第9話 『自分勝手に』
どうして私がこの世界にいるのか。
私だけの妄想上の世界にしては感覚がリアルだし、第一に私は『桃原彩華』に転生することなんか望んだりしない。
だから、きっと。 この世界は空想上なんかじゃない。
この世界に生まれ変わって七年たった今、私はそう考えていた。
だから凛先輩と出会ったときのショックはすごかった。
本当にこの世界に主人公がいたんだという衝撃。
それから彼女に自分の運命を変動させられてしまう可能性があるんじゃないかっていう恐怖心。
本物の『桃原彩香』は彼女を好きになることはできない。
だから彼女の偽物である私も本物の『桃原彩香』のために彼女を好きになることはきっと許されない。
「姉ちゃん、この頃ぼんやりしすぎだろ」
「ユキは別に気にならないけど、確かにそう思ったりはするの」
「こないだもいつの間にか帰ってたしな……」
「兄ちゃんとの約束を破るなんて信じられない」
「ほんと、後で連兄にガミガミ言われても上の空だし」
「ガミガミとまでじゃないだろ」
兄弟たちが口論しているのをぼんやり聞いた。
うーん、少しだけ自分でも大人しくなったなぁとは思うけどそんなにかな。
自分の視点から自分を
ともかく、受験勉強しないとなぁ。
お兄ちゃんが通っていた塾も週一であるし、そこの宿題もまだやっていない。
でも、やる気がまるで出ない。
心なしか体がだるい気さえしてきた。
「彩華、顔ちょっと赤いわよ。熱はかってみなさい」
お母さんにそう言われて熱を測ってみると案の定、三十八度近くあった。
「ほら、今日はゆっくりしてなさい」
勉強机に向かおうとしたところを連れ戻されて風華と雪華という見張りまでつけられてベットに縛り付けられた。
お兄ちゃんは部活。 お母さんは仕事だ。
「ちゃんと見張っててね」
「了解」 「任せて、ママ!」
熱があったって勉強ぐらいできるのに。
頬を膨らませて不貞腐れていると雪華が大げさに溜め息を吐いた。
「
「そんなこと言われても……」
「そういうとこ! いつもの姉はもっと生意気だもの!」
いや、生意気なのは君だよ?
雪華に反論したい気持ちを言葉にすることはできなかった。
体中がだるいせいで声を出すことすらキツイ。
私と雪華を漫画ごしに眺めていた風華が眉を潜める。
「本気で大丈夫なの? 姉ちゃん」
「大丈夫じゃないでしょ、このザマだし」
雪華が風華のベットに身体を投げ出してはねさせた。
風華が眉間に皺を寄せて雪華を睨む。
だけど、雪華は気にした様子もなし。
いつも通りのやり取りだ。
自分の部屋を持っていない雪華はまだお母さんと同じ部屋で寝ている。
偶にしか帰ってこないお父さんのベットを雪華が使っている形だ。
ちなみにお父さんが帰ってきている間は私たちの部屋に雪華を寝かす。
真ん中の空いたスペースに布団を敷いて雪華を寝かせると起きたときに私がその布団で寝ていて雪華が私のベットで寝ていることがある。
不思議でならないが雪華がとぼけるので真相は今だに分からず。
流石の雪華も病人のベットに飛び乗るようなことはしないようだ。
「僕のベットに飛び乗るな」
「いいじゃない。来年になれば風兄はユキと同室でしょう?」
あ、そっか。 来年からは私も一人部屋を持てるんだ。
中学に上がると我が家では自分の部屋を持てるようになる。
意外にうちは大きな家で、一階にリビングとキッチン。
それから畳の部屋と物置場、洗面所と浴室がある。
二階には、私と風華の部屋。お母さんと雪華の部屋。
お兄ちゃんの部屋。それから物置部屋になっている空き部屋が二つ。
その空き部屋のうち一つを私は貰えることになっていた。
「誰もいれるなよ」
「友達をってこと? 恥ずかしくて入れれないよ。風兄と同室だなんて絶対に言えないもん。 あー、連兄と同じ部屋がよかったぁー」
