第25話 『親友だから』
「千鶴。ちょっといいかな」
帰り道ふと千鶴を呼び止めた。
千鶴はキョトンとした顔で「どうしたの?」と尋ねた。
「寄り道しよ」
「寄り道ってどこに?」
困惑顔の千鶴に笑顔をむけて私は彼女の手を取り駆け出した。
あの時と同じように。
息を切らすほど走って辿り着いた先には私のお気に入りスポットがあった。
「ここって」
千鶴が息を呑んで私を見つめる。
あの日、産まれたてのヤギみたいだった滑り方の千鶴はもういない。
たくさん練習してここでたくさん遊んだから。
スケート場に踏み込むときの感覚はいつも同じだ。
冷気が頬を掠めて身体を好奇心が支配する。
氷の上に身を踊らせればあとは自由に滑るだけ。
何も私を捉えるものがない、楽しくて壮大で思い出の場所。
千鶴は手摺を支えにしながら入り、一気に滑り出した。
人は平日のせいか、ほとんどいない。
隣に滑ってきた千鶴が追い付いてくる。
唇を舐めて一気に加速。
風を切って氷の上を滑っていく。
競うように私と千鶴は滑り続けた。
足が疲れてもつれ、ついに冷たい床に倒れる。
初めて来たときと同じだ。
歩くのと同じ感覚でやっていたら氷の削れているところにつっかえて思いっきり転んだ、すごく痛くってでも楽しかった。
「なにやってるの彩」
千鶴が笑いながら私に手を差し出す。
私は唇を歪ませて千鶴も床へと滑り込ませた。
千鶴は抗いもせず膝をついて大人しくひれ伏す。
「冷たいね」
「怒られそうだよ」
正直な感想を口にする私とは違って千鶴は現実を述べた。
まあ、そろそろ起き上がらないと服が濡れそうなんだけど。
というかもう手遅れかもしれない。
「あの日のこと覚えてる?」
「覚えてる。千鶴が半泣きになってたからびっくりした」
「好きで泣いてたわけじゃないもん!」
「千鶴は泣き虫だからねー」
「そんな泣かないし! そういえば、彩の泣いてるとこって見たことないや」
「千鶴の前では絶対に泣きませーん」
「なにそれ!」
二人で寝転がったまま顔を見合わせて笑った。
立ち上がろうとするとき、千鶴が足を掴んできてそのままよろけて転んだ。
仕返し、と笑う千鶴に私は削れた氷でできた雪を思いっきりかけた。
「私ね、彩とここで話したとき彩にはエスパー能力でもあるんじゃないかなって思ったんだよ」
千鶴がとんでもないことを言い出したのはベンチに座った後だった。
私は傍の自販機の前に立ちジュースをどれにするか迷っていた。
温かいものなのは決まっているけれど、ココアか紅茶か……捨てがたい。
と思っていた矢先にそんな言葉が飛んできて私は自販機のボタンをよく見ずに指で叩いてしまった。
ピッ、ゴトゴトゴト。
出てきたのは冷たいピーチティーだった。
呆然とするも、優先順位は千鶴のほうが勝る。
「どうして?」
「だって彩。私の心の中呼んだみたいに言い当てちゃうんだもん。私の言って欲しかったこと」
「偶然じゃないのかな」
ピーチティーを手に千鶴の隣に腰かける。
今度は千鶴が立ち上がって自販機を突つきにかかった。
迷わずに白い指先はあるボタンを押す。
「偶然じゃないよ。運命だよ」
恥ずかし気もなく千鶴はそんな台詞を言ってのけた。
そしてコーンポタージュの缶を持って帰ってくる。
「私ね、音楽が好きだった。ピアノも好きだし、ギターも好き。だけどね、お母さんは私がギターやるのあんまり好きじゃなかったからいい顔してもらえなくって」
「千鶴がギター好きって初めて知った」
千鶴は私の言葉には答えず、飲み物を口に含む。
私もなんとなくペットボトルに口をつけた。
「彩に言われてからすぐにギターもやることにした。私は彩がいなかったら多分不登校にでもなってたんじゃないかな」
肩を竦めた千鶴はずっと大人びていた。
漫画の中に見た私の憧れた世界の一人として輝きを持っていた。
「だからね、不安だったの彩と離れても私やってけるのかなって」
「うん」
「けど、決めたの。やっていけるか分かんないけど頑張ろうって」
決意をした人の目には曇りがない。
前世にもこんな目をしていた人がいた。
頑固で我儘で意地悪で無愛想で……。
もう名前を思い出すことのできない私の大事な——。
「ピアノもギターもどっちもやめない。両立してみせる。彩とだって中学離れてもずっと親友でいる」
「当たり前じゃん。親友辞める気なんてさらさらないよ」
千鶴は虚を突かれたような顔をして、直後。
「親友でいるからにはサポートもよろしくね」
「親友だから、仕方ないね」
悪戯げな顔をして笑った。
その笑顔は眩しくって、私のかけがえのない物が増えていく気がした。
7.かけがえのない親友がピンチの時は絶対に助ける
桃原彩華のダイアリーのページに新しい言葉が刻まれた。
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