第10話 『やるべきこと』

 大きく深呼吸して私は一歩大きく踏み出した。

 彼女は今日もきっとここにいる。 

 なぜだか分からないけど、そう確信が持てた。


 女子バレー部の人たちが走っている。

 私が誰なのか気づいたらしく数人が親しみを込めて手を振ってくれた。

 私は一礼だけして外に出ていく彼女たちを見送った。


 それから歩き出す。

 やらなくてはいけないことを果たすために。



 ドアを開いた瞬間に冷たい空気が肌を撫でた。

 図書室のカウンターで本をめくる少女の姿を見つけて息が詰まる。

 ぞっとするような悪寒が背中に走る。

 駄目だ、まだちょっとだけ怖いや。


 それでも、声を振り絞って言った。


凛先輩りんせんぱい


 まだ朝早い図書室の中には私と彼女以外誰もいなかった。

 彼女が本から顔を上げてこちらを向く。

 黒髪が彼女の青い瞳を一つ隠す。


「おはようございます」


「うん、おはよう。 桃彩ちゃん」


 にへら、と美貌の顔立ちを崩して凛先輩は笑った。

 両目がはっきりと合って心臓が大きく音を打つ。

 名前、覚えててくれたんだ。 と言っても愛称で、だけど。


「こないだはすみませんでした」


 勢いよく頭を下げて次の言葉を待った。

 沈黙。 沈黙。 沈黙。

 次の言葉は中々登場しなかった。

 その間、私の中で五月蠅いぐらいに音が渦巻いている。


「えっと、謝ってもらうような事されたっけ?」


 私の思考をまっさらにする一言が飛んできた。

 顔を上げると唸って顎に指を添え、考えこむ凛先輩がいた。

 凛先輩はなんとも思っていなかったようだ。


「ふふっ」


 自分が悩んでたことがどうしようもなく馬鹿らしくって笑いが零れた。

 なんだ、私が悩む必要なんてこれっぽっちもなかったじゃないか。

 凛先輩は突然笑いだした私にキョトンとした瞳を向けている。


 小動物みたいにクリクリした丸い瞳。

 見透かしているように青い瞳の印象は消え去っていた。

 無邪気で無垢で凛先輩は『青柳凛』でいるだけだ。


「せっかくなのでオススメの本とか教えてもらっていいですか?」


「ふえ? う、うん。 今の時期だとホラー小説がオススメかな。 もうすぐ終わっちゃうから今読んだ方が得な気するし……」


「どこらへんが得なんですか?」


「え、だって読んでてゾワゾワってするじゃない。 ゾワゾワって!」


 重要なことだったのか凛先輩は二回言った。

 効果音じみた言葉にまた笑わされた。


「ホラー小説だとほら、この本とか。 こないだ映画化もされてたし」


「それ、かなり怖いやつじゃないですか!」


「私読んでないから分かんないけど」


 読んでない本なのにオススメしようとしてたのか。

 凛先輩の感性はやっぱり普通とは少し違う。


「あれ、もしかして桃彩ちゃん読んだことあった?」


「読んだことはないですけど、CMでしょっちゅうやってますし」


「そうなんだ。私テレビあんまり見ないからなぁ」


 凛先輩の差し出してきた本は超王道のホラー映画で、私でも知っているぐらい今人気のある映画だった。


 私は怖いの大丈夫だから風華と一緒に映画を見に行こうとしたけど過保護なお兄ちゃんによって制止された。


 お兄ちゃんと雪華はホラー映画は駄目だ。

 風華が意外に得意なのは驚いた。


「うちのお兄ちゃんに貸そうかな」


「桃連くんってホラー小説好きなの?」


「いえ、その逆です」


「ええ!? あんなに厳つい顔してるのに!?」


 凛先輩が大きく目を見開いて本気で驚いた顔をした。

 本音がポロッと漏れた感じだ。

 凛先輩の場合、いつも本音だだ漏れだけど。


「そうなんだ、苦手なんだ。 私も苦手だけど桃連くんは想像できないなあ」


「涙目になるレベルです」


「泣いちゃうの!?」


 泣くまではしなかったけど今にも泣き出しそうだった。

 怖い顔をしている割にお兄ちゃんも雪華も涙もろい。

 風華は物理的な怖さにはビビるけど非科学的なことには泣かない。

 うちで一番、泣かないのって風華じゃないのかな。


「桃彩ちゃんは平気?」


「私は割と大丈夫です。ただ、泣くことはありますけど」


「桃彩ちゃんでも泣くことなんてあるんだ!」


「私だって泣きますよ」


 最後の一言は口にするか悩んだ末に口にした。

 前までの私なら絶対に強めに肯定したりなんてしなかっただろうけど、今は違うから。

 ようやく、私は本題に入る決意を固めた。


「凛先輩、大事なお話があります」


「大事なお話? 私でいいならなんでも聞くよ」


 凛先輩は微笑んで姿勢を正す。

 私は気合を入れるように大きく息を吐いて、言葉を紡いだ。


「私と……友達になってください!」


 沈黙。 沈黙。 沈黙。

 の次に凛先輩が間抜けた声を発した。


「え?」


 流石に凛先輩も引いた……かな?

 恐る恐る私は顔を上げる。


「私は友達だと思ってたんだけど、そう思ってたのって私だけだった?」


 凛先輩が弱弱しく微笑んで言う。

 私は慌てて否定した。


「い、いえ。そうじゃなくって、そうだったらいいなっていうか。 そうだったら嬉しかったなって思ってて……」


 何言ってるんだろう、私。 恥ずかしくなって頬を赤くした。

 そんな私に凛先輩は微笑して、


「うん、改めてよろしくね。 桃彩ちゃん」


「よ、よろしくお願いします!」


 凛先輩の差し出した手を私はそっと握った。

 目の前が晴れていくような不思議な気持ちになった。

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