ。

自殺志望者には見えなかった。

死のうとしているのかと思い、駆けつけてきたのだが無駄な心配だったようだ。


心配するべき相手は他にもいるだろうに。

到底、あの少女を自分が立ち直らせるなど無理な気がするけれど。


脳内を横切る泣いてばかりいる茶髪の少女を思い浮かべ、俺は振り払うように伸びをした。


そのまま後ろに倒れこむ。

冷たい床に頭をぶつけたが石頭なおかげか全く痛くなかった。


ただ魅入られるように蒼い空と彼女を見つめていた。



ふいに屋上のドアが音をたてて開いた。

顔も上げずにのびのびしていると聞き慣れた声が覆い被さってきた。


「入学初日からサボりか」


「......なんだ、蓮か」


桃原 蓮華。女みたいな名前だが見た目は少し強面の整った顔つきの男だ。

俺がこの学校に来ることを決めたきっかけを作った人物でもある。

俺はどうしようもないほど完膚なきまでにこいつに打ちのめされたから。


「蓮こそ、抜けてきたのか?」


「ばーか。もう正午だし、とっくに学校終わったつーの」


ヤンキーみたいな顔して真面目なところがあるからこいつはモテる。

それはよーくわかる。

しっかり者だし、面倒見もいいし、文句なしだよなぁ。


これで相当のファミコンじゃなきゃ彼女の十人や二十人いるんだろうが。

大げさな数字だがいてもおかしくないと思う。いや、これは結構本気で。


「あ、蓮く、桃原くん!」


ずっと黙ったままだった黒髪の少女が蓮を呼んだ。


「知り合いか?」


「クラスメイトだ」


蓮がしれっと答える。

鈍い奴め。黒髪女は俺には見せなかった満面の笑顔を浮かべて、嬉しそうに駆け寄ってくる。

こりゃ、絶対に脈ありだな。


「おはよう! 今日も1日がんばろうね!」


「もう学校は終わったけどな」


「え!? やだうそ!? もしかして私、またさぼっちゃった?」


「青柳のくせ本当に直んないな」


「私だって直そうとしてるもん! あ、そーいえば今日って入学式だよね!? ってことは前に言ってたお友達ってもう来てるの?」


蓮が俺の方を見てきた。

お友達。どうやら、俺がそのお友達というやつらしい。


「こいつだ」


蓮が俺を指差した。

失礼にもほどがあるが、愛嬌のある笑顔を顔面に施し実践する。


「どーも。黄零 龍我です。蓮とはバスケ仲間で、いつもボコボコにされてまして」


「人聞き悪いこというな」


蓮が苦笑しながら俺を睨む。

高校デビューというやつだ。

さすがに前の学校と同じ素行はマズイということで蓮直々に「猫を被れ」という指令が下った。


蓮曰く、「前のキャラつき通したら即退学だからな? 覚悟しとけよ?」とのことだった。


私立なだけあって厳しいものだ。

入学式の件は道に迷ったで誤魔化そう。うん、そうしよう。


「へえ〜。貴方がそうだったんだ」


彼女はふわりと微笑したあと、黒髪に手をおき、青い瞳を瞬かせた。


「私は青柳 凛といいます。蓮く、桃原くんとは中等部からの友達で今でも仲良くさせてもらっていて」


「青柳は本が好きでな。アヤとも顔見知りで仲がいい」


アヤ。久々に聞く名前だった。

頭の中で思い浮かべることはあっても蓮が口にしているのを聞くのは本当に久しぶりだ。


「蓮く、桃原くんと黄零くんは――」


「もう蓮でいいよ」


「ご、ごめんね。呼び方とか直してからまた直したから癖になっちゃってて。二人は何組になったの?」


俺は蓮に視線を投げた。

受け取った蓮が大きく溜め息を吐く。

俺は知らん。ここついてから人影が見えて、真っ先に屋上来たし。


「俺もこいつも、青柳も3組だよ」


「そういえば、私自分のクラス知らなかったや。ありがと、蓮くん」