雪華の声に風華が額に青筋を浮かべる。
兄弟揃ってお兄ちゃんには敵わないしお兄ちゃんのことが大好きだ。
「姉はなんで連兄との約束破ったの?」
無邪気に雪華がそう問いかけた。
雪華の声は耳の奥までしっかり響いてぼおっ呆けていた私の脳を叩き起こした。
どう答えればいいか、どう答えるべきか私は悩んだ。
しばらく黙り込んで聞こえないフリをしようかとも思ったけど、それじゃ日記帳に記した5の目的を守れない気がした。
だから重たい口を開いた。
「私ね、分かんなくなった」
正直に答えることが彼女の姉らしくなれることだと思った。
だから正直に純粋に素直に本音を吐いた。
「自分らしい生き方とか、そういうごちゃごちゃしたこと考えてたらなんかおかしくなって訳分かんなくなって、私は私のままでいいのかなって頭悪いくせに難しいこと考えて。馬鹿だよね。考えたって分かるわけないのに」
風華が息を呑む気配。
雪華が体を強張らせる気配。
「私は誰なのか分からなくなったの。本当に、私は私でいいのかなってそう思って。 でも、やっぱり本物にはなれないね」
どれだけ自分を偽ろうと、どれだけ棘のついた言葉を吐こうとも、私は我儘で一途な『桃原彩香』にはなれない。
「私これからどうやって生きてけばいいかな」
分かってる。 こんなこと問いかけたって風華にも雪華にも迷惑をかけるだけだ。 何も伝わりはしないし、理解されはしない。
それでも秘密を抱えているという孤独は私を縛り付ける。
沈黙が続く。 誰も何も喋らない。
静かな空間が変に心地よかった。
いつまでも平穏が続けばいいと思った。
私の儚い願望を否定するように声が響く。
「そんなの知らないし」
風華の言葉なのか、雪華の言葉なのか分からない。
しばらくしてから雪華だと気づいた。
「姉は姉なんだから姉の好きなように生きればいいじゃん」
大人ぶった声音は間違いなく雪華の物だ。
「前から思ってたけど姉は優しすぎだよ、他人に対してとか自分ばっか遠慮して私たちにもあんまり文句言わないじゃない。 もっと我儘で勝手に自分の好きなように姉が生きやすいようにいればいい」
我儘じゃない? 勝手じゃない? 自分の好きなように生きていない?
どうかな、私は十分我儘だと思うけど。
こんな幸せな世界で大好きな家族に囲まれて苦痛なんて味わう必要もなくって気ままに生きていける世界なんて私の理想だ。
ううん、理想だった。
今はもう十分に幸せだから。
これ以上の幸せなんて私なんかが望んでもいいの?
「ゆきに賛同するのは気が引けるけど今回ばかりは仕方ないか。 姉ちゃんに全然欲がないのは僕も気になってたところだから。 本物とかどんな人物像描いてんのか知らないけど僕の知ってる姉ちゃんはアンタだし、いきなりキャラ変えられてもこっちが困る。 それに姉ちゃんは猫かぶりできるほど器用じゃないよ」
雪華に便乗して風華も言いたい放題言ってくれた。
器用じゃないって不器用なのは自覚してるけどさ。
本物って仕方ないじゃない。 私の中での『桃原彩華』は我儘でどうしようもないぶりっ子の駄目人間なんだから。
それでも彼女は一途で諦め悪くって堂々としてて……。
——私の憧れだった。
「姉ちゃんは自分勝手に生きていいよ」
小心者で弱虫で弟妹たちにも反論できないような駄目なお姉ちゃんでもいいの?
才能もないし、特技もないし、オドオドしてばっかりの私でも。
本当にいいのかな。
私が『桃原彩華』になってもいいんだ。
そう思った瞬間に身体の中から黒いもやっとしたものがスッと消えて意識が途絶えそうになるくらいの激しい睡魔が襲ってきた。
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