天然なのかわざとなのか分からないが彼女はそう言って首を傾け儚げな微笑を浮かべた。


彩華で耐性がついていなかったら俺でも落ちてるレベルの男を魅了する美しい微笑だった。


彩華の場合はふやーっとしていてほっぺを引っ張るとにへらにへら崩れて笑うから面白いんだが。


女でもジャンルが違う気がする。

言うなれば桃華はザ美少女で癒し系。青柳は美人の部類になるだろう。


「にしても蓮くんは流石だねぇ。私のクラスまで確かめてくれるなんて」


「偶然だよ。自分のクラスメイト確認してたらちょうど目に入っただけだ」


龍もな、と続ける蓮。

あ、別に確かめといてくれたわけじゃなかったのなお前。

と思いきや、蓮が気恥ずかしそうに頬を掻いているのを見て嘘を見破る。

蓮が嘘をつく時にしている癖だ。


「ふわあ。私は二度寝したいしもう帰ろうかな」


「二度寝とかよく寝れるな。こんな真昼の明るい時間帯に」


「昨日は夜遅かったからねー」


「あんまり無理すんなよ。女子に寝不足は大敵っていうだろ?」


「あはは、私は好きなことやってる方が楽しいから」


彼女は無邪気にそう言って、「じゃあねー」と手を振りながら屋上を出ていった。少しだけ、彩華に似ているような気もする。


「あいつ、プロの作家なんだと」


蓮が唐突にそう零した。

俺は「へえー」とどうでも良さげに返す。本なんて産まれてこのかたほとんど読んだことはないし、興味もない。


「アヤがさ、小説書いてんの知ってたか?」


へえー。あのアヤが。

アヤにも意外と才能があったりしてなーんてな。......いま、なんて言った?


「は? 彩華が小説?」


蓮が苦虫を億万匹すり潰したような顔で俺を見ていた。


いや、いやいやいやいやいや。

百歩譲ってそれが本当だとしてもあいつに書けるのなんて三匹の子豚のうさぎバージョンぐらいだぞ?


オオカミで出てくる前にそれを感知したうさぎたちが山奥に逃げてくか、おっかあのところに帰ってくだろ。

めでたしめでたしのおめでたい頭してるあの小心者の彩華が本を書く?


しかも童話とか絵本じゃなくて小説を? いや、無理だろう。


「と、俺も読むまでは思ってたんだけどな。まあ、読んでみろ」


そう言って、差し出されたのが『桃原彩華のダイアリー』と書かれた本だった。


「え、読んでいいのか?」


「数日前、ごみ箱に入ってたぞ」


「いや、それ本当に大丈夫かよ」


「黙ってればバレないだろ」


しれっとしているが、どう見てもこのノート、日記帳にしか見えない。

というか本に実名を載せるか?

へなちょこな彩華でも、もう少し工夫するだろうに。


パラパラと文字を参列を見返してみるが急に読めるようなものじゃないだろう、これは。


そもそもなんでお前はごみ箱あさってまで拾ってきてるんだ。

シスコンにも程がある。

さすがにここまで来ると引く。


やっぱり返そうと思い顔を上げる。


「すまん、メール来た。彩華からだ。ってことでじゃあな。明日には返せよ」


「はあ!? 持って帰れよ!」


「今から彩華の買い物手伝い行くから無理。持ってるのバレたら殺される」


「なら最初から持ってくんなよ!」


蓮は速やかに踵を帰していった。

あいつ......。いくら、俺が彩華と顔見知りだって言っても油断しすぎじゃないだろうか。それとも、俺は蓮にとって男の部類にすら入っていないのか。


「ま、特にやることもなかったしいい暇つぶしができたってことにしとこ」


再び屋上に寝転がり気持ちいい春の日差しを浴びながら俺は『桃原彩華のダイアリー』を開いた。

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